葉の十字架の神殿から十字架の神殿を見る。

早朝5時30分にホテルをでて、空港へ。8時30分発の飛行機で空路ビジャエルモーサへ。飛行時間は1時間26分だが、離陸するのにもたもたしたが、1時間で着いてしまい、機長はアナウンスで得意げだった。とガイドさんが言っていた。スペイン語の分からない私達は知らなかったが。

遠足の子供達

4日目

女王の棺

ビジャエルモサは、タバスコ州の州都で、古くから、グリハルバ川沿いに栄え、近年はメキシコの石油産業ビジネスの中心の一つである。「南東のエメラルド」として知られ、天然資源にも恵まれ、農業に適した場所でもある。

子供達の祭壇

(今日のお菓子) 唐辛子をまぶしたグミ

夕食は、ホテルで。人参のクリームスープと牛肉の串刺し、フルーツカクテル

白い樹皮を持つセイバはユカタン半島の代表的な木で、グァテマラの国木でもある。古代マヤの神話では「命の木」と考えられその枝は神々の住む天上界につながり、根は地下深く地下世界につながっているといわれる。人間の住む地上世界はセイバの木に支えられ守られてきたとされ、聖なる木として尊重されてきた。

赤い女王の神殿

頭蓋骨の神殿

パレンケ

バスで、パレンケに移動します。パレンケは、メキシコにあるマヤ文明の古代都市遺跡で、世界遺産のひとつでもある。18世紀の半ばにスペイン人により発見され、本格的な発掘調査が始まったのが1948年である。1952年、メキシコの考古学者アルベルト・ルスが「碑文の神殿」の地下室にたどり着き、室内にはめ込まれている巨大な石版を取り外したところ、鍾乳石の垂れ下がる広い洞窟のような部屋が確認された。殉死者と思われる数体の遺体と肖像画、マヤ文字、石の蓋、その下に石棺が埋もれており、装飾品を脇に置いた遺体が発見された。翡翠の仮面を被ったこの遺体は、7世紀に在位したパカル王のものであった。1987年、「古代都市パレンケと国立公園」として世界遺産に登録された。

ジョー君とココちゃん

丘の上から宮殿を望む。

川を渡った小高い丘の上にある十字グループと呼ばれるエリアの神殿。太陽の神殿、葉の十字架の神殿と共に、パカル王の息子チャン・バールム王時代に建てられた。内部のパネルに十字架の図が見られることから、この名が付いた。現在パネルは人類学博物館にある。二つの部屋のうえにあるマヤ・アーチの飾り屋根や煙草を吸う老人の浮き彫りが復元されている。

十字架の神殿

マヤアーチの入り口

パレンケの歴史と文化 この地域には、紀元前から人が住み着いていた。7世紀に統治したパカル王とその息子・チャン・バルーム王の時代に急速に成長し、全盛期を迎えた。その繁栄も長くは続かず、9世紀から都市は段階的に放棄され、10世紀の末にトルテカ人と思われる異民族が侵入したときはすでに廃墟状態であった。そのままジャングルに覆われて長い眠りについた。1746年、デ・ソリス神父がここを訪れる。発見時には、大半の建物に飾り屋根が残り、壁には漆喰が施され、鮮やかに彩色されていた。その後訪れたスペイン人調査団により、多くの装飾壁やマヤ文字の石板を失った。パレンケの遺跡は500棟以上あるが、発掘修理されているのは、ほんの一部である。

老戦士

ジャガー

パレンケ遺跡の中心にあり、王様が住む所と推定され、宮殿と名付けられた。最初の部分は7世紀に建てられたが、120年ほどかけて増築され、4つの中庭の建物がアーケードや地下通路でつながる複雑な構造になった。深さ3mの水路が引かれた地下に、水洗トイレやスチームバスもあった。 最大の特徴は、マヤ建築でほかに例がない高さ15mの4階建ての塔である。塔の壁面は東西南北を指していることから、「天体観測塔」と呼ばれている。最上階には、星の観測に使ったと思われるテーブルもある。この塔から見ると、冬至には太陽が碑文の神殿に沈む。また天井部が、マヤアーチになったE棟の通路には双頭のジャガーに座り、母親から王冠を受け取るパカル王のレリーフが残る。パカル王は、615年に12歳で母親のサック・クク夫人から王位を継承し、死ぬまでの68年間の統治でパレンケは隆盛を極めた。、

