ジャワ島・バリ島6日間

H.25.01.11〜16

プランバナン寺院群(世界遺産)

早朝家を出て、JRで、成田空港に着く。成田発12:00のガルーダインドネシア航空で、ジャカルタに飛んだ。7時間10分の飛行だった。添乗員が付いていかないので心配だったが、ジャカルタの空港で、現地係員が誘導してくれて、ジョグジャカルタに一時間あまりの飛行で着いた。  現地添乗員と空港で会い、ホテル(シェラトン ムスティカ ジョグジャカルタ リゾート&スパ)に入った。

王様の乗る輿

サラックを売る人、ヤシ科の果物で、鱗のような皮をむくと白い実が何個か入っている。

堂内には、三体の石仏が安置されている。中央は如来倚座像で、左右には、観世音菩薩、金剛手菩薩像がおられる。1836年に地中に埋まった状態で発見された。

レストランで昼食。キヤッサバを薄くスライスしてあげたもの。こちらでは、おやつとして食べられる。

昼食後、自由行動となっていたが、 銀製品のお店、更紗工場を見学した。 ジャワ更紗はバティックといい、インドネシア、マレーシアのろうけつ染めの布地である。手描きと、型押しがあり、職人さんが一枚一枚蝋で模様を描いていた。この後色を入れて、熱湯で蝋を溶かす。何行程もある大変な作業である。伝統的な模様のバンダナ、ハンカチ, ンチョンマットを買い求めた。

王宮の近くにある離宮の跡。タマン・サリとはインドネシア語で花園の意味。1757年に、マタラム王国のハメンクブウォノ1世により、造営された。花園に囲まれた水浴場をスルタンが塔の3階から眺めて、気に入った女性に花束を投げて、王専用の水浴場で沐浴したり、夜を共にした。  長いこと修復されず、痛んでいたが、2003年ポルトガルの財団により修復が行なわれたが、2006年のジャワ島中部地震により被害を受けた。

離宮ではあるが、長さ5km、2層からなる地下通路が張りめぐらされ、有事に備えた。

地下遺跡

寺院群のうち、中心的存在のプランバナン寺院は、古マタラム王国のバリトゥン王(898〜910)により建立された。古マタラムの王宮もこの辺りにあったとされている。1549年の地震で殆どが崩壊した。1937年から修復作業が行なわれている。ヒンドゥー教の遺跡としてはインドネシア最大級で、ボロブドゥール寺院群と共に、ジャワ建築の最高傑作のひとつである。2006年のジャワ島中部地震で甚大な被害を受けた。2007年から修復作業が始まり、日本も協力しているが、チャンディ・ナンディ 、チャンディ・ガルーダの修復が完成したが、全部の復元は完成していない。

トロピカルフルーツが並ぶ店。割ってあるのは、ドリアンで、臭いが大変美味しいらしい。ガイドによると、コレステロールが高いので、高血圧の人は食べないほうがよいとか。

ジョグジャカルタ特別州は、インドネシア共和国ジャワ島中部南岸に位置する。名前は「平和の町」という意味で、「ラーマーナヤ」物語のラーマー王子の国アヨーディアーにあやかってつけたと言われる。南はインド洋に面し、活火山のメラビ山の保水能力、肥沃な土壌により、ジャワ島でも屈指の肥沃地帯でもある。観光都市でもあり、多くの大学がある教育学研都市でもある。ジョグジャカルタのスルタン・ハメンクヴオノ9世は独立運動に貢献したため、特別州に定められ、スルタンが州知事となっている。ハメンクブゥオノ10世には男子の嫡子がおらず継承問題が懸念されている。

ジャワ島中部のケドゥ盆地にある仏教遺跡で、世界最大級の仏教寺院である。インドから東南アジアに伝播した仏教は一般に、小乗仏教であるが、ここボロブドゥールは、大乗仏教の遺跡である。2010年のムラビ山の灰で被害を受けた。  遺跡総面積は約1.5万uで、高さは42mあったが、現在は破損して33.5mになっている。780年から792年頃までに完成した。平原の中央にある径約50mの丘に盛り土の上に、安山岩や粘板岩を積み上げて造った。内部空間を持たないのが特徴である。  一番下に一辺が115mの方形の基檀がありその上に5層の方形檀、さらにその上に3層の円形檀がある。全体で9層の階段ピラミッド状の構造になっている。それは、仏教における三界を表している。  上部の円形檀には、72基のストゥーパ(仏塔)が三重円を描くように並び、頂上には、釈迦の遺骨を納めたとされるひときわ大きなストゥーパがそびえる。今日はストゥーパ何体かと頂上の大きなストゥーパがビニールに覆われていた。カビを取るため薬品を塗ってビニールで覆われてる。来週には取れるそうで残念でした。

