朝8:30にアスワンの駅に到着する予定だった。1時間30分くらい前に車掌が朝食を運んできてくれるはずが、中々来ない。夜中も、走ったり、急ブレーキで止まったりしていたが。 添乗員が「1時間30分くらい遅れるらしい。」と行って来た。前の列車も詰まっているらしい。エジプトでは1時間くらいの遅れはいつもらしい。理由も分からないまま、5時間遅れで、やっとアスワンに到着した。この遅れがその後のスケジュールがめちゃくちゃなことになることになった。 着いたら、アブシンベル神殿に行く予定が変更になり、アスワンダムに行くことになった。 アスワンはエジプト南部ヌビア地方の都市で、昔は、スウェネト(交易と言う意味)と呼ばれる古代都市であった。
4日目
門柱の上には、太陽とコブラの彫刻
入り口が二つあり、左がハロエリス神殿、右がセベク神殿
アブシンベル小神殿
昼食はタジン料理
湖畔に移築されたヌビアの遺跡
エジプト南部、スーダンとの国境近くにあるヌビア遺跡。オリジナルは砂岩でできた岩山を掘り進める岩窟神殿。 第19王朝のラムセスU世の大神殿は、太陽神ラーを、小神殿はハトホル女神を祭神としている。 大神殿の4体の像はラムセスU世である。その前には家族の像がならぶ。神殿の奥には、プタハ、アメン・ラー、ラー・ホルアクティ神、ラムセスU世の像がある。年2回、太陽が冥界神プタハを除いた3体を照らす。王の誕生日と即位した日だったが、移築により変わってしまった。 壁には、神聖化された聖なる船の前で儀式を行なう場面が描かれ、浮き彫りには王の業績。北の壁にはカディシュの戦い、南の壁には、シリア、リビア、ヌビアの戦いが描かれている。 小神殿はハトホル神と王妃ネフェルタリに捧げられた神殿。立像が6体あり、4体は王、2体はネフェルタリで、脇には王子と王女が彫られている。 普通、王以外は小さく彫るものだが、寵愛されたネフェルタリは同じ大きさに彫られている。
エジプトの南部、アスワン地区に造られたダム。古いアスワンダムは1901年に完成。ハイダムは、アスワンダムの6、4km上流に造られ1970年に完成した。高さ111m、全長3600mの巨大なロックフィルダム。 ナセル湖はナセル大統領の功績を讃えて名づけられた。 アスワンハイダム建設のため1956年スエズ運河の国有化を宣言し、第二次中東戦争の発端となる。1958年ソビエトが資金と機材の提供を申し出る。ヌビア、アブシンベル神殿が水没してしまうため、ユネスコの援助で湖畔に移築された。
第一列柱室
コム・オンボ神殿
アスワン・ハイ・ダム
切りかけのオベリスク
第一列柱室の前のホルス神(左のホルスは一番美しいといわれている。)
当時の色彩が残っている円柱
右の方に出産する女性が描かれてる。皆が触るので黒く光っている。
奥の至聖室にある復元された聖なる船
ルクソールの市場を散策する。時間も遅かったし、疲れてバスに残った方もいらしたので、ガイドについて少し歩いただけだった。買い物をしたい方もいたみたいだが、諦めたようです。 衣料品、雑貨、更新料などが売っていたが、食料がないので、「食べ物がないですね。」とガイドに言うと、「たべものがたり・・旅物語りとかけたらしい」駄洒落を言った。
ルクソール神殿
焼けた天井。(キリスト教徒が煮炊きした跡という説もある)
砂漠の中にある人工の水路
神殿の前に広がるナセル湖
地震で崩れた2体目の顔が足元にある。
ナイル川遊覧
ソビエトの友好記念碑
正門の塔門は幅79m、高さ36mで、ファラオがホルス神とハトホル女神にいけにえを捧げている様子が彫られている。
スークの散策
ルクソール東岸にある古代エジプト時代の神殿。 カルナック神殿の中心を形成するアメン大神殿の付属神殿として、エジプト第18王朝ファラオ。アメンホテプV世により建立された。 アメン大神殿とはスフィンクスの参道で結ばれていた。(現在その参道が発見され、発掘中で街の中が掘り返されたり、建物を壊したりして大変なことになっている。) 入り口にはラムセスU世の坐像、手前にはオベリスクが立っている。右側の一本はパリに運ばれコンコルド広場に立っている。
大きなタンバリンに合わせて、アフリカのダンスを皆で踊った。
