今月のメッセージ 124-060403
「失敗に学ぶ」
一部「ハーベスト」2005年10月号より参照

  「失敗学」の日本での先駆者と言われる畑村氏(工学院大学教投、東京大学名誉教授、工学博士)は「失敗には、未知との遭遇による『いい失敗』と、人間の怠慢による悪い失敗の2つがある。重要なことは、不可避である『いい失敗』から物事の新しい側面を発見し、仮想失敗体験をすることで『悪い失敗』を最小限に抑えることである。失敗や事故が隠蔽され、教訓として生かされないまま同じことが操り返されるなら、社会的な損失は計り知れない」と、まことに興味深い有意義なことを述べておられる。

  聖書をみると失敗例がたくさん書かれている。例えば、信仰の父と言われるアプラハムも自分のみを守るために、妻サラをファラ王に乞われるまま差し出してしまうと言う失敗を冒し、また信仰の勇者と賞賛されるダビデも自分の部下ウリヤの妻と姦淫の罪を犯してしまいました。更に、イエス・キリストの12弟子の一人でリーダー格と目されていたペテロも、イエスがユダヤ人の祭司長達の妬みをかって捕らえられた時、「私はそんな人知らない」と、ものの見事にご丁寧に3度もイェスを裏切ってしまいました。またもう一人の弟子ユダは銀貨30枚でイエスを売ってしまいました。

  これらの失敗が聖書に赤裸々に書かれているのは、その失敗の中から私達が学ぶためであると言えましょう。
  それは第1に、私達はどんな人でも利己的になり易いと言うこと。自分の立場が危なくなると他人を裏切ってでも自分の身を守ろうとしてしまう自己中心的存在である。第2に誰しも、誘惑に弱いと言うこと。特に男性は異性の誘惑に弱い存在であり、ほとんど例外なく全ての人が金銭の誘惑に弱い存在であることを教えているのではないでしょうか。現にテレビや週刊誌はその事の話題には事欠かないほど。
  それ故に、聖書は「義人はいない一人もいない」(ロマ3:10)と告げ、「すべでのは、罪を犯したので、神からの栄誉を受けるごとができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです」(ロマ3:23,24)とイエス・キリストによる救いの道を示しているのです。


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