民商とは

民商はいかにして誕生したか

 民商(民主商工会)は、戦後の復興期に誕生しました。戦前の納税者人口は全人口の1.6%しかありませんでした。ところが戦後になってからは、税務署から一方的な重税が押し付けられる凄まじい重税の嵐の中で25.6%に増えました。当時は、寝ている病人のふとんや腕にはめている時計まで差し押え、トラックで引き上げてすぐ競売、そういう暴挙がアメリカ占領軍の立会いのもとで行われ、「カラスの鳴かない日はあっても、税金苦自殺者の出ない日はない(新聞報道)」という状況でした。

 そうした中、中小零細業者は、自らの営業といのちを守るために立ち上がり、各地に「民主納税会」「生活擁護同盟」「納税民主化同盟」「民主商工会」といった名称の組織が生まれていきました。自覚的な中小業者によって各地に作られたそういうさまざまな組織は1951年(昭和26年)8月に全国商工団体連合会(略称:全商連)を結成、翌52年3月には「日本商工新聞」(現在の全国商工新聞)を創刊しました。

 富士宮民主商工会は、清水民主商工会の富士宮支部として始まりました。その後、昭和49年(1974年)10月富士宮市内の淀橋区民館で創立総会(第一回総会)をおこない富士宮民主商工会が設立され、昭和56年8月に現在の宮原の地に自前の事務所を建設。創立当初から富士宮地域の中小業者の営業と生活を守る活動を続けています。

民商はどういう団体か

民商は、さまざまな業種の自営商工業者を広く結集した組織です。中小業者のための団体には商工会(商工会議所)、同業組合、商店街などさまざまありますが、民商・全商連をひと言でいうと「自的・民主的団体」ということができます。商工会などは国の補助金で運営され、活動範囲は法律で決められ、基本的には国の政策の推進を役目にしています。同業組合などは、扱うのは業界の問題に限られ、解決も制度のわく内という限界を持っています。民商・全商連は国や自治体からいっさいの補助金や援助を受けていません。運営財政は会員の納める会費と商工新聞購読者の紙代によってまかなわれています。組織の運営は会員の要求と自覚を基礎に、必要な資金はみんなで出し合い、自主的・民主的に行われます。ですから、どういう運動に取り組むか、会をどう運営するかは、会員みんなが意見を出し合って決めます。だれに対しても遠慮なくものが言え、仲間同士で力を合わせて活動できます。また、思想、信教、政党支持、政治活動の自由は尊重し保障されます。

全商連は、地域を活動の単位とする民商の県連合会を結集した全国的な連合会組織です。

富士宮民主商工会(民商)静岡県商工団体連合会(県連)全国商工団体連合会(全商連)

 重税に反対し、納税者の権利を守ってきた運動と実績(「税金に強い民商」と言われる訳)

  日本の税法は事業主や家族の働き分を経費として認めていません(=所得税法56条。ただし、青色申告にした場合に限って一定の同居家族について「給与=制限がある」を認めている)。わたしたち民商・全商連は「中小業者の自家労賃を認めよ」の要求運動を一貫して政府に対し続けています。

☆1953、54年には事業税撤廃の要求で、多くの業者団体とも共同して運動。「事業主控除」を実現しました。

☆1960、61年には「自家労賃を認めよ」の運動で白色申告者にも「専従者控除」を、青色申告者に「事業主報酬制度」を創設させました。

☆1962年国税通則法案が国会上程されたときも業者団体・労働者とも力をあわせ、その不当性を宣伝。記帳の義務を削除させるなど一定の最成果をあげました。

☆政府の大型間接税導入計画に対して、1979年の秋、民商・全商連は450万人分の署名と日本武道館での2万人集会成功による世論の盛り上がりを作り出し、自民党を総選挙で大敗させ、一般消費税(大型間接税)は作らないとの国会決議を勝ち取りました。86年には全商連も加盟する、全国中小業者団体連絡会(全中連)が東京・明治公園で2万人の大型間接税導入反対集会を開催しました。翌年公約違反で自民党が導入を狙った売上税(大型間接税)を廃案にさせました。しかし、廃案と同時に「直間比率の見直し」を名目に共産党を除く与野党で設置が合意された「税制改革協議会」が大型間接税を許す火種となり、自民党は88年12月の臨時国会で一部の野党をだきこみ、消費税法を成立させました。

 所得が低いほど負担が重くなる消費税は最悪の大衆課税で、中小業者には転嫁が困難な営業破壊税になっています。いま、政府や財界はこの消費税の税率を2ケタにすることを計画しています。民商・全商連は、「大増税反対・消費税を廃止せよ」を掲げてねばり強く運動を続けています。

