MY PROFILE  

追想と寝言  

”三国一の愚か者”へアクセスしていただき ありがとうございます!


西暦2009年04月01日、このサイト(三国一の愚か者)の公開に踏み切りました。
静岡県焼津市を拠点とし 全世界へ向けて発信して行く意気込みだけの意気込みであります。


性格 / - MY PROFILE -
「百聞は一見に如かず」 と言えればカッコイイのですが実際は自分にとって興味のないものは見ようともしません。
しかしながら一度興味がわいてしまうとそれに対してけっこう執念深く やがては深みにはまって「なんじゃこりゃ〜」。
性格上 こんなたわいもない事の繰り返しです。

” そんなもんだ人生って旅は・・・ ”
〜 お父さん 〜

好きなこと / - MY PROFILE -
1: 旅   2: 二輪車(ポンポン)でのツーリング   3: スキー   4: 自然の中のウォーキング   5: キャンピング
今のところ思い当たるのはこのくらいです。


[ 索引  INDEX ]
〜追想〜
出逢い 上には上がいる 川原でバーベキュー 英会話 ウンコ袋
"Yes, I can." 知らぬが仏


〜寝言〜
不・思・議 少子化対策 対岸の火事



〜追想〜

出逢い /〜追想〜
オイラの人生に大きな影響を与えたものと言えば二輪車(ポンポン)との出合いだと思います。
運転免許を取得し先輩から借りた原付一種のポンポンにまたがって友人の家へ向かう途中 心の奥から湧き出てくる何かが
ありました。
それが ”もっと遠くへ・・・” だったんですね。
数年後 自動二輪(主に250cc のポンポン)に乗るようになり少しずつ 遠くへ 遠くへ と行動範囲も広がり
そしてまたサーキット走行や公認のレースも体験しました。
人との出会い、自然との出合い、人生いろいろな出逢いがあります。
ポンポンは走ることだけではなく 素敵なものに出逢う数多くの機会をオイラに与えてくれたと思います。
そしてこれからも・・・。



上には上がいる /〜追想〜
サーキットやレースを体験して感じたことは 「世の中、上には上がいる」 ですね。
表彰台へ上がる人間もいれば 1レースで3回もすっ転ぶ奴もいる。

Q: 「その3回もすっ転んだ方っていったい誰っすか?」
A: 「・ ・ ・ ・ ・ 」

オイラは車やポンポンを運転する時 いつも自分自身にこう言い聞かせてますよ。
「走りのことでウンチクたれたきゃ表彰台の一番高いところに立ってからにしろよな!」 ってね。



川原でバーベキュー /〜追想〜
昔勤めていた会社のバイク仲間数人と川原でバーべキューをした時のことです。
だんだん雲行きが怪しくなって来たなと思っていたらとうとう雨が降り出してしまいました。
まだこれから盛り上がるはずのバーベキューでしたが鉄板はジュウジュウなりだすし 体もだんだん冷えてきてしまって
「これでお開きかな・・・?」 なんて思っていました。
そしたら先輩の一人が 「長めの枝2本と大きい石が4つあればバーベキュー続けられる」 と言うんです。
みんなこのくらいの事でお開きにしたくなかったんでしょうね、その一言で一斉に川原へ散らばり駆けずり回り必要なものを調達して
来ました。
そしてその先輩の指示どおり動いていたら あらビックリ、鉄板の上に屋根が完成。
当然バーベキュー続行です!
結構速かったですね、あっという間でしたよ。
P.S.
調達して来た2本の長めの枝はに、4つの大きい石はペグに、今まで敷いていたでっかい風呂敷は屋根に、
そして持参していたビニールひもは屋根を張るためのロープに代用。

この時 「こんなやり方があるんだ」 と初めて知りました。
これってすごいと思いません?
持っていた物は風呂敷とビニールひもだけ、あとは現地(川原)で調達ですからね。
そして何よりも その先輩が持っていた知識と経験と技量が無ければあのバーベキュー 間違いなく途中でお開きだったんですから。

物質的なものはお金で買えますが 知識、経験、技量 はお金では買えません。
オイラは何故かこのお金で買えないものってメチャクチャかっこいいと思ってしまいます。

それからと言うもの OUTDOORS (アウトドアーズ)に魅せられてしまい 「いつかはデッカイ国立公園だよな」
なんてまた病気が始まっちまったかな?



英会話 /〜追想〜
やはり病気が始まっていたんです。
「たとえ短い期間であっても どっぷりとアウトドアーズを体験してみたい」なんて思いが体中から込み上げて来るようになり
本屋へ行ってはそれ関係の雑誌や本そしてガイドブックを購入し暇さえあればペラペラ見てしてました。
そして自分なりに大まかなプランを立て 何やら一人で「ブツブツ・・・」。
「行き先はカナダのブリティッシュ・コロンビアかオーストラリアのアエーズ・ロックが見える国立公園がいいな」
「期間は仕事の関係上、出発日と帰省日を含めて10日〜14日間が限界かも?」
「そして出来るだけ少人数のパーティーで絶対ガイドはそのサイトにすっごく詳しい現地の人間(ネイティブ)だよな!」
なんて おっかしいでしょ?

