5日目

ポストの横にあるのは、日本のガチャガチャと同じものだろうか?

紋章の説明をする添乗員Kさん

17世紀に建てられたウルセル伯の居城

市庁舎とその前の公園
15世紀に建てられたゴシック・フランボワイアン様式の建物。15世紀にはライオンの階段と左翼しかなかったが、その後右翼が増築され(左右対称ではない)1455年に中央の塔が建てられた。

アンヌヴォア城は、18世紀の荘園領主の館で、広大な庭園は、ヨーロッパでも有数のものである。庭園は、フランス式、イタリア・ルネッサンス式、イギリス式の三大ヨーロッパ庭園様式をあわせ持つ28ヘクタール水と緑の楽園。造園工事が始まったのは、1758年でワロン地方の貴族で城の当主、シャルル・アレクシス・ドゥ・モンペリエは自ら欧州を巡って学んだ造園技術を駆使して、20年にわたる大プロジェクトを遂行した。  最も標高の高い所に長さ400mの運河を掘り、近くのフォンテーニ池から水を引き、複雑な地下水路を巡らせた。この庭園内では、電動ポンプが一台も使われていません。

ブリュッセルのホテルから見た景色。今日は天気がよさそうです。ブリュッセル観光は明日で、今日は、バスで約100km走ってモダーブへ向かう。 途中には、牧草地が広がり、桜の花が咲いていた。

その後、約45km走って、アントワープに着いた。

グランビガール城のフラワーショウを見学する。

その後、80km走ってブリュッセルへ。目抜き通りを歩いて夕食のレストランまで歩いた。

観光後、約22km走ってデルビュイに行きます。デルビュイは、ベルギー南部のアルデンヌ丘陵を刻んで流れるウルト川のウルト渓谷に包まれた「世界で一番小さな町」である。標高は400mほどで、石畳の小道、石造りの家々が並び、10分もあれば端から端まで歩けてしまう。

壁にゴブラン織りのタペストリーが掛かった「ゴブランの間」

ダイニングルームとして使用された「ヘラクレスの間」

ギャルリー・サン・チュベールはショッピングアーケードのことで、女王、王、王子の3つのギャラリーに分かれている。ブティック、アンティークショップ、カフェなどが並び、高級なチョコを売るお店も何軒か並んでいる。

その後、約107km走って、ブリュージュへ。

キリストの昇架(ルーベンス)

ノートルダム大聖堂は、1352年から約170年の歳月をかけて建設されたベルギーで最大のゴシック教会。塔の高さは約123mで、港に入ってくる時のよい目印だった。

昼食は、ローストポーク、コロッケ添え。

ブリュッセルの名は、「湿地帯にある砦」を意味している。センヌ川のサン・ジェリ−島に、領主ロートリンゲン公、シャルル・ド・フランスが小さな砦を築いたのが紀元979年で、歴史を誇る古い香りが町のあちこちに漂っている。

卵を抱くカモ

ライトアップされたマルクト広場

丘の上の運河

金と真紅の家具やローズウッドのピアノが美しい「ルイ14世の間」

フランス革命軍によるブリュッセル占領中の1799年、パリの中央美術館(現ルーブル美術館)の分館として設立された。1880年に完成した古典様式の宮殿で、フランドル派を中心とする15世紀から18世紀までの絵画が納められている。ブリューゲル、ルーベンスらの大作が所蔵されている。
ベルギーの南東部をアルデンヌ地方という。古代ローマ時代から交通・軍事の要衝として栄えてきた。そのため、中世からさまざまな城や要塞が造られ、現在も貴族の流れを汲む人々が住み、あるいは博物館として残っている。丘陵地帯、ムーズ川やその支流によって造られた渓谷や洞窟などがある。アンヌヴォア城、ヴェーヴ城、ラヴォー・サンタンヌ城、モダーヴ城などがある。

アントワープは、港、ダイヤモンド、ルーベンス3つに代表される。17世紀には、バロック期最大の画家ルーベンスや彼の弟子ヴァン・ダイクなどの画家が活躍した。

小便小僧は、別名「ジュリアン君」としても親しまれている。彼が作られた由来は諸説あるが、ブリュセルを敵軍が包囲して、城壁を落とそうと火薬の導火線に火をつけたが、ブラバン公の王子がおしっこをかけて消し、味方を勝利に導いたというものもある。

