アメリカ東海岸4都市周遊8日間

2014.10.08~10.15

成田空港午前11時10分発の日本航空プレミアムエコノミークラスで、ニューヨーク(ジョン・F・ケネディー)空港に向けて出発した。所要時間は、約13時間で日本との時差は-13時間である。プレミアム・エコノミーは空港で待っている間に、ラウンジを使えるし、座席も左右前後に余裕があり、快適である。飛行中、機長のアナウンスで、オーロラや皆既月蝕を見ることができた。

ボストン茶会事件とは、1773年12月16日、マサチューセッツ植民地のボストンで、イギリス議会の植民地政策に憤慨した急進派が、港に停泊中のイギリス船に侵入し、イギリス東インド会社の船荷の紅茶箱を海に投棄した事件である。茶法に反発し、アメリカではコーヒーが普及したといわれる。

市民の憩いの場・クインシーマーケットまで歩き、ここで、オプショナルツアーのボストン美術館を申し込んだ人はバスで移動した。

バックベイにあるトリニティ教会

クラムチャウダーは、二枚貝を具としたチャウダーで、ニューイングランド風は牛乳をベースにした白いクリームスープで、ボストンクラムチャウダーと呼ばれる。ボストン近郊に漂着したフランス人漁師の発案とも言われている。

旧州議事堂 1798年、ビーコンヒルに現在の州議事堂が完成し、マサチューセッツ州の機関が移転するまで、州議事堂として機能していた。1776年7月18日、議事堂東側の2階バルコニーから、新マサチューセッツ市民に向かって独立宣言が読み上げられた。

政治家、科学者として業績を残したベンジャミン・フランクリンは旧市庁舎の近くで生まれ育った。印刷業で成功をおさめた後、政界に進出しアメリカ独立に貢献した。凧を用いた実験で、雷が電気であることを明らかにした。現在の米100ドル紙幣に肖像が描かれている。アメリカ建国の父として讃えられ、銅像の台座には彼の功績が刻まれている。

ボストンは、京都市と姉妹都市で、イギリスの13の植民地の中で、最も早く本国イギリスに反旗を翻し、独立戦争に突き進んだ町である。ダウンタウンには、古い建物が多く残る。チャールズ川を挟んでボストンと向かい合うケンブリッジは、ハーバード大学マサチューセッツ工科大学がある学術の町である。

皇太子妃雅子様が住んでいた学生寮

アメリカ時間午前11時5分に到着した。乗り継ぎ時間が6時間もある。入国審査が厳重で、写真や指紋も撮られるので、いつもは5時間くらいかかるそうだが、今回は2時間くらいで済んでしまったため、ずいぶん空港で無駄な時間を過ごした。ボストン(ジェネラル・エドワード・ローレンス・ローガン)空港に1時間10分で着いた。その後、バスで移動し、ボストン近郊のホテルに入った。ホテルには、ハロウィンの飾りつけがしてあった。

ボストン美術館は、1870年に地元の有志によって設立され、アメリカ独立百周年にあたる1876年に開館した。ゼロからスタートし、民間の組織として運営されてきた点はメトロポリタン美術館と類似している。 まずガイドさんに主な作品を説明してもらい、広い館内を歩く。

オールドサウス集会所 1729年ピューリタンの礼拝堂として建設された。教会というより、植民地市民の白熱した討論が交わされた場所として有名。度重なるイギリス政府からの課税に、植民地市民は憤りを感じ、この場で下された討論の結果が、1773年のボストン茶会事件を引き起こした。

コプリー広場に位置し、ジョン・ハンコック・タワーの影になっている。

アメリカ最古のレストラン「ユニオン・オイスター・ハウス」でロブスター料理をいただく。1826年、半円形のオイスターバーができてから営業を継続している。   18番テーブルはジョン・F・ケネディの愛用していたテーブルだそうですが、見ることはできなかった。

ボストン虐殺地跡 1770年3月5日、旧州議事堂の東側で群衆を鎮めようとした9人のイギリス兵が発砲し、5人のアメリカ人が殺された。このボストン虐殺事件を境に、独立戦争の機運が加速度的に高まった。

キングスチャペル 1688年、ボストン一帯がまだイギリス政府の統轄を受けていたころ、ボストン初の英国教会として創設された。外壁は石で覆われ、塔がない。

メモリアル教会(第一次世界大戦で戦死した学生を祈念して造られた。)

マサチューセッツ州議事堂
ビーコンヒル最古の建物。新古典主義調で、チャールズ・ブルフィンチの設計。柱は古代ギリシャ風の円柱で、壁は三角形の切妻壁。ドームは23金の金箔に覆われて、金色に輝いている。

フリーダムトレイル

ボストンコモンから歴史街道フリーダムトレイル散策をする。ボストンコモンは、アメリカ最古の公園で、1634年、植民地市民のために購入された土地だった。また、最初にできた地下鉄の駅がある。

ビーコンヒルはボストン市内にある地区で、ボストン・コモンボストン・パブリック・ガーデンの北に隣接しており、ジョージア様式の街並みが連なる富裕層の住宅地である。通りの幅は狭く、煉瓦敷きの歩道が備えられ、ガス灯がともる。地区の西側にはチャールズ川が流れる。

ビーコンヒル

ワイドナー記念図書館(タイタニック号沈没で息子を失ったワイドナー夫妻によって建てられた。)

郵便配達人ジョセフ・ルーラン(フィンセント・ファン・ゴッホ)

チャールズ川

3日目へ

マネ、モネ、ルーベンス、ルノワールなど鑑賞して、自由行動になる。

オールドシティホールとベンジャミンフランクリンの像

ニューイングランド名物クラムチャウダーとサンドイッチの昼食

正門ジョンストンゲート

夕食はクラムチャウダーと魚料理で、特大のケーキは甘かった。

水陸両用のバス

ボストン美術館には、日本からの美術品が多く、以前「お里帰り」と称して、ボストン美術館展が開かれ、「吉備大臣入唐絵巻」「平治物語絵巻」などを見たが、今回は余り展示されていなかった。

日本美術 仏像

ハーバード大学

エジプト

快慶 弥勒菩薩立像

われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか(ポール・ゴーギャン)

エルグレコ

ハーバードヤードを散策した後、学生協で、画集を買い求めた。5%引きだった。

アジア

ガネーシャ

アラバスター製のメンカウラー王

ユニバーシティホールの前のジョン・ハーバードの銅像

2日目