2012. 3.10 知的財産の動向

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 環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の輪講会を実施して、私は知的財産分野を担当した。TPPが扱う24の分野の中では、知的財産分野には貿易上の障壁が少ないことが分かった。その理由は次のとおりである。

 出版物は主に個人用の小額商品であり、小額商品は原則として関税は無税である。

高額の出版物や特許料は物品と同じく関税がかけられるが、特許だけの格別の特徴はない。

 TPPとしての知的財産の分析はあまり必要ないと思われた。私は会社で特許推進幹事をしたことがあるので、特許のことを実務としてかなり知っていた。せっかくの機会だからTPPに限定せずに、知的財産のことを解説する資料を作って輪講会で説明した。

知的財産権よりも知的財産が主役

 アイデアや表現は情報として入手して模倣することが容易である。文化の発展、創造を阻害しないように、独占禁止法の例外措置を知的財産に認めたのが特許権や複製権である。また、ビジネスの特徴としては、著者の資質と読者の好み次第なので収益の予測がしにくく、寿命が有限であることが、石炭や石油などの鉱業の分野と似ている。

 知的財産と知的財産権はもちろん違う。なぜTPPの分野名は、知的財産権ではなくて、知的財産なのだろうか。書店で本を買って代金を支払うのは、知的財産の一種の著作物の使用権を得るために、代金と交換する商取引をしているのである。レシートが商取引の証拠である。しかし、だれも使用権を商取引しているとは意識していないだろう。客は興味を持てる著作物を探しに書店へ来たのだし、書店も売って生計を立てたくて本を並べている。表舞台での商取引を促進するために、法律が裏方として著作権を守っているのである。

 著作物と聞くと、反射的に著作権をイメージする人は、法律よりも商取引が主役だということが分かっていない人である。道路交通法よりも道路交通が表舞台である。個人情報保護法よりも、名刺などのやりとりが表舞台である。TPPの分野名が知的財産権ではなくて、知的財産なのは貿易するものの主役は知的財産だからである。

出版社の複製権の削減の歴史

1445年 ドイツ出身のグーテンベルクが活版印刷機を発明

1557年 英国女王が出版業ギルドに印刷の独占権を公認。著者へは初期料金のみ。

1710年 英国法で複製物の権利を出版業組合以外の著者や読者へ拡大。

1719年 楽譜出版社が創業。ハイドンやベートーベンの作曲を即時に印刷・出版した。

1871年 中村正直の翻訳文学「西国立志編」。この頃、福沢諭吉が用語「版権」を使用。

著者が原稿を書いただけでは、だれも読めない。著者が出版業者へアピールして売ってもらう。複数の出版物にする作業が複製(copy)であり、読者が読むものが複製物(copy)である。

昔は著者と出版業者は、原稿と料金を交換して、それで取引は完了であった。とてもすっきりしている。

出版業が複製権を永久に独占しているのは、著作物の経済的発展を阻害するという声が強まり、国は複製権の期間限定や初期契約の出版業者以外の参入を認めた。

複製権関連法の歴史は複製権を縮小していく歴史である。複製権や特許権は自由競争を認める独占禁止法の例外規定に位置付けられるものであり、独占禁止法の例外を減らしていくのが歴史的な流れだからである。例えば、化粧品や酒類の定価販売が撤廃されたのは、例外の削減の実例である。

複製権関連法の存在価値は、著者にできるだけやる気にさせ、できるだけ多くの複製が取引されることである。法的権利が主役なのではなく、ビジネスという実態が主役なのだ。

福沢諭吉の和訳「版権」は印刷権・出版権の意味なので、copyrightの訳として見事な二語熟語であった。複製権は縮小の歴史をたどっていくが、複製物(copy)は著者と読者を結ぶ媒体であり、複製作業(copy)は著者と読者を結ぶプロセスの中間点だからである。

■著者の寿命に基づく複製権の削減

1886年 文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約。日本語「著作権」が登場。

複製物の保護期間(独占期間)は、無期限から著者の死後50年間へと短縮した。

著者が不明又は映画等の組織著作物等の保護期間は、発行後50年間である。

保護期間中は著者を同定(identify)する必要上、著作者人格権が登場。

条約加盟国は、国内法で保護期間を条約よりも長くすることができる。

1887年 二葉亭四迷の「浮雲」は日本の近代創作小説の嚆矢。それまでは史実の翻案。

1899年 日本が旧著作権法を制定。日本がベルヌ条約に加盟

複製物の国際的な流通が増えて、著者の損害や外国での無断複製などの問題も増えた。そこで著者はそもそも誰かという同定を条文化し、かつ複製物を国際的に同じ扱いで流通させるために、ベルヌ条約が締結された。

複製権の期間の定が誕生した。これを著者の権利を強化したとだけ感じるのは錯覚である。著者の権利を明確にしつつ、永久の権利から有期の権利へと制限したという面もあるのだ。