パレンケ遺跡

発見された石棺の蓋に描かれた模様。横にすると王が宇宙船に乗って操縦しているように見えることから、宇宙人説もあったようだ。実際、マヤの人たちは高度な天体観測技術をもち、正確な暦を使っていた事実もある。

神殿内部の壁に太陽のシンボルとされた盾と槍からなる戦いの神(L神)が彫刻されていたことから、その名がある。神殿上の屋根の飾りの保存状態が良い。内部には、642年と記されたパカルを賞賛する碑文がある。チャン・バールムは18年しか王座に君臨しなかったが、そのほとんどを父パカルを称える神殿造りに費やした。この建物と向かいの葉の十字架の神殿とはエコールームになっていて、音や声が反響する。外国人が盛んに手を叩いて、確かめていた。

1993年発見当時、内部や石棺、中の女性の遺体も真っ赤に染められていた。レディ・サック・クックの墓とも言われる。

パレンケ最盛期の675年に、パカル王(マヤ語で盾を意味する。)によって着工され、王の死後692年に息子のチャン・バールム王によって完成した高さ23mの神殿。最上部に600以上の碑文が刻まれた石板があったことからこの名が付いた。マヤ文字で綴られた碑文の内容は、2世紀にわたるパレンケ王家の歴史で、マヤ文明研究の重要な資料になっている。神殿正面には69段の階段があり、最上部は5つの部屋に分かれ、中央の部屋には碑文の刻まれた石板がある。各部屋の門柱には、パカル王のレリーフなどが刻まれてる。この神殿から出土した埋葬品などは、人類学博物館に展示されている。 最上部の真ん中の部屋から地下の歩室に下りる階段があり、2m×4mの石棺に、翡翠の仮面をつけ、数々の副葬品とと共にパカル王は埋葬されていた。現在は、神殿内への立ち入りは禁止されていて、階段を上ることも出来ない。

ビジャエルモサから西へ130km、オルメカ文明の中心だったラベンダ遺跡から1925年に出土した石碑を、一周1.2kmの敷地に配置した遺跡公園である。紀元前1200〜紀元前400年にかけて造られた巨人頭像はアフリカ系黒人に似ている。公園には33個の石碑や石像がある。

ラベンダ遺跡公園

中央に擬似アーチの入り口があり、柱の根元には兎の頭蓋骨が施されている。かっては、赤と青で彩色されていた。擬似アーチとは、両側から石を少しづつずらして積み上げ、アーチの頂点でつながるようにしてあるからだそうだ。

宮殿

煙をあげるポポカテペトル(5464m)

夕方になり、猿の鳴き声がこだまします。「ホエザル」の声で、縄張り争いでほえている。

他にもまだ修復されていない神殿が多く点在している。

昼食はスープと鶏のグリル、アイスクリーム

若い女神

対話の祭壇

王の石碑

巨石人頭像

ジャガー

勝利の祭壇

玄武岩の円柱

曲芸師

四角の祭壇

支配者

空を見上げる猿

人間の形のジャガー

未完成の頭部

若い戦士

玄武岩の柵

ジョー君、何考えているのかな?

マヤアーチの通路

バスルーム

カカオの木(幹に花が咲き実をつける。)

ポポカテペトルとイスタシワトル(5230m)眠っているイスタシワトル姫に寄り添う戦士ポポカテペトルという伝説があるらしい。

オリサバ(5636m)メキシコで一番高い山。以前、夫はこの山に登頂している。

回廊が続く。塔に上る階段はなく、縄梯子か何かで上ったのだろうということでした。

パカル王のレリーフ(網が掛かっていてよく見えない。)

天体観測塔

太陽の神殿の向かい側の丘にある小さな神殿。擬似アーチの入り口と上部左右にあるトウモロコシと人間の首を表す窓が特徴。十字架の図の上に、太陽神の顔や雨神の面を被ったケツァルの姿も見られる。

葉の十字架の神殿

太陽の神殿

碑文の神殿

おながざる

5日目へ

宮殿正面には、レリーフが残っていました。

マヤアーチの内部

中庭にはレリーフが残っている。

水洗トイレのすわるここちゃん

寝室のベッド