つれづれの歌 続編 歌集 『令和』
平成31年4月30日記
明日から元号が『令和』になり、心機一転気分転換して新たなテーマにつき歌を詠んでいこうと思う。「徒然の歌」、「風」、の歌集の続編とする。
趣味(家庭菜園、料理、釣り、など)やスポーツなど何でも良いが自分なりに納得したことが出来たら楽しくはないかと漠然と考える。
人工知能がますます活用される時代をむかえるが人それぞれの生き方は科学で解決できるものではないと思う。医学や情報通信、ロボットの活用により生活は便利になるが生きること、老いることは自然の成り行きで避けることが出来ない。「死に様見れば生き様が」、「終わりよければ全てよし」、自分の納得した生き方が出来れば幸せか。仕事からリタイア、自由人の生き方に胸ときめくところあり。
こんなテーマを頭の片隅に置きながら詠んでいこうと思う。
老の惨めさ、悲しさを味わう気はしない。いつ迄も目標を持って命尽きるまで自立した生活をしたいものである。
桜は咲き終わったが薔薇が咲き、葡萄の新芽が伸び初め、新たな花が咲き始めた狭庭をブラブラしていると、こころのうずくものがる。
(平成31年4月7日の歌)
あれやこれ成り行きの道生きてきて
いまは抜け殻 老いは残酷
長生きはせぬが肝心 どうみても
生き恥さらす 身も心さへ
薔薇が咲き初夏の息吹にひたる時
令和を迎へ良きことあらむ
五月晴れ
病棟の一コマ
18日
今年に入って初めての愛鷹山のハイキング、天気は曇りだが一服峠のツツジが気になり出かける。水神社より一服峠に向かうが、ツツジの姿が少なく不安になる。山の木々もこの10年で倒木、老木、木の成長の変化があり様相が変わった様だ。一服峠のミツバツツジはすでに咲き終り位牌岳に期待をかけたがやはり同じくツツジの姿が乏しくがっかりである。今年は桜と同様に開花が早かったのだろう。帰路はつるべ落としの滝経由で帰ったがこのコースの岩場の沢下りは相変わらず難儀することを再度再度思い知る。つるべ落としの滝は水が枯れて滴がぽたりぽたりと落ちていた。箱根方面を見れば神山の左の大涌谷の辺りの煙がやけに目立つ。その日から箱根の噴火警戒レベルが2になったことを知る。何はともあれいい運動になったし、適度な疲労が気持ちよい1日であった。
22日 カサブランカの花は大型の白花と思っていたが金色の粉をまぶしたような花が咲く。庭に咲く思い出の花々は色々あるが優雅さとか派手なところは「月下美人」の印象が強い。カサブランカの花も過去白花が咲き今回の花、厳かな気持ちになって眺めた。
娘が天城に行きたいというのでミニピンのビスコを連れて出かける。天城のゴルフ場に着いたのが9時、駐車場はすでに満車、その上のゴルフ場の駐車場に止める。娘のネットの知り合いだろう人が群馬から2名来ており、その後は同伴して石楠花コースを回った。五年ぶりの石楠花コースである。。道々は想像以上にハイカーが多く、しかも高齢の方が目立つ。ミニピンのビスコは9歳で高齢者の仲間入り、上りを楽しむかのように万三郎岳まで登った。私も古稀で仲間入りかも。下りは危険で歩くのを拒否、娘が背負って下る。犬のハイキングはビスコのみで何処へ行っても可愛いと言われていた。群馬県の人は群馬の「馬」の被り物をして写真に納まるが娘が同じ被り物を持っていたことに意外な一面を感じた。石楠花は頂上に咲いていたがその他は咲き終りの状態であった。五月としては真夏日の暑さにニュースは取り上げていたが山は意外と涼しく五年ぶりの天城の石楠花コースを歩き帰宅後の心地よいビールが美味かった。
庭の薔薇は相変わらず咲いているが最盛期は過ぎた。家の庭のブドウの成長に目が移る。毎年眺める景色ではあるが今年の景色は今年しかない、当たり前のことである。今の体重は昨年の今頃より十キロは少なくなった。日々血圧測定をして今は薬を飲んでいるがほぼ120前後を維持している。耳鳴りは相変わらず止まないが諦める。錦木が枯れて根元より切ってヒコバエだけが残った。例年眺める庭ではあるが知らぬ間に様相が変わってきたことを実感する。
明日辺りから梅雨空の様だ。すでに紫陽花は咲き始めた。
紫陽花の はじけるやうに 咲きだして
後は梅雨入り 待つばかりなり
いざ行かむ 富士のお中道 大沢に
陽ざしが強し 今日は止めとく
だらだらと過ごしていたら早や水無月の28日、鎌倉や冨士さんのお中道を回ろうかと幾つか行きたいところがあったが休みの度に天気が悪く結局何処にも行ってない。
今日は枯れた紫陽花を二本剪定、ついでにアロエや木々を剪定して、早や何年か前の作業を繰り返していることに気が付く。
ブルーベリーの木に色づいた実が少々成って摘まんで食す。
明日からまた梅雨空の予報が続く。ブドウの実がかなり大きくなってきた。梅雨が明けたら袋掛けをしよう。
大阪でG20サミットが始まる。色々な国際問題があるなか、どんな宣言が発表するか結果が待たれる。
G20サミットOOSAKAが始まる。安倍首総イラン訪問時のホルムズ海峡の貨物船の破壊の真相は
思惑多きサミットの結果は
