6日目

エジプト テーベ(現在のルクソール)のナイル川西岸にある岩山の谷にある岩窟墓群。 古代エジプト新王国時代の王たちの墓が集中している。24の王墓を含む64の墓が発見されている。新王国時代以前の王の墓の多くが盗掘にあっていることから、トトメスT世によりはじめてありかを隠す目的で、この谷に造られた。  その後、長い歴史の中で、盗掘を受けたが、1992年のツタンカーメン(トゥトアンクアメン)王の墓は唯一未盗掘で、副葬品の財宝が完全な形で発見された。

王家の谷

オベリスクはギリシャ語で「針」「小さな串」を意味し、神殿の入り口の両側に太陽の象徴として立てられた。

右側に造りかけの円柱が見える。

古代エジプトの神殿。カイロからナイル川を600kmさかのぼった東岸テーベ(ルクソール)に建てられた。中心はアメン大神殿となっている。主軸上は6つのバイロン(塔門)で仕切られている。  約500m四方の神域に歴代の王が関与して増築を重ねた巨大な複合施設。毎年洪水季の第2月11日間のオペト祭の時、アメン、ムト、コンス神の三柱の神体が聖船に乗せられ、カルナック神殿からルクソール神殿まで運ばれる。  列柱室は開花パピルス柱(パピルスの茎と花のイメージ)が中央に12本、未開花パピルス柱が122本ある。高さは15m。柱は王や王妃のレリーフとヒエログリフ ,カルトゥーシュ(王名枠)で埋め尽くされている。

王妃の谷はファラオの妻が埋葬されている。エジプト18王朝、19王朝、20王朝の王妃が埋葬されている。最も有名なものは、19王朝のファラオ。ラムセスU世の王妃ネフェルタリのものである。入れるらしいが、入場料が法外に高く(1グループ50万円とか)、ガイドは一回入ったことがあるということでした。

彩色の残ったカルトゥーシュ

ピラミッドのような三角形の山に囲まれた谷に墓がある。 ラムセス\世、ラムセスW世、ツタンカーメンの墓を見学した。色彩のよく残った墓で、ツタンカーメンの墓には棺も置かれていた。ラムセスU世の墓は危険なためずっと閉まっている。他の墓も開けたり、閉めたりしているらしい。

すべての日程を終えて、アレキサンドリア空港にバスで向かった。バスの中で、ガイドのエッサムさんが、家族の話や、エジプトの結婚事情の話をしてくれた。男の人にとっては、なかなか厳しい条件がつくようだ。  結婚しているエッサムさんも、結婚の時には相手の親に厳しい条件を出されたようです。13:25アブダビに向かって出発し、アブダビ、北京と乗り継ぎ14:30中部国際空港に着いた。

マルルーク朝のスルタン カイトベイが15世紀頃造った3階だての要塞。ファロス島の灯台があった場所。(796年の地震で一部破壊され、機能を失った。1375年の大地震で全壊した。)その石材を使って建てられた。

カイトベイ要塞

近づいてみると予想以上に大きい。

ローマのディオクレティアヌス帝への感謝の気持ちをこめて298年アレキサンドリアの市民が建てたとも、セラピス神殿があったとも言われている。  400本のコリント式の柱の1本と言われている。  391年にキリスト教徒によって破壊され、現在は1本が残る。 高さ、27m、台座を入れると30mある。 前には二つのスフィンクスがある。

ポンペイの柱

アレキサンドリアの古い町並みを通っていくと、街角で古着市をやっていた。  ガイドのエッサムさんの話、「昔、お父さんがモスクで新しい靴を誰かに持っていかれた。エッサムさんは何日かあと、この市で売られているお父さんの靴を見つけ買戻しプレゼントした。」そうです。ちなみに、エッサムさんはこの町の出身で、アレキサンドリア大学を出ている。  服、靴、雑貨なんでも売っていそうでした。

ぼろぼろの路面電車。5円くらいで乗れるそうだ。距離は短い。

7日目

アレキサンドリアはカイロに次ぐ第二の都市。 マケドニア王アレクサンドロス大王が遠征途上でオリエントの各地に自分の名前を冠して建設したギリシャ風の都市第一号で、「地中海の真珠」と呼ばれる港町。

ルクソール宮殿の傍を通りながら、空港へ。
空路カイロにむかい、バスでアレキサンドリアに向かいました。

中華料理の昼食
宗教上のことから、豚肉を食べないので、何の肉かしら?とかんかんがくがくの昼食でしたが、久しぶりに食事らしい食事でした。

列柱室

アンク(生命の鍵)とは、古代エジプトで用いられた象徴図像。円形の取っ手の付いた十字。生命を意味するヒエログリフで、神の標識。

スカラベ像(フンコロガシ) 古代エジプトでは、その生態からスカラベの姿神(ケプリ)が崇拝された。 糞を運ぶ様子を太陽が東から西に運ばれる姿になぞらえ、ケプリ神は太陽神アトゥムと同一視された。 周りを7回廻ると願いが叶うといわれ、皆廻っていた。私達も廻った。

倒されたオベリスクの先端

第一塔門

第一塔門とスフィンクスの参道

むこうにどけられたスフゥンクスが並んでいる。

カルナック神殿

この船で西岸から東岸に渡る

ナイル川西岸にある2体のアメンホテプV世の像。 呼び名は、ギリシャの伝説、メムノンに由来する。高さ18m。元々背後に葬祭殿があり、その入り口部分であった。18王朝のファラオ・メルエンプタハが自分の葬祭殿の石材調達のため破壊した。

メムノンの巨像

ハトホル女神の礼拝堂

日本の「えんやこら」みたいな節をつけて、台座に修復するものを載せて上に運んでいた。壊れそうなものを修復する作業はやっているが、壊れたものを修復する作業はまだ手をつけていないようです。

古代エジプト唯一の女性ファラオ・ハトシェプトスが造営した。建築家センムトが設計した。その後王位についたトトメスU世は彼女の像や名前を削り取った。

エジプトは世界遺産もたくさんあり、すばらしい所だったが、街が汚いことにはびっくりした。ゴミ収集がなく、皆自分の家のゴミを教会や学校などの人がいないところに捨てるし、川がゴミでいっぱいだった。  帰ってきてから、ムバラク大統領の退陣を求めて、全国でデモが始まり、ガイドの言うように、皆不満を持っているのだろう。遺跡が壊されないことを祈るしかない。

アレキサンドリア空港にあったイスラムの礼拝所。お昼になるとお客、空港関係者などが集まり、一人指導者が前に立って、説教を始めた。随分長いこと続いていた。  お祈りは写真を撮ってはいけないといわれていたので、撮れませんでした。

要塞なので、外側の窓の開口部は小さく、内側は大きい。

シーフードの夕食

参道の発掘が続いている。

ハトシェプスト女王葬祭殿

貝売り

ホテルで買った、銀のアンクのペンダント