音源メディアの変遷 


五輪今昔絶叫物語

アナログ音源再生計画

1960年代の日本における最大のイベントは東京五輪でした。若い方でも市川崑監督の名作映画「東京オリンピック」でご覧になった方もいるでしょうし、五輪が近づくと結構当時のフィルムがテレビでも放送されます。

以前その東京五輪の最終種目男子マラソン(当時は女子は無い)のテレビ中継を観戦している家族の表情が録音されたオープンリールを依頼により復刻しました。

 放送はアベベが驚異の連覇を果たした後、国立競技場へ2位で入ってきた日本の円谷(「つぶらや」と読みます。アテネの「あぶらや」選手とお間違いなく(^^;)選手と3位の英国ヒートリー選手の熱闘を伝えていました。トラックでヒートリーが円谷を抜いた瞬間、そのテレビの音声が全く聞こえなくなるほどの家族の悲鳴が臨場感を伝えており、まさに昭和の感動を記録した「名録音」ではないかと管理人自身大変感心しました。



なぜテレビ録音で見ている者の声が入るのかといえば、昔はテレビのスピーカの音を直接マイクで拾っていたからです。

 通常、録音はラインから入力するのが当たり前のように考えられていますが昔はテレビにライン出力などというものは無く、あるのはイヤホンジャックだけ。しかし、ここから録ると音声がスピーカから聞こえなくなる。テレビは茶の間に1台あるだけなのでイヤホンジャックから録るわけにはいかない。

 とりわけ、このテープでは前後の脈絡からして五輪中継をTV観戦している「家族の風景」を録音しておこうという意図があったようで、それが特に上手く表現されていて感心した次第です。



この東京五輪の陸上競技で国立競技場に唯一日の丸を掲げた円谷選手は、その後、周囲のあまりの期待の大きさにプレッシャーを受け『父上様、母上様。幸吉はもうすつかり疲れ切つてしまつて走れません。何卒お許し下さい。』という遺書を残して自らの命を絶ったのでした。

それから約10年ほどたった頃、この遺書を元にピンクピクルスの茶木みやこさんというシンガーが「一人の道」というレコードを出し当時かなり話題になりました。私はカセットに昔録音してあったので久しぶりに聞いてみました。
 この歌には曲間ごとに日本中が絶叫した、このヒートリーに抜かれたシーンの実況放送が入っているのですがアナウンスがテレビの実況と違うように記憶しているからです。

聞いてみると、どうやら違うアナウンスのようでした。私の記憶も定かではありませんが「一人の道」に入っている方がNHKの放送で、テープの方は民放か?ただ共通しているのはいずれのアナウンサーも「円谷がんばれ!」と絶叫している事です。



そして2004年。女子マラソンで野口みずき選手の激走に、そして日本選手の活躍に全国が声援を贈ったアテネ五輪では多くの方が熱戦をビデオに収めたと思います。しかし、そのTV観戦をしている自分の声も姿もビデオには映りません。五輪の実況だけなら何回も前の大会でも結構テレビで再放映されて見られるものです。

 40年も昔の実況と声援が今でもこんなに感動をもって聞くことができるのにTV観戦中の自分や家族の表情は一生見られません。そんな事を考えるとスポーツ観戦のビデオを記録として残すのであればテレビに向かって応援している自分や家族のアホヅラ(失礼(^^;)をビデオカメラで撮って残した方が余程記念になるんじゃないかと思った次第です。
テレビの前で思い切り大声を出してもレスリングの浜口京子選手のオヤヂみたいに国際映像で全世界に配信される訳じゃないしね(爆)

(C)Fukutaro 2004.8



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