その後、約25km走って、楽山へ。楽山名物の豆腐料理の昼食をとり、遊覧船で楽山大仏(ローシャンターフー)を見学する。峨眉山地域内の長江の支流、岷江、大渡河、青衣江が合流する地点にある。近代以前に造られたものでは世界最大・最長の仏像であり、石仏である。顔は100畳分、岩山を堀り、90年かけて造られた。高さは71m、東大寺の大仏の5倍もある。多くの大仏が国家によって造られたが、この大仏は民衆の力で造られた。
1時間ほど走って峠に着いた。ヤクが草を食べている。また3時間程走って、シェラトン九寨溝リゾートに着いた。ホテルでバイキングの夕食をとり、明日に備えて休んだ。此処では、高山病に配慮して24時間体制で医師が応対してくれるそうだ。標高2000m位だが、峨眉山で3000mを経験しているので、なんともなかった。
2008年の四川大地震で一部壊れたが、修復された。
4日目
2012.9.16〜23
山門をくぐると二王像が建っている。
ロープウエイで下り、階段を下って、雷引平におり、バスで山の入り口まで走る。途中休憩の時、バスのエンジンに水をかけて冷やしていた。私達のバスだけと思っていたが、ネットで見てみると他の人もそれを目撃している。怖いくらいのスピードで走り下りるので、ブレーキが利かなくなるのではと心配だった。
1時間ほど走り、白馬チベット族村に着いた。チベット族の家は、屋根に白い鶏と羽根の付いた白い帽子が乗っている。
ホテルを出発して、バスで160km走って、平武を目指す。途中の家々には、トウモロコシが沢山干してある。是は、食料にもなるし、家畜の飼料にもなるそうです。このおばさんが、トイレを借りた家の方です。床にはトウモロコシが干してあります。トイレは、「ニイハオトイレ」で、水洗のところもあるが、大抵、ドアもなく、低い仕切りがあるだけで、中央に溝があり、時間で水が流れるようになっている。途中で、郷土料理の昼食をとる。
報国寺は、峨眉山の山麓にあり、峨眉山の門である。峨眉山最大の寺院で、明の時代1615年火災で焼失し、清の時代1654年に、聞達禅師が再建した。磁器仏陀、大銅鐘、華厳銅塔は寺内の宝である。
成田空港で、添乗員の沈さんと合流し、17時35分のANAで、30分遅れたが成都に向けて出発した。5時間45分で成都の空港に着いた。日本との時差は1時間遅れである。深夜ホテルに着いた。ガイドは黄さんといい、相棒に出てくる2課長に似ている。成都(チェンドゥ)は、四川省の省都で、豊かな成都平原の中にあって、古くから「天府の国」と言われてきた。唐の時代から蜀錦を産出するため錦城の別名を持ち、芙蓉の花を市花とする所から蓉城の別称も持つ。 成都平原の中央にあり、岷江支流の錦江に沿う。西部には龍門山脈がそびえ、中国西南部の要衝である。四川省は人口は1億1千万人である。 成都の道幅は片側6車線もあるところもあり、車が多く、活気を帯びている。
今の皇帝万々歳と書かれている。
平武の報恩寺を見学する。報恩寺は、明の時代、紫禁城を模した城を創立者の王が紫禁城を手がけた大工に建てさせた。当時は皇帝を模倣することは許されかなったので、寺と偽って改造した。随所に中央政府の目を欺く工夫がされている。
綿陽(メイヤン)は、四川省第二の都市で、古くから生産性の高い農村であった。電子工業や高等研究機関が集積する。「綿陽」とは、北に綿山があり、またかって綿水(?江)の左岸に市街中心部があったことによる。綿陽市街には、3本の正河川、綿江、安昌江、芙蓉渓が貫く。民族は漢民族が多いが、チベット族や羌族、回族などが住み、特に山岳部では多い。
高さ11mの大マニ車。お金を払うと回せるらしい。
2日目
3日目
成都パンダ繁育研究地
大悲殿の千手観音像
四天王像
