エディンバラ市街観光に出かける。エディンバラは、スコットランドの首都。歴史的建造物が集っているオールドタウンと、18世紀以降の計画的に造られたニュータウンがあり、世界遺産に登録されている。

3日目

赤いドアの家はロバート・スチーブンソンの家

ホリルード・アビー

ホリルードハウス宮殿は、ロイヤルマイルの東端に位置する宮殿。スコットランドにおける英国王室の宮殿として今も利用されている。王室メンバーがスコットランド訪問中は、ここに滞在する。スコットランド女メアリーにまつわるエピソードが数多く残っている。メアリーはエディンバラより、この城を好み、最初の王フランソア2世が亡くなりスコットランドに戻ってきてから、6年間ここで過ごした。彼女の2度目の夫、ダーンリが、嫉妬に狂い、メアリーの秘書だったリッチオを刺し殺した事件もこの西北の塔で起こった。宮殿に隣接する、ホリルード・アビーは廃墟になっているが、12世紀にデイビット1世によって建てられた修道院。

門をくぐり坂を上ってクラウン・スクエアに入る。戦没者記念堂グレートホール(ルネサンス期に建てられた。)王宮が中庭を囲むようにして建てられている。

岩の上に建っているのがよく分かる。

エディンバラ城とミリタリー・タトゥ会場の広場

エディンバラ城からホリルードハウス宮殿までの通りをロイヤルマイルといい、緩い坂になっていて、色々な店が立ち並ぶ。

クイーンズ・ギャラリーは、宮殿の敷地内にある。英国王室の美術コレクションを展示している。かって教会として利用されていたヴィクトリア王朝様式の建物を改築したもので、エリザベス女王の即位50周年の記念事業の一環として2002年にオープンした。

王冠を載せた門

宮殿の庭

行灯の火を消す筒

靴の泥を落とす金具。

グレート・ホールは、1511年、ジェームス4世の命令で建てられた。スコットランドのミーティング会場として使われた。現在も時折儀礼行事に使われる。

デイヴット・ヒュームはスコットランド・エディンバラを代表する哲学者、歴史学者、政治思想家である。啓蒙思想を代表する思想家である。

イギリスの通貨事情
通貨単位はポンド(今現在150円)スコットランドや北アイルランドでは、独自の紙幣を発行している。イングランド銀行発行のものと価値は同じで、イングランドでも使うことは出来るが、イングランドで、使おうとすると嫌がられるそうで、スコットランド最後の町、グレトナ・グリーンの日本で言う道の駅のような場所で使うように言われた。イングランドの銀行の紙幣は女王が印刷されているが、スコットランドの銀行が発行する紙幣には、女王はいない。

オールドブラックスミスの博物館に入ると、結婚式を挙げているカップルがいた。最初、そういう催しものかなと思ったが、傍にいた夫人が「私の息子よ。」というので、本物の結婚式だと分かった。

博物館に残る結婚証明書

グリーンマンのレリーフ(絵葉書)

展示されていた写真

モンス・メグは、超重砲クラスの中世の射石砲であり、由来がはっきりしているのにさまざまな伝説が生み出されている。善良公フィリップ3世の資金により製作された。贈り物としてスコットランド王ジェームス2世に贈られた。セント・マーガレット教会堂の外に置かれている。

戦没者記念堂

エディンバラ城。城はキャッスルロックといわれる岩山に建つ古くからの天然の要塞である。人間の定住は紀元前9世紀前後からといわれる。城内で最も古い12世紀初頭のセント・マーガレット教会を除くと、城の建物のいくつかは16世紀以前のものである。

4日目へ

王宮は、スコットランド女王メアリーがスコットランド王ジェイムス6世(イングランド王ジェイムス1世)を生んだ「メアリー女王の部屋」やスコットランド王の即位の宝器と運命の石が保管されている。宝器とは、王冠、御剣王笏からなり、1707年にイングランドとスコットランドの間に連合条約が結ばれて以来、封印されていたが、ウオルター・スコットにより封印を解かれ、再び日の目を見るようになった。運命の石は、古来からスコットランド王が即位式の時座ることになっていた石。イングランド王エドワード1世によってイングランドに持ち去られ保管されていたが、1996年、スコットランドに返還された。現在クラウン・ルームに宝器と共に保管されている。

