ギリシヤ本土を背骨のように南北に貫くピンドス山脈の東側がテッサリア地方と呼ばれる。「大地のへそ」といわれ、古代ギリシャにおいて重要な位置を占めていた。
左 エスペリダのりんごをヘラクレスに与えるアトラス、女神アスナイの手助けがあり、地球を肩に担いでいる。
中 冥界からケルベロ(冥界の恐ろしい門番)を引っ張り出すヘラクレス。ヘルメスが後に立っているとあるが見えない。
右 偉業「アブギウの糞尿」のメトピ。女神アスナイが英雄にピニオ川とアルフィオ川を合流させる地点を示し、ここを掘る様に指示しているところ。合流した水の勢いでアブギウの牛小屋の糞尿を流し去らせた。
アテネから北西へ約170km。古代ギリシャの宗教の中心として栄えた。パルナッソス連山の懐に抱かれて、眼下にオリーブ畑、遠くにコリンティアコス湾を望む。かって、この地ではアポロンの信託が行なわれていた。信託とは、神のお告げのことで、この信託をもとに、国家の指導者は国の大事を決定していた。 全盛期は紀元前6世紀頃で、ギリシャ国内はもとより、黒海沿岸や、イスパニア方面の植民地からも巡礼者が訪れ、奉納品や祈願料で潤い、アドリアヌス帝のもとで大いに繁栄した。
4日目
門を通り抜けると、直ぐ右下に直径26,5mの円形墓地Aが広がっている。ホメロスの詩に伝えられた伝説は、この墓から史実となってよみがえった。シュリーマンはこれをアガメムノン王の墓と信じていたが、実際はそれより古い時代の墓であることが分かった。そこには死者と共に、アガメムノンの黄金のマスク、装飾品、宝剣、多くの武具や陶器が発掘され、アテネの考古学博物館に展示されている。
デルフィ(世界遺産)
なだらかな坂を上がっていくとミケーネの象徴獅子の門がある。大きな三角石に2頭の獅子が浮き彫りにされている。
コリンティアコス湾にかかるペロポネソス半島に架かる橋。アテネオリンピックにあわせて造られた。 本土側のアンディリオから半島側のリオまで15分くらいだが、60ユーロもするので(フェリーだとバスでも15ユーロ)フェリーで渡った。正面の雪の山はピンドス山脈。
ムサカ ナス ジャガイモ ミートソース ベジャメルソースにたっぷりのパルメザンチーズを重ね焼きしたラザニアのようなもの。
女神アスナイの素焼きの頭部
神殿への奉納品で、等身大である。色が付いている。
ギムナシオン(体育練習場)の柱跡。オリンピア競技は5日間続けられたが、競技者は事前に認定を受けるため、ここで合同練習が義務づけられていた。
城内の邸宅跡
頂上には、宮殿跡があり、壁の一部や、土台に使われた石などが残っている。 また、 門とは別に裏門とよばれ、普段は隠された門があり、戦いの時はそこから出陣し、敵を欺いたとされる門があると聞いたが、時間がなくていけなかった。
大理石の雄牛像 わき腹に刻まれた碑文によると、イロディの夫人リギラがゼウスに捧げた物と記されている。 イロディ トウ アティクーの台上に置かれていた。
デルフィ〜アラホバへバスで移動する。
デルフィ博物館
勝利の女神ニケの大理石像 碑文によると、BC424年スファクティリアスにおけるラケデモニオンに対するメシニアとナフパクト人らの勝利の後、ゼウスに捧げられた。ゼウス神殿の東側の高い三角の台座9mの上に据え付けられていた。像の高さは3mで、一人のニキが舞い降りてくるところを表している。
夕食は中華料理だった。昼食が遅かったので、お腹がすいていなかったが、中華だったので入ってしまった。 アテネのデラックスホテルで2連泊。
アポロン神殿
オリジナルの聖道
まつげまでしっかり作られている。
