遠くに、黒いピラミッドが見える。 12王朝のアメンエムハト王の墳墓。大部分が破壊されているが、頂上に置かれたキャップストーンがカイロの考古学博物館にある。磨かれた黒い玄武岩にエジプトの神々とヒエログリフが彫られている。
H23.1.15〜1.22
高さ62m、東西125m、南北109m、長方形の底面を持っている。周辺の付属建造物を合わせてピラミッド複合体を形成している。北側に葬祭殿、東側に王宮、セド祭用の神殿、南側に南墓、西側に巨大な倉庫があり、この複合体全体を高さ10、4m、東西277m、南北545mの外壁が取り囲んでいる。
屈折ピラミッド
エジプト(エジプト・アラブ共和国)は、西はリビア、南はスーダン、北東にイスラエル、北は地中海、東は紅海に面している。 南北に流れるナイル川の河谷とデルタ地帯(ナイルデルタ)の他大部分が砂漠で、ナイル河口の東に紅海と地中海を結ぶスエズ運河がある。 「エジプトはナイルの賜物」古代ギリシャの歴史家ペトドスの言葉のとおり、ナイル川のデルタに支えられた世界4大文明のひとつ古代エジプト文明を発展させてきた。 紀元前3000年には早くも中央集権国家を形成し、ピラミッドや王家の谷、ヒエログリフなど高度な文明を発達させた。 紀元前525年にペルシャに支配されペルシャ帝国、紀元前332年にはアレクサンドロス大王に征服された。その後ギリシャ系のプトレマイオス朝が成立し、文化の中心のひとつとして栄えた。
古代エジプトとは、紀元前3000年に始まった第一王朝から、紀元前30年にプトレマイオス朝が滅亡しローマ帝国の支配下に入るまでの時代である。 最初に上流地域(上エジプト)、と下流地域(下エジプト)でそれぞれ違った文化が発達していたが、後に統一された。
母親と小学生2人で参加した方。学校を休ませてきたそうで、そういう時代になったんだと納得しました。
ピラミッズ・パーク・リゾート
これから定番になる、パンやナンに付けるゴマペーストとなすのペースト。スープはぬるかった。 チキンは乾いていた。このご飯と野菜のいためたもの、肉料理はこれからも頻繁に出てくる。
エジプト風チキン料理の夕食
エレベータで上がり、360度の夜景を堪能する。
ギザの駅から寝台列車の乗る。一応1等2名の個室で、インドの寝台列車よりはよかった。ベッドを作ってもらって長い一日が終わり、少し遅れて8時過ぎに出発した。
夕食のケバブ料理
中部国際空港21:30EY(エティハド)889便で北京に00:05に到着。01:30にアブダビに出発。13:15アブダビに着いた。ここで6時間の待ち時間があり、うんざりした。 13:15EY655便で15:25(現地時間)カイロに着いた。日本をでてから、25時間かかってエジプトに着いたことになる。
ケバブとは、肉類をローストして調理する料理の総称。のはずだが、このケバブは石のように硬くナイフで切れないし、噛み切れなかった。色も黒くて石みたい。
サッカラはメンフィスの東に位置する村でメンフィスのネクロポリス(死者の町)として、数多くのマスクバが造られた。マスクバはアラビア語でベンチを意味し、古代エジプトの長方形の大墓。階段ピラミッドは元々一辺63m、高さ10mの方形のマスタバとして設計されたが、最終的に階段状のピラミッド形式になった。 ギザからダハシュールまでの地域は古代エジプトの様々な時代のメンフィスの住民がネクロポリスとして使用していた。
ジェセル王のピラミッドコンプレックス(サッカラ)
ラムセスU世の石像 10、3mの石灰岩製。ラムセスというのはラーによって生まれたと言う「ラー・メス・シス」のギリシャ語読みで、ミイラは博物館にあり、183cmの身長があり、90歳まで生き、頭髪も残っている。
メンフィス遺跡
第4王朝スネフェル王の王墓。 建設中に49mの地点で勾配を54度から43度に変更した。高さ101m。 いろいろな説があるが、@54度の勾配が急すぎ、危険なため 変更した。A王が病気になったため急いで完成させた。Bこれは、完成型であり、上下エジプトの合一を象徴する。
ダハシュールにある第4王朝のファラオ・クフ王の父フェネルの王墓。屈折ミラミッドの役1km北に建てられた。 壁面が二等辺三角形になっている、紡錘形の真正ピラミッド。フク王、カフラ王についで3番目に高い。(高さ104、4m、底辺218、5×221、5m 勾配43度19分) 表面の花崗岩が赤く見える。白い石灰岩でおおわれていたが、大部分が持ち去られた。28mの所に入り口があり、中に入れる。(ガイドによると、中はとてもかび臭く、気持ち悪くなって途中で引き返したそうです。)
