6日目

カンペチェは、スペインによって最初に造られた要塞都市である。植民地時代の面影を残している。1540年、F・モンテ率いるスペイン軍により征服され、マヤ人の都はメキシコ有数の貿易港に変身した。それと同時に海賊の襲撃が度重なるようになり、1686年から18年の歳月をかけて大要塞が造られた。1999年にはその町並みが世界文化遺産に登録された。  要塞完成当時、スペイン国王から自治都市として認められ、発展を続け、現在はカンペチェ州の州都となっている。カンペチェとは、マヤ語で、「ヘビとダニの地」という意味である。

楕円形の家がいくつも立ち並び、おのおのの用途に使っている。庭には、色々な木が植わって、実を付けている。ハンモックの使い方を教えてもらう。ちょっとしたコツがあるようです。エネケンといわれるリュウゼツランの一種の葉かを擦って繊維を取り出し実演をしてくれた。その繊維を編んで、綱をつくる。メリダはこのエネケンで巨万の富を築いた。  奥さんがトリティーアを焼いてふるまってくれた。おじゃしました。ありがとう。

グラン・ピラミッドは、高さ32mの大神殿。現在北側の階段だけが修復され、上ることが出来る。遺跡の中で一番高い所に位置するので、頂上からは、密林の中に遺跡が浮かび上がって見える。

メリダは、1542年、スペイン人入植者フランシスコ・デ。モンテーホによって都市が開かれた。19世紀から20世紀には、エネケンと呼ばれる竜舌蘭から採れる繊維の大量買占めが米国資本によって行なわれ、以前からエネケンを栽培していたメリダ市を含む周辺地域で空前のエネケンブームがおこる。メリダ市のメインストリートであるモンテホ通りやその他市内を走る立派な道路などのインフラはこの好況によって造られたものである。バスで通ると、エネケン御殿といわれる立派な邸宅が続く。

亀の家は、総督の宮殿の北西にあるこじんまりしたプクウ様式の建物。上部に亀の石彫りが飾られている。マヤ神話では、亀は、チャックと同じ水の使者とされていた。ので、雨乞いのために祀られたと考えられる。

球戯場は、尼僧院南側のアーチをくぐり、総督の宮殿へ向かう途中にある遺構。中央の石の輪には、レリーフが残っている。宗教的な意味合いが強い球戯は、手が使えなかった。この石に腕や腰を使って打ち込んだ方が勝となる。勝者が生贄となるという説と、敗者が生贄となる説がある。

魔法使いのピラミッドは、高さ38mの巨大な建造物で、マヤ遺跡には珍しく小判型の石組みで造られ、側壁部が丸みを帯びている。内部には4つの神殿が隠されており、その中の1号神殿からは、「ウシュマルの女王」と名づけられた、ヘビの口から人の顔が出ている石彫りが発見された。小人が一夜で造りあげたという伝説から、「魔法使い」という名前が付いた。実際は、8〜11世紀の300年の間に5つの神殿を順番に造り上げた。正面の階段には、雨神チャックが頂上まで続く。118段の絶壁のような階段の上には神殿があり、壁一面精密なモザイクで埋め尽くされている。残念ながら、この神殿にはのぼることが出来ない。残念!!

アーチの天井には、手の跡が赤く残っている。

ヘビのような雨が空から降ってくる様を表している。

尼僧院は、広大な中庭を4つの矩形の建物が取り囲む構成になっている。それぞれが、沢山の小部屋をもつことから、尼僧院と名づけられた。内部の天井はすべて、プウク様式の特徴であるマヤ・アーチで造られている。外壁は切り石をはめ込んだモザイクと蛇神ククルカン雨神チャックなどのレリーフが過剰なまでに、施されてる。上部で羽根を広げているククルカンは、トルテカの影響を受けていることを物語る。建物南の中央では、大きなマヤ・アーチが通路を形作っている。

魔法使いのピラミッド

ウシュマルの歴史と文化  7世紀初頭のマヤ古典期に栄えたこの遺跡は、プウク様式と呼ばれる。この特徴は、壁一面を彫刻を施した石を組み合わせて、複雑なモザイク(幾何学模様)や蛇などのモチーフで、過剰に装飾している点である。10世紀になると、中央高原から進出してきたシウ人に占拠され、それ以降は、羽毛のあるケツアルコアトルも崇拝するようになった。プウク様式の特徴は、丹念に仕上げられた切石にあり、装飾の施された建物の基部について、几帳面に仕上げられた石を通路部分を除いて、隙間なく積み上げ、建物の屋根部分には、複雑に入り組んだモザイク模様が、施されるか、何かの形を彫刻した幾何学的な要素を繰り返す。多くのプクウ式の建築物には、雨神チャックの顔が見られる。

町の中心市街を取り囲む不規則な六角形の市壁は、長さ2560m、それぞれの角には、防衛上の拠点が置かれていた。城壁には、中心市街に至る4つの門があった。正門が「大地の門」と「海の門」である。あとの門は「グアダルーペ門」と「サン・ロマン門」で、市壁に隣接する外の地区に通じている。

