ルーアン

4日目

パリ〜ルーアン(130km)

10世紀にはノルマンディ公国の首都として繁栄し、中心部には1250年建造のノートルダム大聖堂がある。1431年5月30日、ルーアンの旧市場広場で19歳のジャンヌダルクが火あぶりの刑を受けた。彼女は英国軍と2年戦った後、英国に占領された地で捕らえられ、宗教裁判で「魔女」の判決を受けた。英国撤退後、名誉回復し「救国の聖女」となった。処刑場所には1979年完成のジャンヌダルク教会が建っている。

ホテルのベッドに書いてあった。

教会内部

ルーアン大聖堂 ゴシック建築の代表

昼食

オンフルール

ルネッサンス様式の大時計は16世紀に造られ今も時を刻む。

岩山だった岩が残っている。

聖ミカエルが、大司教の額に手を置いて3度目のお告げをしている浮き彫りの像。

サン・ミッシェル(聖ミカエルの像)

サバのテリーヌ

ルーアンの町並みとジャンヌダルクの看板

ジャンヌダルクが1431年に火刑された広場に建てられたジャンヌダルク教会 

ゴシック様式の騎士の間

綺麗に積まれたマカロン

教会の横の広場に市がたち、生鮮食料品が並んでいた。

総督の官舎だった総督邸

モン・サン・ミッシェル

ブルターニュはイギリス海峡と大西洋に挟まれた地方で、温暖な気候に恵まれている。紀元前6世紀にヨーロッパ大陸にいたケルト人がローマ人の迫害を逃れてスコットランドやアイルランドに居住。5世紀なって再びアングロサクソン人に追われてブルターニュ地方に再上陸した。

モン・サン・ミッシェルは708年、ノルマンディ大司教が3度に及ぶ大天使ミカエルのお告げを受けて、「この島に礼拝堂を作るべし」に従ってつくられた修道院。その礼拝堂が10世紀にベネディクト教会の修道院になり、11世紀から500年かけて増改築する。14世紀には英国との百年戦争で城砦となり、15世紀後半に今のような形になった。尖塔にミカエルの像がそびえるのは修道院の付属教会。1870年に島をつなぐ道路ができた。フランスで最も美しい修道院とされ、毎年250万人の巡礼者や観光客が訪れる。

ホテルで夕食をとった後、ライトアップされたモンサンミッシェルを歩いて見に行った。ホテルから見えるところもあるが、私達のホテルからは見えなかった。明日は雨が上がるのを期待してやすんだ。

サンマロ湾に浮かぶ小島に築かれたカトリックの聖地のひとつ。「西洋の驚異」と呼ばれた。昔は多くの巡礼者が急激な潮に巻き込まれて命を落とした。

サン・ピエール教会 帰りに見学してと言われたが、ミサが始まっていて、入れなかった

入り口

昔の小学校の建物。ガイドさんはここに住んでいるそうだ。

グランド・リュ(参道)を傘をさして上っていく。

修道院

聖堂

回廊(修道士たちの瞑想の場)

迎賓の間

円い輪の中に人が入って歩き、まわして、荷物を降ろしたり、上げたりする機械。

外に出て城壁沿いの階段を下りる。

最近砂が溜ってきてこのままだと、陸続きになってしまうので、土砂を取り除き橋をかける計画があるらしい。

期待していたオムレツはそれほどおいしいものではなかったが、添乗員さんに「美味しくない。」と言わないように「口に合わなかった」と言いなさい。と言われた。

修道院を一望できるレストランで昼食

トゥール 

ロワール河とシェール河に挟まれた町。15世紀、ルイ11世の頃、フランスの首都だったことがある。王侯貴族が狩を楽しんだ所。  ロワールの城めぐりの拠点でもある。

ホテルで夕食

正面

写真を頼まれたフランス人家族

僧院食堂 食事中は話ができないので、ジェスチャーで用を足した。

名物の特大オムレツのお店 かって巡礼者にふるまわれていた。

6日目へ

ルーアン〜オンフルール(85km)

トレンディな新婚さん お幸せにネ。

鴨のロースト

北フランス(ノルマンディ地方)最古の港町で、16世紀以降、海運業で繁栄した。フランスの詩人ボードレールがこの街の風情を賞賛し、モネやコローなど19世紀の画家達が集まった。サントカトリーヌ教会は15世紀、地元の船大工たちが建設したとされ、フランスで唯一の木造建築。  ノルマンディはフランスの農場と言われる。10世紀に英仏海峡を渡ってきたスカンジナビアのバイキング・ノルマン人にちなんだ名前で、ノルマンディ公国を創り、11世紀にはウイリアム公がイングランドを征服した。

オンフルール〜モン・サン・ミッシェル(200km)

今の宿は古城ホテル。城を改造してホテルにしたもので、中は豪華で部屋は居心地良くなっていた。

モン・サン・ミッシェル

モン・サン・ミッシェル〜トゥール(320km)

木造のサンカトリーヌ教会

5日目

ガブリエル塔

尖塔のさきにそびえる聖ミカエルの像。この後は雨に煙って見えなくなった。