ベルヌ条約だけを読むと、まるで複製物の権利の中心は著者の権利であるかのように錯覚しやすい。複製権関連法の中心はあくまでも出版業の複製権であり、ベルヌ条約は枝葉の部分をカバーするのにすぎない条約である。

日本の法律用語は、福沢諭吉の版権ではなくて著作権や著作権法になってしまった理由は分からない。士農工商だった日本では、出版業を蔑視する傾向があったせいか、それともベルヌ条約が著者に焦点を当てた条約なのを全体の条約だと勘違いしたせいか。「著作権」では「著者の権利」や「著作する権利」みたいであり、現代の人も素直には理解しにくい。copyやcopyrightに対応するものとして、「複製権」や「複製物保護法」などにすべきであった。

権利の期間を著者の死後50年間にした理由は、著者の子孫2代までを保護するためであるとされている。25歳頃に子供を産むという計算である。

■現在の各国の保護期間

ベルヌ条約は、各国が国内法で保護期間を延ばすことを許している。先進国である米国やEUの現在の国内法では、本などの個人著作物の保護期間は著者の死後70年間である。日本との貿易の協定で名前が上がる国としては、豪州、シンガポール、スイス、ペルー、ロシアも同様である。このことはTPPに参加するとすれば問題になる。

先進地域の平均寿命は、食糧事情の改善や医薬の進歩などによって、1900年は 4450歳、1950年は 6169歳、1999年は 7781歳と、急速に伸びてきた。このような平均寿命の伸びや高学歴化の影響で、先進国の女性の平均出産年齢は28〜30歳に伸びた(米国は違う)。男性は31〜33歳と見込まれるので、著者の子・孫2世代分として著者の死後70年間というのは理解できる。著者が権利をごり押しして強化したとみるのは錯覚であり、先進国が厚生統計に基づいて決定したのだろう。

映画等の組織著作物の保護期間は先進国では発行後95年間である。映画等の組織著作物には、俳優、制作専門家、下請け者などの大勢の著者がいる。著者の死後何年という条件は使いづらいので、発行した時点からの期間で保護する。著者集団の平均余命を25年として発行後95年と規定すれば、個人著作物の死後70年と釣り合うという計算だろうと推測される。

日本は個人著作物の保護期間は著者の死後50年間であり、映画等の保護期間は発行後70年間である。

2012年を保護期間切れの年として、50年間と70年間の違いを実感してみよう。例えば、1942年に逝去したモンゴメリの「赤毛のアン」は2012年に保護期間が切れるのに対して、与謝野晶子の「みだれ髪」は1992年に保護期間が切れている。1992年には、孫の与謝野馨は54歳の自民党国会議員であり、文部大臣になったのは2年後の1994年である。祖母の印税では生活できないわけである。

享年

  作家

 

1878年 与謝野晶子誕生。

 

1904年 与謝野晶子(26)の次男与謝野秀誕生(外交官)

 

1938年 与謝野秀(34)の長男与謝野馨(文部大臣、通産大臣、財務大臣)誕生。

1942年

諸外国 70年前: 萩原朔太郎、与謝野晶子、北原白秋、L.M.モンゴメリ

1943年

新美南吉、島崎藤村、徳田秋声、ビアトリクス・ポター

1944年

中里介山、ロマン・ロラン

1945年

野口雨情、アンネ・フランク、武内俊子、ポール・ヴァレリー、本居長世

1946年

H.G.ウェルズ、アーネスト・シートン

1947年

幸田露伴、横光利一

1948年

菊池寛、太宰治

1949年

モーリス・メーテルリンク、佐藤紅緑、マーガレット・ミッチェル

1950年

ジョージ・オーウェル、バーナード・ショー

1951年

アンドレ・ジイド、林芙美子

1952年

久米正雄

1953年

堀辰雄

1954年

岸田國士

1955年

坂口安吾、下村湖人、トーマス・マン

1956年

高村光太郎、会津八一

1957年

ローラ・インガルス・ワイルダー

1958年

1959年

高浜虚子、永井荷風、阿部次郎

1960年

アルベール・カミュ、火野葦平、ボリス・パステルナーク

1961年

アーネスト・ヘミングウェイ、長與善郎

1962年

日本 50年前: 室生犀星、ヘルマン・ヘッセ、吉川英治、正宗白鳥

日本では、法学者、著者、出版業など多くの分野の人が、保護期間をほかの先進国並みに直すことに反対していない。反対しているのは少数派である。

■出版物等の貿易の統計(参考データは日本貿易振興機構JETROのデータ

 出版物は主に個人用の小額商品であり、貿易額が大きい分野ではない。

「新聞・雑誌等の印刷物」という分類の最近の輸入総額は約900億円である。印刷物の原料であるパルプ輸入額の1300億円よりも少ない。

輸入の相手国と輸入額比率は、フランス26%、米国24%、中国18%、英国10%の4位までで比率は78%を占める。ファッション先進国、米英語国、漢字国という特徴がある。