毎日梅雨の日々が続くと情緒も薄れて晴れ間が恋しい。鹿児島には災害警報が出ている。
3日門池にて
ねむの木の花
一日の休みをどうするか。久々の梅雨の晴れ間をブラブラと家に
12日は誕生日で古稀になる。娘が13日に食事会をセットしてくれた。ウナギが美味い、ビールが美味い、次は喜寿迄無心に生きよう。
梅雨明けが待たれる。日々雨空で涼しい日が続くとうんざりする。13日から盆の入り、中元が届けば嬉しい様な煩わしい様な。
無心な気持ちで線香をあげる。
娘の初の富士登山 令和元年7月20日 単独富士登山を達成する
23日 葡萄の袋掛けと剪定をする 梅雨明け間近の晴れの日となる
欲張りて 房の間引を 惜しむ吾
房は今年も 納得できず
夜の暑さに寝付かれず、昼の睡眠三時間
蝉の鳴き声に目を覚まし、庭の蝉を追い払う 之も日課となりそうだ
8/18 台風10号が去って月が出ていたが雲の流れが早く、月がでたり隠れたり
24日 急な涼しさに 秋がひそひそ
色づかぬ葡萄
9月に入って、やっと涼しくなったと思ったら8日夜から9日朝にかけ台風15号の伊豆をかすめて千葉市に上陸。
沼津の被害はないが、近場の停電や伊豆の被害、房総半島は今も停電が続き、家屋の被害や修復は手つかずに雨が降れば雨漏りに泣くところが多いと聞く。
このところ夏バテ気味で歌を詠む気分になれずに過ごして来たが気持を鼓舞して、今まさに詠まむと頭をひねっている。
9月6日に久々の冨士の姿を見る。群青色の爽やかな富士であった。7日は義理の兄の三回忌、富士を眺める墓に家の葡萄を供えようとしたが色づきが悪く諦めた。冷蔵庫に入れて冷やしたら結構美味い。
13日は中秋の名月(旧暦の7,8,9月の満月 9月7日から10月8日の満月を言う)、秋の夜が忍び込み季節は秋にと思いきや台風15号が去りまた猛暑日になる。体に負担がかなりある。
秋彼岸、早々に我が家の墓と妻の実家の墓参りを済ます。
春の彼岸は寒さが緩み、秋の彼岸は季節の秋の様相に体も心も癒される時期は墓参りなどに丁度良い。
NHKの「寺じまい」のドキュメントを見る。墓じまいと共にこれからますます増えてくることだろう。
ラグビーのワールドカップが始まり見始めるとかなり面白い。ビール片手にテレビ観戦をと思うのだが何故か気まずい我が家である。日本チーム以外の戦いもついつい熱が入りサッカーや相撲、テニス以上に熱くなるゲームな感じがする。
葡萄に二番咲きの可愛い葡萄の房が幾つか付いている。秋は物思う時期かもしれない。寂しさが漂う季節でもある
日本がアイルランドに勝利、番狂わせに日本沸騰、益々熱くなる
『9月28日、ラグビー日本代表は世界ランキング2位のアイルランドと対戦した。事前の見立てではアイルランド優勢だったが、蓋を開けてみれば、19対12で日本が見事勝利。前回W杯の対南アフリカ戦に続いて、2大会連続のジャイアントキリングを果たした。』
諦めずに日本女子のバレーを観戦、負けが重なるが残りの三試合は打って変わって小さな日本の選手は勝利。予期せぬ試合に唖然とする。
カラスは何しているのかな 向かいの両隣の家の電話線の引き込み口を突いている。
情報を盗んでいるのかも
静かな暁ごとに自身を観ずれば、まだ深い迷妄の夢の中にあることが悲しい
じっと眺めていると、自分の袖も涼しく感じられる。川風が吹く、天の川の川原の秋の夕暮よ。
朝早く外に出たら朝焼けが東の空が一面に茜色にて目を開けられず
10日、ノーベル賞の化学賞に吉野彰選ばれる。(リチウムイオン電池の開発) 日本は乗りに乗ってツキを呼ぶかな
昭和33年の狩野川台風に指摘する台風19号は12日午後から荒れ始める。 伊豆を直撃 我が家の上を通過したが 何の被害もなく
安堵していたら翌日の報道は次から次へと河川災害が明らかになる。やはり巨大な台風であった。
夜が明けて 被害甚大 繰り返す
河川の脅威 日本の地形
12日午後からの台風が去り13日の明け方に西の空に月が煌々と輝き、夕方は東の空にまた月が輝いていた。月を眺めて物を思う
13日ラグビーのスコットランドの戦いに勝つ。ワールドカップの予選通過に興奮する日本。 家族も我も然り
平安の装束にて天皇陛下の即位式が開催。生憎の天気は雨のなか、厳かに行われた。
台風が去り、やっと秋晴れが続く。
ピラカンサや南天の木がぼさぼさとなりそれらを手入れして一日を過ごす。山に行くのも良いが秋晴れの中一日を庭木の剪定して過ごすのも良い。
金木犀の花が落下してくるのを眺めつつ静かな時を自然と向き合う楽しさは年のせいかも。
よだけし (おおげさである。仰々しい)
31日 首里城炎上
2日ラグビーも南アフリカの優勝で幕が下ろされ、ワクワクする時が過ぎ去る。
はや四十年の時が過ぎたか。(結婚してから四十年が過ぎる。結婚式は11月4日)
たまの休みは庭いじりで過ごす。ミカンの木がカイガラムシで白くなっていた。ツワブキの花が咲きだした。
門池は秋の陽ざしがさんさんと、子犬と妻と娘で池を一周、ヘラブナの釣れた釣り師は魚をリリース。三十センチはあったかな。