しかしながらここで問題発生。
オイラ 日本語以外の言語をまったく話せません。
最悪です!

こんなたわいもない理由からひとりのアホが英会話の領域へ足を踏み入れる事となりました。
本人も含め誰一人予想もしなかった出来事でしょう。

英会話のレッスンを始めるまで少々時間がかかりましたが やり始めたら意外と面白いんです。
便所でウンコをひりながらワクワク・ドキドキ気分で英語の辞書をめくっている自分に気付いた時は思わず笑ってしまいましたね。
学生の時は英語の辞書といえば枕か踏み台だったのに。
「好きこそ物の上手なれ」ってとこかな?

20代も終わりを告げているころ半信半疑で始めた英会話、そしてあれから約3年。
アホが独りイングランドにいました。
P.S.
オイラにとって英会話とは自分の好きな事、やりたい事をさらに楽しむための”道具”です。
この "TOOL"、持っていて全然邪魔にならないし重くもありませんので是非皆さんも一ついかがでしょうか?



ウンコ袋 /〜追想〜
オイラの住んでいる地域でも犬の散歩と言えばウンコ袋が必需品となっています。
”ウンコ袋”(散歩の途中、犬がひったウンコを飼い主が拾って入れておく袋の事)
尚、正式名称を知らないのでここではウンコ袋と呼ばさせていただきます。

最近の飼い犬たちは上品になったのか ウンコをひった後 主人が拾ってくれるのをおとなしく待っています。
そんな光景を見て「私も下品のままではいけない!」と 犬たちにその都度勉強させられます。

オイラの○○○の周囲にもまだ○○○○と呼ばれるものが存在していなかったころ 家(うち)でも犬を飼っていました。
オイラと違って これと言った芸のない雄(オス)の柴犬です。
しかし彼もまた「あいつより俺の方がマシだ」と思っていたに違いありません。

当時 この地域では犬の散歩の時 ”ウンコ袋を携帯する” と言った習慣はありませんでした。
たぶん周りを見渡せば ほとんど田んぼと小川のある土の多い所だったからだと思います。
大雑把に説明すると 生活道路以外の道はアスファルトも所々剥げ落ちて穴ぼこがあり両サイドには背丈の低い雑草が生えている
あぜ道くらい(車一台がやっと通れるくらいの幅)、そして小川には左岸、右岸ともに土手があり未舗装で草木が大量に
茂っていました。
そして土手のセンター部分は人やたま〜に自転車が通るせいか ほぼ平らになっていたので犬の散歩コースには打って付けの
サイト(地域)だったと思います。

どこの家の犬もそうだったのですが、犬ってウンコひった後 後ろ足で自分のウンコに土や砂をかけるんですよね?
家のこれと言った芸のない雄の柴犬も同様、威勢良くやっていましたから・・・。

そんな訳で たまの検便の時はもう大変!
初めての時なんかウンコ採ってる最中に後ろ足で蹴られるはウンコ付けられるはで全然うまくいきませんでした。
さらに採取しやすい場所ではウンコせず ほとんど土手の草むらの中なんですから。
でも今となってはその事がすっごく懐かしい想い出となりました。

将来 犬の血統書の条件の一つとして ”自分でひったウンコに後ろ足で土や砂をかける” なんていう項目が人の都合で
勝手に作られたとしたら思わず笑ってしまいますね!
でも冗談ではなく本当にそんな時代が訪れたとしたら ちょいと寂しいです。



"Yes, I can." /〜追想〜
長野県のあるスキー場での出来事です。

ゴンドラを降り 緩やかなスロープを30メートルほど下ると分岐点があるんです。
(そのまま まっすぐ進むと ”中級者コース” そして左へ行くと ”初心者コース”)
オイラはこのころスキーを始めたばかりで どうしても中級者コースへ入る勇気がありませんでした。
綺麗なお姉さんたちや小さい子供までもが爽やかな顔をして当然のようにまっすぐ入って行くのに
「あ〜あ、アチキはまた左ですか・・・」。
そんな愚痴をたれながら ふと右を見るとレストランがあることに気付きました。
まだ昼飯にはぜんぜん早い時間でしたが このまま左へ行くのもしゃくだったんでとりあえず右のコースを選択。

スキー場で飲むビールはうまいですわ〜!
あの味気無いおでんでさえも美味しいつまみにさせてくれますから。
なんかスキーに来たのか飲みに来たのか分からなくなりましたよ。