オランダ1%からの輸入品の例として、花の雑誌がある。

特殊な例としてプエルトリコ1%は、優遇税制の国であり、ファイザー等の米国系製薬会社が立地している。

「新聞・雑誌等の印刷物」という分類の最近の輸出総額は約800億円である。カメラ輸出額よりも一桁少ない。約100億円の輸入超過である。

輸出の相手国の輸出額比率は、中国44%、米国12%、香港7%、韓国7%の4位までで比率は70%を占める。漢字国、米語国に集中している。

■貿易される出版物の事例

最も日本への輸入額が多いフランスから輸入される雑誌の典型は、ファッション、料理・ワイン、インテリア、美術・装飾(アール・デコ)である。日本の業界専門家の必読者なのだろう。

最も日本からの輸出額が多い中国へ輸出される雑誌の典型は、ファッション、美容、少年マンガ、スポーツマンガである。

フランスから輸入される雑誌は社会用である。社交用のファッション、家庭の料理、家庭用のインテリア、家庭用の美術品という説明がつく。

日本から中国へ輸出している雑誌は個人用である。カジュアルファッション、個人としての美容、個人で楽しむマンガという説明がつく。小社会である家庭の集団意識も希薄である。

同じファッション雑誌でも表紙を見るだけで、フランスからの輸入雑誌と中国への輸出雑誌はファッションのカテゴリが違うことが分かる。フランスの典型的な表紙は、上品でカラフルなフォーマルドレスやタウンウエアである。タウンウエアとはレストランのドレスコードで許されるカテゴリの服装だ。日本では間違ってビジネスカジュアルと命名されている。

逆に中国向けの典型的な表紙は、日本国内の雑誌と同じく、未成年女性向けの安いモノトーンのカジュアル着の写真である。外国旅行は盛んであるが、ファッションについては、欧州と日本では全く違うようになってしまった。

田原総一郎: 「日清日露戦争のころ,新聞はこぞって戦争を煽ったが,別にこれは弾圧のせいではなく,その方が売り上げが伸びたから。非戦論の新聞は売り上げが低迷した。最後まで反戦を貫いた萬朝報もついには戦争賛成へ転向してしまう。」

  出版社は昔は欧州のファッションを紹介してきた。古い日本映画の女優のファッションを見れば、欧州映画や米国映画と同様に、大人向きでカラフルだったことが分かる。

田原総一郎的に表現すれば「最近は、雑誌社はこぞって子供っぽいモノトーンのカジュアル着を煽っているが、別にこれは衣服業界の弾圧のせいではなく、その方が雑誌の売り上げが伸びるからだ。欧州のファッションを反映した日本向けの雑誌は売り上げが低迷した。」

このページをここまで読み進めてきた読者は、前に述べた複製権や法律の印象が薄れているだろう。出版ビジネスと読者の話題に没入しているはずだ。それが複製物の表舞台なのである。そういう感覚がまともなのだ。

日本国内の出版物の統計:総務省統計局(http://www.stat.go.jp/data/chouki/26.htm

 「書籍・雑誌」という分類の国内の統計を見てみよう。書籍とは単行本を、雑誌とは定期刊行物をイメージすればよい。

書籍の実売総金額は、経済成長がかげり始めた1980年約7000億円、1990年約8000億円、バブル経済後の2000年約1兆円と、増えていた。しかし、売れずに出版社が損をする返品の率は、1990年までは35%前後だったが、2000年は40%になり、利益率が減った。

雑誌の実売総金額は、1980年約8千億円、1990年1兆3千億円、2000年約1兆5千億円と増えていた。返品率は、1990年までは22%前後だったが、2000年には30%になり、利益率が減った。

このことから、出版市場は危機に直面していることが分かる。また、書籍はリスクが高く、雑誌はリスクが低いことが分かる。雑誌が複数のプロ著者が執筆する定期刊行物なので、出版社としては売れる部数を見積りやすく、読者としては価値を見積もりやすいからである。

