戦後開拓(旧川内市寄田町) | |
食糧開拓のための移住 | 食糧増産のための田畑の開墾 |
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終戦後、食糧増産の目的で寄田町の中心地から東に約5Kmの位置にする岡山地区(写真右端)に10所帯ほどが移住し、山に囲まれた僅かな開豁地(原野)を開墾し生計を営んだ。 集落の方々特に学童は寄田林道を町の中心地にある小学校と東シナ海沿いにある中学校まで歩いて通った。帰りは坂道の連続で大変であったと思われます。 この集落の方々は高度成長の兆しが見えた昭和30年代後半ぐらいから逐次、町の中心地、川内市街、県外に移転し昭和40年代後半には廃墟となった。 筆者が数年前に帰省した折、集落跡に訪れようとしましたが、轟川の支流入口(ウヤマ)から先が荒廃しており先に進むことができませんでした。 |
終戦後は、日本全体が深刻な食糧難でサツマイモは貴重な食糧のひとつでした。 町では山林を伐採して畑を開墾し、主にサツマイモを栽培して生計を営んだ家が多かった。 写真は、昭和30年代の寄田町池ノ段集落の様子ですが、集落周辺に開墾された畑が多く散見されます。 収穫したサツマイモは町で唯一の澱粉工場に持ち込んで収益をあげていました。 現在、これら畑は少子高齢化で耕作する人もなく、山野に戻りつつあります。 |