そうこうしている間に友人たちとの待ち合わせ時間が近づいて来ました。
場所はずっと下にあるゴンドラ乗り場です。
「ほんじゃ そろそろ行くか!」と このレストランを後にし そのまま まっすぐ初心者コースへと滑り始めました。
でも中級者コースへの思いがあったのかチラリと右肩越しにそちらの方を見た瞬間、「アレッ!」と思い即一時停止。
そしてこのコースを再度見下ろしてみたら「なんか行けそうじゃん!」と感じて来たのです。
約1時間前の自分とは明らかに違っていました。
「行っちゃおうっかな〜?」「どおしよっかな〜?」なんて考えているのもつかの間 「行っちゃいましたー!」。

生まれて初めての中級者コース完走です!
この瞬間 何はばかる事無く "Yes, I can." 「イエス・アイ・カン」でしたね。

きっと一杯引っ掛けた勢いがオイラの願いを叶えてくれたのだと思います。
飲酒も付き合い方しだいでポジティブにもネガティブにもなるところが憎い。

P.S.
英語で酒の力を借りることを DUTCH COURAGE (ダッチ・カリジ) と言ったりします。
時間があった時、この言葉を構成している2つの単語の意味を調べてみると面白いですよ!



知らぬが仏 /〜追想〜
オイラが生まれて初めて異国(外国)と呼ばれる土地へ足を踏み入れるときの話です。

成田空港からヒースロー空港(イングランドのロンドン)までのあっと言う間の12時間を終え ヒースロー空港のイミグレーション
(イミグレ)の前に並ぶ人の列に加わりました。
案外早く自分の番が回ってきたのでとりあえずイミグレのお兄さんに「こんにちは」と爽やかな挨拶をし パスポートを差し出しました。
彼が「どんな目的で・・・?」と尋ねてきたので今回のイングランドでの目的を出来るだけ詳細に説明しました。
もちろんこの説明の中にはオイラが1年間の滞在を希望していることも含まれています。

しかしながら彼は「滞在許可は3ヶ月間だけです」と言ったのです。
びっくりしたオイラは直ぐに「ちょい待ち 滞在希望は1年間だよ」と言い返しました。

こんなやり取りが30分くらい続き 彼も熱くなってきたのか彼の話す言葉が異様に速くなってきました。
オイラはその会話のスピードについていけなくなったので その事を彼に告げると彼は「ちょっと待っててくれ」と言って席を立ち
1,2分して女の人を連れて戻ってきたのです。
そう、この女性は日本語を話せる通訳なんです。
こんな訳でオイラはこの女性にも自分の英国での目的(こころざし)を熱心に伝えました。
そして彼女がこのことを彼に説明してくれた甲斐があってかイミグレのお兄さんが 「1年はやれないが6ヶ月ならやる」と言い
あきれた表情でパスポートにサインをし、印鑑を打ったのです。
オイラは少々不満でしたが とりあえず「ありがとう」と言い残し そしてノーリッジへと向かったのでありました。

英国での生活に少し慣れてきたころノーリッジで日本人たちと出逢い その足でパブへ行きました。
そこで上記の出来事を彼らに話したところ彼らはオイラに「○○さんはスゴイ!」と言ったのです。
だから「えっ何で?」と 問い返したら彼らが英国のビザのことについて説明してくれました。
” ゲゲゲッ そうだったんすか〜”

彼らが言うには、英国へ入国するときイミグレでビザを取得する場合 普通は観光ビザとなり滞在期間は3ヶ月間なんだそうです。

オイラはこの事実を知った時 あのイミグレのお兄さんと通訳のお姉さんの顔を思い出し 彼らに対してホント感謝の気持ちで
いっぱいになりました。

そしてこの後 ビザの延長を2回(3ヶ月x2回)済ませ 英国に1年間滞在することを達成しました。



〜寝言〜

不・思・議 /〜寝言〜
毎日のようにメディアで取り上げられ 今後もこの調子で続くであろう ”地球温暖化問題”。
その原因はもう誰もが知っている温室効果ガスの増加。
P.S.
京都議定書 [Kyoto Protocol] で取り上げられている温室効果ガスの一種。
1: 二酸化炭素(CO2)、
2: メタン(CH4)、
3: 亜酸化窒素(N2O)、
4: ハイドロフルオロカーボン類(HFCs)、
5: パーフルオロカーボン類(PFCs)、
6: 六フッ化硫黄(SF6)

二酸化炭素 (CO2) の大気中濃度は18世紀の産業革命を堺に年々急激に上昇しているそうです。
このデータから推測するとやはりその原因はオイラたち(先進国と呼ばれている国に住む人間)でしょうね。
近年 CO2 を削減しようと CO2 を吸収してくれる 「自然(森林やそこに生息する生き物)を保護しよう」 という運動や活動も世界各地で
起きている。