 次に新聞の統計を見てみよう。新聞は貿易の少ない複製物である。

新聞の発行部数は、1980年約4600万部、1990年約5200万部、2000年約5400万部と増えていた。

しかし、朝夕刊セットの部数が減り、夕刊のみの部数も減り、朝刊のみの部数だけ増えている。購読者が節約しつつあることが分かる。

■活発な映画・音楽分野

 音楽や映画は危機に直面したことがあるが、複製物の分野の中では活況であり前向きな分野である。

劇場、放送、アナログ記録媒体、ディジタル記録媒体、インターネットなどの技術革新が盛んである。

映画・音楽、放送、コンピュータ媒体の間の競争と協調を経験してきた。

売り切り/レンタル、違法複製対策、個人用途複製、家庭撮影ビデオ、ユーチューブなど、業者と一般人の棲み分けを経験してきた。

作曲や映画創作の壁に突き当たってきたが、歌手は舞踏スキルによって、映画はCG連携によって、創作の壁を克服してきた。

言語の壁を越えて貿易が活発である。

日本の映画館収入は、1980年約1700億円、1990年約1700億円、2000年1700億円と堅調である。映画人気の低落というのは一時的な減少であった。

邦画配給収入も順調に増えているが、貿易に属する洋画配給収入は1980年約300億円、1990年約400億円、2000年約1200億円と増えてきた。

日本の映画館の数は、1980年約2300館、1990年約1800館、2000年約2500館と持ち直した。市街地から大規模商店群や外食店と一緒の商業コンプレックス敷地へ移転し、多重チャンネル音響技術や高精彩画像技術などの進歩で、家庭のテレビとは一線を画すようになったせいである。

浅草の映画館がすべて閉館してしまった。「施設老朽化などの複合的な理由」とのことである。耐震補強もさることながら、音響・画像技術への対応が遅れたことや、浅草が近隣住民の商業コンプレックスから、グローバルな観光名所になってしまったことも原因だろう。

 ■法律と商習慣は違うが日米の違いはそれほど大きくない

 法律や商習慣は、国によって違う。法律は最低限のことを規定するものなので、商習慣の方が自由度が大きい。複製物の扱いが日本と米国とで違うという説明をする時に、裏方である複製物関連法を比較するだけでは意味はない。主役である商習慣の比較をすることが大切である。

 商習慣の日米の違いはそれほど大きくはない。複製物関連法の違い以上に、商習慣の日米の違いは大きいと説明されがちだ。しかし、商習慣には自由度が大きいので、たまたま違うようにしているだけで、いくらでも同じようにできるという余地がある。、

 

独占禁止法の適用除外

複製権法

(限定的独占)

商習慣

説明

著者

 

初期の複製権

(自己出版可能)

出版契約書

 出版会社と契約するまでは、著者に複製権がある。

 自己出版が可能である。

出版会社

再販売拘束

(定価指示)

複製権

単行本出版

再使用複製権

文庫判出版

電子書籍化

利用契約/ 再使用契約

 copyrighth本来は「複製権」又は「複製物権」であり、主に出版会社の権利の概念である。著作権と和訳すると理解しにくくなる。

 利用(utilize)又は再使用(reuse)とは、ビジネスの準備として複製物を別の性質の複製物に直すことである。印刷物を電子書籍に直すのも再使用である。

書店

再販売

所有権

レシート

 レシートは、約款こそ記載されていないが契約書の代わりである。複製物の権利と代金とを交換する契約をした証拠である。

読者

 

使用権

 

 読者やその家族が読書したり、情報機器で閲覧したりするのは、使用(use)という。

出版契約書で定める支払い料金は法的には自由だが、業界の商習慣があり販売価格の10%程度という決まりがある。

商店での販売価格は、独占禁止法の精神としては自由に定めることが望ましい。しかし、日本とオーストラリアだけは、出版会社が書店の販売価格を定価にさせたり、従わない書店と取引を拒否したりすることが、例外規定として法的に認められている。法的に認められる権利を行使しなくてもよいので、日本でも値引き販売ができる余地はある。

出版社による販売価格の拘束は、定価販売を求めることのほかに、値引き率を一定にするような拘束の仕方もある。

 音楽のCDは一定期限後からは新品でも拘束がなく、DVDは始めから拘束がない。関係者たちがこの方が、儲かると判断したからである。出版業界に比べて、音楽・映画業界は活発で前向きでインターナショナルな風土があるといえる。

■印刷出版と電子書籍出版と自己電子書籍出版

参考文献:佐々木友康、「アマゾンの条件は、本当に出版社に酷なのか?

http://matome.naver.jp/odai/2131994687761178701

 出版物の費用や価格の基礎的から理解するのは避けて、出版する人の観点でいくつかの出版の仕方を眺めてみよう。

(1)印刷出版会社

 紙に印刷した書籍や雑誌(単行本や定期刊行物)を出版会社から出版すると、支出や収入はおおよそ次のようになる。「約〜」という表記は省略する。

印刷した本が全部売れれば、全売上高の出版会社の取り分は70%、流通会社・書店の取り分は30%である。

出版会社の取り分70%の中から、初版の時点に出版会社が支出する内訳は、著者への印税(初期料金)が10%、デザイン10%、印刷20%、販売経費10%、管理費10%であり、残りが利益10%である。初版だけデザイン費や印刷の版下費がかかる。販売経費とは、宣伝や売り込み外交などの費用である。

重版へ移行してからの出版会社の支出は、印税(残余料金)が10%、印刷15%、販売経費10%、管理費10%であり、残りが利益35%である。

売れ残った本が書店から返本されると、その損害は出版会社が負担する。2000年の書籍の返本率は40%に上昇した。この場合の、全売上高の中の出版会社の取り分は70%から42%に減る。重版の利益は35%から21%に減る。

