あまりの暑さに茶店で休む。三島大社の縁起餅・福太郎餅を買い、茶店で味わった。

本殿の傍に聳える杉の大木

村山浅間神社のイチョウ・境内の中央に立っている。気根の発達が著しい。総数宅70もある。最大のものは直径30cm、長さ2mに達する。母乳の出を祈願して、気根の先端に針を刺すという。

樹高 16m
目通り幹囲 9.2m
樹齢 約300年以上

村山浅間神社の大杉 
樹高 49m
目通り幹囲 9.9m
樹齢 推定1000年
 (中心部に長さ8mに及ぶ空洞がある。下部の大枝は支柱で支えられている。枝葉の付きもよくない。樹勢は外見上の勢いと異なり、徐々に衰微しているようだ。)境内にはこのほかにも大杉が多く、平成3年に社叢全体が保存樹林に市から指定された。

護摩壇・村山の法印(山伏)がここで富士山中での修業に入る時、終わった時護摩をたいた。現在では毎年7月のか開山、9月の閉山時に護摩がたかれている。

2020.8.16

村山浅間神社 富知六所浅間神社 三島大社 函南春日神社、天地神社

田方郡函南町平井にある「天地神社」に向かう。

村山浅間神社の大スギ

天地神社の大クス

樹高 15m
目通り幹囲 13m
推定樹齢 1200年

知浅間神社の大クス

大場・函南から伊豆縦貫道に入り、長泉ICから新東名に入り帰途についた。今日は今年一番の暑さだったが、たくさんの巨木と会うことができた。

下の境内の右のほうに富知六所浅間神社の大クスが見える。正面はしっかりしているが、裏に回ると幹の中央が大きく欠けている。主幹が失われた跡で、二つに裂けてしまっている。幹には着生植物が付いて古木感がすごくある。拝殿が新しく建立され、拝殿の裏にあった森は切られてしまい、クスノキも窮屈な格好だった。古木を大切にしてほしい。

酷暑の続く中、家にいても暑いので、巨樹を見に行く。藤枝、岡部ICから新東名に入り、新富士ICで出る。西富士から県道76号線に入り、富士宮市村山にある、「村山浅間神社」を目指す。看板もなく、道を聞いた人に誤った道を教えられ、やっと、神社に着いた。ここは以前「さわやかウォーキング」で訪れたことがある。

樹齢750年のケヤキ

樹齢650年のケヤキ

春日神社の大クス

天地神社には境内の中央に立つご神木の大クスがある。高い背に広大な樹冠を持つ見事な巨木は、損傷の少ない、今なお健全な立姿である。参道にはケヤキの大木が並ぶ。境内にはほかにも大木が聳える。

樹齢1200年と言われる「金木犀」は日本一の大木で、9月上旬と9月下旬から10月上旬にかけて2回、薄黄色の小花を全枝につけ、その芳香が2里に及ぶと伝えられている。現在はすっかり樹勢が衰え、支え木に辛うじて支えてもらっている。

若山牧水の歌碑

旧東海道の中央にあった「たたり石」

古くは現在の数倍の広大な境内であった。三島市の中央に鬱蒼とした森に囲まれ、千古の老大木も現存する神域であり、史跡、名石、名木などが点在する。

三島大社の金木犀

富士市浅間本町にある「富知六所浅間神社」に向かう。六所神社は旧郷社で、富士山本宮浅間神社流鏑馬神事に勤仕していた富士下方(しもかた)五社のひとつ。5月3日にここで流鏑馬が行われた。現在ではその神事が行われることはなくなったが、5月3日を例祭日としている。

キツネノカミソリ(ヒガンバナ科で、有毒)

樹齢650年のケヤキ

樹齢550年のモッコク

村山浅間神社は、富士山の南麓、標高500mにある。鎌倉時代に僧頼尊が村山の地から富士行を創始して以来、村山登山口とともに、富士修験の中核として栄えた。興報寺(大日堂)と共に発展してきたが、明治の神仏分離や修験禁止で興法寺は廃され、富士登山道が付け替えられ、往年の賑わいを失った。

樹高 15m
目通り幹囲 9.4m
樹齢 推定850年

根が道路のコンクリートを持ち上げ、斜面の根がすり減って、中が空洞になっている。もう少し楽に根を張れるようにしてあげないとかわいそうだ。

同じ函南町大竹にある「春日神社」に向かう。  道路沿いに聳えている「大クス」にはその太い幹と道路を覆う広い根張りに驚く。巨大な蛸が幕を張った足を広げたような姿が特徴的。主幹直上にある空洞の開口部は、間近を通る東海道新幹線の開通工事により伐採された跡であろう。かっては樹高20m以上あったそうです。

樹高 30m
目通り幹囲 13.5m
樹齢 推定800年

東名富士ICから東名に入り、沼津ICで出る。三島市大宮町にある「三島大社」に向かう。

道を挟んで「村山道入り口」がある。さわやかウォーキングでは、この道を一部歩いた。富士山最古の登山道で「村山古道」と呼ばれる。

鳥居の先の石段を上ると「高根総鎮守」が祀られている。
(村山修験の開祖・富士上人末代は役行者修法を継ぎ、幾百回の登頂を成し、頂上に大日寺を建て、、山岳仏教の基礎を固め、自ら「大棟梁権現」と号し、村山の地で即身仏となり、当山の守護神となった。当社はその霊を祭り、氏神社として、氏子の信仰厚く、高根総鎮守と称する。)参道脇には杉の大木が聳えている。

富士信仰と対象と芸術の源泉」の構成遺産の一部として世界遺産に登録された。

大日堂は文明10年(1478)の銘のある大日如来坐像を本尊として祀る興法寺の中心的な建物で、江戸時代末期の建築と考えられる。平成26年に解体修理を行い、屋根は金属板葺きで、かっての茅葺屋根の形状を再現した。

水垢離場・富士登拝者はここで水垢離をとり、身を清めた。社叢裏手の竜頭池から水を引いた。中央には不動明王が祀られている。