アルデンヌ産生ハムとマスのグリル。

レンガの壁にはってある「古地図」

市庁舎の前の広場には、ブラボーの像が付いた噴水がある。シュヘルド川で猛威を振るっていた巨人の手を切り取って投げたという伝説がある。アントワープ(アントウェルペン)の由来とされている。

マルクト広場の州庁舎

フランドルの水の都といわれている。町を縦横に流れる運河には、50以上の橋がかかっている。

キリストの降架(ルーベンス)

聖母被昇天(ルーベンス)

グラン・ビガール城(グロード・ベイハールデン城)の庭園が春の1ヶ月間だけ開園するベルギー最大のフラワーショウ。100万株以上のチューリップ、スイセン、ヒアシンス、ムスカリなどが14ヘクタールの庭園に咲き誇る。どの花壇も満開でした。  1731年に、ベイハールデン伯爵夫人(へレナ・ヒアシンス・ド・ボーイスコート)の所有になり、フランス式庭園を造らせた。その後一部英国式庭園に造りかえる。

昼食の後、グランビガールへ約7km走る。

王立美術館

セルクラースの像、「星の家」の下の壁にあるセルクラースの像は、1388年に暗殺された町の英雄である。12世初頭から14世紀初頭まで、ブリュッセルはブラバン公によって統治されていた。ブリュッセルの繁栄をねたみなんとかして王位を継承しようとしたフランドル伯の旗を、1356年の嵐の晩にセルクラースは星の家に片手でよじ登り、正統な後継者のブラバン公の旗に変えてしまった。彼の行為は市民の士気を高め、ブラバン公が正統な王位についた。この像に触れる人々に幸運をもたらすという言い伝えがある。

レストラン街では、呼び込みの声が響き、たまに変な日本語が飛び交う。店の前には、アサリやカキ、ムール貝、大きな海老がレイアウトされている。

噴水を掃除している。

天井にマルシャン家の紋章と家系図が彫られた大広間

小さな町を散策していると雨が本降りになってきて、早めにバスに戻った。

モダーヴ城は、オユー川沿い約60mの断崖に建ち、歴史は13世紀にまでさかのぼる。17世紀には、城主のマルシャン伯爵によって再建される。

フランダースの犬」の少年ネロが、このマリア様を見て天国に旅立ったという物語を添乗員K氏が熱演した。「フランダースの犬」は、日本では有名な物語で、ここには、日本人が建てた碑もあった。しかし、少年を邪険にしたという話で、現地の人は知らない人が多いようです。

約58km走って、アンヌヴォアへ。途中、菜の花畑や、ムース川の岩肌の剥き出た岩壁の景色を楽しむ。

城内部には小礼拝堂があり、帰ってきてネットで調べると日本人もここで挙式できるそうです。また、クリスマスには飾りつけが綺麗だそうです。

ブリュセルには、有名な「小便小僧」の像がある。少女が無いのはおかしいと言うことで「小便少女」の像が出来たそうです。リアルな像なので、格越しに写しました。

自由時間に市立博物館に入る。各国から贈られた小便小僧さんの衣装が飾られている。日本からは、「桃太郎」「法被」「甲冑」などが納められていた。

イカロスの墜落(ブリューゲル)

王宮

芸術の街

市立図書館になっている王の家
王の家と呼ばれているが、王が住んだことはない。かってパン市場だった場所

ブラバン公爵の館

夕食は、シコンのグラタンです。シコンとはチコリのことで、白菜のミニチュア版で、根元に苦味がある。(チコリを蒸し、ハムで巻き、ホワイトソースをかけ、チーズをのせてオーブンで焼きます。ベルギーの冬の家庭料理だそうですが、日本人にはちょっとなじみのない味です。

断崖の上に建っています。

高さ83mの鐘楼

6日目

ブリュッセル

結構流れの速い川でカヤックを楽しんでいた。

7日目へ

グローテマルクトの市庁舎

ノートルダム大聖堂

夕食は、待望のムール貝のワイン蒸しだった。ビールが珍しい形のグラスで運ばれた。

ウルト川

ベツレヘムの戸籍調査(ブリューゲル父)

ブリューゲル息子