(2)電子書籍出版会社

 インターネット通信販売のアマゾン書店などは、電子書店と電子流通会社を兼ねている。出版会社からアマゾン書店へ印刷した本を納品する流通形態もある。この方式は、過疎地の読者との取引や、店頭に並びにくい専門書や、膨大に蓄積されてきた昔の本や古本などを、取引するのに便利である。

 せっかくのインターネットなので、電子ファイルにした電子書籍を納品する流通形態を選ぶとどうなるだろうか。以下、アマゾン書店の例で説明する。

全売上高の中の出版会社の取り分は45%、アマゾン社の取り分は55%である。

出版会社の取り分45%の中から、新刊の時点に出版会社の支出する内訳は、著者への印税(初期料金)が10%、デザイン10%、販売経費10%、管理費10%であり、残りが利益5%である。電子ファイルには印刷費が不要だが、見栄えは重要なのでデザイン費はかかる。販売経費にはアマゾン社への電子書籍の登録などの手間が含まれる。

既刊へ移行してからの出版会社の支出は、印税(残余料金)10%、管理費10%であり、残りが利益25%である。印刷本と異なり販売経費は不要である。インターネット通販のIT化されたお勧め情報や口コミ情報などの販売促進機能が頼りになるからである。印刷しないので初版と重版との違いはない。その代わり便宜上、デザイン費や販売経費の元を取る時期を新刊と呼び、それより後を既刊と呼ぶ。

重版の利益25%というのは、印刷本の利益35%よりも低いが、2000年の印刷書籍の返本率40%の時の利益21%よりも大きい。

 印刷出版と電子書籍出版を比較してみよう。

 

価格と販売部数

アマゾンの取り分

出版会社の取り分

著者の取り分

印刷出版

2000円で1000部

30%、60万円

70%、140万円

10%、20万円

電子書籍出版

1000円で2000部

55%、110万円

45%、90万円

10%、20万円

電子書籍は印刷費がゼロなので、価格を半額程度にすることができる。

出版会社の取り分が少ないが、印刷費がゼロなので返本リスクがなく経営が安定する。そして重版・既刊へ移行した後の利益は電子書籍の方が大きくなる。

電子書籍は安いのと販売促進機能とによって販売部数は2倍ぐらいになる可能性が高い。それにより著者の取り分は印刷出版の場合と大差ない。出版会社の収益や安定性が改善されるので、著者の取り分を20%程度に増やすことも可能である。

(3)自己電子書籍出版

 著者が電子書籍を準備して、出版会社を経由せずにアマゾン社経由で流通・販売することができる。

全売上高の中の自己出版者の取り分は80%である。アマゾン社の取り分は20%である。

自己出版者の取り分80%の中から、新刊の時点に自己負担する内訳は、デザイン10%、販売経費10%、管理費10%であり、残りが印税収入相当50%である(注:簡単にするために50%としたが、正確なことはアマゾン社の制度を参照のこと)。

デザイン費は、出版ソフトや雛形を利用して自分で行う労力費である。販売経費は自分でアマゾン社へ登録するなどの労力費である。管理費は自分で販売部数や料金振込などを確認する労力費である。

 印刷出版と電子書籍出版と自己電子書籍出版を比較してみよう。

 

価格と販売部数

アマゾンの取り分

出版側の取り分

印税収入相当

印刷出版

2000円で1000部

30%、60万円

70%、140万円

10%、20万円

電子書籍出版

1000円で2000部

55%、110万円

45%、90万円

10%、20万円

自己電子書籍出版

500円で2000部

20%、20万円

80%、80万円

50%、40万円

出版市場の総売上高は拡大するとは限らない。市場競争原理によって、電子書籍出版会社経由よりも更に安い価格に落ち着くだろう。このことは個人が開発したソフトウエアのインターネット通販の価格で実感することができる。自己出版者の取り分が80%という情報を見て、印税収入が8倍になるとは、アマゾン社も大盤振る舞いだなと思うのは誤解である。

■出版形態の共存共栄

 出版形態の共存共栄は、音楽や映画の分野の歴史に学ぶことができる。市場規模がそれほど変わらないなら、電子書籍の素晴らしさや自己電子書籍の素晴らしさは、それほど大きな朗報ではない。一方で、それらが印刷出版を一掃するということでもない。重要なのは、それぞれの関係者が、着実にかつ前向きに顧客と業界の改善に取り組むことである。

