2日目

(湯の川温泉〜函館朝市〜大沼国定公園〜長万部〜洞爺湖〜京極ふきだし公園〜定山渓温泉)

函館朝市

豪雪地帯の羊蹄山の麓には湧水が10ヶ所以上あり、京極町の泉の周辺はふきだし公園として整備されている。  羊蹄山の降った雨や雪は地下に浸透し、数十年をへて、養分を含んだ日本一のナチュラルウオーターとして噴出している。昭和60年「名水100選」に選ばれました。

羊蹄山は標高1893mの美しい円錐形の成層火山。  アイヌ語で、マテネシリ(女山)と呼ばれていた。羊蹄山の麓を流れる尻別川の名はシリ・べッ(山に沿って下る川)に由来するが、和人は川の周辺を後方羊蹄(シリヘ・シ)と呼ぶようになり、この山を後方羊蹄山(シリベシヤマ)と呼ぶようになった。いつか呼び方も変化して、ようていざんになってしまった。

大沼国定公園(渡島半島の中心部、七飯町、鹿部町、森町にまたがる)三保の松原、大分の耶馬溪とともに新日本三景に選ばれた。大沼という名前はアイヌ語の「ボロ・ト」からきている。「ボロ」は大いなる、「ト」は湖沼を意味する。小沼は「ボン・ト」から由来する。   約3〜5万年前の駒ケ岳の噴火運動により古大沼が形成され、そのごの噴火活動により、大沼小沼ジュンサイ沼がつくられる。

定山渓温泉は、札幌市南区にあり、札幌の奥座敷と言われている。古くアイヌに知られ、江戸時代通行した日本人が入り、1866年美泉定山が温泉宿を開いた。1918年定山渓鉄道が通ったことで発展する。 温泉は豊平川の川底から湧き出していて、川沿いに温泉街がひろがる。 今日のバスの走行距離は302kmだった。

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道の反対側にそびえる羊蹄山(蝦夷富士)

有珠山

昭和新山(茶色の部分)

サイロ展望台

千の風のモニュメント

不思議な形の駒ケ岳

摩周丸
1988年3月13日の青函連絡船最後の日まで運行していた。船の中に線路をひいて貨車を直接積み込むという画期的な輸送方法、輸送量は飛躍的に増えた。

モーターボートで大沼、小沼を一巡した。大沼、小沼の間には金波橋が架かっている。 「千の風になって」名曲誕生の地のモニュメントがあった。新井満さんの別荘があるとか。

両側に店が立ち並び、タラバガニ、ズワイガニ、帆立、海産物が売られている。生きたイカが泳いでいた。

定山渓温泉(定山渓ビューホテル)に泊まった。
200人収容の巨大ホテルで、バイキング会場は700人分の席があり、人で溢れかえっていた。

羊蹄山(京極側から)
虻田郡ニセコ町、真狩(マッカリ)村、喜茂別(キモベツ)町、倶知安(クッチアン)町にまたがる。

虻田郡京極町字川西

有珠山は洞爺の南に位置する標高737mの活火山。  二重式火山で、直径1・8kmの外輪山の中に大有珠、小有珠、の溶岩円頂丘(溶岩ドーム)、オガリ山、有珠新山などの潜在円頂丘(潜在ドーム)が形成されている。山麓にも溶岩円頂丘の昭和新山や潜在円頂丘の金比羅山、四十三山(明治新山)がある。

(虻田郡洞爺湖町と有珠郡壮瞥町にまたがる) 支笏洞爺国立公園にふくまれ、2008年日本百景に登録された。面積 70.7平方キロ 最大水深 180mのカルデラ湖。  洞爺カルデラ内にできた湖で、面積では日本で9番目、カルデラ湖としては、屈斜路湖、支笏湖についで3番目の大きさである。   アイヌの人は、「キム・ウン・ト」(山の湖)と呼んでいたが、湖の岸を意味する「ト・ヤ」が和人により湖名とされた。地元では「どうや」と呼ばれることもある。   真ん中に、中島、観音島、弁天島、饅頭島がある。

洞爺湖

名物 沼の家の大沼だんご 

長万部のドライブインで昼食
駅弁で優勝したという蟹飯弁当だったが、美味しくなかった。

京極ふきだし公園

大福豆を乾かしている畑
種皮やへその部分も真っ白な腎臓形をした美しい豆です。「洞爺大福」「大福」などがあり、高級菜豆として知られる。 甘納豆、煮豆、和菓子などに使われる。胆振地方と北見地方で全体の50%以上を生産する。