いつもの病院の帰りの電車の中で
二組の母親と子供連れ
子供が走り回って騒いでいても、気にするふうもなく奥さん同士でお話に夢中な母親たち
小奇麗に着飾っていても台無しだね、かわらない社内の風景
そこに、違う母親と子供がやってきて、さっきの子が行ったりきたりして2箇所の椅子を占拠している空いた椅子を指差して
そこに座ろうって母親に訴えるんだけれど、そのお母さんの方は、手話でダメよってたしなめてる
よく見たらその子の耳に補聴器みたいなのがついてた
多少納得がいかなかったみたいだけれど、お母さんに促されて我慢しているその子
やがて、車内が空いてきて、完全に空いた席に、その親子が座ったんだけれど
どうやら、お母さんも耳が不自由みたいで、ずっと手話で子供と会話している
けれど、なんというか、そのお母さんの笑顔がとてもステキで
きれいな服を着ているわけでもなく、きれいにお化粧をしているわけでもなく
どちらかというと着擦れた感じの服で、殆どノーメークだったんだけれど
輝いて見えた、包み込むような優しい笑顔をしていた
どんな障害があっても、それを感じさせず、普通の人以上に、やるべきコトをキチンとやって、明るく輝いている
わたしは、何が出来ている?明るく出来ている?
その親子を見ていて、ココロのモヤモヤが、少し晴れたような気がする
午後の車内に、斜めから暖かい日差しが注いでいて、その親子を暖かく包み込んでいた
その子のポケットから、どんぐりが一つこぼれ落ちて、それをお母さんが大事そうに拾い上げると
その子は、嬉しそうにポケットにしまってた
いっぱいのどんぐりでふくらんだその子のポケット
きっとシアワセもポケットいっぱいなんだろうな
いつものホルの病院の帰り
本屋さんへよったり、お洋服を見たり
そしていつもここのスタバによって、チャイティーラテか抹茶ティーラテを頼んで
窓辺の席に座って、街行く人を眺めながら、読書に耽る
変わらない日常
いつもの週末のわたしの時間
ひかれているレールから外れ、先の見えない人生を歩み始めて
変化し続けるカラダ、日常、わたしを取り巻く社会環境と対峙してきた
先が見えないと思い続けていたこの先の道
変わり続けると思っていたすべてのコト
気づくと、そららの変化は少しずつ動きを弱め
いつしか先が見えないと思っていたこの先の道も、なんとなく分かるようになってきて
変わらない日常に埋没しているわたしがいた
そして先の知れた未来に不安になっているわたし
変化し続け、見えなくって、分からなかったから不安じゃなかったのか
ただそれを見ようとしていなかっただけなのか
もう6年目の誕生日を迎えた
スタバのカウンターでチャイティーラテを注文したら
店員さんに見覚えがあって、あ〜前もこの店員さんだったなぁ〜とか思っていたら
店員さんの方も気づいたみたいで
「いつもありがとうございます!」って素敵な笑顔で言ってくれた
ただそれだけのことだったけれど、いつもの繰り返されるわたしの週末の時間にも
この人がいてくれて、わたしのコト、その存在を認めてくれたんだって思えて
なんだか嬉しくなった