追分~大宅中学校前
H.30.1.21
宝迎寺、大宅打明交差点を過ぎると、左側に「岩屋神社」鳥居があり、山の方へ向かって参道が延びている。岩屋神社は、本殿背後の和間にある巨大な陰岩を御神体として、奥の院に祀られている。その先の右側に「岩屋神社御旅所」がある。そこには大楠と「愛宕常夜燈」がある。
蹴上駅から京阪電鉄にのり、追分駅に着いた。12時32分に歩き始める。しばらく迷って街道に出る。やっと髭茶屋追分道標に着いた。
(この地は東海道と伏見街道(奈良街道)の分岐点で馬子が馬を追い分けることからこの名がついた。「大津絵の 筆のはじめは 何仏」と芭蕉が詠んでいる大津絵は追分で生まれ、大津算盤も日本人向けに改良され全国に広まった。) 道標には「みきは京ミチ」「ひだりふしミみち」と刻まれている。左の石標には「蓮如上人御塚」と刻まれている。東海道を通った時にはこの石標は壊れていた。直した跡がある石標である。
その先の右側には「大宅(おおやけ)一里塚」がある。大きなエノキが植えられていたが、残念ながら切株のみが残っている。京都市内で唯一残っている一里塚である。脇芽が出ているので、数十年後には立派な塚木になるのではないかと思う。
大塚南溝公園をすぎると左側に「妙見寺道標」がある。東にある妙見寺の参道になっている。妙見寺の前にある鳥居の奥に旧東海道線の遺構がある。旧東海道線は明治12年、京都・大谷間が開通した。追分手前から旧山科駅を通り、伏見の稲荷駅を通り、現在の奈良線のルートで京都に至っていた。大正10年、現在の新逢坂トンネルと東山トンネルが完成してこの区間は廃線となり、多くは名神高速道路に転用された。妙見寺前では市道として残っている。その先の右側に「愛宕常夜燈」がある。
すぐに地蔵堂と頌徳碑がある。頌徳碑は筍組合のもので、昭和初期まで山科には多くの筍農家があった。街道は下り坂になる。その先の民家の前におおきな常夜燈と道標「ふしみ道」がある。
大宅鳥井脇交差点を過ぎると、大宅中学校がある。ちょうどバス停があったので、「京都駅八条口行」のバスに乗り、京都駅に向かった。駅で「鰊蕎麦」を食べ、お土産を買って、帰宅した。
右側に「皇塚の石」がある。皇塚と彫られた自然石の碑と巨大な松の切株がある。ここの古墳があったと伝わり、この辺りの「大塚」の地名もこれに因む。
右側の角にまた「牛尾山道」道標がある。山科川を音羽橋でわたる。山科大塚交差点を渡った先は道が細くなる。新幹線の校歌の所に道標がある。「ひたりおおつみち」「みぎうじみち」と刻まれている。
その先の左側に「牛尾山道」の石柱がある。潮観音を本尊とする牛尾山(牛王山)法華寺がある。街道は京都東ICをくぐる。音羽病院の前で南方向に向かい、国道1号線に合流する。比叡山坂本の店で有名な「鶴喜蕎麦店」がある。地下道をくぐって渡ると、その先はのどかな旧道が続く。