 出版形態の多様化のメリットは、出版プロセスの中心である印刷出版会社と著述家が享受することが見込まれる。

電子書籍出版

印刷出版

自己電子書籍出版

−著述専門家ではない有名人や有名テーマに向く。有名過ぎて販売部数の見積り困難

−初期料金過剰リスクや返本リスクが大きい

−デザインが大切な場合

−過去のベストセラーや歴史資料の長期発行にも向く

例:アイザックソン「スティーブ・ジョブズ」

例:高田純次「適当日記」

−著述専門家の書籍や雑誌に向く。定評があり、販売部数が安定している

−初期料金過剰リスクや返本リスクが少ない

−デザインが大切な場合

例:五木寛之「大河の一滴」

例:月刊誌「文藝春秋」

 

 

 

 

−無名著者や特殊専門書に向く

−秘書のいる有名多忙人に向く

−無料のウエブ資料との境界部分に向く。無料資料の携帯端末版や百円本

例:松崎彩「Kimono Uki Uki」

例:郷原信郎「検察崩壊」

 

 

 

 電子書籍は、印刷出版会社や流通会社や書店にとって、ライバルとは限らない。次のようなさまざまなリスクや手間を減らして、収益を確保し、経営を安定させることができる。著者や読者にとって便利なだけなのではない。

駆け出しの小説家や無名の人の本の販売部数を過剰に見積り、初版の印税(初期料金)の支出を回収できなかったり、重版の返本が多過ぎて損をするリスクを回避できる。

そのようなリスクを恐れるあまり、意外に売れるはずの小説家や無名の人の本の出版交渉を、門前払いにしてしまうリスクを減らすことができる。

著述専門家でない有名人や有名テーマの本の販売部数を過少に見積り、在庫切れで機会損失をすることを回避できる。

著述専門家でない有名人や有名テーマの本の販売部数を過剰に見積り、初版の印税(初期料金)の支出を回収できなかったり、重版の返本が多過ぎて損をするリスクを回避できる。

限られた書店のスペースに、多種少量の無名の人の本を置く必要が減り、少種大量の有名人の本を置く必要も減り、販売部数を見積もりやすい本を置くスペースが増す。

 このようにして、有名な本と無名の本という両極端の部分の不確実性にわずらわされることがなくなるのである。

コラム: スティーブ・ジョブズの伝記は、和訳の初版が10万部であり、10日目で重版を合わせて発行部数が百万部を突破したと発表された。噂としては、実売実績に不安があるので販売促進のために百万部発行を宣伝したという指摘がある。実売実績が伴わないと、赤字は莫大だからである。アップル社の製品の愛好者が伝記を買うだろうと黒字ラインを見積もり、初期料金を百万部として払ったのではないかという噂である。粗い実績規模としては、米国50万部(実売価格1360円)、日本百万部(定価3990円)、中国5百万部(実買価格1510円)規模だと見込まれている。地元の米国の販売部数や価格が意外に質素であることが興味深い。有名な本の出版交渉は、ライバル出版社との競争に勝つために、著者に対して価格や販売部数見積りを大きくしてしまうリスクがある。

著者へ料金を支払うタイミングは日米で違うか

 本は個人が創作した世界で初めて商品であり、売れ行きの見積りが難しい。絵画も同様だが、版画以外の絵画は一品生産なので売れるか売れないかだけであり、作り過ぎによる返品リスクはない。

 本の出版契約は鉱業契約に似た点がある。石炭や石油などの鉱業は、土地所有者と鉱業会社とは、両者でリスク分散するために段階的な料金で契約する。

初期料金(initial compesation)は、土地所有者に土地を貸してくれる気にさせる支払いである。探査段階から生産試行段階までをカバーする。見込みがなければ掘削を止めて、土地を現状復帰させて、借用をやめる。全く資源が見つからなかったというリスクもある。

残余料金(resudual)は、土地所有者へ鉱物の生産量に応じた支払いである。本格生産が始まってから、資源が枯渇するまでの期間中続く。

資源が枯渇すると、土地を原状復帰させて、借用をやめる。

 出版会社が著者へ支払う契約は次のとおりである。

初版の印税(初期料金)

最初に印刷する部数は、著者が無名なら千部、プロ著者なら1万部、有名人なら十万部程度の初版である。出版社から著者へ実売部数に関わらず前払いする部分である。

重版の印税(残余料金)

重版に対して書店から読者への売上実績に応じて著者へ支払う料金である。年、半年、四半期払いがある。

日本では、本の実売部数を誠実に管理する手段として、著者が保有する小さな証紙を本の裏表紙に貼る制度があり、それが税金の証紙を貼るのに似ているので、支払い料金のことを印税と呼んだ。実際には税金ではない。

米国では印税とは呼ばずに、初期料金と残余料金という呼び方をする。実売部数の把握やそれに応じた残余料金の支払いは手間がかかるので、初期料金だけという契約もある。印刷業ギルドの初期の支払い方法と似ているともいえる。