タジン料理とは、北アフリカ地域(主にモロッコ、アルジェリア、チュニジア)の鍋料理。もともとは料理の際の陶製の土鍋のことをさした。羊肉、鶏肉と香料をかけ、野菜を煮込んだもの。以前、モロッコ旅行の際、毎日タジン料理とクスクスで参ったことがあった。
ルクソールは古代エジプトの都、テーベがあった所。 ナイル川の東岸にはカルナック宮殿や、ルクソール宮殿のような生を象徴する建物が、西岸には死を象徴する王家の谷や王妃の谷などがある。 エジプト新王国時代、太陽神アメン・ラーの都市テーベであった。 また、1997年、ルクソール事件が発生し、日本人10人を含む63名が犠牲になった。
昔のカレンダー
ターメイヤとはソラマメコロッケのこと。エジプト庶民の代表的な日常食はソラマメ。ソラマメをつぶし卵、パン粉と練って、コロッケ状に丸め油で揚げる。
夕食はモロヘイヤースープとターメイヤ料理
神殿の外壁の壁は殆どの顔が削り取られていた。
エドフ(ルクソールとアスワンの中間でナイル川の西岸)にある。紀元前237〜57に建設。最も保存状態が良い。1860年まで砂に埋もれていた。 トドメスU世の古い神殿があったが、プトレマイオス朝時代に新たな神殿が建て直された。 壁面のレリーフはコプト教会として使用されていた時代に破壊された。神殿入り口には二体のホルス神像が立っている。ホルス神は鷲(隼とも)で、エジプト航空のマークにもなっている。
コム・オンボは農業が盛んな町で、ナイル川沿いにアスワンから北に50kmの所に位置する。町の名前はギリシャ人がオンボスと呼んだことに由来する。 サトウキビやとうもろこしの生産が盛ん。 この神殿はワニの頭のせべク神と隼の頭のハロエリス神(ホルス神の地域名) に捧げられた。珍しい二重構造を持っている。160年前はちょうど半分まで砂に埋まっていた。現在は観光資源として掘り起こされ整備されている。 他のひとの旅行記に発掘当時の絵があり、埋まった状態がよく分かる絵が掲載されていた。
来た時と同じように前後を警備されバスを連ねて3時間砂漠を走り、アスワンにもどった。砂漠にはこのような岩が時々現れる。先日TVで見たが、ピラミッドはこのような岩盤を台地状に削りそこに石を並べ上に積み上げたのではないかという説があるらしい。
ラムセスU世のカルトゥーシュも見られる。 カルトゥーシュとは、王名枠で、誕生時の名前と即位した時の名前と二つある。 ヒエログリフでかかれ、枠で囲まれてる。
朝2:00に起きて、バスの集合する場所に急ぐ。ルクソール事件のあと、バスを連ね、前後を警護されて砂漠の中を3時間かけて、神殿まで行くということになっている。AM4:00にまだ夜が明けていない真っ暗な中を出発した。第一陣は3:30に出発したそうだ。 ナイル川のアスワンハイダムにより水没の危機にあったが、ユネスコの援助により、移築された。1,964年から1968年まで、正確に分割され、約60m上方、ナイル川から210mはなれた丘にコンクリートドームを基盤とする形で移築された。今はナイル川のほとりにたたずんでいる。
アブシンベル神殿
5日目
帆掛け舟 ファルーカ
オベリスクとは、花崗岩の一枚岩で四角形の断面をもち、上に向かって細くなる高く長い直立の柱である。先端部はピラミッド状の四角錐(ピラミディオン)になり、金、銅の薄い痛手被覆され太陽神のシンボルとして光を反射して輝くようにされていたらしい。側面は王や神えの賛辞がヒエログリフで刻まれ王の威を示す象徴とされていた。 現在オベリスクは世界で30本あり、エジプトには7本ある。
駱駝がすし詰状態で運ばれていた。
サトウキビ満載のトラック
プトレマイオス13世が神々から清めの儀式をされる場面。 左から、トト神、ハトホル女神、プトレマイオス13世、セクメト女神、ハロエリス神、ホルス神。
アスワンの町から南に約1kmの所にある古代エジプトの花崗岩の石切り場。 カルナック宮殿にたてる予定だった巨大な切りかけのオベリスクが途中でひび割れたため放置された。完成したら高さ41mという世界最大のものになる予定だった。現在最大のものは、カルナック宮殿の23mのもの。作りかたは、切り出す部分に溝を掘り木製の楔を打ち込み、楔を湿らせて木の膨張力を利用して割ったらしい。
ホルス神殿