嵐が9日、東京・皇居前広場で開催された天皇陛下の即位を祝う民間主催の「国民祭典」の祝賀式典に出席し、両陛下が二重橋から見守られる中、奉祝曲を披露(Ray of Water)「Journy to Harmony」を熱唱
13日 夜空に満月、雲一つなし つい見惚れてしまう。至福の時間であった
ハヤブサが 竜宮離れ 帰還とか
科学は進化 月は変わらず
最近の思いつく事(教訓らしく)
25日 食は人生
28日 気分次第で
てきぱきと 体動かし 行動を
無理な笑ひも 老化防止か
日々それとなく過ごしてはや霜月の晦日、今日は高尾山祭典の日である。梅雨の様な時雨の日が続いたと思ったら急に真冬の陽気になって驚く。天気は晴天で紅葉も見頃かと思うが庭をブラブラし、木犀の木の剪定をして、冬日のあたる居間でうつらうつらしていたら夕方になった。見事な紅葉にも憧れるが庭の木々の移ろいに季節を感じるのもささやかな楽しみがある。四つ溝柿を食していると格別な晩秋を感じる。明日から師走、日曜日であるが出勤する。何故か味気ない気がする。
冬晴れがやっと続いたと思ったら、今日は一日中寒い曇り空 雪でも降ってこないかな
朝ぼらけ 暗い夜空を眺めれば 星が流れるを見る
久々に紅葉の景色をと天城の滑川渓谷に行けば
15日久々にスーパーに行くとクリスマス関連の商品や正月飾りが目に付く。
それを目にしてあまりにも早いのではと思った。完全に時勢から抜け落ちている自分を発見。
30日に正月飾り、お寺の付け届け、神棚のお札をもらいにと一日過ごす。
静岡学園が見事な逆転勝ちで全国の頂点に立ち、興奮する。
阪神淡路震災よりはや25年となる。
庭の梅がポツポツ咲きだして、小雨の寒い日を楽しませてくれる。
薔薇の実が一つ生っている。箱根は雪らしい。25年の年月を庭を眺めて振り返りつつ、明日に繋げる気持ちが湧いてくる。
あと何年かの残りの人生を無理をばせずに、楽しく生きたいものである。
精神科の病棟の 認知症かな 様々の症状についあきれてしまう
我が家の梅が八分咲きに
香貫山を一巡り 犬と娘と海山眺め春の臭いを探り楽しむ
明日は節分、昨日も今日もポカポカ陽気の良きひなり。一年で最も寒い時期が良きひなり。
陽だまりで梅を眺めて金柑かじる。なにするでないが、心満たされる。
新型のコロナウイルス蔓延す。封じ込めるか世界の風潮、試されている人道支援。
なんとなく体が寒さに慣れた気がする。
新コロナウイルスの肺炎がまん延、収まる気配がない。そのうちに日本全国感染者が出て来るかも。
早期のワクチンとかの対策が出てきてほしい。
鉢植えの椿が開花、梅はすでに散はじめ。河津桜は今年は早く咲きだし、今頃は満開だろう。
金柑の実がやっと色づき、ちょくちょく摘まんで食べて、種を吐き出し美味い時期になった。
昨日の月は満月か、夜空に浮かんで、寒さがつのる思いである。春の気配は何処からくるか、
月から、風から、庭の花からと色々思うと春が待ち遠しくなる。
四月の陽気に体がついて行かない。急な気温の変動に体がだるい。
昨日はバレンタインデー 例年の如く娘らよりチョコをいただく。ウイスキーボンボンと獺祭のチョコ。食べつつ酔うかな。
日本でも新型肺炎が広まり始める。世界経済、とりわけ日本経済へのダメージが心配、オリンピックは開催されるか。
NHK「駐車場の片隅で」を見る。道の駅などで寝泊まりする車上生活者のドキュメント。
春一番の後は急に春めいて暖かくなってきた。
花粉が舞って鼻水が止まらない。
新型コロナウイルスはパンデミックの様相、日本も拡散防止の瀬戸際は過ぎたらしい。
チューリップの葉が伸びてきた。春が駆け足でやってきた様だ。
23日は富士山の日、山歩きしようと言う気分が蠢き始めた。
学校は休校に スポーツのイベントや卒業式は取りやめ 人の集まりを止めて コロナの封じ込めるか
意外なことに マスクを初め トイレットペーパーとかの商品はどの店に行っても棚になし
世界株安が始まる 戦争の勃発の如し
三月三日のひな祭り 寒冷の月も朧月夜の風情が漂う
3/11 東日本大震災の九年
12日聖火リレー始まる(13日ギリシャでのリレーは中止、東京に聖火を移送とのこと)
2020年3月13日世界の株の同時暴落、24000台が本日17000に暴落
新卒の内定の取り消し(経済の急降下、人員の削減の情報が巷を覆う
WTO 新型コロナウイルスはパンデミックと断定
春彼岸 墓参りする 妻の実家や 我が家の墓や妹の連れ合いの墓
我が身が墓に入ったら何を土産に、何を報告すればよいか そんな気分の墓参り
結局どんな生き方を目指して生きて来たかが全てかも
老人ホームの光景を目にしつつ
新型コロナウイルスの状況はオーバーシュート(感染者の爆発的な増加)からロックダウン(都市封鎖)への危機が帯びてきた。
不要不急の自粛モードの中、爆発的な増加の脅威を憂う専門家おり、景気後退先読めぬ若者の退廃ムードに脅威を感じる。
横文字のパンデミックやオーバーシュート、ロックダウンの言葉に迷う
