町の歴史

旧日本海軍天狗鼻望楼跡
 場    所    鹿児島県薩摩川内市寄田町1094番地ー乙
  設置の経緯

 日本海軍が日清戦争後の1900年、沿岸防備のため設置した望楼で佐世保鎮守府管轄下に属していた。
 日露戦争時はバルチック艦隊の監視にもあたり、1905年の日露戦争戦争終結に伴い廃止された。
 配置人員は望楼手の他5名、この辺境の地で雨の日も風の日も坦々と勤務していた防人の気持ちはどういうもであったのか今は知る由もない。
↓望楼入口
入口は人間1人が出入りできる幅しかない。
↓望楼内部
内壁は煉瓦が規則正しく積まれており、中程に床をはめ込んだと推測される切れ目が2本あった。四角の枠が監視口でその枠には窓の蝶番の跡が残っていた。
↓望楼の正面(海側から)
望楼上部には掩蓋化された屋根があったものと推測され、内側に煉瓦が崩れ落ちていた。
↓望楼からの眺め(1)
望楼の正面(西方向)への眺めで、遠く見える島は東シナ海に浮かぶ甑島、ここから一番近い上甑島まで距離約22Km
↓望楼からの眺め(その2)
こちらは南側への眺望で、天候が良ければ薩摩半島の野間岬まで見渡せる。左遠くの小島は羽島沖の沖之島
↓通信施設(控え所)跡?
望楼の後方約80mの位置に10m四方の皿形の凹地があり、そこで建物の礎石を発見、資料によると望楼に無線電信が装備されていたことから通信施設の可能性も。
↓ 日本最北端の地、宗谷岬に現存する旧海軍の望楼(2008年7月撮影) 参考

  設置されたのは1902年で天狗鼻の望楼よりも2年ほど後である。
 バルチック艦隊の侵攻時期、方向を考慮し天狗鼻を優先設置したものと思われる。
 構造は2階建てだが、正面からみると天狗鼻の望楼と似ている。
 最上部の展望台は、観光用に後から増設されたものかあるいは最初からのものか不明。