昼食はコフタ料理
紙の作り方は、皮を剥いて、繊維を薄片にし水につけておく。ふやけたら縦横交互に並べ、叩いて繊維を平らにし、圧縮機で1週間ほど圧縮する。 路上で売っているものは、バナナの葉で作った偽物で、すぐ破けるそうです。
パピルスはカヤツリ草科の植物である。 アフリカ奥地の湖や河畔の浅く緩やかな流れに繁殖し4,5mほどの高さになる。茎の断面は三角形で最大6mほどの太さになり、地下茎によって繁殖する。
パピルスのお店
川岸宮殿を抜けるとスフィンクスの横に出る。参道がピラミッドまで続いている。ここからスフィンクスを見ると岩を削って造られていることが分かる。後ろには尻尾も付いていた。
全長が57m、高さ20m、頭部の長さが約5m。体の部分は石灰岩を掘って造られ、その上に頭をのせている。 王の象徴の付け髭はイギリス軍に奪われ、鼻は射撃の的にされ欠けた。
三つのピラミッドがよく見えるビューポイントにバスで移動する。まさかピラミッドをカサをさしてみるなんて思いもしませんでした。それに寒いし、日本の冬と変りません。 駱駝に乗ってピラミッドまで行く人たちが見えます。 駱駝に乗って写真を撮った方もいました。
カフラ王のピラミッドはクフ王のより高い台地に立っているため、一番高く見える。四角錐の頂上部には石灰岩の化粧石が残っている。参道の入り口にはスフィンクスはピラミッドを守護するように立っている。 古代王国時代第4王朝のファラオ・カフラ王の王墓。高さは143.87m(現在は136m)、底辺215.29m、勾配53度10分。
大ピラミッドはクフ王のピラミッドで、エジプト第4王朝のファラオ クフ王の墳墓。紀元前2540年頃20年かけて建築され、完成時は146.6m(今は138.74m)底辺230.37m、勾配51度50分。花崗岩の玄室はダミーで、本当の玄室は地下にあるといわれている。
ラムセス2世は新王国大19王朝三代目の王。 第一に軍事遠征を頻繁に行い、先王のセティ1世が手中にした領土をさらに広げた。強国ヒッタイトとのカデシュの戦いは有名。 第二に 建築王であり、アブシンベル神殿を始め、エジプト各地に巨大な建造物を建てた。 第三に68年ものあいだ君臨し続けた。子供が百数十人、妃は4人で、第一王妃のネフェルトリ「美しい女性と言う意味」を寵愛し、アブシンベル神殿に小神殿を造らせた。40半ばで亡くなるとテーベ西岸の王妃の谷に丁重に埋葬している。
コフタとは、羊や牛の肉をミンチにし、たまねぎ、トマト、パセリ、塩、胡椒を混ぜてつくねのようにし、串に巻きつけて焼いたもの。
メンフィスはエジプト王朝期の統一王朝最初の都で初期の都市名はIneb.Hedj(白い壁)。メンフィスは第6王朝のファラオ・ヘビT世のピラミッド「メンネフェル」のギリシャ読みが変化したもの。その後、エジプト中王国の時代に都はテーベに移った。
メンカウラー王のピラミッドは古代王国時代第4王朝のファラオ・メンカウラーの王墓。高さ65.5m(現在62m)底辺105m、勾配51,2度で最も小さい。
枝で編んだ籠と古代エジプトの象徴蓮の花をかたどったデザイン。 1950年代イランのモサデク政権を倒したCIAの工作員がエジプトの軍人を買収しようとする。ナセルは「買収はされない!」と言うことを示すため、そのお金でこのタワーを建てた。
カイロタワー
砂漠には壊されたピラミッドの跡が残されている。
古王国第3王朝のジェセル王が建設した世界最古のピラミッドである。国力が充実した時に造られたピラミッドコンプレックス(ピラミッド複合体)としてのつくりが明確に残り、復元が進んでいる。階段ピラミッドを設計したのは宰相イムホテプ。
葬祭殿
アラバスター製のスフィンクス プタハ宮殿の南側に一対置かれていた。
円柱台
ラムセスU世立像
赤いピラミッド
ギザの大スフィンクス
下の入り口から中に入る。
世界遺産ギザの三大ピラミッド
3日目
収蔵品は200万点。 ツタンカーメンの王墓から発掘された黄金のマスク、黄金の玉座をはじめカフラー王坐像、ラムセス2世のミイラなど古代エジプトの至宝が展示されている。 ツタンカーメンは、古代エジプト大18王朝のファラオ(紀元前1333〜1324頃) トゥト・アンク・アメンをツタンカーメンといったのは日本人でそれが名前として定着した。 1858年初代考古学局長のフランス人マリエットは遺物が大量に国外に流出していたため文化財は現地に保存される方針を打ち出した。
(カメラ禁止で、外観も撮れなかった)
エジプト考古学博物館