コリントス運河は、コリントス地峡にある運河で、1893年に完成した。全長6343m、幅24.6m、高さ80m、深さ8m。 幅が狭いので大型貨物船は通航できず、現在では主に観光船の運航に利用されている。橋の下にバンジージャンプの台があり、看板も」あった。 切り立った崖が両側から迫り、はるか下方に緑色の細い水面が広がる風景は迫力がある。
レオニーディオの軒のシミ。
塔の上には勝利の女神ニケの像が立っていた。
古代オリンピア競技が行なわれたスタジアムへは、アーケードの一部が残っている通路を抜けて行く。このスタジアムは紀元前4世紀中頃造られ、トラックは幅30m、長さ192m、初期は北にあるクロニオンの丘が観客席になっていた。2万人収容できたが、男性だけに限られていた。
ナクソス人のスフィンクス
ナクソス島の献上品。アポロン神殿の南アテナイ人の回廊の西の岩に立っていた。頭部は女性で、肢体はライオンで゙アルカイックスマイルを浮かべている。
皇帝アドリアヌスの大理石像 上着、マントや浮き彫りのある胸当て「ふくろうとヘビを横に控えたローマの雌狼の上のニキの間に立つ女神アスイナなどで武装している。1.86m。
オリンピア博物館
スタディオンの入場門
オリンピア遺跡
参道の両側には、多くの都市国家が信託のお礼として献上した宝庫や奉納記念碑が立ち並んでいる。アテネ人の宝庫は、入り口にドリア式の柱が2本あって、南壁には献辞が刻まれている。アテネがマラトンとの戦いに勝利した感謝の印にアポロン神に献上した。縦10m、横6m。
コリントスは古代ギリシャの都市国家(ポリス) コリント湾とサロニカ湾の間の地峡に位置する。旧コリントス遺跡やコリントス博物館があるが、私達はそこには寄らず、コリントス運河に立ち寄った。
コリントス
トロイア戦争は、紀元前13世紀後半、スパルタ王妃ヘレネが、トロイア王パリスに誘惑されたのが原因であった。 ミケーネ王アガメムノンはスパルタ王である、弟のメネラオスのため、ギリシャの大軍を率いてトロイアに攻め込む。 10年間かけて落城させた。ホメロスの叙事詩はこの戦争末期の出来事を、一人の将軍を中心に描いたもの。事実だと信じたシュリーマンは、1870年以降、小アジアで発掘をはじめ、1876年ついにミケーネ、ティリンスの発掘に成功した。
ゼウスとガニミティの複合素焼き像
神々の父の強調された、大またの歩み、一枚の布をまとい棟をはだけ、手には一本の杖を持ち、恋愛のシンボルである一羽の雄鶏を左手に持った幼いガニミディをオリンポスに連れ去ろうとしている。
ゼウス神殿西破風のアポロン
遺跡の所々に説明が置いてあるが、それを頼りに写真と付け合せたが、間違っているかもしれません。柱と石がごろごろした遺跡でした。オリンピックの聖火の火をとる採火場は、写真を見ると神々しいが、こんな所?とびっくりしました。もちろんそのときは草も抜いてお掃除して綺麗にするのだろうが、今は、石と草の小さな敷地でした。
台の上に像が並んでいた。
オリンピアはオリンピック発祥の地で、その聖火は、古代オリンピア遺跡のヘラ神殿で採火される。美しい山あいにある人口1000人にもみたない小さな町である 。 神話によると、この地は古くから「聖なる森アルティスの礼拝地」として知られていた。その後、現在のクロノスの丘あたりにゼウス神の父クロノスの神域が築かれたが、ゼウスがクロノスに代わってオリンポス山の主神になると、ゼウス神の聖なる巡礼地としてさらに栄えた。
リオ・アンディリオ橋
ホテル ここは1階だが、山の斜面に街があるといった感じなので、通りの所々に上下に抜ける階段がある。