☆日本の税法では、国民こそ主人公の立場から、自分の所得は自分で計算して申告することによって確定することを基本にしています(国税通則法16条)。私たちはこの民主的な権利にもとづき、「納税者の権利」「日常的な自主計算活動を」パンフなどで学び自主計算・自主申告の活動をすすめています。そして税務行政の民主化を求めて「納税者権利憲章」制定の運動にもとりくみ、自主申告を守るために毎年3月13日には「3.13重税反対全国統一行動を行っています。私たちの民商ではこの日、集会(富士宮市民文化会館が多い)と集会場から集団申告受付所(富士税務署の署員が待っている)である富士宮市役所までのパレードを行っています。

☆税務調査では調査に選定された会員を仲間の会員による立会い(税務署員が不当な調査を行わないように監視)を行い、営業・利益を守ります。⇒(リンク=税務署との確認事項

☆税務調査、融資等に対応できる記帳ができるように、記帳指導も充実させています。県内民商が共同利用利用しているコンピュータ会計システム(ホストコンピュータは浜松市にあり、富士宮民商とはオンラインでつながっています)もあります。

多彩な要求運動

☆今では当たり前の制度となっている「無担保・無保証人融資制度」。1965年、不況におそわれた山一證券などに政府は「無担保・無保証人・返済期限なし」という救済融資をしました。わたしたち民商・全商連は、全国各地で「中小業者にも山一なみの融資を」と運動し、「無担保・無保証人融資制度」をとりあえずは革新自治体でつくらせ、それが全国に広がり今日に至っています。

☆最近でも、バブル経済崩壊後の戦後最悪・最長の不況のなかで、「中小業者に仕事を、資金を」と運動して、1998年に金融機関の貸し渋り対策として「中小企業金融安定化特別保証制度」を実施させ、2002年には各地の自治体に借換融資制度を創設させ、政府にも特別保証も対象にした借換融資制度を創設させました。

☆深刻な不況のなかで、悪質な商工ローン、サラ金、ヤミ金などによる被害が広がっています。全商連は「商工ローン問題解決の緊急提案」(1999年)を発表して社会問題にして、貸金業法や出資法を改正させました。また、多重債務被害者がみずから立ち上がれるように励ましながら「道場」のとりくみもすすめています。

☆私たち中小業者にとって大企業は横暴きわまりない存在です。民商・全商連は、公正な取引ルールを求める運動を進めています。親企業が下請け工賃を引き下げたり、仕事の一方的な打ち切りをおしつけてきたときには、通産省(現在の経済産業省)や中小企業庁、大企業と交渉し、「下請振興基準」を改正させました。下請業者に対する工事代金未払なども、建設業法などを活用して元請会社に立て替え払いさせています。こうした運動を通じて、2003年には、「下請代金支払遅延等防止法」「下請中小企業振興法」の2法を改正させました。

☆経営問題については、会員の「商売を伸ばしたい」「よい仕事をしたい」という要求にこたえるために「商工交流会」など経営対策を強め、情報交換やネットワークづくりを進めています。他団体とも力を合わせて、地域経済の振興をはかるとりくみをしています。

☆1990年代から政府による規制緩和や「構造改革」がすすめられ、国民・中小業者はリストラ、失業、倒産に苦しめられ、中小業者は「仕事がない」「モノが売れない」状態におかれています。そうした中で民商は「困っていない業者はいない」「すべての業者に声をかけよう」の立場から、「なんでも相談会」を開いています。「あったか民商」として仲間同士の助け合いを広げながら、会外の中小業者も巻き込んだ「なんでも相談会」は、苦境に立つ中小業者の切実で具体的な要求解決にあたっています。

     民商の通常業務は会員の要求に基づき定式化しています。⇒(リンク=業務案内

平和問題での民商・全商連の立場

☆民商・全商連は憲法を守り、「百害あって一利なし」の日米安保条約をなくす運動を進め、アメリカの起こす戦争に日本も加担させる有事法制の発動を許さない運動に取り組んでいます。民商の立場は「平和でこそ商売繁盛」です。

☆1954年におきたビキニ被災で民商が始めた「水爆実験反対」の署名運動は、その後、全国的な運動へと広がりました。

☆1960年には「日本を戦争にまきこむ日米安保条約に反対」と多くの会員が「閉店スト」に立ちあがりました。

☆2004年に小泉内閣は、憲法を踏みにじり戦争状態のイラクへ戦後初めて自衛隊をはじめて派遣しました。民商・全商連は、自衛隊のイラクは派兵にも憲法「改正」にも反対しています。

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