アイルランド紀行 8日間

2016.10.6~13

当日でも間に合う日程だったが、台風が来ているので、空港近くのホテルに前泊した。当日は、成田空港に集合し、12時35分のブリティッシュ・エアウエイズ機でロンドンに向向けて出発した。約12時間35分のフライトで、17時10分にロンドン・ヒースロー空港に着き、19時55分に北アイルランド・ベルファストに向けて離陸し、約1時間20分のフライトでベルファストに着いた。バスに乗り、22時30分にホテルに着いた。

北アイルランドは、アイルランドン北に位置する英国領で、ケルトに象徴される独自の文化・風土が特徴である。

駱駝

北アイルランド観光の初日は、「キャリック・ア・リードの吊り橋」から始まった。ホテルから約90m走って、ポートラッシュ郊外にある吊り橋に着いた。断崖と小さな小島を結ぶ長さ約20mの吊り橋。高さが30mほどあり、今日は強風が吹き荒れ吊り橋が揺れて怖かった。

ホテルには10時30分に着いて、遅い夕食をとった。チーズのフライとチャウダーだった。

ドルメンという自然の石を立てた大きな墓

クロンマクノイズは、聖キアラによって開かれた僧院で、大聖堂をとり囲むように10世紀から13世紀に建てられた9の小聖堂と二つの円形の塔が建つ。ビジターセンターでは、3つのハイクロスと、初期キリスト教徒の墓石が見学できる。聖書の物語を題材にしたレリーフが刻まれている。

アイルランドは、聖パトリックが布教したところで、ヨーロッパでは最も早くキリスト教化が行われた所である。ハイクロスはアイルランド特有の十字架である。

ベーコン&キャベツの昼食をいただくが、ここで時間をかけてしまったためにホテルに着くのが遅れてしまった。

アスローン城

シャノン川とアスローン橋

新潟出身の方が、「信濃川に架かる萬代橋に似ている。」と言っていたので、ネットで調べると、本当に似ていた。

途中アスローンで昼食をとる。アスローンシャノン川が流れ、中世にはアイルランドの中心にあり、交通の要所であったため、街を守るためにアスローン城が要塞として建てられた。1690年にはボイン川の戦いに続くアスローン橋の戦いのあったところである。

バスで約250km走ってクノンマクノイズへ向かう。途中でアイルランドに入る。アイルランドは首都がダブリン。人口は約459万人。面積は北海道とほぼ同じ。言語はアイルランド語(ゲール語)と英語。87%がカトリック教徒。

3日目

白身魚のフィレの夕食。下にこれから毎日食べることになるマッシュポテトが入っている。

約100km走ってベルファストに帰る。ベルファストは小さな漁村だったが、造船業を主とする工業によりヴィクトリア女王の統治時代に大きく発展する。「タイタニック号」もここで造られた。途中で「タイタニック・ミュウジアム」に寄ってくれたが、閉館間際でトイレを借りただけで、ミュージアムを見ることはできなかった。

オーディオガイドと共に石の道を散策する。

巨人の靴

世界遺産「ジャイアンツ・コーズウェイ」を観光する。海岸線に六角形の柱を束ねたような岩肌が8kmに渡って続く。火山活動で生まれた4万もの石柱群が連なる。ジャイアンツ・コーズウェイの名前はアイルランドの伝説の巨人フィン・マックールに因む。伝説では、彼がスコットランドの巨人ベランドナーと戦いに行くためコーズウェイを作ったとされる。玄武岩の柱は柱状節理によって生じ、より早く冷やされれば、石柱の規模は小さくなる。日本でも、福井県の東尋坊(安山岩)、兵庫県の玄武洞などがある。

小エビのはいったサラダ、さっき草原で見た羊の肉のアイリッシュシチューの昼食をとる。アイルランドの郷土料理である。

試飲はもう終わってしまっていて、バーでウイスキーを頼み香りを楽しみ、味わいました。

ジャイアント・オルガン

添乗員Oさん

約125km走ってバレン高原へ急ぐ。バレンとはゲール語で「不毛の地」とか「石の多い場所」と言う意味で、高いところは標高300mで、360㎢のカルスト台地が広がる。「巨人のテーブル」と呼ばれる遺跡は紀元前3800年~3200年頃の物である。荒涼としたカルストの大地にテーブルが一つ置いてある風景は不思議な感じがする。奈良にある石舞台と同様にお墓であったようです。

大聖堂

オールド・ブッシュミルズ蒸留所は、ダンルース城とジャイアンツ・コーズウェイの間にある小さな村のはずれにある。世界最古のウイスキー蒸留所である。゚アイリッシュウイスキーはスコッチウイスキーの陰に隠れてしまっているが、スコッチより飲みやすいと世界中で愛されている。  1608年、この地の領主・トーマス・フィリップ卿は、英国王ジェームス1世から蒸留免許を与えられた。それがブッシュミルズの起源であり、それが稼働しているアイルランド最古の蒸留所とされるゆえんである。原料となる麦芽は乾燥にいっさいビートを使用せず、伝統のトリプル蒸留を行っている。

キルフェノラの修道院跡にあるオリジナルクロスを見に行く。街では旗を掲げた車がクラクションを鳴らし、列を作って走り回っている。街のサッカーチームが優勝したとのことでした。遅かったので、鍵がかかり、中には入れなかった。窓の隙間から写真だけ取ってバスに戻った。

この地はタラの大王の埋葬地でもあった。修道院はたびたびバイキングによる襲撃を受けており、そのたびに修復をしている。12世紀を過ぎたころから徐々に衰退し、1552年にイギリス軍によって占領され、価値あるものが略奪されてしまった。

ポートラッシュからジャイアント・コーズウエイに向かう海岸線には古城が点在する。その中で最も大きいものが、断崖に建つダンルース城である。14世紀以前に建造され、元は要塞として使われていた。陸と城のある岬を結ぶのは小さな橋1本。周囲は断崖になっていて容易に攻め込めない。天然の地形を利用した難攻不落の要塞で、城の真下からは大きな洞窟が外洋に抜けており、脱出用の船が格納できるようになっている。17世紀に付近一帯の領主だったスコットランド貴族・マクドネル家の居城として改築された。現在は、内部は建築当時のまま再建され、ビジターセンターを併設している。バスを降りて写真撮影をした。遠くから見た限りでは廃墟としか思えなかった。

聖ピーター&ポール教会

小島から見た吊り橋

4日目へ

街のシンボル。1906年に建てられた市庁舎(シティホール)

船乗り相手だったアイルランド最古のパブ