2016.08.09~08.15
12時からバイキングの昼食をとり、しばらく昼寝をする。ウエルカムパーティーが午後3時からあるというので、持ってきた浴衣を着る予定だったが、寝過ごしてしまった。ロビーにはワインやジュース、おつまみなどが用意されていて飲みながら待っていると、クルーの紹介があって、船長のスピーチがあった。スタッフによるショーがあり、その間に船長と記念写真をとってもらった。
果物や魚の揚げたものを売る屋台を見ながら、カートに乗り、階段を下りて船に戻った。
来る時は階段を上って来たが、帰りは坂道を下る。
山頂の「天子殿」に祀られているのは「閻魔大王」日本の閻魔様と違って穏やかなお顔をしています。中国語では「魔王」と言います。 豊都を鬼城と言うようになった由来は、漢代に陰長生と王方平が仙人になる修行をしていたとの伝説があり、いつからか「陰王(中国では閻魔大王)」と呼ばれるようになり、冥途の世界を具象化する施設が作られた。
朝6時15分から屋上で「太極拳」体験ができるというので、参加した。たくさん参加者がいると思ったが、数名しかいない。先生の動作に合わせてマネをするが、なかなか難しい。一つの動作をするだけで30分間が終わってしまった。私は「大極舞」をやっているが、体をゆっくり動かすということは日常の動作ではないので、筋肉も必要になってくる。
禹王宮
午後6時からの夕食の後、午後8時30分から船員達のショーがあり、その際に重慶で行われた「コンクール」で優勝したという子供たちの一団が乗り合わせていて、その子たちの歌も披露された。 長く、暑い一日が終わった。船は次の停泊地に向けてすべりだしていた。
バスに乗って、重慶市内観光が始まる。今回は参加者11人なので、バスもゆったり座れてうれしい。 重慶で最も古い下町「磁器口古鎮」を散策する。石畳の通路の両側に土産物屋、飲食店が建並び、人びとで賑わっている。明・清の時代に磁器の生産と搬送が盛んだったことから「磁器口(龍隠鎮)」といわれた。
重慶(チョンチン)市は、中華人民共和国の直轄市である。人口は3200万人で、面積は北海道位に広い。長江上流の四川盆地東部に位置し、市の中心部で北から嘉陵江が合流する。中国の物流の大動脈であり長江沿岸に栄え、古くから水運が盛んで、三峡ダム完成後は1万トン級の船舶も重慶まで航行できるようになった。気候は盆地であるので、夏は猛暑になり、武漢、南京と並んで「三大火炉」と言われている。今回も猛暑が続き、38度とか言っていたが、この辺りは40度を超えると、働かなくていいそうで、役所の操作で40度に行かないように発表しているそうです。冬は寒いが雪は降らない。中国第4の中央直轄地で、西部最大の工業都市である。
「白無常」の帽子には「お前も来たのか」と書かれている。ちなみに「黒無常」には「お前を捕まえに来た」と書かれている。
電気自動車に乗って「鬼城」の門まで移動する。 豊都県は重慶市中心部から東に170kmの長江北側にある。古代、重慶地域を支配していた「巴」国の主要都市として栄え、1900年近い歴史のある街である。旧市街中心部は2003年の長江三峡ダム第二次溜水により水没し、住民は長江南岸に移転している。
午前8時に豊都で下船し、閻魔大王を祀る「鬼城」を見学します。船内のロビーはごったがえし、私達グループは「下船カード」を貰って桟橋から陸に上がり、急な階段を上ります。今の季節は川の水位が下がっているので、その分上る階段の数は多くなります。
3日目
夕食後、港に行き、いよいよ「クルーズ船」(長江黄金6号)に乗り込む。五階建てのマンションのような船で、部屋は全室バルコニー付きで、機能的に出来ていた。クルーズに初めて参加してわかったことが、船は夜動いて朝までに観光目的地に着くということを繰り返し、最終目的地に向かう。今回は約400名の乗客が乗っている。
歩いて「火鍋」料理の店に向かう。火鍋の起源は、内モンゴルの羊料理として発祥したものであるとか、磁器口の船乗りが豚・牛の内臓に塩・山椒を振りかけて完成した重慶火鍋、四川火鍋として広まった。 白湯と山椒や唐辛子の入った辛い麻辣(マーラー)スープに具材を入れて自分で調合したたれにつけて食べる。日本のシャブシャブと似ている。でも「豚肉は4分煮て」と言われた。
人民大礼堂は1954年に、北京の天壇を模倣して建てられた。中央の丸屋根の建物は、重要な会議や行事が行われ、左右に二重屋根の建物がある。階段を下りると、人民広場があり、市民の憩いの場となっている。
舞台
中国に現存する最も大きな会館建築群「湖広会館」を見学する。長江と嘉陵江が合流する重慶半島にあり、広東公所、禹王宮と斉安公所を含む3つの部分からなっている。湖広とは昔の中国にあった地名で、時代によって範囲が変わる。300年前に建てられた湖弘会館は明・清時代の重慶の移民の歴史と商業の繁栄を見守って来た。現在の物は2003年に修復したものである。
重慶には長江と支流の嘉陵江があるためたくさんの橋が架かっている。1982年に初めて長江大橋がかけられた。