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 焼き嵌め(2002年2月17日)にともなう『車輪』作成風景の報告です。
製作は三島市東本町の『伊東車輌』さん
(?)よるものです。


『焼き嵌め』(車輪と鉄輪の接合)についてはこちらで紹介しています。

緑町しゃぎり部会員の方からの資料提供を受けて、山車の車輪となる木製車輪の作成風景をご紹介します。

【木製の車輪の各パーツ】
車輪の各部分の名称を右図に示しました。
以下で作成されている構造と同様の木製車輪が、奈良時代の遺跡からも出土しており、近年では、飛鳥時代(7世紀)にも同様のものが作られていたことが分かっています。
以下の写真は木製の車輪に使われる各パーツです。材料には木の反りや収縮などの変化が起こらないよう伐採後40年近く経過、乾燥したケヤキやカシノキが使用されています。
各部品を作成するための型紙などはなく、これまで使用されていた古い車輪をもとにして、各部品の大きさが測られ、一つ一つ、まさに手作りで作成されています。


車輪の中央となる轂(こしき)部分
轂の拡大写真。右の輻(や)を差し込む穴が位置をずらしながら交互にあけられています。

  これは山車の車重(3〜4トン)を支える大事な工夫です。

輻(スポーク)となる部分。左写真の轂と周りの輪をつなぐ放射状に並ぶ細長い棒です。轂に空けられた段違いのホゾ穴に対応する様に輪木部との接続個所に工夫がされています。

輪木となる部分。車輪の外周を構成する部分です。製作される車輪1個あたり、9個の輪木が使われます。


【車軸の作成】
車軸となる部分が組み立てられていきます。
左の写真は、轂(こしき)に輻(や)を差し込んだものです。
【輻(や)の微調整】
車輪の中央となる轂には接合するときのための穴があけられています(はじめの方の写真を見てください)。
左の写真は、輻(や)の片端を削って「ほぞ」を作り、はめ込む部分に合わせて微調整をしている時の写真です。輻はピッタリはめ込むのではなく、ある程度のアソビを作っておくそうです。
この「ある程度」というのが職人技の領域なんですね。
【轂(こしき)と輻(や)の接合】
上記のように削りだし・微調整を行なった輻を轂にはめ込みます。はめ込みは、自動車のタイヤ取り付けと同じように、対角線上の輻同士を調整しながらはめ込んで行きます。この部分が出来上がってくると、大体の車輪の形がお分かりいただけるでしょう。

【ピンクの訳は…】
焼きばめの時に気づいたのですが、木製の車輪にはピンク色のものが塗られていました。「なんでピイクなんだ?かわいいからかな?今年のラッキーカラーかな?」などとおバカな事を思っていた矢先、しゃぎり部員の方から情報提供がありました。この各部分に塗布されているピンク色の塗料は『柿渋』だそうです。柿渋などの自然素材は、湿気があるとこれをを吸い、乾燥したときには水分を吐き出すという調湿作用に優れたエコロジーな天然素材なのだそうです。
 

【輪木(りんぎ)と輻(や)の接合】
でき上がった車軸部分に、輪木(りんぎ)をあわせ、輪木に開けた穴に輻を突き通して、ほぞで留めています。
輻にあらかじめ入れておいた切込みを、輪木の溝の長さに合わせてカットしていきます。一つの輪木には、輻を通す穴が二つ開いており、両端には各輪木を組み合わせるための溝があります。輪木どうしを組み合わせるときも、やはりある程度のアソビを作っておくそうです。しっかりと組み合わされているのですが、重量負担がかかる部分には、その負荷をにがす工夫がされているのです。

【匠の技 ここにあり!】
車輪の完成写真です。
この車輪には、釘や接着剤などが全く使われていません。冒頭でも述べたとおり、古くから用いられている工法によって作成されたものです。飛鳥・奈良時代の車輪の遺跡に対して「当時の高度な技術」という言葉で紹介されていますが、先進的なという意味の高度ではない『高度な技術』がやはりここにもあるように思います。これを見ていると、『きれい…♪』と惚れ惚れしてしまいそうです。まさに『匠の技ここにあり!』という感じです。

さて!そして・いよいよ『焼きばめ 本作業』がはじまります。

【余談】
木製の車輪は、夏の炎天下のアスファルトを傷つけたり、乗り心地が悪かったり、製作コストが高い等の問題はありますが、シャギリを叩いている時の安定性は”ピカイチ”っ!!
近年、製作コストやメンテナンス性、操作性を重視をして自動車のタイヤを流用するケースが増えているようですが、やはり、木の温か味のある山車には木車がBESTかな♪と思います。このようにして車輪が作られているのを知ると、なにやら非常にうれしく・そして何やら誇らしく、山車の上にのっている最中には、自然と笑顔が浮かんできそうです!