よもやまなえっせい 番外編
'05.10.10 作成
た、ゆ、た、ふ 〜土方Side Story〜
ドウシテ コンナコトニ ナッテシマッタノダラウ―――。
山南敬助が脱走した。
俺―――土方歳三は愕然とした。ここ数日のヤツの言動から薄々懸念していた事が、まさか現実になろうとは・・・。
池田屋の一件の後、一躍その名を世間に轟かせた新選組は、いまや幕府の重鎮からも一目置かれる存在となっていた。
壬生浪士組結成以来、何とか会津藩お抱えの身になったとはいえ、然したる手柄もなく、会津藩の信頼も得られず、ただただ悶々とした日々を送っていた我らにとって、あの事件はまさに千載一遇の好機だった。
この追い風を逃す手はない。
俺は一気に勢力の拡大を図った。かっちゃん―――近藤勇や俺の指示がより迅速に伝わるよう、指揮系統も再構築した。しかしそれが、一部の隊士の反感を招いた。総長でもある山南への処遇もその一因だった。
周りには内密にしていたのだが、山南の体調が思わしくなかった。ヤツの負担を少しでも軽くしてやりたいという狙いもあったのだが、事情を知らないヤツらは『山南さんなどの反対派を排除して、新選組を自分達の意のままにするつもりだろう』という疑念を抱いたようだった。
さらに、手狭になった壬生の屯所から西本願寺への屯所移転問題で山南と揉めた事も、疑念を一層深める要因になったようだ。
山南が色々と悩んでいたのは知っていた。「暇を貰いたい」と相談も受けた。しかし、かっちゃんが連れてきた伊東甲子太郎とかいうやたらと弁が立つヤツに対抗できるのは山南しかいない。俺はアイツを手放したくなかった。側にいて欲しかった。
それなのに・・・。
アイツは逃げた。
法度で定めている以上、総長であっても例外を認めるわけにはいかない。そんなことをすれば、新選組の未来はない。
追っ手には総司を行かせることにした。一縷の望みを託して。
しかし・・・アイツは京へ戻ってきた。
総司はやはり「逃げてくれ」と懇願したらしいが、
「追いつかれた以上、その気は毛頭ありませんよ」と笑顔で断られたのだそうだ。
切腹の刻限も決まり、山南は前川邸の一室で静かにその時を待っていた。
一応見張りは立てていたものの逃げられる隙は十分に与えていた。
が、アイツは逃げなかった。
刻々とその時が迫ってくる。
俺は・・・、俺は・・・。
ふと気付くと山南が待機している部屋の前に立っていた。静かに障子を開けると、気配に気付いたのかふっと山南が顔を上げた。
山南がこんな事態において有り得ない程穏やかな―――極上の笑顔でこちらを見ていた。
何故そんな顔が出来る?
俺は今・・・どんな顔をしてる?
俺は何も言わずアイツを見つめていた。何か話せば、堪えているものが一気に溢れ出しそうに思えたからだ。
長い沈黙。
その重い空気に耐えられなくなった俺は、そのまま部屋を後にしようとした。
「待ってください」
意を決したように山南が俺を呼び止めた。
「そこに・・・座ってください」
俺は僅かに山南の方へ顔を向けた。それを見た山南は、わざと俺から視線を逸らし前を向いた。
「何もいわなくて結構です。私の独り言を聞いていてください。後にも先にもこんなことお話しする事は無いと思いますから。・・・といっても、もう先はないですが」
そういうと山南は静かに微笑んだ。
俺は、これから親の説教を受けるかのごとく項垂れたまま、山南に背を向けた状態で座り込んだ。
「あの夜のこと―――君は覚えていますか?」
あの夜―――、それは俺達がこの京にやってきて間もない頃の春のことだった。
確かにあの日の俺はいつになく荒れていた。
何が原因だったか忘れたが、些細なことでかっちゃんと諍いになった。かっちゃんのあまりの傍若無人な態度に腹を立てたんだと思う。あまりにも近すぎる存在が故、怒りのやり場がなかった。だからあんなことを・・・。
細かいことは良く覚えていなかった。
ただ、店の中で暴れたこと、それをみてアイツが宿へ送ってくれたこと、そして・・・。
酔った勢いで、それまで温めていたアイツへの想いを一方的に満たす為にアイツを「手篭め」にしたこと。
それだけははっきりと覚えていた。