詫び暮らしをしていたので、浮草の根が切れて水に流れ去るように、私を誘ってくれる人があるなら一緒に行こうと思います
色には見えず、知らぬうちに変化するもの、それは世の中の人の心に咲く花だった
天気が安定せずに久々の初夏の陽気の一日を家でブラブラ、夕方は穏やかな日が暮れようとしている。
カレーの臭いがしてくる。ささやかな焼酎を飲もう。
新型コロナウイルスの「緊急事態宣言」が出て、観光地を始め行楽地は休館が続いている。
呑み屋を始め密接、密閉、密集場所は避けよと言う。いつまで続くコロナ騒動、一年二年の長期になるかも。
その間の医療崩壊、経済低迷、失業、倒産と悪い事案は避けられず。
早急な治療薬やワクチンがでなければさらに悪しきことも想像。
吉野の象山の山あいの梢では、こんなにも数多く鳥が鳴き騒いでいることよ。
夜が更けてゆくにつれ、久木の生える清らかな川原で千鳥がしきりに鳴いている。
みさごの棲んでいる磯辺に生える名告藻ではないが、名前は名告ってくれ、たとえ親が気づいても。
新型コロナウイルスの動向を見守っていたら早や五月に入ってしまった。感染は全国的に減らず緊急事態宣言は今月一杯となりそうな気配、世は自粛ムードが本格的になり半月が過ぎたが効果は今一、学校も9月開校の説も検討される雰囲気である。
こんな時だからこそゆっくりと自分の来し方行方を考えるのも良いのかも、人が変われば世の中も変わってゆくのは事実、ある意味で生き方の転換期を迎えたのかもしれない。それが何かははっきり言えないがなんとなく感じるものがある。
昨日は八十八夜、先日新潟の知人から山菜が届き妻の料理に芽吹く命の味を堪能した。庭は百花擾乱の様子を呈してバラや草花の咲き誇る様は例年の如く晴々としてくる。
ぼさぼさの切っても生えるカボックに八つ手の実の様な花が咲いた。二十年以上経たないと花が咲かないらしい。花言葉は「実直」、知らずに煙たがってきたカボックに愛着が湧いてきた
アメリカの先住民は季節を把握するために、各月に見られる満月に名前を、動物や植物、季節のイベントなど実に様々につけていました。 7日は満月、五月の満月を「フラワームーン」とよぶらしい。
新型コロナウイルスの対策としてゴールデンウイーク明けの緊急事態宣言の見直しの6日が過ぎ、新たに今月一杯迄伸びた県もあり、また平常に戻ったところもあり ウイルスの脅威もあり今後の人の動きや経済の動きなど予断を許さない。
このところの夏日、真夏日も今日は雨空、涼しい土曜日を横になったりパソコンいじりまた寝たりの繰り返し。
「コロナ禍」により生活スタイルが変わると言う。長期戦の戦いの予感もするしその報道もされる。経済は戦後最悪、いずれも予断を許せない。学校は来週よりボチボチ始まる。
庭の隅にスズランが咲いているのを見た。オダマキは今年は見ない。例年の如く咲きだす花に季節を感じ、咲かない花に時のはかなさを感じる。
なんだかんだで五月は終わる。明日は水無月 梅雨入り間近、長い休校が終わり進級、進学の遅い時期になる。
建前と本音 「ツバメや鳩の巣による糞の汚れと鳥獣保護法」 「新型コロナウイルスの異常事態宣言の継続か、倒産や失業者の防止のための経済を優先するか どちらも同じ問題が内在しているかも。
米国の黒人を膝で押さえて窒息死させた警官 非常無情に抗議の暴徒。
米国を代表するトランプ大統領の数々の暴言を憂う。
繰り返す人種差別化とも見える黒人の迫害 知りうる以上の根の過去があるか
18年前の六月六日 叔父が母の病を心配し、ドジョウを張れば助かると
そんな叔父も早や三回忌かも
北朝鮮による横田めぐみさんの父 横田滋さんが昨日逝く。
43年間の時間を救出活動に費やすも「再開」の目標を果たされなかった。
12日に梅雨入りになった。昨年は枯れそうなマキの木が息を吹き返したように緑に彩られて嬉しくなる。貰ったひまわりの種はぐんぐん育ち楽しみである。
雨の音を聞きながらコロナ禍 を漠然と思っていると、コロナの自粛からコロナの感染状況が漠然と把握されてきたように思われる。WITH CORONAと言った感じで諸々の異常事態宣言は解除されてきた。インフルエンザの方が感染者も死亡者もずっと多いと聞く。もっとも解除後東京は増えつつあり警戒が必要ではあるが。
アメリカはまた警官の黒人の逮捕時の死亡と言う結末が火種となり人種差別を蒸し返し暴動となる。日本は少子化が進み、毎年50万の人口が減るらしい。諸外国の人らの移民が増えてそれを補うだろう。人種差別はないことを願う。
21日父の日の娘らに貰う「白隠禅師」の日本酒はビールと焼酎と共に当分日本酒の晩酌が加わり喜びが増す。ビジネスバックも貰い使い道に迷う心配もある。一線を退いた身にビジネスバックはパートの弁当入れに活用するしかないか。寂しさもある。
24日は水曜日の久々の休み、片付けらなかった諸々を車に乗せて焼却場にもっていく。始末の悪いものはパソコンやインクカートリッジで、何年も前から物置に入れたままの状態、だれか持って行ってくれませんか?
