今月のメッセージ 79-010903
僕の名はもうどう犬     牧  師:永 山  進

だいぶ前に、ある新聞に、習志野市の小学4年生になる沢瀬正幸君の作文が紹介されました。「ボクのあだ名は、もうどう犬」という作文でした。正幸君のお父さんは、視力がゼロに近く、お母さんもかなりの弱視だそうです。
「ぼくのお父さんは、はり、灸、マッサージをして働いています。目が見えなくてもよく遊んでくれます。口ぐせのように、「人には親切にするんだよ、いじわるするなよ、うそをつくことだけは覚えるなよ」と言います。
ボクはそれを守っていますが、いつも心配なのは、お父さんが夜おそく仕事に行った時です。雨の音で自動車が来るのがわかるかな、風で何か飛んできてケガしないかな、と心配で、早くねむれません。救急車の音がすると、お父さん、事故にあったかなと思ってむねがドキドキして、頭もガーンとなってきます。お父さんは仕事に行く時、ボクがよく送っていきます。
それと、ボクは犬年なので、みんなに『もうどう犬』と言われます。早く大きくなって働いて、お金をためて、お父さんにあげたいと思います。」
最近よく、キレる子が多いと言われます。ちょっと注意しただけで、相手を殴る蹴るして、時には死に至らせてしまうと言う事件も珍しくありません。また、自分の事だけしか考えず、電車の通路に座り込んで、他人の迷惑もどこ吹く風と言う高校生が増えてきていると言われます。
そんな世相の中で、正幸君のような子がいるということは、心が温まる思いがします。
戦後、日本の学校教育は世界でもトップクラスと言われるほどになりました。しかし、人間として、単なる知識の詰め込み以上に大切な心の教育については、果たしてどれだけの評価が得られるのでしょうか。
聖書には世の終わりの兆候について「・・不法がはびこり、多くの人の愛が冷えるであろう・・」(マタイ 24:12)と預言されています。
新ミレニアムを迎えましたが、その分終末も近づいています。
「・・あなたはあなたの神に会う備えをせよ。」(アモス 4:12)と警告されていることを忘れないでください。


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