さわやかウオーキング 富士宮

鳥居と参道

H.28.04.16

さくらの園から3,5km歩くと山宮浅間神社・遥拝所がある。現在、独立した神社になっているが、昭和10年代までは、浅間神社(本宮)の摂社で、本宮(里宮)にたいする山宮であり、神主は山宮大夫と称した。現在は、本宮の宮司が兼務している。「富士本宮浅間社記」によると、山宮浅間神社が現在の地に設けられたのは、日本神話の時代であった。垂仁天皇の時に、山足の地へ大神を祀り、景行天皇の時に日本武尊が山宮の地に大神を祀ったとされる。発掘調査では、神事に利用されたと推定される12~13世紀の土器片が出土している。

山宮浅間神社・遥拝所は、富士山を直接遥拝して、祭儀を行うことを目的として築造された施設。南北約15m、東西8mの長方形で、30cmから40cmほどの溶岩を用いた石列によって組まれている。富士山を拝む方向に祭壇が配置され、祭壇に向かって左側に祭儀を行う大宮司席、向かって右側に、別当、社僧席が設けられている。現在は遥拝所の玉垣の中には入れない。
 

村山浅間神社は、明治の初めまで京都の聖護院を本寺とする修験道の拠点で、「富士山興法寺」と称し、富士修験の中心地であった。戦国時代には、時の権力者・今川氏の庇護を受け、数多くの先達や道者(登山者)が集い、富士登山の中心地として栄えた。
 当時の村山の集落は、興法寺の別当である村山三坊の法印を中心に、三坊に属する山伏や門前百姓などからなる修験集落で、東西の入り口には見付(木戸)が設けられ、集落への出入りが制限されていた。明治には、神仏分離令を受けて興法寺は廃され、大日堂浅間神社は分離された。

世界文化遺産「富士山」構成資産めぐりに参加しました。早朝家を出て、東海道線で富士まで行き、身延線に乗り換え富士宮駅で下りた。受付を済ませ、待っていたバスに乗りこむ。往復1400円です。30分間バスに乗り、「富士山さくらの園」に9時50分に着いた。

参道にある鉾立石・山宮御神幸の際に、祭神は鉾に宿り、山宮にむかったため、御神幸の途中休憩する際に鉾を置く「鉾立石」があった。道筋にいくつかあったといわれるが、現在は浅間大社楼門前にひとつ、山宮浅間神社参道にふたつ残っている。

11時13分に神社を出て、約2,3km歩き、11時42分に「富士山環境交流プラザ」に着いた。ここから富士山が良く見える。暫く休憩し、上り坂が続く道を歩く。標識を曲ると、12時30分、「村山浅間神社」に着いた。

イチョウの老木で、樹高16m、「」と呼ばれる大きな気根が垂れ下がっている。最大の物は直径30cm、長さ2mに達する。

大杉・樹高47、幹周9,9m、樹齢1000年で、御神木である。

大日堂大日如来を主尊とする興法寺の御堂である。昔は藁ぶき屋根であったが、現在は建て替えられている。間口15間、奥行き7間の入母屋造りで、江戸末期の建物で、2015年の修復工事により建築当時の姿がよみがえった。
 修験者の格好をしたガイドさんが立っていた。

大日堂には、碑伝木が保存されている。碑伝木とは、修験者が峰入りする時、信仰する神仏や自分の名前などを記し、境内に建てた物である。この碑日伝木は天保12年に聖護院問責雄仁親王が村山に来た時に境内に建てられた物で、風化を防ぐため根元から切り取り、堂内に納めたものである。

大棟梁権現社は末代上人を祀る社堂で、明治維新までは護摩壇裏手の一段高くなったところにあった。明治維新の神仏分離令の際に、仏教的な名称の大棟梁権現社が廃され、浅間神社と大日堂の間を裏山に上りつめた所に「富士大神社(祭神大己貴命)」として祀った。現在は「高嶺総鎮守社」と呼ばれ、元村山地区の氏神となっている。社殿は平成15年に再建された。

少し歩いては、舗装路に出て、また古道に入り富士ヒノキの樹林の中を歩く。富士の火山灰土壌でゆっくり育った富士ヒノキは目が細かく、強度、耐久性に優れている。

青面金剛と観音像

籠屋

富士山さくらの園」は、市制60周年の一環として平成15年3月に開園した。市の花である「フジザクラ」をはじめ開花時の異なる全国各地の桜40種類約200本が植えられている。 桜の間を縫ってウオーキングを開始しました。

水垢離場と富士信仰・水垢離場へは、社叢裏手の沢に湧く竜頭池湧水を引き、上の段から樋で落とし、垢離をとるようにしてあった。水の落ち口には山伏修行の時の主尊とされる不動明王の石像が安置されている。村山の修験者が各地に富士垢離を広めたといわれている。

護摩壇と富士峰入り・護摩壇は、村山の法印が富士峰修行に入る時や終わった後に修行の時々に採燈護摩を修した所である。現在の護摩壇は、安政4年(1857)にかって境内にあった「大棟梁権現社」拝殿の上に造られたと考えられている。護摩壇正面には不動明王の石像が祀られている。

キツツキ

村山古道入口から村山古道に入る。村山古道は、万延元年に英国特命全権公使・ラザーフォード・オールコットが外国人初の富士登山を行った際にも使用された。

フジザクラは、富士山近辺やその山麓、箱根近辺に自生して、ハコネザクラ、マメサクラともいう。樹高が大きくならず、花も小さい。

山宮浅間神社には、本殿があるはずの所に、石が並べてあるだけで、本殿がない。今までに、何回か本殿を造ろうとしたが、そのたびに、大風が起こって吹き飛ばされたり、村人の家や畑も被害を受けたりした。そんなことが続いたので、村人は、「山宮浅間神社に本殿を造ろうとすると風の神の祟りがあるので、本殿を造ってはいけない。」と言われるようになった。

小学校を過ぎて、スタート地点の「富士山さくらの園」に戻ったのは14時だった。待っていたバスに乗り富士宮駅に戻り、身延線、東海道線と乗り継ぎ、藤枝に帰った。
 今回は、約11kmを4時間かけて歩いた。家に帰り、新聞で「村山神社のミヤマツツジ」が見ごろを迎える。と言う記事を見た。桜ばかりが目について、ミヤマツツジには気が付かなかった。

ラザーフォード・オールコット卿 富士登山150周年記念碑

付近の家には、「シャクナゲ」や「桜」が満開で、時々富士山がぼやーと見える。