その先には・・・普通ではありえない光景が広がっていた・・・・・・。
先ほどまで、ベッドで横たわっていたはずの兄が、先に傍で寄り添っていた少女といっしょに
歩いているからである。
可憐たちは、瞬時・・・言葉が出てこなかったが、次には叫ばずにはいられなかった。
「お兄ちゃーん!!」
「お兄様ー!!」
「おにいたまー!!」
いや、振り絞って声を上げただけではない・・・・・・。
同時に足が前に動き出し、兄のもとへ駆け寄っていった。
その後に春歌や鈴凛たちも続いていく。
だが、声を掛けても傍に寄ってもその二人は可憐たちのことに気付かない・・・・・・。
「・・・・・・やはり、そうか・・・・・・」
例の女性はそう呟いた。
事の事情を知っていそうな口ぶりである。
当然、咲耶他全員が彼女の次の言葉を待っている。
「・・・・・・致し方ない・・・・・・ここは彼女の中の世界なのだから・・・・・・。
今のこの状況では私達は認知されることはない・・・・・・」
では、どうすれば良いのか・・・何らかの形で2人に接触できないと、ここまで来ても意味がない。
「じゃあ・・・私たちはどうしたらいいの?」
咲耶はその女性に問い掛ける。
「・・・・・・そうだな・・・彼女が興味あるものを前に示して、こちらに目を向けさせるという手がある・・・・・・」
そのアドバイスを聞いて、可憐はある考えを思い浮かべた。
「あっ!・・・何かいい香りがするものを近づけてみたら、どうかな・・・?」
「例えば、どんな?」
即座に言葉を返す咲耶に、可憐の代わりに白雪が答えた。
「何かこう・・・甘いものがいいです!
例えば・・・このお菓子とかなら・・・・・・」
白雪はエプロンのポケットに入れていたものを取り出した。
それは・・・白雪特製のチョコレートだった。
確かに甘く香しいものがある。
普通、女の子だったら大概は好きなお菓子の一つである。
そのいくつかを白雪は可憐に手渡した。
すかさず可憐はその女の子の前にそのお菓子の数々を前に差し出した。
すると、どうだろう・・・今まで兄の方にばかり向いていた彼女の目がそちらの方に移った。
もちろん目に映っているのは大好きなお菓子のみである。
その子の目にはお菓子だけが宙に浮いているように見えているようである。
だが、隣にいる兄の目にはそうは映らなかった。
『誰かがいる・・・・・・』
そう感じられてならなかった・・・・・・。
それは・・・その存在は・・・とても大切なものである・・・・・・忘れてはならない・・・・・・
かけがえのないものであるはずだった・・・・・・。
しかし、すぐに出てこない・・・もどかしさでいっぱいになってくる。
苦しさと痛みで抑えきれない感情が押し寄せてくる・・・・・・。
その気持ちがいっぱいになろうとしたまさにその時・・・・・・、
その女の子から兄に向かって言葉が発せられた。
「ねえ、兄や・・・目の前にお菓子が・・・ショコラがあるよ・・・・・・」
もう少しで可憐の姿が浮かびそうになるかどうかの瀬戸際で、その望みは一瞬途絶えてしまった。
けれども、その子が兄に向かって発した・・・『兄や』という呼び声とその声・・・・・・、
初めて聞いたとは思えないものが込み上げてくる。
それは可憐だけではない。
咲耶も雛子もそうである。
いや、本来なら聞き覚えのない春歌や花穂たちまでも・・・・・・、
そこにいる全員が頭に・・・いや心に衝撃を受けたのである。
もはや呆然とするばかりである。
薄っすらと脳裏に浮かび上がろうとしてくるが、上がりきれない・・・・・・
そんなもどかしさに苛まれている。
これはある種の痛み・・・なのかもしれない・・・・・・。
何かの代償として引き換えにしてしまった・・・・・・、
取り返しようがないもの・・・・・・。
具体的には言えない・・・抽象的なもの・・・・・・。
もうそこまで出掛かっているのに、出て来てくれない・・・・・・。
そんな辛さに追い込まれている。
でも楽観的に考えるなら・・・ちょっとしたことで転機を迎えられそうにも感じられる。
だが、逆に悲観的に考えてしまうなら、焦ってばかりで終わりを待つばかりである。
どちらにしても、自ら何か行動を起こさない限りは何も進展しないのである。
だから・・・行動を起こした・・・・・・。
可憐は・・・まず手の平に持っているチョコレートをその女の子に手を包み込むように
して渡した。
その女の子は何か一瞬温かいものに触れられた・・・包み込まれた感触を持った。
そして、次に可憐は隣にいる兄を優しく抱きしめた。
その行為は自身がそこにいることを感じて欲しかったからである。
兄も見えない誰かに抱きつかれて・・・というよりは温かいものに包み込まれている
感触を覚えた。
不思議なものである・・・・・・。
人間を含め動物とは以外にも目に見えるものよりも、目に見えないものの方が
敏感に感じられたりすることができるものである。
それは彼らに対しても同じことが言えた・・・・・・。
しかもそれが初めてものではなく、過去に慣れ親しんだものであったなら・・・・・・
はたしてどうであろうか・・・・・?
それは一種の懐古的・・・もしくは既視感を覚えるものであろうか?
いや・・・今は目に見えないのだから、“既視感”というよりは“既憶感”とでも
呼んだ方が良いのかもしれない・・・・・・。
その感覚は段々と強くなってくる・・・・・・。
『目に見えない誰かがいる・・・・・・』
その少女も同様に気配を感じ始めた。
本来はそこに存在しているのだが、ここは彼女の中の世界・・・・・・
認識するかどうかは彼女自身の意思に委ねられる。
自ら認めようとしなければその存在を確かなものに出来ないのである。
それもそのはず・・・・・・彼女のこの世界では、彼女とその兄だけが存在する
世界なのだから・・・・・・。
それはもちろん彼女自身がそれを望んだのだから・・・・・・。
もし、それを覆すとするなら、すなわちこれまでに彼女が取ってきた行いを
否定することになる。
今、彼女はその狭間に立たされている。
自分の兄がいつも自分の隣にさえ居てくれれば、あとは何もいらないのか・・・・・・。
だが、彼女も好奇心旺盛な年頃・・・なかなかそうはいかない。
可愛いものを目にしたら惹かれるし、甘くて美味しいものが目の前に出てきたら、
それに夢中になってしまう・・・・・・。
やはり、彼女だって一人の人間・・・ずっと一人の人だけ・・・もしくは一つのものだけに
固執することは出来ないのである。
よって、今の彼女の心の中は葛藤に渦巻いている・・・・・・。
本当に自分の兄だけが居てくれれば良いのか・・・・・・?
他にも大事なものを見落としていないか、失っていないか・・・・・・?
これがもし大人であったなら、自分の力で気付くこともありえるであろうが、
その一人の少女に同じことを求めるのはなかなか酷というものである。
やはりここは誰かの手助けが・・・導きが必要なのである。
それは誰なのか・・・・・・?
いや、誰か一人ではない・・・・・・。
そこに居る全員が今まさに必要となっているのである。
咲耶と可憐はお互いにそのことに気付き、それをみんなに教えあった。
もうこの世界に留まっていられる時間は残り少ない・・・・・・。
ここはもう最後の賭けで、その実行準備に皆が入っていくのであった・・・・・・。


 (第19話に続く)