俺の中にあの夜のこと―――アイツの白くて軟らかい肌や途切れ途切れの声まで―――が、現実さを伴って瞬時に甦ってきた。今すぐアイツを抱きたいという劣情―――こんな自体に有り得ない感情の発露だが―――を堪えるのに必死だった。
「あれほどの屈辱はありませんでした。私はあの場できみを八つ裂きにして、その後、喉を突いて死んでしまおうかと思いました。でも、まだ我らはこの京で何ら目覚しい働きをしているわけではなかった。帝の為、上様の為にこの命を捧げるつもりで京へ赴いたというのに・・・。その志を遂げるまでは死ぬわけにいかなかった。幸いにも、この事を知っている人間がきみと私しかいなかった。だから・・・、あの日のことは・・・、『何かの悪い夢だったのだ』と私の心の奥底にしまい込んでおくことに決めました。」
近くて遠い記憶を辿るアイツの表情には、時折、怒り、憎しみの色が浮かんでは消えた。あの夜の俺の取った行動の理不尽さを物語るかのように。
「芹沢さんの事や池田屋の一件・・・、その辺りからきみは“鬼”と化した。それもこれもすべてあの人の為。あの人を守る為には手段を選ばない、自分はどうなっても構わない・・・、そんなきみの姿を見て、私は危うさを感じていた。このままでは、きみは人の心を失って本当の“鬼”になってしまう。私は何とかしたいと思うようになった」
確かにあの頃はかっちゃんを、新選組を大きくすることに必死だった。自分がどれだけ憎まれようとも構わなかった。逆に喜んで憎まれ役に徹する覚悟だった。かっちゃんの、局長の手を汚すわけにはいかないから。その思いは今も変わらないが。
「その後も何度かきみは私を求めてきた。それも決まってあの人と何らかの諍いが起きた時だけ・・・。それを承知の上で拒まなかったのは・・・、その一時でもきみが“鬼”の鎧を脱ぐ事が出来るならと・・・、その一念だった。女々しい奴だと思われても・・・厭わなかった」
女々しい奴と思ったことは一度もなかった。ただ、どうしてアイツが俺を拒まずにいたのかが不思議でならなかった。蔑んで、疎まれて、詰られても仕方ないと思っていたのに、何故?と。・・・そうだったのか。
「しかしきみは本当の“鬼”になる道を選んだ。あの人の為に。結局私はあの人には敵わなかった。まぁ、争った相手の器が違った・・・といえばそれまでですが・・・。そう思ったら何だか空しくなった。ここにはもう、私の居場所はないんだ、と」
山南は淡々と、時折微笑を浮かべながら語った。
「それが・・・、それが理由だってのか?」
ようやく口を突いて出た言葉がそれだった。
「あ・・・あの・・・明里とかいう女は・・・」
その女が大事だったからじゃねぇのか?―――そこまでは聞けなかった。
山南は節目がちに微笑むと、
「明里は私にない物をすべて持っている、とても素直ないい女です。私は明里のおかげで随分と救われた。隊のことも、・・・きみとの事も、明里は忘れさせてくれた。だから、明里とならば尊皇攘夷などという大義名分を捨てて、平凡で慎ましやかな日々を送るのも悪くはない・・・、そんな夢を抱けた。・・・結果的には夢で終わってしまいましたがね」
そういうと突然、山南はすっと立ち上がった。俺の背後に座り直すと、後ろから抱きしめられた。いとおしそうにやさしく。そして耳元で二言三言囁くと、困ったような笑顔を浮かべ、元の位置へ座りなおした。そして
「もう・・・、行って下さい」
その場で呆然としている俺に退室を促した。その声は若干涙声だったように感じた。
礼節を重んじる山南らしく、切腹の儀式は粛々と執り行われた。
最期のその瞬間まで、山南は笑顔を絶やす事はなかった。
俺はかっちゃんとともに縁側に佇んでいた。
最期の一言が耳から離れない。
繰り返し、繰り返し・・・、頭の中で響く中、俺は激しく後悔した。
何故・・・、何故俺は言えなかった。
アイツは・・・、言ってくれたというのに・・・。
ワタシハ アナタヲ アイシテイマシタヨ・・・。
コノヨノ ダレヨリ キット・・・。
俺は・・・。
多分、アンタが試衛館を訪ねてきたときからきっと・・・。
きっと・・・。
踏み留めていた筈のアイツへの想いが、大粒の涙を伴ってとどまることなく流れた。
<了>