受胎告知
フラ・アンジェリコ、ラファエロ、ダ・ヴィンチ、カラヴァチオ他の絵画が並んでいる。
ジュリアス・シーザー縁の敷地内にあるレストラン。実は、この地下で暗殺されたといわれている。
上が屋根の無いバス。よく見えるけど、冬は寒いかも。
中世の騎士の格好をした人と写真を撮る。5ユーロだった。他にもツタンカーメンや自由の女神の像の格好をしてじっと立っているパフォーマー達がいた。
ラファエロの墓
サン・ピエトロ大聖堂にある大天蓋はここの柱廊正面から取り外した青銅を使っている。
サッカーの中田英俊選手のサインの前で
マルゲリータ(ナポリ風ピッツア)
水牛のチーズ(モツァレラ・ディ・ブーファラ)と生ハム(第四位)
魚が飾ってあるレストラン
右側の列柱回廊
広場を包み込む列柱回廊(左側)
サン・ピエトロ大聖堂
スイス人の衛兵
サンピエトロ広場 サン・ピエトロ大聖堂の前にひろがる30万人収容できる楕円形の広場
天蓋 パンテオンの柱廊正面から取り外した青銅を使っている。
ミケランジェロのピエタ キリストの死を嘆く悲哀に満ちたマリアの像
地図のギャラリー
ビーニャとは松ぼっくりという意味でブロンズの松ぼっくりが置かれている。
ビーニャの中庭 現代彫刻の球体
ヴァチカン大聖堂のドーム
レオナルド・ダヴインチの最後の晩餐を見たいという夫の希望でツアーを捜したが、今は、完全予約制で、確約しているツアーがなかなか見つからなかった。JALパックのI‘IIのツアーに申し込んだ。 夫はひどい風邪をひいてしまい出かけられるかどうか危ぶまれたが、出発することが出来た。13:45に成田を飛び立ち、12時間45分のフライトで18:30(現地時間)にローマの空港に到着した。
ローマ観光が始まりました。ガイドの田中さんと待ち合わせて、ヴァチカン博物館の入り口で並んで待つ。私たちは予約していたが、予約の無い人達は並んでチケットを手に入れる。入り口にミケランジェロのピエタ像があるが、これはレプリカで本物はサン・ピエトロ大聖堂にある。
2日目
グッチよりケーキ おいしそう!!
スペイン広場 「ローマの休日」で有名な広場。137段の階段には大勢の人がすわって思い思いのことをしていた。ここで解散になり、グッチ、ブルガリ、アルマーニなど有名ブランド店が立ち並ぶコンドッティ通りブラブラしながらホテル(ジョリー・ホテル・レオナルド・ダビンチ)に向かった。
トレビの泉 ポーリ宮の壁を利用したバロック式の噴水。ローマ再訪を願いコインを投げ入れるが、19世紀には噴水の水を飲んだものは再び訪れると言われた。
後ろから見たパンテオンの外観
ナボーナ広場 古代ローマの競技場の名残で、260M 50Mの細長い楕円形。中央の噴水はベルニーニ作の四大河の噴水だが、修理中だった。あとネプチューンの噴水とムーア人の噴水がある。
テヴェレ川と水に浮かぶ小船。うつっていないが両側に小屋のようなものが建っていることがあるが、お金持ちの別荘で、暑いときここで過ごす。
サンタンジェロ城 ハドリアヌス帝の霊廟として139年に建立。ペストが流行した6世紀、この霊廟に大天使ミカエルが降り立ち、剣で疫病を追い払うのを教皇が見たことから、」サンタンジェロ(聖天使)の城といわれた。ヴァチカンと通路で結ばれ、教皇の非難場所になった。
サン・ピエトロ大聖堂
システィーナ礼拝堂にはミケランジェロの天井画と」祭壇画「最後の審判」がある。天井画は旧約聖書の創世記を、「最後の審判」は新約聖書の黙示録にあるこの世の終わりを描いている。何年か前修復されきれいになったが、一部だけそのまま残してある。 残念ながら、撮影は禁止で私語も禁止されていたが結構騒がしかった。 両側にあるベンチに腰掛けて、上を見上げて壮大な絵を観賞した。
25年に一回開く大聖堂の入り口。全世界から信者が訪れるそうです。
その入り口の内側の壁
サン・ピエトロ大聖堂
ラファエロの間。 アテネの学堂 中央にアリストテレスとプラトンを描いている。
教皇領内で発掘された美術品や、」歴代の教皇が収集した作品を収め、27の美術館、博物館からなる。
イタリアでは冬にハウスで野菜を作らないので生野菜は出ないと聞いていたが出てきた。ドレッシングはなく、バルサミコ酢やオリーブオイルをかけて食べる。
チョコケーキ、 イチゴ
大聖堂とカリグラ帝がエジプトから運んだ25.5Mのオベリスク
ヴァチカン大聖堂4世紀コンスタンティノス帝の命により建てられたカトリックの主聖堂。120年かけて完成させた。
ヴァチカン博物館
白身魚のグリル
トマト味のスパゲッティ(第一位 )
カンツオーネを聴きながら
カプリチョーサ(具たくさんピザ)
ここに立つと左の写真のように4列の柱が一本のように見える。
燭台のギャラリー
ワインの樽