1.経緯
病院の人事・教育の制度改善に取り組んでいて、職員のリーダシップ及び対人能力の不足の問題に対して助言を求められた。解決策の一つとしてリーダシップ課目を作ろうとして、TWIや米国の指導監督職の教科書を候補に挙げた。偶然に米国軍の医療職員のチーム作業技法TeamSTEPPSを発見して、自衛隊OBの私はすばらしさを理解し、これを採用することに決めた。その内容は前回報告したとおりである。
講義を補完するケースメソッド教育のケースとして、この部会で以前から紹介してきた八甲田山雪中行軍遭難の史実を用いた。彼らが自ら招いた窮地とはいえ、TeamSTEPPSが教えているような、究極の目的をめざして団結すること、リーダシップ、及び部下からの提言・主張などが、史実として密に詰まっている。
「八甲田山雪中行軍遭難事故ケース教材」(スライドPDF形式)
2.八甲田山雪中行軍遭難の概要
日清戦争の時の雪中行動での遭難を反省し、陸軍の多くの部隊が日露戦争に備えて、雪中の戦法の改善に取り組んでいた。その中の一つが1902年1月に青森連隊が八甲田山で遭難事故を起こした研究行軍である。210名の中で救出されたのはわずか17名。6名はまもなく死亡した。4名は五体満足だが、7名は凍傷による手足切断手術をして除隊した。
この事故は国民によって追悼されると共に、讃えられて芝居にもなった。上司は情況対応のリーダシップを発揮し、部下を励ました。部下は上司へ献身し、積極的に意見を述べた。そして各自は生存率を高めるために、気絶するまで最善を尽くした。ふもとの村へ遭難情況を報告する任務を託された後藤伍長は、目的を達せないまま気絶する直前に、銃を杖にして立つことにした。それにより捜索隊に発見され、情況報告が捜索に役立って、残りの16名が救出され、英雄として現役の時に銅像を立てられた。
研究行軍隊長の神成大尉は、遭難途中に解散命令を出して、行動を各自の任意にまかせた。小隊に分かれて別行動をしたことによって、全員遭難を免れる結果になった。後藤伍長を励まし続けた神成大尉は、捜索隊に発見された直後に絶命したことが惜しまれた。
少し遅れて同じ経路を逆に行進した弘前の研究行軍隊は、全員無事に帰還して幸運を喜ばれた。各部隊の研究行軍が戦法の改善をもたらして、日露戦争の時に役立った。
3.ケースメソッド教育の進め方
この種の教育の講師には、本格的なチームスポーツの経験者か、冷静な理科系の人が合っているように思う。今は外部から転職してきた私が講師をしているが、最終的には生え抜きの管理職が講師をするのが望ましい。外部講師は当たり外れがあるし、先輩が講師をすることは人脈を形成するのに役立つ。
クラス参加者を4人から6人程度のチームに分けた。山口少佐、神成大尉、佐藤特務曹長、兵士たちの役割を一人ずつ持つ。民間人には軍隊の階級は分かりにくいと思うが、少佐が課長級、大尉は課長補佐級などと説明した。もっとえらい階級だと誤解されやすい。
ケースのステップを進めながら、それぞれの役割のつもりで強烈にイメージしてもらう。そして、その感想や自信や不安を互いに質問したり回答したりする。実際に行動するロールプレイまでしなくても、このようなイメージトレーニングでも相当に効果がある。オリンピック選手がイメージトレーニングを利用しているのは有名である。講師は優れた上司のつもりで、落ち着いて助言する。
4.受講者の感想
筆者はスポーツのコーチや可愛い後輩を持った先輩のつもりで、愛情を持って冷静にケースメソッド教育を進行させた。受講者を罵倒するような人間性教育とは対極をなす。「人間関係の成績は、良いか悪いかではなく、強いか弱いかである」「反復すれば少しずつ身につくから、今自信が持てなくても大丈夫だ」などと説明した。
最近、受講1か月後報告書が届き始めた。「部下との対応に役立っている」「自分の上司の行動を理解できるようになった」といった意味の実践体験が寄せられている。よくある三日も立てば忘れてしまうような教育ではなかったということである。病院作業はきついのに、長文の報告を書いてくれた職員が多くて、嬉しくて涙が出そうになった。
5.小説や映画を用いた研修との違い
青森隊の行動は、軍隊に蓄積された戦法や教育の成果である。この史実を元にした新田次郎の小説や映画は、創作芸術をめざしたもので、ほとんど逆の内容のフィクションである。それらを教材にしてケースメソッド教育することは否定しない。しかし、どうせならこの史実の背景にある系統的な戦法(チーム作業技法)を講義してから、史実を用いてケースメソッド教育をする方がはるかに有意義であると思う。
6.八甲田山ケースの多様な活用方法
TeamSTEPPSと八甲田山ケースを組み合わせた教育は、優れた教育であることが実証された。更に、次のようにさまざまな形で利用するとよいだろう。
(1)実際の部門の上司や部下や複数の職種の職員を、教育の時のチームにして、この教育を実施する。
(2)TeamSTEPPSの講義の途中の演習課題を、主任、係長、課長、部長という階級に合うものに交換して、同じTeamSTEPPSを昇格するたびに反復する。これも反復教育の効果が上がる。
(3)八甲田山ケースは豊富な話題を含んでいるので、階級に合う話題を交換して、同じケースメソッド教育を昇格するたびに反復する。これも反復教育の効果が上がる。