ギリシャ世界遺産紀行8日間

H.23.2.12〜2・19

前日の荒天で、バスにしようか、新幹線にしようか迷ったが、結局東名バスで中部国際空港に向かった。  前回のエジプト行きと一緒の21:30発EY889で北京に向けて出発した。 3時間35分で雪の北京空港に到着した。約1時間30分機内待機で、アブダビに向かって出発。約9時間25分でアブダビ着。前回はここで7時間あまり時間があったが、今回は約3時間でアテネにむかい出発した。日本との時差は-7時間で、現地時間12:40アテネに到着した。  参加者34名を乗せてバスはカランバカに向かい355km走った。

水をためる大きな樽

巻き上げ機がある場所を下から見た所。

現在の巻き上げ機

メガロ・メテオロン修道院から見た。

ヴアルラーム修道院

ホテルからバスで曲がりくねった坂道を登っていくと、両側にこのような奇岩が現れる。岩には、洞窟があるのもあり、昔は、そこで修行している修道士もいた。

標高2000m級の山々が連なるピンドス山脈から流れるピニオス川テッサリア平原に達する所に奇岩群が現れる。低いものでも20m〜30m、高いものは400mもある「岩の塔」が立ち並ぶ。頂上には修道院が建っている。敬虔な修道士達が、自給自足の共同生活をしていた。今世紀初頭まで、階段も梯子もなく、下界から人間や生活物資を運ぶ手段は滑車につるした網袋がだけだった。 最初にこの地に住み始めたのは、9世紀頃で、人里はなれた山奥で神との交信を求めるのが目的だった。1356年アトス山から聖アサナティオスが移住し最初のメガロ・メテオロンを建設した。最盛期の15〜16世紀には24にも達した。修道士の数が減り、現在では5つを残すだけとなった。メガロ・メテオロン修道院ヴァルラーム修道院、ルサーヌ修道院、アギオス・ステファノス修道院、アギア・トリアダ修道院、アギオス・ニコラオス修道院。  「メテオロス」とは、ギリシャ語で、「浮遊している、空中に浮いている」と言う意味の形容詞。現代語「メテオロ」とは「隕石、空から落ちてきたもの」「雷や雨などの大器現象」の名詞。

翌日ホテルの窓から外を見ると、岩山が目に入った。 通りを散策すると、いたるところで奇岩が眺められた。カランバカはテッサリア地方の都市で、メテオラ観光の拠点となる街である。1881年トルコの支配から独立した。

メテオラ

4つの修道院が見える場所に移動して写真を撮った。

カランバカからバスでメテオラに向かう途中、一番最初に左側に見える小さな修道院。細くて狭い岩に張り付いているアギオス・ニコラオス修道院

雪の北京空港

エティハド航空

岸壁を削って造った階段を上がる。14世紀に隠遁者ヴァルラームが建てた隠遁所の跡に建てられた。中央にドームがあり、3箇所の張り出しが十字架の形をしている。

昔の手動の巻き上げ機

魚のグリル

リゾット

ギリシャ共和国(ギリシャ語でエリニキ・ディモクラティア)、面積は日本の3分の1くらい。人口は約1000万人で、340万人(3分の1)がアテネに集中している。  アテネのあるアッティカ地方、イオニア海に浮かぶ島々とそこに面した中西部、テッサロニキを中心としたマケドニア・トラキア地方、ペロポネソス半島とエーゲ海の島々からなっている。

14世紀にメテオラ出身の修道士アサナティオスにより建てられた。メテオラ最大の修道院。プラティ・リトス(幅広の岩)の上にあり、高さは534m。

ホテルでの夕食

スタッフドピーマン、スタフッドトマト。トマト、ピーマンに調理したご飯をつめてオーブンで焼いたもの。

メテオラを後にして、デルフィへ210km走り、ホテルに着いた。

蜂蜜

オリーブオイル

アギオス・ステファノス修道院

16世紀中ごろ建てられた教会は、アトス山の様式を受け継ぐ。教会内の主教座は螺鈿造りで、ドーム内の壁画には、キリスト、使徒ミカエル、使徒ルカス、預言者ダニエルなどが描かれている。

メガロ・メテオロン修道院

カランバカ

3日目

メテオラの街で昼食

焼きリンゴ

ホテルでの夕食

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