漠然と庭を眺めて向日葵の成長の違いを実感。地に植えたものと鉢植えの苗と同じ種でありながらこうも成長に違いがあるかとつくづくと眺め、人の成長も同じようなものかと思う。環境しかり、やる気も然り、諸々の要因と環境とが人の成長にかかわっているのだろう。
プロ野球も無観客ではあるが始まり、コロナ禍のなかその他のスポーツも始まる様だ。新たな生活習慣が当分根付いて行くだろう。私の新たな習慣は、TVを見ながら寝てしまう事。数時間後の目覚めの後の寝つきの悪さに悶々とする。これは止めなければと思うが意思とは別の自然な現象と納得をする。
熊本の球磨川は長雨の影響で増水し氾濫して被害が出ている。今年も九州地方は豪雨の被害に苦しむ予感、線状降雨帯とかゲリラ豪雨の言葉は聞きなれてきているが、例年の被害は年々激しさを増してきた感がある。近くの伊豆半島も土砂崩れなどが発生している。
今日は娘の誕生日、自分の誕生日を先取りする予定、寿司は欠かせないが、あとは何が出てくるか楽しみである。
このところの梅雨前線の影響で日々雨になり気分も暗くなる。こんな時期があるから夏空が恋しく、楽しみも増すのかも。
苦あれば楽あり、ではないが多少は気持ちの持ちようなところもある。新型コロナウイルスの感染者が増加し始めた。自粛ムードの解除に破目が外れた様だ。
強風に向日葵の苗があおられて、無事な姿に一安心。洪水の心配もあるが今の所被害は出ていない。まだ何日かは同じ天気が続く気配にうんざりしてきた。
12日は私の71回の誕生日 過ぎたるは夢の如し、あと十年も光陰の様に過ぎるはず。
日々のパートの仕事に疲れ、何も手につかない日々が続く。空しむもある。
九州の豪雨災害の全容は予想以上の結果となる。例年の台風被害も悲惨であるが今年のコロナ禍とのダブル災害に日本列島はどうなることかと心配になる。戦後最悪な令和二年、新たな年は最悪な状況になってきた。
世界情勢も混沌として一般常識が通じないのが政治らしい。中国の香港や台湾との関係、朝鮮半島の北と南は以前の敵対関係に入り、アメリカの保護主義はエゴ主義となり、ロシアの憲法改正によりプーチンの独裁国家は継続される。世界各地で内戦が続く。聖者の声は聞こえない。聖者はいないのかも。各々の国民、民の声も発せられないのが現実なのか、世界情勢闇の世に入る。
なんとなく空の様子が変わってきたような。
時々青空がのぞき、向日葵の花は萎びてお辞儀を始めた。
蝉の鳴き声目立ち始めて、葡萄を啄ばむ鳥を朝目にした。
新型コロナの感染者がこのところ千人台を更新して拡大している。第2波の様相。
浜松や熱海のクラスターの感染者が増えて、我が沼津や周辺でも増えてきた。
政府のGoToトラベルの企画や自粛ムードも緩み始めた矢先の結果、暗雲の立つ。
身内の通夜に行ったがコロナ禍のため精進落としは無し、弁当を貰って帰る。
坊さんの読経はマスクを外していたがそれ以外はマスクを使用、三密防止が図られていた。
相撲やサッカー、プロ野球 スポーツにも観客導入 やっと無観客試合を脱して来たが、この先如何に変わるか。
異常な暑さに熱中症?朝起きたら目眩が。二年前の目眩と同じような感じだが(突如難聴、血圧が高く耳鼻咽喉科で目眩防止の薬を飲む)今回はそれほど血圧が高くない。睡眠不足による自律神経の異常では。熱中症だろう。
8日 葡萄の収穫 袋掛けした房を、収穫し鳥に食べられずに実った房も収穫。例年より二週間早く色づき、想定外。
浜松は41.1度を記録して今年最高の全国の記録を更新らしい。相変わらずコロナの感染者の増加は続き、経済を直撃している。景気の回復は当分無理らしい。当分熱帯夜が続くらしい。
白薔薇が枯れてしまった様だ。たいして手を入れなくても毎年綺麗な花を咲いていたことを思えばらしくないこと。任意保険の代金が5千円増加、価格改定とからしいが納得できない。しかし継続の書類を提出する。自分らしからぬ対応に年波を感じる。
何はともあれ涼しくなってほしいものだ。久々の平日の休み、歌を詠もうと思うが心境には程遠い。
知らぬ間に白薔薇枯れた。幾年を庭を彩る白花があっという間に枯れていた。
この木は幾ら切ってもぐんぐん伸びて予想だにしなかった出来事。
妻の誕生日、膝の骨折はだいぶ良くなるがびっこで歩く姿は痛々しい。
酷暑が日々続くが夜の空気にひやりとした一瞬が出てきて季節は晩夏に入ったのかな。
夕暮の庭で一服涼むことが出来る。知らぬ間に蚊の餌食でも庭の木々のセミの抜け殻を眺めつつ、トンボを追って眺めればコロナ禍の時を一瞬忘れて過ごせる。何処にも出かけぬ日々に鬱積が溜まるようだが其のうちに近場の山に登ろうかな。
安倍総理の総理の突如の辞任表明 問題数多、日本の行方は
かってない台風が近づいて、連日報道 温暖化かな
医療従事者に金五万円 吾も貰える病院清掃 寿司でも食おう
報道は かってなき 台風か
肝冷やされて 進路見守る
大坂なおみが全米オープンテニスを制覇、、ブラックマスクに黒人の差別で亡くなった方の名前を書いたものを付け、決勝までの七枚を無事に披露できた。人種差別に対する自己の抗議をマスクに託した行動は勇気があったと思う。モチベーションの後押しが優勝に導いたのかもと思う。
