4日目

毛利輝元公

木戸孝允生誕之地

殿様を見下ろしてはいけないということで城下には2階屋はなく、中二階になっている。

萩から津和野へ

萩は夏みかんの産地

 文久3年(1863年)英国に密航留学した長州出身の5人の若者をいう。近年、留学先の英国でも彼らの功績が評価され、長州ファイブの呼び名で顕彰されている。

 泊まった駅前のホテルは大浴場もあり、なかなか良かった。萩はアマダイが有名らしいが朝食にアマダイの焼き魚がでた。萩観光を予約してホテルをでた。
 私は20年位前に山口から定期観光バスで萩に来たことがある。今回のコースはその時と殆ど同じだった。

1日目へ

毛利公もなか

萩博物館

松蔭神社

松下村塾

東京より移築した別邸

 黄檗宗寺院で、大照院と並んで毛利家の菩提寺である。墓所を見守る500余基の石灯籠が壮観である。8月には万灯会がある。

井上聞多(馨)ー外交の父
          初代外務大臣。17歳で萩の明倫館に進学する。
遠藤謹助−造幣の父
        造幣局を創設し、造幣局長に就任する。
山尾庸三ー工学の父
        グラスゴーで造船を学び、東京大学工学部を設立。
伊藤俊介(博文)ー内閣の父
            初代首相となり大日本帝国憲法を発布。
野村弥吉(井上勝)ー鉄道の父   初代鉄道局長官。   

菊屋家住宅

 明治40年に東京府下荏原郡大井村に建てたもので、広大なものだったが、玄関、大広間、離れ座敷3棟を移築した。大広間の鏡天井や離れ座敷の節天井など意匠に優れている。

 伊豆下田港で海外渡航に失敗して、江戸の獄に繋がれ、萩の野山獄に移された。安政2年実家お預けとなり三畳半一室に幽因される。ここで松蔭の講義を父兄や近親者が聞き、やがて、入門者が増え、私塾の形態が出来た。安政4年松下村塾に移るまで、一年半続いた。

吉田松陰幽因の旧宅

 駕籠置き石 庭の中央にある大石。御上使等は御成門を経てこの石に駕籠を置き、縁側から入室された。

高杉晋作 伊藤博文両公幼年勉学之所

青木周弼旧宅・(藩医で蘭学者)安政6年(1859)に建てられあまり改築されていない

400年前の慶長9年に毛利輝元によって築かれた。現在は石垣と掘割の一部が残り指月公園となりさくらの名所になっている。

 14歳から14年間過ごした生家 萱葺き平屋建てで、建坪29坪。  居宅客室の大きさは、6畳1室、5畳半1室、4畳半1室、3畳3室、2畳室、玄関土間です・

ホテルから見た松本川

伊藤博文旧宅

東光寺

 定期観光バスは13:42までの予定だったが、乗客が私達二人だけだったので、どんどん予定をこなして13:00には萩バスセンターに戻ってきてしまった。津和野行きのバスまで2時間近く待って、14:53発の津和野行きのバスで、雨の降り出した萩を後にした。  津和野に着いたのは、日の暮れかかった16:30だった。ここから大阪までの夜行バスで帰る予定だったが、聞いてみるともう満席で乗れないことが分かった。新山口まで出て、新幹線に乗れなければそこで泊まることにして、雨の津和野を少し散策した。17:55のおき5号に乗り新山口まで、最初遅れていた電車は遅れを取り戻して19:00のぞみに乗れた。予定では6日の午前に帰って来ることになるはずだったが、名古屋でこだまに乗り換えて、藤枝に着いたのは23:50だった。  投入堂がメインの旅行で、ほかの予定はしっかり決めずに出かけたが、初冬の山陰を旅行することが出来ました。

5代 9代 3代 11代 7代の順で並んでいる。

節天井

萩焼の像

萩城跡

萩焼窯元

城下町エリア

鏡天井

茶碗を買い求めました。

登り窯の入り口

登り窯の中

萩焼の大きなオブジェ

登り窯と薪

登り窯の煙突

井戸