古代世界でデルフィはギリシャだけの聖域ではなく、全世界の中心「世界のへそ」と考えられていた。遺跡を目のあたにすると、古代の人たちがいかに信託の力を信じていたか分かる。現代でもこのような山の斜面に、巨大な石で神殿や、宝庫を建てるのは、困難に思える。 発掘は1826年、フランスの考古学者達により行なわれた。その結果、ミケーネ時代(紀元前12世紀)からこの地は神を祀る場所になっていたことが分かった。 紀元前1000年頃は、大地の女神ガイアとその娘テミス礼拝の地であった。その後、ティロス島で誕生したアポロンは、デルフィにでかけ、大蛇ピュートンを矢で殺してしまう。大蛇に代わってピュートン神となり、巫女ピーユーティアの体を借りて降臨し、信託を授かったという。アポロンによる信託は、ビザンティン帝国テオドシウス帝によってデルフィが閉鎖されるまで続けられた。
ゼウス神殿東破風を飾るペロパスとイオマノの戦車競技準備の場面。左から、四頭立て戦車、御者ミルテイロ、スレロピ、イオマオス、ゼウス、ペルパス、イボダミア
ひさしに素焼きのタイルの覆いのあるゲラ神殿宝物破風の角の部分。雷紋、三つ編み、ひし形などが精密に描かれ、アルカイック時代のシシリー建築装飾の見本である。
メガレオンの宝物殿の破風とトリグリフォンとメトビのある長押の部分。中央には雷電を持ったゼウスが、左はアスナイと右は敵をやっつけようとするポセイドン。
スティンファリダの鳥のメトピ(小間壁)ヘラクレスが女神アスイナの援助に感謝するため、英雄が殺した何羽かの鳥を差し出しているところ。
フィリペイオン 紀元前4世紀、マケドニア王フィリッポス2世が戦争勝利を記念して建てた奉納モニュメント。アレクサンドロス大王の時期に完成した。イオニア式柱廊のある円形の建物だった。
ヘラ神殿 ゼウスの妃ヘラを祀った神殿は、紀元前7世紀のもので、ギリシャに残る神殿で最も美しい。この神殿からプラクシテレス作の「赤子のディオニソスをあやすヘルメス像」が発掘された。
ヘラ神殿の前にある採火場
スタディオンと審判席があった場所。
レオニデオン オリンピア遺跡で最大の建物だった宿泊施設。ナクソス出身のレオニダスという建築家によって」紀元前4世紀に建てられた。
イオニア式の土台 ドリア式の柱はどっしりと太く溝の数が少ない。イオニア式は、細い柱身で溝の数が多い。
プリタニオン遺跡入り口近くにある。紀元前338年、マケドニア王フィリッツポス2世が全ギリシャを統一したのを記念して建てられた。通常は神職や管理人達の事務所だった。
フェイディアスの仕事場 古代の大彫刻家で、ここで彼の傑作ゼウス像が作成された。
オリンピア
5日目
ホテルで夕食
アラホバチーズの焼きチーズ
甘すぎるチョコレートムース
少し離れた所に、アテナの聖域がある。マルマリア、カスタリアの泉、アポロンの神域、競技場などが残っている。古代巡礼者のコースになっていた。
野外劇場は紀元前4世紀に岩盤を削って造られた。観客席は5000人。むこうにアポロン神殿が見える。
アトレウスの宝庫
ミケーネ
ヘライオンから来た円盤状の焼き物のアクロテリオン(破風の頂に飾る彫像) ヘライオンはサモス島の古代遺跡で、女神ヘラが生まれた場所で、現在は1本の円柱が残っているだけ。
ミケーネの遺跡に着く500mほど前にある。宝庫(墳墓)は他にも何ヶ所か見つかっているが、この墳墓こそ、ミケーネ建築の構造力の高さを示している。 長さ36m、幅6mの通廊を通り中に入る。墓の内側は高さ13.4m、直径14.5m。石積みの環が32層に重ねられて円頂までつながっている。別名「蜂の巣墓地」と呼ばれる建築様式は、300年をへても規則正しく層を成している。かっては、天井面に金属の花形がちりばめられていた。
バンジージャンプ台が見える。
狭い町並みの中にあるタベルナ(レストラン)で昼食
地下3階にある部屋の前が裏の道に面している。朝、ゴミの回収車が、ゴミバコを持ち上げてひっくり返しゴミを回収していった。