これらは著作物関連法の規定ではなく、商習慣である。日本では印税といえば残余料金のことを思い浮かべやすいのは、商習慣の違いともいえる。

しかし、日本でも初期料金だけという契約がある。複数の著者の著作を一緒に掲載する雑誌である。実売部数と執筆ページ数に応じて残余料金を支払うのは手間がかかるからだ。

映画は組織著作物なので、雑誌と事情が似ているので、初期料金だけにするか残余料金を併用するか、手間を考慮して慎重に規定する。雑誌よりも著者の人数が多いうえに、俳優から雑用係まで職種の違いや定評に応じて格付けがある。俳優ならプロスポーツ選手のようにライバル映画会社との市場競争が激しい。

結論としては、日米の支払い方式は本質的な違いはない。本質的な違いはないから、本や音楽や映画の貿易が活発なのである。違いがあるとすれば法律ではなくて、商習慣の違いが大きい。商習慣についても、用語が違うだけで似た点もある。現在の商習慣が違っていても、商習慣は法改定なしに変えることができる。

料金契約の交渉の標準・拘束

  料金契約は商習慣まかせで自由だとしても、目安がないと迷う。著者組合や出版会社協会などが、その集団内及び利害関係団体と相談して、契約書の書式や料金の標準を定める。

 標準料金:その近辺で実際の料金を決める。

最低料金又は最高料金:所定の限界の範囲内で料金を決める。

 定額料金:一律の額(率)に統一する。日本の印税はほぼこれだけである。

 1997年に私が富士通の米国教育動向見学ツアー をした時に、映画都市ロサンゼルスで映画・演劇の全米脚本家ギルド(Writer’s Guild of America, West)を訪問した。映画のテレビ配信、DVD化、インターネット配信などの再使用を拒否するより、儲けようという姿勢である。過去の標準契約で十分対応可能とのことである。

再販制度:日本書籍出版協会の言い分

(出典:「再版制度」、日本書籍出版協会ウエブサイト) 

 著作物の再販制度(再販売価格維持制度)とは、出版社が書籍・雑誌の定価を決定し、小売書店等で定価販売ができる制度です。独占禁止法は、再販売価格の拘束を禁止していますが、〜著作物再販制度が認められています。〜再販制度〜によって、書籍や雑誌を全国同一の安い価格でご購入いただいています。

◆なぜ出版物に再販制度が必要なのでしょうか? 出版物には一般商品と著しく異なる特性があります。

@個々の出版物が他にとってかわることのできない内容をもち、

A種類がきわめて多く(現在流通している書籍は約60万点)

B新刊発行点数も膨大(新刊書籍だけで、年間約65000)、などです。

◆再販制度がなくなればどうなるのでしょうか?  読者の皆さんが不利益を受けることになります。

 @本の種類が少なくなり、A本の内容が偏り、B価格が高くなり、C遠隔地は都市部より本の価格が上昇し、D町の本屋さんが減る、という事態になります。

 〜専門書や個性的な出版物を仕入れることのできる書店が今よりも大幅に減少します。

出版物の価格は高いのでしょうか?

 出版物の定価は、出版社間の激しい価格競争のため低めに決められています。

 その結果、〜物価は1975年を100 として総合で1998年では185ですが、本は128です。

◆出版物は返品が多く、資源の無駄使いをしているといわれますが?

  全ての返品が断裁されているわけではありません。書籍の場合、注文等に応じて再度出荷されます。特価本市場や古書ルート等で販売されるものもあります。 断裁されるものは再生紙として活用されています。  

音楽や映画の分野で見直しが進んでいることについて、この言い分では説明がつかない。

日本とオーストラリア以外の国が、再販制度なしで済ませていることへの説明がつかない。

定価の価格競争が存在するということは、値引き競争も可能ということを示唆している。

■再販制度の主義主張と事実

出典:ロバート・ネフ、「再販問題:日米比較考」(在日米国商工会議所、「経済広報」、1996.3

誤まっている基本認識

 公正取引委員会や行革規制緩和小委員会が、日本の出版物の再販制度は独占禁止法に違反すると示唆した。現在、日本のメディアには多くの誤解が生じているようだ。

 128日付読売新聞紙上で評論家の内橋克人氏はアメリカの新聞社は価格競争によって破産または買収に追い込まれていると主張。さらに、日本の新聞価格が自由化されると、地方では配布が非効率であるため、新聞価格が上昇し、市民が平等に情報を得られなくなり、日本の民主主義が脅かされる、と言う。

 〜アメリカの新聞価格は自由市場の原則に従って設定されてきた。〜新聞が深刻な財政的圧迫に陥っている理由は、価格競争ではなく、〜活字離れが進行し、テレビを見る傾向が強くなってきたからである。

◆頼られるコミュニティ紙

 〜アメリカ人は新聞を価格ベースで選ぶわけではない。例えばニューヨークとロサンゼルスで最も成功している新聞は販売価格が最も高い。それらが成功している理由はクオリティが高いからで〜である。