このところ朝晩の涼しくなって、はや季節は初秋に入るかな。もうじき彼岸入りになる。
秋と言えば秋刀魚、秋刀魚高値で口には入らぬ。年々海の魚の異変に驚かされる。
菅総理が誕生、明日は閣僚の発表とか、菅総理の経歴はまさしくたたき上げの人であり、秋田は湯沢の出身、高校を出てアルバイトをしながら学費をためて法政大学に、その後も政治家を志して市会議員、衆議院議員と実践してきた。難題が山積みの時代にどんなかじ取りをするか見ていきたい。
22日の夜の星の輝いて、驚くほどの輝きにしばし我を忘れる。
其の日の朝の清々しくて、富士が全容を表していた。しばらくはコロナ禍の為自粛をしていたが、どこかに出かけようという気持ちになる。朝、娘が長者ヶ岳に愛犬のビスコと出かけると言うので急遽自分も行くことにする。
現地に10時に着、長者ヶ岳に着くと冨士はすっかり雲に覆われてしまった。久々のハイキングは心地よい疲労を残す。小犬のビスコは殆ど自力で歩き、疲れたのか車の中ですぐ寝てしまう。
夕食はお萩と団子と稲荷ずし、 ビールを飲んで疲れを癒す。
28日 富士の冠雪
先日の冨士に冠雪は甲府からは解らなかった。今回は正真正銘冠雪と言う。
1日は中秋の名月、月が綺麗に見えた。その左側に輝く星は火星らしい。眺めているうちに我が来し方の遠回りした経過を思いつつ名月を堪能した。朝晩はめっきり涼しくなってきたが、虫の音は無し。秋は駆け足で通り過ぎる気がする。
玄関の入り口にあるカボックを思い切ってカットすると、 入口周りの空間ができでゆとりが生まれる。嬉しくまた晴れ晴れとした気分を味わう。
コロナ禍の時に生活様式が変わった気がする。外食をせずとも日々の食事が美味くなった気がする。慎ましくとも日々健康であることを有り難く感じる。
金木犀が咲きだして匂いを嗅げば季節の移ろいを鼻で感じる。ピンクの薔薇は三十年の花をつけて咲いている。派手さはないがよく枯れずに咲いていることに感じるものがある。
今日は急に寒くなる。11月末の陽気になり暖房がほしくなる。
昨日は登山靴を購入、一万七千円をはたいてしまう。これが最後の靴になるのかも。我が人生も終盤にかかってきたのかな、あれもこれも最後の購入となるかと考えると寂しくもある。もっと前向きな考えがあってもと未来志向の思いはあるが。あと十年後の自分はどうなっているのかな、できれば元気に日本中を新たな愛車で旅していることを願う。
海や山川 昔は自然の生き物が満ちて自然の幸や自然の驚異もすべてが自然。そんな世の中が 今は海が枯れ山が枯れ コロナ禍の世の世知辛い世に 幸せとは何か。
空間、時間が科学の進歩と同時に狭く、短い時間と変わって 世の動きがすぐに世界中を駆け巡る。コロナも然り、人との交流、地球規模の体を要して伝わる時代になった。
今日は十月二度目の満月、10月に満月になるのは1974年依頼46年ぶりとのこと。次回は2058年の38年後とのこと。ブルームーンともいうらしい。今日はハロウィーンでもある。
秋晴れの中ミカンの木を剪定、このところ蜜柑の木がカイガラムシに感染してミカンの収穫がなく本日改めて気を切ってカイガラムシを除去、梅の木のカイガラムシの対策にもはや三年、植物の病気は次から次と発生する。バラも葉が黒点になる黒星病に感染して苦労している。
もうじきアメリカの大統領選挙、どんな結果になるのやら人間の叡智に期待をかける。あと数年は我が家の木々もコロナの感染も解決は難しだろう。旅行や外食もしたい。自粛生活に疲れてきた感がある。庭木の病気は自分の課題である。じっくりと取り組んでいこう。
今日は41回目の結婚記念日。例年娘のプレゼントで記念日を悟る。
ことしはワインを貰った。
来年は丑年、はや六度目の自分の干支
まだまだ未熟 あと二十年はかかるかも 己を悟る日まで 一生解らず終わるかも 寂しき人生
歌のテーマもコロナ禍の為乏しいが、紅葉の名所が取り上げられる時期になった。三密防止の為、外出自粛のムードの中、近場の愛鷹公園と門池を散歩がてら歩いてきた。小春日の中門池では「ワンちゃんフェスタ」が開催されており楽しませてもらった。
マスクを付けずに来た自分の姿が奇異に思えてきた。世の中は変わったと実感。
マスクは化粧以上に素の顔を隠す効果がありはしないか。特に女は化粧以上に化けて、皆美人に見えるから不思議である。
若山牧水の紀行文を「青空文庫」で少しづつ目を通す。意外と沼津近辺の山や富士山の景色を取り上げているところがあり実感として理解できる。旅に欠かせないのは「酒」でありこのところも十分に同調する。
「樹木とその葉」「みなかみ紀行」などや「酒と歌」などを読んで、牧水の歌の中に潜んでいる生き方を垣間見る。
沼津の愛高山に登った時の様子など自分の子供の頃の山の記憶になんとなく当時の様子がリンクしているところもありりそうだ。