もう少しでオイラの住んでいるここ静岡県にも空港が開港されます。
私事でスンマセンがこの事でチョイト疑問を持ってしまいました。
何故 CO2(温室効果ガス)を大量に排出する航空機を歓迎するために CO2の削減に貢献している自然
(そこに生息していた動植物たち)を迫害し壊してしまうのでしょうか?
開港にあたり問題となったあの立ち木だって CO2 の削減に貢献していたのでは・・・?
片方で「削減」と言いながら もう片方で「増加」に加担しているのがとっても 不・思・議。

「静岡空港が必要か必要ではないのか?」 その是非を問う住民(県民)投票を行うという話もあったけど自民党と無所属の
議員さんたちが頭数にものをいわせ投票をやらせなかったのも事実(住民投票条例案を否決)。

こんな不思議を抱えながらこのお国でまだ数十年も暮らして行かなければならないと思うと いっそのこと”京都議定書”に関しては
自由と正義のアメリカ合衆国と足並み揃え ついでに赤字国債バンバン発行、「しかしながらその負債はどうすんの?」 と問われたら
40年か50年後あたりへポイとまるなげで一件落着。
「この世代で食いつぶしてしまいましょうぜ、旦那!」 なんて考えてしまう今日この頃。

” どうやって直すのか分からないものを壊すのはもうやめてください ”
〜 SEVERN CULLIS-SUZUKI / 地球環境サミット 伝説のスピーチより 〜

2009年04月01日 現在


少子化対策 /〜寝言〜
なぜか ”少子化対策” という言葉を聞くと ”負の遺産受け入れ対策”って聞こえてしまうんです。
いっぺん耳鼻科で診てもらったほうが良いのでしょうか?

” 溺れかけているものたちへ 穴の開いた浮き輪を投げるのはもうやめてください ”
〜寝言〜

2009年04月01日 現在


対岸の火事 /〜寝言〜
“ 普天間問題 ” という言葉を最近新聞やニュースでよく見かけます。
アメリカ軍基地を何処へ移転させるかでもめているらしい。
この件に関しては「ずっと南の方で起こっている問題」で済ませてしまう方もいるかも知れません。
でも普天間の人達にとっては命にかかわる重大な問題だと思います。
なぜなら毎日爆音立てた人殺しの道具が頭の上を飛び交っているのですから。
今 普天間基地に限らず全国にある基地周辺の人達に 「幼年期、少年期の想い出は何ですか?」 と尋ねたら その内の何人かは
「戦闘機、ヘリコプター、爆音」なんて答えるかもしれません。
こんなこと考えるとオイラは幸せだったと思います。

皆さんも知っているようにこの国(日本)でアメリカ兵による窃盗、殺人、強姦などは戦後からずっと当たり前のように起きています。
つい最近沖縄で道路を歩いていた日本人をアメリカ兵が車で跳ね飛ばし殺したニュースを見ました。
でも基地内に逃げ込んだ人殺しのアメリカ兵を日本の警察が逮捕し 日本の法律で裁くことは難しいそうです。
だから そのアメリカ兵も母国へ帰ってしまえば何のおとがめもなく爽やかな暮らしに戻ることでしょうね。
こんな事を日本政府は日米同盟の一環ということでこれからも国民に受け入れさせ続けるのでしょうか?
悲しいかなこれからも続くと思います。
なぜならオイラを含め ほとんどの日本国民はこの問題に関して高みの見物者なんですから。
一部の人間(日本国民)を犠牲にして成り立っているこのお国の平和、
そしてこの平和にどっぷり漬かってしまっている自分が時々いやになりますよ。



このお国も綺麗事なんか言ってないで今のところ史上最強といわれる兵器を保有しちまったらどうでしょう?
素人な意見で申し訳ありませんが 使えば終わりですが使わなければドンパチのない状態を保っていけるのではないかと思います。
時々“非核三原則”という言葉を耳にしますが結局は今現在アメリカ合衆国が保有する核兵器、大量破壊兵器の傘下で
このお国の安全保障は保たれているのではないのでしょうか。

戦争とはいったいなんでしょう?
オイラは戦争とは人殺しゲームではないかと思えてなりません。
なぜなら戦争にルールがあるからです。 (オタワ条約やジュネーブ条約など)
「戦争(人殺し)にルールなんか付けるくらいなら最初からやるな!」と言いたいですね。

最後に一寝言、 「このお国(日本)から米軍基地がなくなることを強く望みます!」


♪ 愛は時に あまりに脆く ♪
♪ 自由はシステムに組み込まれ ♪
♪ 正義はバランスで計られ ♪
♪ It's A NEW STYLE WAR ♪
〜 浜田省吾さん / A NEW STYLE WAR 〜

2009年12月09日 現在