北海道大横断でめぐる

銀色に輝く紅葉美と雄大なパノラマ絶景

H.21.09.20〜09.24

1日目

東京〜(はやて1号)〜八戸〜(スーパー白鳥1号)〜函館〜五稜郭〜元町〜函館山(夜景観賞)〜湯の川温泉

元町散策

土方歳三の像

藤枝から夜間東名を走るドリーム号で東京に行く予定だったが、連休で道路渋滞のニュースを見て、急遽前夜千葉の息子の所に泊めてもらった。 東京、上野、大宮から参加者が集い総勢34名のツアーになった。八戸でスーパー白鳥1号に乗り換え八戸で積み込んだお弁当を食べ、海峡線で青函トンネルを通って函館に着いた。 

函館山ロープウエイ
函館山は市の西端にあり、陸繁島でもある。標高334m、周囲9km、牛が寝ているように見えるので、臥牛山ともよばれる。展望台は最高峰御殿山にある。戦前派軍用地で立ち入り禁止だった。125人乗りのロープウエイで結んでいる。

旧函館公会堂
基坂を登りきったところにあるブルーとイエローの建物。明治43年のコロニアルスタイルの木造建築。ハイカラ衣装館では衣装1000円、着付けとヘアーメイク1000円、で中世の気分に浸れる。バルコニーで写真を撮っていた女性を写させてもらった。

船魂神社
北海道最古の神社とも言われている。また、義経が津軽から渡航した時、遭難しそうになり、船魂明神のご加護で無事上陸したという伝説も伝わっている。

チャチャのぼり
大三坂がカトリック元町の交差点で「チャチャのぼり」と名前を変える。チャチャとはアイヌ語で「急な坂」という意味。

聖ハリストス正教会(函館復活聖堂)
江戸末期にロシア正教司祭ニコライによって日本ではじめてロシア正教が伝道され、ロシア領事館および礼拝堂として建てられたロシア風ビザンチン様式の優美な建物。本堂の屋根の十字架つき玉ねぎ状キューポラは日本で唯一のものである。七つの鐘があり鐘音は日本の音百選に選ばれている。また鐘の音から「ガンガン寺」とも言われている。

聖ヨハネ教会
明治7年 英国聖公会牧師デニングが伝道したのが始まりのプロテスタント教会。どの角度からも十字架が見えるように建てられている。撮影に失敗した。

五稜郭稜穂堡といわれる五つの突角を配し、星型五角形を呈する。元治元年(1864年)我が国初の西洋式城塞は慶応3年(1867年)の大政奉還で明治政府に引き継がれるまで、蝦夷地の中心であった。 明治元年(1868年)榎本武揚率いる旧幕府脱走軍に占領され、函館戦争の舞台となる。

青函トンネル
青森県東津軽郡今別町浜名と北海道上磯郡知内町湯の里を結ぶ。トンネルとしては世界一の長さで、海底には吉岡海底駅と竜飛海底駅があり乗り降りできる。全長53.85Km、海面下240mで1988年3月13日に営業を開始した。

八戸でスーパー白鳥1号に乗る。

トンネルの入り口と出口の時間が書いてあるが知らないうちに通り過ぎた。

函館の夜景を堪能して湯の川温泉(万惣ホテル)に入った。湯の川温泉は普通に函館の町の中に点在する温泉です今日のバスの走行距離は53kmだが、鉄道の旅は長かった。

八戸 小唄寿司

蟹田の駅、太宰の言葉

函館に着いた。

金森赤レンガ倉庫

2日目へ

イタリアのナポリ、香港、ここ函館世界三大夜景と言われているそうです。
 とにかくすごい人出で、展望台は人で溢れていた。函館の特異な地形にそって光り輝き、海には昼間見たイカ釣り船の光が点々と見える。

タラバガニ付き旬の味覚膳の夕食を取った後、函館山の頂上にむかい、百万ドルの夜景を楽しむ。

和島家 木造。細い桟でしきられた上げ下げ窓の洋館の雰囲気の中で一階の正面は和風の和洋折衷の住宅

東本願寺函館別院
大火で焼失した後1915年 日本初のコンクリート寺院として再建された。瓦の屋根が美しい。この前の坂は二十間坂で、JR函館駅からのびる道が函館山の麓から二十間坂と名前を変える。

ここ元町は教会(色々な宗派の)、神社、お寺が混在する場所で、おのおのの教会は母国の方を向いて建てられているそうです。

函館山に向かって坂が何本も延びていて、それぞれに名前が付いている。 ここは八幡坂でまっすぐ海までのびて、函館湾や摩周丸が見える。 登りつめた所にある函館西高は北島三郎の母校だそうです。 

遺愛幼稚園
1896年(明治28年)創立。キリスト教プロテスタントに基ずく教育を行なう。

カトリック元町教会
初代聖堂は木造、2代目はレンガ造り、大正5年の大火で焼けて2代目のレンガの上からモルタルを塗り鉄筋コンクリートの鐘楼を増築した。 屋根に風見鶏やマリア像を配している。 この前の道が大三坂です。

イカ釣り船

明治15年頃つくられた運河

函館湾に面したウオーターフロントに立ち並ぶ赤レンガの倉庫群。今はホールやレストラン、おみやげ物店になっている。花畑牧場の直営店も入っていた。

特別史跡  五稜郭跡
安政(1854年)に結ばれた日米和親条約により開港された函館をはじめとする北辺の防備のため1857年着工し、1864年完成した。五陵形をしているのは守備の死角をなくすためで、武田斐三郎の指導の下、西洋式の築城法を取り入れて造られた。  面積 247.898平方メートル。

函館タワーの模型

函館奉行所庁舎復元完成予定図

函館山と市街地

今は五稜郭公園になっており、五稜郭タワーから、全貌が見おろせる。タワーは、古いものは60mだったが、現在は107mで桜の名所ともなっている。

函館市五稜郭町

五稜郭