今はしっかりした道路になったところも自分が小学校の頃は今の愛鷹球場(少年自然の家)までは舗装は当然されてなくて山林や畑の林道を大八車が通り、馬や牛の糞をよく目にしたものである。そこから水神社までは道なき道の山道を草を掻き分けて行った。今の愛鷹山山塊は車で水神社まで行き、そこから愛鷹山や位牌岳迄の登山する。昔の記憶が改めて蘇り幾度となく登った山も改めて気に入った山となる。自分には箱根や天城以上に親密な山である。
夜空にうろこ雲が東の空から流れ出すように上空をおおっていた。
月の光を浴びてうろこが輝き見惚れて居たら流れ星が北東方向の地に消えていく。
原子とか 周期律とか コロナとか
電子に質量 何もかも未知
22日は冬至、カボチャを食べて、妻の料理の腕を改めて感じる。三日月が空に浮かび子供の頃の正義の味方「月光仮面」を思い出す。
22日 冬至
26日 赤蜻蛉みる
ポカポカの陽だまりの庭を眺めていたら一匹の赤蜻蛉が飛んできた。暮れのこの時期にトンボが居るとは以外である。
今年の暮れは何もかもがコロナ禍で経済失速、厳しい自粛の時を迎えた一年である。そんな中でも自然の中にささやかなたのしみを見つけてはいる。
正月元旦のみの正月であった。コロナ禍の初詣も止めてささやかな家族と犬一匹の元旦を過ごす。
昼は庭でバーベキュー、夕は寿司を食して新年を祝う。犬のミニピンのビスコはいつも主役、遊び疲れてすやすやと我が腕の中で眠りに入るが体重3.5キロの、其の重たさが気持ち良かった。何はともあれ皆が健康に過ごしてくれることを切に願う。
コロナの感染者が日本全国に蔓延し、異常な増加傾向が心配である。ワクチン接種は二月ごろから可能とも聞くが副作用などの心配があるかも。難しい選択が迫っている。
年末の日枝神社のおみくじは小吉、幸先はよい様だ。今年の干支は牛で、自分は年男、72年はあっけなく過ぎた感があり、我が人生の味気無さをつくづく感じ、あと二十年もあれば少しは悟るものがあるのかな。
丑年の歩みは遅い、恐ろしく遅いと思うがここまで来たら牛歩の歩みを貫いて行く。歌詠みは思想家、哲学者、詩人、我の道はまだまだ果てしないと実感。
1/7日 七草。江戸幕府が定めた「人日(じんじつ)の節句」 3/3「上巳(じょうし桃の節句」、5/5「端午」、7/7「七夕」、9/9「重陽(ちょうよう菊の節句」
正月の御馳走に疲れた胃腸をいたわり、青菜の不足がちな冬場の栄養補給をする高揚もあり、新年の無病息災を願う
焼酎、ビールや日本酒を日々飲んでいるが、 久々に買ったウイスキーが美味かった
コロナ禍の感染者には同情と誹謗中傷があると聞く。十年前の東日本大震災の被災者にも多くの支援と誹謗中傷があったと聞く。
人の心には同情と誹謗中傷の心理が潜んでいるのは経験的に真実であろう。寂しくもあるが
コロナの感染拡大に比例して株高が続く 倒産と失業増えても株高の理解が出来ず、金余りかも
久々の雨が降る 日々眺める冨士は青々として白い模様が流れ落ちていたが
雨が上がらば 真白き富士かも
沼津の地名が全国に 一つは出身者が芥川受賞 名は宇佐見りん、著名は「推し、燃ゆ」
もう一つは東部館内の保健所管轄で新型コロナの変異株が出る。沼津とは言ってないがなんとなく不気味な出来事
24日雨上がり、雪を纏わぬ富士も真白に化粧して富士はやっぱり青空にこの景色が似合う。
庭梅は三分咲き、この時期のそれぞれの趣を肌で感じる日となる。
2日節分、3日春分、4日春一番が吹く。6日、弥生の陽気に陽だまりが気持ちよい。
如月は 春に向かって 忙しなく
春一番も 忙しなく過ぎる
コロナ予防注射の始まると言う
13日夜の11時過ぎに福島県沖で地震が発生、最大震度は6強、マグニチュードは7.3十年前の東日本大震災の余震らしい。
沼津も激しい揺れにビックリしたが地震の予知はまだ無理だろう。備えだけは日頃しておくことが勧進、富士山の噴火を初めとして日本中の何処でも災害が発生しても不思議ではない。「災害は忘れたころにやって来る」。
21日、真冬から初夏の陽気になり、驚くが温暖化とか異常気象とかの言葉は当たり前の状態になりつつある。氷河が融けて海面が上昇するとか、森林が減って徐々に砂漠化して食糧不足になるとかの問題は2030年の差し迫った出来事と聞く。地球規模の警告はすでに始まっている。コロナワクチンが始まったが年内は今までの様に不要不急の外出をせずに手洗いとマスクの着用が必要、東京オリンピックはどうなることか差し迫った問題がある。
二月も明日を残すのみ、朝から葡萄の木の剪定をする。結構枝を摘めたので心配になる。梅の花が散って樹形をしようと眺めて、右上の枝が平行に伸びた部分のどちらかを切らねばと思いつつ衝動的に上側の枝を切る。違和感が無くホッとするがこんな無茶なやり方は慎まなければならない。庭木の剪定を今まで数限りなく実施してきたが結局は思いきりによるところが多くある。人生の選択に神頼みなど、結構一か八かの選択もあった気がする。後は努力次第か神頼み、生きるってそんなものかも。これからの本格的な春の音連れに、良き日が続くことを神頼みしよう。コロナの終息に神頼みしよう。
