スターリング城は、キャッスル・ヒルといわれる火山性のでこぼこした岩の上に城が建ち、三方をけわしい断崖に囲まれ防御に優れている。早い段階から、重要な要塞として、戦略上の要衝だった。

英国紀行10日間 

約48km走って、スターリングへ。スターリングは古くから「スコットランドへの鍵」と呼ばれ、「スターリングを制するものがスコットランドを制する」といわれるほど、重要な町であった。そのため、何世紀にもわたって多くの戦いの舞台となった。13〜14世紀にかけて現れたウイリアム・ウォリス、ロバート・ザ・ブルースにより、スコットランド軍はこの地でイングランド軍を破り、イングランドからの独立を成し遂げた。

H.25.4.5〜4.14

イギリス最初の朝食は、イングリッシュ・ブレックファーストといわれるもので、これからどこに行っても同じものでした。(パン、目玉焼き、スクランブルエッグ、焼きトマト、マッシュルーム、ベーコン、ハム、チーズ、 ハギス コーヒーか紅茶、果物、ヨーグルト 、ベークト・ビーンズ)イギリスでもっとも美味しい食事は朝食と言われているようで、旅行を終えた感想は、やっぱり、朝食が一番美味しかった。(ハギスとは、羊の内臓を羊の胃袋に詰めて茹でたスコットランドの伝統料理で、この黒いものは、それを焼いたものだと思う。)

千葉の息子の所に前泊し、10時50分に成田を出発し、15時20分(現地時間)にロンドン・ヒースロー空港に着陸し、18時5分発のグラスゴー行きに乗り換え、19時25分にグラスゴーに到着しました。今日はホテルに入るだけです。イギリスは現在夏時間になっているので、まだ、薄明るい感じでした。

キャメロンハウス(17世紀にスモレット家により建てられた。現在は五つ星ホテル)

2002年にオープンした「ローモンド・ショアース

グラスゴー大学(1451年に創立のイギリス国立大学。ジェームス・ワットやアダム・スミスなどの歴史上重要人物を多く排出している。ノーベル賞受賞者は6人に上る。)門には1451と書かれ、500年間の偉人の名前が書かれている。

2日目

3日目へ

グラスゴーは、スコットランド最大の街で人口は約80万人です。エジンバラと並んでスコットランド観光の拠点となっています。15世紀創立のグラスゴー大学があり、産業都市であると共に、学問・文化の中心として知られている。

オーシェンハグリッシュ・ハウス。2001年に修復され湖畔のアパートメントに改築された。

グラスゴーから約43km走ってバロッホロッホ・ローモンドの湖畔を散策する。

マンゴー宗教博物館(世界各地の宗教生活、宗教美術を紹介している。)トイレを借りただけで、中を見ることは出来なかった。

メアリースチュワートスコットランド女王メアリー1世は、スコットランド王ジェームス5世とフランス貴族出身の王妃メアリー・オブ・ギースの長女として生まれる。ジェームス5世の第3子だったが、王が30歳で急死し、長男、次男が早世していたため、生後6日で王位を継承した。イングランド王ヘンリー8世の要請により、エドワード8世と婚約させられた。  1547年、イングランドの政権を握ったサマセット・エドワード・シーモアの攻撃を受け、フランスのアンリ2世の元に逃れ、以後フランス宮廷で育てられる。1558年アンリ2世の王太子フランソアと結婚。アンリ2世が亡くなると、フランソアが即位し、メアリーはフランス王妃となった。1560年、フランソアがなくなると、子供がいなかったメアリーは、スコットランドに帰国する。ダーンリー卿と再婚し、ジェームスを出産する。(後のインドランド王兼スコットランド王ジェームス1世)その後、イングランドに逃れエリザベスにより、18年間幽閉され、その後処刑された。

97kmバスで走りスターリング〜エディンバラへ。ホテルに入り夕食をとる。

グレート・ホールは、ジェームス4世により建てられた。何十年も兵舎として使用された後、最近原型に復元された。ここには500人ほどが入れるそうです。王座のレプリカで王様の気分を味わう。

スコットランド王家の紋章 真ん中にライオン・オン・タイバン(起立態ライオン)左右にユニコーン(一角獣)1603年以前

王の寝室の天井。「スターリング・ヘッズ」と呼ばれる有名な円形の絵画で飾られていたが、1777年に持ち去られた。スミス財団、エディンバラの国立博物館にある。復元。

ロバート・ザ・ブルースの像

上からの街のながめ

船内には英語の説明が流れるが、日本語のパンフレットを貰っていたので、それと照らし合わせて聞いていた。違った建物を勘違いしているかもしれません。どうしてか、岸の左手だけに建物が集中していました。また、インシュマリン島を通るときは、ヌーディストがいるかもと眼を凝らしましたが、寒さのせいか見かけませんでした。