アーモンドの花が満開
アテネ
デルフィ遺跡
クレタ島の雄牛の偉業と題するメトピ
ゼウス神殿 オリンピアはゼウス神の聖地だったが、紀元前470年までゼウスの神殿がなかった。ペルシャ戦争後、神への感謝の印として各地で神殿が次々に建てられる。この神殿もそのひとつで、最も優れた神殿だった。現在は廃墟になっているが、長さ64m、幅27m、ドリア式の柱は高さ10mで、アテネのパルテノン神殿に匹敵する壮大な神殿だった。金と象牙で作られた高さ13,5mの巨大なゼウス像がおかれていたが、ローマ時代末期にコンスタンティノープルに運ばれ、後に焼失してしまった。
スタート台
テオコレオ神官の宿舎だった。
ホテル・ネダ オリンピアのメインストリートは歩いても20分はかからないこじんまりとした町で、町の真ん中にユースホステルがあった。
甘いプリン
ケフテデス タイム、オレガノ、パセリ、ミントがたっぷり入ったスパイシーなミートボール
アラホバチーズを買ったお店。ヤギをつるして半身を切り分け買っている人がいました。
アラホバをでて255km走り、オリンピアに着いた。
ここにスフィンクスが建っていたとガイドが写真を見せている。
オンファロス(大地のへそ)
ミケーネ遺跡
ヘルメス像。 BC330年頃プラクシテリの作品。 バロス島産出の大理石に刻まれた。オリンピアン・ビューティー(神のように美しい)裸体のヘルメス、右腕には赤子のディオニ ス
左 盾 盾の紋章は羽のあるゴルゴン。下半身は竜の姿をしている。ギリシャ神話の怪物。
右 銅の翼のあるゴルゴン。盾の紋章。ひとつの円盤に三つの翼があり、髪の毛のかわりにヘビがいるゴルゴンの顔の浮き彫り。
レモン味のロールキャベツのようなもの
アギアス像 BC5に活躍した運動競技選手
クロース(青年)像 アルゴス出身の兄弟クレオビス、ビトン。二人の親孝行に感謝した母親がヘラ女神の神殿で「息子達の労に報いてくれるよう」祈願したところ二人は二度と目覚めることはなかった。 古代では死は最高の栄誉だった。
この像の発掘写真
竪琴を弾くアポロンを描いた杯
黄金の装飾品
二輪戦車と御者の想像図。 黒い所は発掘された部分。
ミケーネ遺跡は丘の上に建てられている。当時の文明の中心地ミケーネの城塞は、まさにアクロポリスの原型である。クレタ文明には城塞はなかった。ミケーネ時代になると争いが起こるようになり、生活条件が変化したことを感じさせる。
丘の上にある遺跡。手前は発掘中の遺跡。
遅い昼食
今まで、車も人も少なかった地方から、アテネに入るととたんに車も人も多くなり、渋滞が始まった。おまけに、デモによる交通規制で、バスは路地から路地へぐるぐるまわり、はじめパルテノン神殿のライトアップは見られないと言っていたのが、運よく見ることが出来た。
アラホバの街
スタディオン 紀元前5世紀に造られた。長さ178m。スタート台もある。スタディオンも劇場も前は入ることができたようだが、今は立ち入り禁止になっていた。
アカントス柱上のテュイアス アテナイ人の献上品。柱の上に三人の乙女の像があり、その上に大地のへそが乗っていた。と説明する添乗員和歌山さん。
アポロン神殿の破風彫刻 アテナイとトロイの戦争を描いている。
アルカイック時代からローマ時代までの美術品が展示されている。
青銅器
ゼウス神殿にあったとされるゼウス像の想像図。
黄金の牛
オンファロス(大地のへそ)
神殿奥のアポロン神の像の傍らにあった。 ゼウスが世界の中心は何処か決めるため、二羽の鷲を世界の両極から放ち、出逢った場所がデルフィだった。
青銅の御者の像 BC478年、シチリア島の僭主ポリュザロスが奉納した。
アラホバ