5日目

バスで、約170km走りチェスターの街に入る。イングランド北西部の、ディー川沿いにあり、ウェールズとの境に位置する。都市としての始まりは、西暦79年頃ブリテン島を支配していたローマ人が、ウェールズとの戦いに備えて、基地を建設し、定住したことで、城郭都市である。市壁に囲まれた旧市街には、多くの史跡や歴史的建造物が残る。イギリス最大のローマ劇場跡、10世紀に補強築造された市壁、14世紀の面影を残すロウズと呼ばれる2階建てのアーケード街、10〜11世紀起源の大聖堂などが主要な建造物である。

ホワイト・スワンというホテルに入る。後で、皆に話を聞くと、私達の部屋が一番良かったようです。キングサイズのベット、銅製のバスタブ、調度品もアンティーク家具を揃え、アン・アザウエイの家もこんなかな?と思えるような部屋だった。翌日、夫が「マリリンモンローが入るような風呂だった。」と言うと、私を指して「ここにいるではないか。」と言われ、爆笑だった。

谷に川が流れ、上を運河が走り、船が行き来している。橋の高さは38mもあり、下を見ると吸い込まれそうだ。橋の脇から下に下りる道があり、下から橋を見上げることも出来る。

パイプオルガンの調律をしていた。

チェスター大聖堂正面

この町で生まれたガイドさんが案内してくれ、このような日本語の説明書を書いてくれた。(イーストゲートクロックは、この町のシンボル。ビクトリア女王即位60周年記念に造られた。完成は女王の80歳の誕生日、1899年5月22日である。現在も製作したジョイス社が補修管理している。)

筋肉マンがお茶を配っていた。

ロウズの入り口と続くアーケード

肉料理の昼食。久しぶりにサラダを食べた気がする。

旧市街を取り囲む城壁に東のイーストゲート、西のウエストゲート、南のブリッジゲート、北のノースゲートの4つの門がある。4つの城門からそれぞれ名前の付いた通りが中心部に向かって延びている。この4つが交わるのがザ・クロスといわれる。クロス付近には木組みの商店が立ち並ぶ。また、この商店街の伝統的な建物の上階部分がつながっているのは、傘をささずに買い物を楽しめるように考えられた。ザ・クロスを中心に東西南北に広がっている。

6日目

ウェールズ語は、ローマ人によるブリテン島支配より以前に、大陸よりわたってきたケルト人により伝えられた。1284年のエドワード1世によるイングランド支配、1536年のイングランドのウェールズ合併以降、ウェールズにおいても英語が公用語とされ学校などでも使用が禁止された。ウエールズ語を話す人は減り続けたが、20世紀になって、ウェールズ語保存運動が盛んになり、徐々に話せる人が増えつつある。現在、ウェールズでは、道路標識などが英語をウエールズ語の2言語で表記されている。この小さな教会の前で、ガイドさんがウエールズ語で話をしてくれた。それは英語とは全く違う言葉で、一つも理解することが出来なかった。彼はお母さんがウエールズ人だといっていた。

産業革命後、石炭を運ぶため、ナローボートと呼ばれる幅の狭い船が開発され、多くの運河が造られた。丘や谷など、高低差がある場所では運河を設置することは出来ない。そこで水道橋が考案された。橋の上に船をそのまま通すという「水の橋」である。1805年、ポンテカサステに造られた橋は、全長300m、高さは約38mもある。土木の父と呼ばれるトーマス・テルフォードが設計した。運河の横には船引き道が設けられ昔は馬で船を引いた。観光用のナローボートも出ていて、観光客が乗って景色を楽しんでいた。犬も乗った家族用のナローボートも通って行った。

ポンテカサステの水道橋

バスで走っていると、運河が見え、船着場があり、船が走っていた。

約42km走り、チェスターからスランゴスレンに入る。スランゴスレンはディー川の谷に広がる小さな町。スランゴスレン運河が流れている。

英語とウェールズ語で表記された標識

1643年創業のお店

イーストゲートからノースゲート方向に城壁を歩くと聖堂の後ろ側に出る。自由散策の時間に聖堂の中に入った。(1092年建設の、ベネディクト派の大修道院。太い柱、丸いアーチが特徴的なロマネスク様式。1120年頃、修道士達が建て替えして、ゴシック様式になる。ヘンリー8世の宗教改革中、1538年閉鎖され、1541年、チェスター大聖堂に変身した。)

水道橋を後に、ストラットフォード・アポン・エイボン目指して180km走る。アン・ハザウエイの家に立ち寄ります。シェイコスピアの妻が結婚前に住んだ家。二人は1582年に結婚する。アンが26歳の時である。ハザウエイ家は大きな農家で、立派な萱葺き屋根とチュダー朝建築を代表する外観を持つ。前にここを訪れ中に入った方のお話だと、沢山の部屋があり(12部屋)16世紀頃のアンティーク家具が置かれ、暖炉やオーブンなども残っているそうです。お花の季節に来たので、庭も見事だったそうです。今は、花は殆どなかった。

城壁の上を歩いて、ニューゲートに出る。

ローマ円形劇場跡

アンハザウエイの家の前にあるレストランでサーモン料理の夕食をとる。隣に座った母娘の二人と話をしていて、私がエジプトのピラミッドに上り逮捕された人の話をすると、30代くらいの方が「私も若い頃に上ったことがあり、罰金を払った。」と仰天発言をした。モモンガを飼っているとか不思議な方だった。

この辺りには、このような萱葺き屋根の家(サッチドハウス)が残っている。日本の萱葺きとは少し違う。

タウンホール

イーストゲートの時計

10世紀にデーン人の侵略を恐れて、聖ワーバラの聖骸がスタフォードシャーからチェスターに運ばれ、教会が建てられたのが起源。