その後バスで165km走り、成都に戻り、ラッテックス店で、マットレスや枕の話を聞いた。一人の方が枕を買ったので安心して店を出た。130km走って、綿陽(メイヤン)の町に入り、郷土料理の夕食をとり、ホテルに入った。
ここは、中国野生動物保護の研究を重点的に進めていて、パンダは最も主要な研究目標動物種のひとつである。繁殖、栄養、獣医学及び行為学などを研究している。広い園内にパンダが木に登ったり、餌を食べたりしていた。生まれたばかりの保育器に入った赤ちゃんを公開していたが、撮影禁止だった。
朝になって、気分も良くなって安心した。6時に起きてご来光を見に行く。宿から少し上がったところで待つ。6時46分雲の間から太陽が上り、3分ほどで、すっかり日が昇った。ガイドによるとご来光が拝めるのは、希で、私達はラッキーなのだそうだ。金頂からの階段に沢山の鍵がぶら下っていた。何かのおまじないなのか。帰りにラマ教の僧侶に会った。ガイドによると、住民はお寺に寄付をするので、お坊さんは皆裕福で、成都にマンションを持っているものもいるとのことでした。
阿弥陀像よりお釈迦様を大きくするということで、お釈迦様に帽子をかぶせた。
3000mの高地なので、高所障害が心配で、夕食は控えめにしたが、夜心配したとおり、少し気分が悪くなり、頭も痛くなったので、配られていた酸素ボンベから酸素を吸って休んだ。
私達は、入り口で、専用のバスに乗り換え、約1時間山道を走る。バスを下りて雨の降り始めた山道の階段を上る。途中の両側には、漢方薬や民芸品を売る店が並んでいる場所もある。ガイドブックには40分と書いてあったが、20分あまりでロープウエイの乗り場に着いた。最終のロープウエイに乗って5分ほどで上に着いた。中国の若い4人が細長いものを持って乗っている。中国語は分からず、「スリーピング」と言っていたので、寝袋のようなものだろうか。霧が深く風景は全く見えなかった。
峨眉山は、仏教の聖地で、中国三大霊山(五台山、天台山、峨眉山)、四大仏教名山(五台山、九華山、普陀山、峨眉山)の一つで、26の寺院を有し、普賢菩薩の霊場とされる。1996年、楽山大仏とともに、世界遺産に登録された。一番高い山が万仏頂(3098m)で、頂上まで、32の名刹が続いている。後漢時代から仏教施設の建築が始まり、南宋時代に最盛期を迎えた。
水晶店に寄って、買い物をした後、飲茶の昼食をとる。そこで桃を売っていた。日本では見たことない平たい桃があったので買ってみた。蟠桃といって、孫悟空や楊貴妃も食べた桃だそうです。翌日の朝食時に持っていって割って食べました。すこしコリコリして美味しかったです。 その後、160KM走って、峨眉山観光へ
楽山付近では、塩が大量に取れ、その成功を仏に感謝したいということと、塩を運ぶ岷江の水害を大仏の力で治めてもらおうという願いから、僧の海通が寺院・凌雲寺に隣接する崖に石像を彫り始めた。743年、海通は亡くなったが、イ皐が受け継ぎ803年完成した。川の合流点に工事で出た大量の土砂を投入することで、川底が浅くなり、海通の意図通りに水害は、大幅に減ることとなった。私達は船で観光したが、大仏を周りをぐるりとまわることも出来、大仏の周りが人であふれていた。
唐時代、青海・チベット高原に存在したチベット族の地方政権吐藩王朝と唐王朝は、この地で激しく戦った。この戦争は吐藩の勝利で終わったが、一部の吐藩の兵士は奥山に忘れられた。兵士達は、半農半猟の生活をおくりながら、土地の人と結婚し子供を育てた。彼等は、故郷を懐かしんで、自分達のことを「白馬」という。白馬とはチベット語の古語で、「チベット族の兵士」という意味である。
菩薩像と王氏父子の像がある建物は、修復中で見ることが出来なかった。
報国寺