三尺棒踊り
![]() 棒踊りの様子(平成2年頃 蕨野) |
棒踊りの由来 新田神社のお田植え祭りに奉納されるこの踊りは、終戦後しばらく途絶えていたが、その伝統を町の青年団が中心になって昭和46年に復活した。 歌い手2.3人が団扇で顔を覆うような格好で「オーセーロー」と一音節一音節を長く引っ張って、ありったけの声で歌うと、17.8名の若者が手にした三尺棒を振り上げ、打ち下ろし、棒と棒を打ち合い、あるいは飛び越え地面を叩くなど、一糸乱れぬ動作はみごとな集団美である。 由来は鎌倉時代に始まるというが定かでない。各地で戦乱が相次ぎ農地荒廃、賦役頻繁の中、自衛のための武器所有も許されずという有様で、農民は六尺(約1.8m)又は三尺(約90Cm)の棒で護身するしかなかった。(三尺棒、つまり乳の高さまでの棒を乳切木(ちちりぎ)、薩摩川内市では「チキイボ」ともいい、物を担いだり、護身に用いた) もともと武術の一種ともいわれるが、一説には田打ち行事のひとつで、地面を叩いたり地面を突くのは、田開きでの虫追だとする農耕儀礼説もある。 (寄田町の菅原神社にある説明板より抜粋) |