7日目

四隅にある塔はわずかだが外側に向かっている。それは、地震で壊れた時、内側に倒れて本殿を壊さないようにとの配慮からです。

タージ・マハールはインド、イスラム文化を代表する建物である。 ムガール帝国5代皇帝シヤー・ジャハーンが亡くなった王妃ムムターズ・マルルのために造った。1632年から22年かけて造られた。  王は川の向かい側に黒の宮殿を建てる予定だったが、第3皇子によりアグラ城に幽閉されてしまう。

庭を手入れする人達

この後、頼んであった紅茶を貰い、空港に向かった。来た時はどうなるだろうとうろうろしたデリーの空港だが、帰りは順調に飛び立った。20:50のエアインディアで帰ってきた。  今回はいつもと違い、二人で日本をたち、インドでガイドとおちあうという始めての形で、旅行社の説明不足、分かりづらい行程表、また私達もしっかり説明を求めなかったし、デリーで会うと思い込んでいたので、こんなことになってしまった。始まってみれば、後は何とか行程をこなし、無事に日本に帰ってきました。最初のうちは、下痢をしたりして、体調も悪く、もっと気候のいい時に来ればよかったかなーとか後悔した。いつもは、現地の料理をおいしくてもまずくてもまず食べるという基本姿勢で、旅行してきたが、今回はあまりに辛い料理で、毎日殆ど同じということもあって、食べられるものだけを食べました。インドはベジタリアンが多く、カレーもいろいろあったが、チーズのカレー、豆のカレー、チキンカレー、野菜のカレーが主に出た。インド人はそれを米や、チャパティに付けて右手で食べる.。チップを渡す時も右手で渡してと言われた。  チップといえば、ツアーで行く時は添乗員がまとめて払うので、ボーイさんなどに渡さなくて良いが、今回は何をしてもらってもチップで、ガイドがこの人にはいくらと言ってくれるので、その通りに渡したが、なかなかめんどくさい。  遺跡を見ているときも、ガイドが私達から離れる寄って来て、もっといいところを見せると連れて行って、説明を始める。終わったらチップをくれと言う。何回かあった。  お土産売りも結構しつこく、ガイドが買わないときは無視するように、とか、くれると言われても貰ってはいけないとか注意された。  インドは、今は貧富の差が大きく、とてつもない大金持ちも沢山いるが、スラムに住んでいるような人達も沢山いる。12億の人が本気になったらすごい国なるだろうと思う。  インド人は多少のことは「ノープロブレム」で気にしないのだそうだ。でも今度のことは一応JTBにクレームつけた。

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基壇の上に上がるには、靴を脱ぐか、靴の上からカバーをする。ガイドからカバーを渡されていたので、カバーを付けようとしていると、入り口の靴番のおじさんが履かせてくれた。もちろんチップが必要だった。自分ではけたのにと思ったが、おじさんの仕事を取ってはいけない。

大理石店に寄った後、アグラからデリーまで200Km、4時間のドライブだった。さすがにデリーが近いので道もよく、両側にはところどころに大きな工場が建ち、トラックが行きかっていた。トラックには後に「ホーン・プリーズ」と描かれ、警笛を鳴らせばどくよ。という意味だろうか。ウインカーも出さずに車線変更はするし、割り込むし、警笛はひっきりなしに鳴るし、怖かったが、混乱もなく皆上手に走っていた。 

王様の謁見の間 アグラ城は赤砂岩で出来ているが、ここは大理石が美しい。

残った象嵌装飾が美しいが、殆どはイギリス人が持っていったようだ。

ディワニー・アーム(一般謁見の間) 白大理石で出来ている。

アグラ城は、ヤムナー河左岸にある、周囲2.5Kmにおよぶ、赤砂岩で造られたムガル朝の城塞。皇帝アクバルにより1565年から造られ、1573年に完成した。ジャハーンギール、シャ・ジャハーンまで3代の居城となる。今もインド軍隊の施設として使っている。第5代皇帝シャージャハーンがすべて白大理石の華麗な宮殿に仕上げた。 アウラングゼーブが兄弟間の後継者争いに勝つと、父のシャージャハーンをタージマハールの見える城塞内の「囚われの塔」(ムサンマン・ブルジュ)に幽閉してデリーに移った。  

幅、奥行きともに60m、ドーム中央の高さ60m、ミナレットとともに100mの基壇の上に載せられている。中に入ると中央には遺体を葬った玄室があり、その上にシャージャハンと妃ムムタズ・マハルの棺が置かれているが、私達の見ているのは本物ではない。  最初は白大理石が光り、ナイトツアーもあったそうだが、最近は大気汚染などで汚れがついて少し白さがなくなってきているそうです。

モスクが見える。

八角形の塔(囚われの塔)

クトゥブ・ミナールは奴隷王朝の建国者 クトゥブッディーン・アイバクによりクワット・イスラム・モスクに付属して建てられた。その後何代かの王が戦勝祝いに継ぎ足し今の高さになる。前は上に上がれたようだが、事故があり扉は閉められている。

この塔の2倍の大きさの塔をと造ろうとして亡くなってしまい、廃墟となったアラーク・シナール

デリーの鉄柱はアショカ王の柱の一種で、錆びない鉄柱のこと。(チャンドラ・ヴァルマンの柱) 99.7%の高純度の鉄で出来ていて、直径44cm、高さ7mで、サンスクリット語が描かれている。

72.5mの塔とその足元にあるクワットゥル・イスラム・モスク。

途中のレストランでインドでの最後の食事を取る。

アグラの市街。車、オートリクシャと並んで人の漕ぐリキシャが頑張っていた。

遠くタージマハールを望む。

スリランカの人達。

残った装飾

宮殿の左右には、同じ形のゲストハウスとモスクが建っている。

ヤムナー河の向こうにアグラ城が見える。

内部への入り口 象嵌が美しい。

門をはいるとむこうにタージマハールが見えてくる。

象嵌で装飾された正門

紅茶とガラムマサラ