町の歴史へ

棚田の開墾        
 前向集落から蕨野一帯の棚田は、明治時代に松野松太郎という人の主唱で開墾されたと伝えられています。
  平地の少ないこの地で、これだけの水田を開発した先人達のたゆみない努力にただ、頭が下がる思いがします。(江戸時代は村高152石〜240石あったとされる。)
  多いときは400枚以上を数えた田圃も、今は少子高齢化の影響で減少傾向にありますが、このような風景がいつまでも残ってほしいと思います。       
寄田林道 からの棚田
写真の棚田は平成13年頃のもので、今は、かなりあき田が目立つようになってきています。
蕨野にある耕地整備記念碑(昭和3年建立)
主唱者 松野松太郎氏の名前(赤線の部分)
轟川上流部にある用水路取入口(左奧の石垣付近)
棚田から約3kmの轟川にある。
  
薩摩川内市歴史資料館の資料によると名称は「轟川赤仁田井堰」とある。
寄田林道脇の用水路
右奧の山腹にも用水路が引かれている。
(写真は2009年5月の水入れ日に撮影
寄田町の田の神
棚田西側の寄田林道沿いの「田のカンサァ」
薩摩川内地方に一部見られるものと同じような人の形をしています。
山之口の男女双体?の「田のカンサァ」
胴体部分がだいぶ摩耗しています。
土川の頭に被り物をした「田のカンサァ」
県道43号線直下の土川川沿いにあります。