今月のメッセージ 88-020603
自分探しの青春     牧  師:永 山  進

ある小冊子に「大学を卒業しても就職しない学生が増えている。・・彼らは、概して有能な学生であり、不況のゆえに就職できないのではない。そんな彼らの共通のセリフは、やりたいことが分からないのです」とあった。また、折角就職しても、数年で仕事を辞めてしまう人も増えているとか。彼らに共通することは「自分探し」であると言う。自分が「生き生き」できるものを求め、「自分とは何であり、どんな存在意義を持っているのか」を見出そうとしているそうだ。

この記事を読んで、30年前の自分のことを思った。私も、折角就職した大会社を4年で辞めた。その後、あてもなく外国へ飛び出し、ヨーロッパ、アフリカ、中近東、アメリカとさ迷い歩いた。あれも、自分探しであり、自分の存在意義を見出す為の放浪生活であったと、今思う。

幸いにも私は、アメリカで教会に導かれ、聖書にふれることによって、自分がどのようなものであるかを知り、人生の究極的意義を見出した。その結果、自分でも信じられないような、牧師と言う職に就き、20年が過ぎようとしている。
振り返ってみれば、若い時に「自分探しの旅」に出たことは、本当に良かった。青春時代に、人生の根本的な問いに真剣に取り組むことは、大切なことと思う。

聖書に「人はパンだけで、生きるのではない」、とある通り、人間は、単に衣食住が足りれば満足するかと言えば、そうではない。パスカル(フランスの思想家であり科学者、後にクリスチャンとなる)が、「人の心には、真の神だけにしか、埋めることの出来ない空洞がある」と言っているが、その通りと思う。
現代人、特に日本のような、物に満ち溢れている社会においては、より一層虚しい心の空洞を満たすものを求めているのではないだろうか。

その様な飢え渇きを持っている方がいらっしゃったら、是非、聖書を読んで戴きたし、教会へ足を運んで下さい。きっと、すばらしいものを発見するに違いありません。
求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。叩きなさい。そうすれば開かれます」 聖書


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