船に乗り、少しの間レバン川を通り、ローモンド湖に入る。英国最大面積の淡水湖で、全長37km、幅8kあり、総面積44kuに及ぶ。スコットランドで最初に国立公園に認定された。「スコットランドの女王」「ハイランドへの入り口」と表現されている。

グラスゴーの北にあるイギリス最大の湖で、南北に40kmの長さがある三角形の湖。湖の北にはターベットが南端にはバロッホの町がある。東岸には標高974mのベン・ローモンド山がそびえる。

ブロバンド領主館(1471年建築のグラスゴー最古の建物。当時この辺りは教会が林立していたそうで、この建物も聖ニコラス病院の一部として建てられ、後に大聖堂参事会員の住居となった。建物東側には、グラスゴー大司教の紋章が残っている。)

バロッホ〜スターリング

スコットランドの紋章

アーデン・ハウス。1860年グラスゴー市長であったジェイムス・ラムスデン卿により建てられた。その後高級アパートメントとして生まれ変わった。

最も大きな島・インシュマリン島(ヌーディスト村)

バロッホ城(現存する城は1808年に建てられたもので、レノックス伯爵の邸宅であった城は1700年半ばに破壊された。)

肉料理の昼食

湖から戻ってくると、バグ・パイプを吹いている人がいた。(リード式の民族楽器で、リードの取り付けられた数本のパイプをバッグにつなぎ、貯めた空気を押し出すことでリードを振動させ音をだす。)

川沿いに建つグラスゴー大学

アルマジロ

クライド川に架かる橋

地下の柱で上部の柱を支えている。

教会の壁面にはお墓が並んでいる。

外装修理中

6世紀聖マンゴーによって作られた教会からグラスゴーの街が始まったといわれてる。大聖堂の創建は12世紀に入ってからで、何度も増築改修され今日の姿になったのは15世紀のことです。宗教改革の時、スコットランドの教会は殆ど壊されましたが、これは現存する数少ない一つである。地下(正確には地下ではない)にも聖堂があり、そこに聖マンゴーのお墓があります。

グラスゴー大聖堂

遠くにネルソンの塔が見える。(トラファルガー沖海戦でフランス・スペインの連合艦隊を撃破した提督)

その後、クライド川北岸のグラスゴーグリーンといわれる公園地域に移動する。

アルバート公(ザクセン=コーブルグ=ゴーダ公国公子でイギリス・ヴイクトリア女王の夫。1840年に、セント・ジェームズ宮殿の王家礼拝堂で結婚式を挙げた。

ウオルター・スコット (スコットランドの詩人。作家。エディンバラで生まれ、エディンバラ大学で学び、弁護士となる。肖像画はスコットランド銀行発行の全ての紙幣に使われている。

ウイリアム・エワード・グラッドストーン(イギリスの政治家。ヴィクトリア朝中期から後期にかけて自由党を指導し、4度首相を務めている。スコットランドの豪族の家柄で、イートン校の出身者。)

ヴイクトリア女王(イギリス・ハノーヴァ朝の第6代女王で、初代インド女帝。世界各地を植民地・半植民地化し、繁栄を極めた大英帝国を象徴する女王。在位は63年7ヶ月で、ヴィクトリア朝と呼ばれる。

交通博物館の後には帆船が

ジョージ・スクエアには、偉人の銅像が多数並んでいた。(ジョージ3世の時代に造られた広場。)

城の前庭から見えるウォリス・モニュメント。スコットランドの独立に生涯をかけた英雄。高さ67mのヴィクトリア王朝様式の塔で、1869年に完成した。

ジェームス5世の像

ベン・ローモンドがそびえる。

テラコッタの噴水(噴水の中央にはヴィクトリア女王、下には聖マンゴーの像)

歴史博物館

ジェームズ・ワット(スコットランドの発明家、エンジニアで、トーマス・ニューコメンの蒸気機関車へ施した改良を通じて、世界中の産業革命に貢献した。)

ローモンド湖周遊

チャペル・ロイヤル。わずか生後9ヶ月のスコットランド女王メアリーが戴冠式を行なった。

女王のアウター・ホール

女王の寝室

サッカー場

日時計

船底型のアーチ天井

美しいステンドグラス

(絵葉書より)

マンゴーのお墓がある。

地下の祭壇

ケルヴイングローブ美術館&博物館(ビクトリア様式の美しい建物。大英博物館に次ぐ規模。)