この方は、王様の家来で、身分のよってパティクのまき方が違うとガイドが説明している。後には、刀を差している。

裁判所 処刑台もある。

第10代スルタンの居住区

王宮の入り口(人々はここで衣服を改める。)

家来のおばあさんと一緒に、後は酒蔵

客間の前で

スルタンが州知事になっている。まだ、家来が3000人ほどいるそうで、王宮の周りに住んでいる。王様はサトウキビ工場や、更紗工場、などを沢山持っていて、家来達を養っている。前は何人も妻をもてたが、現在は、州知事になったので、妻は一人で、娘しかいないので、後継者問題ヶ持ち上がっているようで、日本みたいですね。

町には、色々な食べ物の屋台が出ている。ミートボールみたいなものは、防腐剤としてホルマリンを使ったりしているようです。屋台のものは食べないようにガイドに言われる。

この遺跡は長い間密林に埋もれていた。火山の降灰による説と、イスラム教徒の破壊を恐れて埋めたという説がある。1814年イギリス人ジャワ総督とオランダ人技師により発見された。ガイドが示している線が、埋まっていた線で、その上は壊れてばらばらになっていた。今でも修復の途中で、色の違った石は現在の石で、そこにあった石が見つかるとそれと交換しているそうです。

檀の上下を結ぶ階段の入り口はカーラ(鬼面)とカマラ(海竜)で装飾されたアーチになっている。

20の吐水口があり、想像上の生き物の彫刻がされている。

このムンドゥット寺院ボロブドゥール寺院、行かなかったがパオン寺院ボロブドゥール遺跡群として世界遺産になっている。叉この三ヶ所は一直線上に並んでいるので、付近一帯が巨大な仏教複合構造物ではなかったかと推測されている。

ムンドゥット寺院

ガジュマルの大木

フルーツの実

ガルーダの石像

夕食の後、同じ屋外会場で、ラーマーヤナ舞踊を観賞した。遠くで稲妻が光り、今にも雨が降りそうだったが、最後まで、見ることが出来た。

ラーマーヤナは、古代インドの大長編叙事詩で、「ラーマー王行状記」の意味である。サンスクリットで掛かれており、ヒンドゥ教の神話と古代英雄であるコーサラ国のラーマー王子の伝説をまとめたもの。

チャンディ・ブラフマー

ここは、修復途中なので、ヘルメットを被ってお参りした。立ち入り禁止の箇所もある。途中から雨が降り出し、スコールになった。傘は用を足さずバスまでずぶぬれになって帰った。

夕食は、インドネシア料理の「アヤムゴレン」。鶏の唐揚げで、香辛料を使って素揚げのようにあげる。ここのは、その上にパン粉の揚げたものが乗っていて、それをご飯に混ぜて食べるとおいしい。

2日目

入り口を入ると左右に迎賓館がある。

ガムラン楽器

方円檀の回廊には、仏教説話に基づいたレリーフが時計回りに続いている。登場人物は一万人にも及ぶ。仏像は回廊の窪みに一体ずつ安置され504体を数える。

破壊神シヴァ、創造神ブラフマ 維持神ヴイシュヌが祀られた神殿があり、中心にそびえたつのが、ロロ・ジョングラン寺院である。

チャンディ・ナンディは中に牛の石造があり、壁面には、ヴイシュヌ神が彫られている。

回廊に彫られた「ラーマーナヤ」の物語。

井戸

チャンディ・シバ

ベトナムやカンボジアもオートバイが多かったが、ここインドネシアもオートバイは多く、市民の足になっている。

南国の花が咲き乱れるホテルの庭を散歩する。プールでは、泳いでいる人たちもいた。

カーラ(魔よけ)

王家の紋章

一辺23cmの石のブロックを目透かし格子状に積み上げ、中の仏像を拝めるようになっている。

3日目

パパイア

ランプータン

街角のミシン屋さん

イスラム導師の礼拝室

モデルさん。カメラマンが撮影していた。

中華料理の昼食をとった後、プランバナン寺院を訪れる。

4日目へ

夕食の後、フットマッサージを受け、空港に向かう。 ジョグジャカルタ発20時30分、デンパサールに向けて飛立つ。 豪快なガイドさんありがとうございました。

ボロブドゥール遺跡(世界遺産)

現在の州知事(スルタン)ハメングゥオ10世

人力車(後に人が乗ってこぐ)

王宮

水の王宮(タマン・サリ)