ソカロ前には、カテドラルがそびえる。1540年に聖母マリアを祀るため1世紀半以上かけて造られた。

マヤ人のお宅を訪問しました。

コズ・ポープに隣接する宮殿。下層部壁面に円柱のデザインの切石がはめ込まれ、中断段の窓に円柱が建てられている。典型的なポープ式デザインです。 この円柱のデザインは空から降ってくるヘビのような雨をイメージしているそうです。

まだ、発掘復元されていない建造物が沢山あり、これから発掘調査が進めば、もっとすばらしい遺跡になると思う。

北面には大きな人物像が2体飾られている。 手の格好や着ているものから、宇宙飛行士が宇宙船を操縦しているように見える。マヤ語でカバーは「強い手の男」という意味だそうで、この遺跡の名前の由来となった像です。

モザイク模様が美しい北面の外壁

鼻が欠け、目だけが並んでいるように見える。

はめ込まれる石はこのように扇形をしている。

尼僧院や球戯場

魔法使いのピラミッド

神殿の前には、リンガと祭壇の上には、雄と雌のジャガーが座っています。

総督の宮殿は、荘厳に飾られた外壁と、建物中央に見事なアーチをもつ。その気品ある外観から貴族の住宅、あるいは行政府だったと諸説ある。横180m、縦153m、高さ12mのテラスを基壇にして、さらに3層のテラスが重なる。

魔法使いのピラミッド

中央の入り口の上には、3連のチャック像があり、左右の残りの入り口の上には、8匹の双頭のヘビが台形を作った装飾が6つ並ぶ。

建物の高さは、床の高さに続く屋根の高さに隣接する建物の床の高さになるように工夫され、建築技術の高い建物である。チャックの鼻が上を向いているのは、「雨を降らせて下さい」で、下を向いているのは「雨を降らせてくれてありがとう」という意味です。

バスで、ユカタン州に入る。

色とりどりの建物が美しい。

窓には、鉄格子がはまっている。

階段の下には、神聖文字が書かれた石碑がある。

陸の門

アーモンドの粉を固めたもの(今日のお菓子)

ククルカンの頭

ホテルの窓からメキシコ湾を臨む。

城塞と砦に囲まれたコロニアル調の旧市街は、美しい町並みが残っている。

雨神チャック

7日目へ

チャックは殆ど鼻が欠けてしまっているが、ここのは上向きが残っている。上向きは雨乞い、下向きは、雨に感謝の意味がある。

大ピラミッドから見える鳩の家は、上部に鳩の巣のような格子窓がついた建造物。丘の上に見事な壁だけが残っている。

ウシュマル遺跡は、メリダから南へ80kmにあり、チチェン・イツァーと並び、マヤ文明を代表する遺跡である。7世紀ごろ創建され、雨の神チャックを強く崇拝していた。遺跡の各神殿はチャック像で飾り立てられている。

前には、どこにははめ込んだらよいか分からないパーツが残されている。

ウシュマル周辺には、プクウ様式の遺跡が多数点在している。カバーサイルシュラパックラブナなどの遺跡だが、私達は、カバー遺跡に行った。

ライス・ジュースは、生の米を水に浸し、砂糖、ミルクをいれミキサーでかき回して作ったもの。甘い飲み物です。

昼食、ライムスープ、蒸豚 プリン 。白いのはお米のジュース

この地区は、まだ修復が済んでいない遺跡が多く、凱旋門だけが修復されていた。これも下の部分だけが残っていて上部を修復したようだ。ここに来る途中にも、大ピラミッドと看板の出た瓦礫の山があったが、まだ修復がされていないようだ。

凱旋門

カバー遺跡は、ウシュマルの22km東南にある、ウシュマルの姉妹都市で、外壁が300近くのチャックで飾り立てられたコズ・ポープが圧巻で仮面の宮殿と呼ばれている。北側には精密なモザイクが施され、上部には人物像もある。道路の反対側には、凱旋門と呼ばれる巨大な擬似アーチがそびえている。  ここは、カバー遺跡の入り口で、サクベーといわれる白い道がウシュマル遺跡まで続いていたといわれている。

バスで、メリダに向かい、ホテルに入る。夕食は、ミックスサラダ、ポークチョップ、トウモロコシのパイでした。 長い一日が終わりました。

仮面の宮殿

ウシュマルの女王(人類学博物館)

まだ半分しか掘りだされていないチャック。目、鼻が良くわかる。

基壇の上にあるコズ・ポープ(巻いたしきもの)

マヤアーチの向こうに、魔法使いのピラミッド

かぼちゃ メキシコではかぼちゃは神聖なもので、花が壁画にも描かれている。

室内は古いタイル張りが残り、大切に使っている。観光客のため、窓やドアを開けて見せてくれている。

海の門

城壁

市民の台所「メルカード」を散策する。所狭しと、野菜、果物、などが並んでいる。