真ん中の細い建物がこの辺りで一番古い建物。

スコットランドの正装のおじさん

ジギルとハイドの看板 エディンバラ出身の作家スチーブンソンにより書かれた「ジギル博士とハイド氏」のモデルとなった解剖医がいた。エディンバラ旧市街のメーンストリートには、エディンバラ城から通り左右にクローズという細い道が現れる。旧市街は溶岩の小山の上にある城周辺に形成され、高層階建築が多くなり、路地は細くなり、人口密度が高くなった。谷の向こう側に新市街を形成したが、貧しい人は移住できず、スラム化していく。身寄りのないホームレスや売春婦を殺して、北の医学校に解剖用として売っていたという犯罪もあった。犯罪の責任の半分は買った北の医師にあると、ジギル博士の姿をとおしてその偽善を糾弾した小説画が書かれた。ジギルは「人間の悪と善の正確を分離できれば、善の人格は善行に喜びを見出し、悪の人格は良心の呵責なしに欲望のまま行動できる。」という秘薬を発明する。

約211kmをバスで走りランカスターの街へ。途中グレトナ・グリーンに立ち寄る。グレドナ・グリーンは、ロンドンーエディンバラ間の街道上にあるスコットランド最初の街である。ここで、有名なものは、駆け落ち婚がされた鍛冶屋である。1753年、イングランドでは、両親の承諾を得た21歳以上の男女のみに結婚が制限されるようになった。一方スコットランドでは、適用されなかった。駆け落ち婚のカップルがスコットランドに走り、1712年頃オールドブラックスミスシヨップが結婚業者の中心になった。グレトナの鍛冶屋は「金床の司祭」と呼ばれ有名になった。

当時の楽器を弾く人

セント・マーガレット教会堂は、城内で最も古い建物である。12世紀に建設が始められた。デヴィッド1世が、1093年エディンバラで亡くなった母マーガレットに捧げ、王家の私用礼拝堂として建てた。ロバート1世は、バノックバーンの戦いに敗れイングランド軍に捕らえられるのを避けるため、配下の司令官初代マリ伯に命じて城を破壊させた。しかし彼は悔いて教会堂の改修を依頼した。最大25人程しか入れない教会堂だが、結婚式や洗礼式といった宗教行事に多く使用されている。

聖ジャイルズ大聖堂。ロイヤルマイルの中心に建っている教会。王冠の形をした屋根が印象的なゴシック様式の教会。大聖堂は約900年間、エディンバラにおける宗教の中心であり、時には、長老派教会の母教会とみなされている。

ロスリン礼拝堂はエディンバラ郊外にある礼拝堂。15世紀にテンプル騎士団に属していた貴族ウイリアム・セント・クレアにより建造された。小さな礼拝堂ではあるが、壁面は謎めいたレリーフであふれている。「ダ・ヴインチ・コード」の舞台にもなったところである。

添乗員さんによるイギリスの名前事情
一番多い名前は、スミス。地名、職業、容姿の特徴などが苗字になっている。
地名では、ダンロップ(ぬかるんだ丘)ノーマン(北のほうから来た人)シートン(海辺の人)など。職業では、テイラー(洋服や)カーペンター(大工)バンカー(銀行家)サッチャ(屋根ふき)など。フォックス(狐のような人)トルーマン(信頼できる人)など。

礼拝堂前にある建物は、かって巡礼者が宿泊した所。(この建物も映画に登場したそうだ。)

ハギス、スコッチエッグの昼食。ハギスとは羊の内臓を羊の胃袋に詰めて茹でたスコットランドの伝統料理。正直食べなれないので、美味しく食べられなかった。スコッチ・エッグはイングランド料理で名前はスコッチだが、スコットランドの料理ではない。

旧市街地に建つスコット・モニュメント
スコットランドを代表する文豪・サー・ウォルター・スコットを記念して建てられた。作家の記念碑としては世界最大を誇る。後に回り込むと入り口があり、塔の上まで上がれる。