 全国紙紙のうちでも、価格の高いウォールストリートジャーナルが、全国的によく売れている。

 〜都市と農村の出版物の価格差が人口過剰な都市と過疎化する農村との情報格差を広めると主張〜にはまったく根拠がない。アメリカ人は〜情報を得るためにローカル新聞に頼る度合いがはるかに高い〜。

 〜ローカル新聞の改善、ローカル新聞による通信社の利用、テレビ・ジャーナリズムの人気と質の向上、ホーム・コンピューターでアクセス可能な電子情報サーピスがますます普及してきているのである。〜

◆アメリカの中西部に文化はないのか

 〜中央アメリカのミズーリ州の〜カンザスシティスターは長年、アメリカで最も素晴らしいローカル新聞の一つであると見なされている。同紙はピューリツアー賞を獲得している。〜

 ニューメキシコ州のサンタフェや〜こうした地域の都市はいずれも全国紙に頼っていない。コロラド州にある人里離れたテリュライドは、〜全国紙を本当に読みたい人たちにとって、価格は考慮外である。ニューヨークタイムズに1ヵ月30ドル払おうと、ローカル紙に14ドル払おうと〜。

米国人らしく、一般論に偏ることなく、有用な事実情報に基づく論証である。

このほかに「日本の中で再販制度を廃止することは、米国人や米国政府は興味がない」と述べている。

■再販制度からの離脱の動き

出典:「返品制度の一部緩和の動き」、日経新聞 電子版、2012年2月22日。

 出版取次最大手の日本出版販売(日販)は書籍の取引で、書店からの返品を制限する「買い切り制」を導入する方向で大手出版社や書店と協議に入る。

 現在、書店は売れ残った書籍を原則として自由に返品できるが、取り分(売上総利益)が少ないうえ、返品コストは出版社や取次の収益を圧迫している。市場の縮小が続き、電子書籍の普及も始まっていることから、商習慣を改め業界全体の生き残りにつなげる。

 今春、講談社や小学館などの出版社、有隣堂(横浜市)などの書店に提案する。買い切り取引は現在でもわずかにあるが、出版流通に強い影響力を持つ日販が導入すれば書籍の取引慣行を大きく変える可能性がある。

 2016年3月期に書籍売上高の3割を新契約での取引に移すことを目指す。取引先がどの程度応じるかは不明だが、書店が加盟する日本書店商業組合連合会の大橋信夫会長は「利益さえ確保できれば歓迎」と話す。出版社側にも「業界全体として買い切りを導入する方向に進むだろう」(大手)との声も出ており、実現する可能性は高い。

 新契約には数種類を用意する。(1)書店の売上総利益率を35%と約10ポイント高くする代わりに、返品する場合の返金額は仕入れ代金より低くする、(2)一定期間がたてば書店が小売価格を決められる(時限再販)一方、その後は返品を認めない、(3)書店の取り分を厚くして、完全買い切りにする〜など。

前に引用した日本書籍出版協会の文章が、協会全体のこれまでの公式見解であるのに対して、こちらは業界の一部の今後へ向けたアイデアの段階である。

書店の連合会、流通会社まで含む動きを、同じ著作物業種である新聞社が報道したことは注目に値する。 

日本の法律や商習慣は変わりそうだ

出版会社・新聞社・

流通会社・書店

商習慣の変更には慎重だったが、収益悪化によって、商習慣を変える検討を始めた。

日本文藝家協会

(事務局は文藝春秋社)

再販制度の見直しは構わない、という態度。

複製権の保護期間改定には積極的。

日本書籍出版協会

再販制度の廃止には反対。

複製権の保護期間改定には消極的。

日本ペンクラブ

国際ペンクラブと共に表現の自由を厳守

日本だけは再販制度の廃止には絶対反対。

 複製権の保護期間改定や電子化には慎重。

日本弁護士連合会

国際訴訟や米国の脅威を意識した日本独自路線の強硬外交主義。

複製権の保護期間改定や電子化には慎重。

独占禁止法の例外規定は縮小の方向にある。日本の著者、出版会社、流通会社、書店、政府もその方向に変化しており、こちらが多数派だろう。

一部の著者やそれらの人と付き合いのある関係者は、法や商習慣とは別の創造論として反対を主張しているようだ。

独占禁止法の目的から論理的に考えれば、複製権の保護期間は縮小の方向である。70年というのは延長ではなく、厚生統計の実態に基づく現状維持と考えられる。

創造の成果の無償提供は、昔から著者や遺族の自由選択で実施されてきた。創造論としての選択は法や商習慣と矛盾するものではないと思う。本来矛盾しないことを対立することとして、論争しているのではないだろうか。

以上を眺めると、複製権の法律や商習慣は今後もなかなか変わらない、と推測することは難しい。近いうちに変わりそうだと考えるのが自然だと思う。化粧品・医薬品・酒類などの再販制度は1997年までに撤廃された。

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