三月三日は桃の節句、耳の日と言うが、我が家の鉢植えの椿が咲き、椿の日でもある。日々暖かさを感じるこの頃であるが、コロナ収束の気配が今一で緊急事態宣言の七日までの宣言解除に今一の明白な減少が見られないのが世間の、政府の心配事となる。ワクチン接種は始まったばかりで相変わらず三密防止は避けられないのでは。我が家の節句の雛飾りは玄関の飾り棚にミニチアのウサギの雛が飾っていた。
これからは一雨ごとに春の気配が訪れる季節になった。一雨ごとに命の芽生えが感じることだろう。何かをするということではないが命の芽生えや、うまれいずるたましいの生気を感じる季節でもある。我も心に疼くささやかな心のうごめきを風の中に感じる。もうじき桜の花が咲くだろうが桜の時期の出来事は兄や弟の旅たちの時期でもあり辛い時期でもある。たえて新たな旅立ちが出来ればと心に飛躍の芽生えを感じる投企の時でもある。
コロナ禍の日々情報に注意しているが本日沼津の杉山病院でクラスターが発生、しかも32名と言う。他人ごとではない。コロナワクチンの接種が始まって、今後は下火で推移するだろうという矢先の事件に驚かされる。やはり年内中は三密防止とマスクの使用は避けられないものと思う。
今日はぽかぽか陽気の五月の天気になり気温の変化に驚かされる。庭の金柑がだいぶ甘くなり日々摘まんでいる。この時期の庭は例年のことではあるが春の草花が顔を出して楽しくなる。薔薇も金木犀も新芽が伸びてきた。知らぬ間に木々が大きくなっているのにも驚かされる。十年ひと昔と言うが過ぎればいと早いものである。驚かされることがおおいい事が富に増えるこの頃ではある。
20日例年の如く墓参り
親類の立派な墓は 花が枯れて線香さえも上げるものなし
里山の香貫山は白の斑があちらこちらに目立ち始め、桜が咲き始めたらしい。早々に近場の花見のドライブに出かける。
沼川添いはまだ五分咲き、愛鷹の運動公園は八分咲き、チューリップや菜の花畑が綺麗で、枝垂桜の花芽も可愛らしい。門池の駐車場は満車で諦めて帰宅。帰りにスーパーによって昼の食材を購入、家でゆっくり酒を飲んで春の花見の宴会をひそかに楽しむ。
新聞の富士霊園の桜が満開との記事をみて明日は雨の天気予報もあり今年最後の花見に出かけた。
霊園の桜並木は花がひらひら舞って、ツツジや椿やレンギョウの花が色どり、ユキヤナギも綺麗である。生憎富士は雲の中であったが初夏の日差しのような日を浴びながらスナップ写真を撮りながらのお花見はコロナ禍の出店もないが愛鷹つつじの華やかな色がアクセントとなり桜ばかりでなく景色を堪能する。
近所から筍を貰う。例年の季節の便り美味くても、日々筍に飽きても食うかな。
山菜の新潟からの便りくる。皆が美味いと、我は味せぬ、だけど美味いのだろう。
当然の春の嵐か。時々の朝晩寒し、春の音連れまだ寒しバラの花咲く。
東の空には夕月夜、ピンクムーンは初夏の訪れを祝うがごとし。
ゴールデンウイークも変な天気でスタートを。午前中の焼け付く日差しがさんさんと、ブドウの摘粒を早々にした。昼頃から曇って雨がぱらつく。小犬のビスコと愛鷹運動公園に散歩に出かける。雨曇りの中に時々陽ざしが射して、トラックでは静岡県の東部の高校生の競技会が開催されていた。若いって素晴らしい、ぴちぴちした少年少女の姿が眩しくて、山の緑が眩しくて、この季節ならではの感傷に浸る。
庭の葡萄の成長や、バラの花々、ピラカンサの白花は見事で初夏の疼きを掻き立てる。夕は雷が聞こえたが静かな夕は雨の激しいさの音が気持ちよく聞こえる。
8日 携帯のÐポイントやD払い 設定の時間にかかる。 idアカウントやパスワードなど色々な問題が襲い掛かり、相当に疲れる。その後に行ったクリニックの血圧検査は、それが影響したか高い数値の134。先日のスマホの交換にも時間を要した。もっと簡単な手続きで済ませないものか。最新機器のAI付きの写真機のスマホ購入したが。
曇りの予想が晴れの日に、皐月が咲き初めて皐月の盆栽に夢中になった二十代の頃がなつかしく思われる。今は皐月の二本のみ路地に植えているがツツジの後の花に嬉しくなる。珍しく水遣りをした。ブドウの葉がかなり増えて、花が咲きだした。早々に摘心、摘粒の房づくりをした。はや四十年近く栽培してきたが納得したブドウは作れず諦めては気を取り直して栽培してきた。ついでに庭木の手入れをして一日を過ごす。来週の天気予報は雨の日がおおいいらしい。ボチボチ梅雨入りになるのかも。紫陽花の花芽が少ないのが気にかかる。
梅雨が今年は早く入り、梅雨の嵐にうんざりしたが、久々の晴れ間に嬉しくなる。
21日にコロナワクチンの接種を受ける。日々注射の光景をテレビで目にして痛そうに見えたから緊張したがなんと言う事はなくチックとした感じで終わる。翌日接種の部分が痛かったがその後は何ともない。あと数日で抗体ができると思うと接種してよかった。
NHKの「ダーウィンが来た」の番組で鳥の会話の紹介があった。犬や猫ばかりでなく、生きとし生けるもの、何らかの意思の疎通があるのだろう。
六月に入ると皐月が終わり、紫陽花やギボウシなどの花が咲きだした。梅雨の時期の始まりを感じる。駐車場の車がどけば、その後にネジバナが二十以上咲いていた。庭に例年バラバラに咲いていた。ブドウの実が大きくなってきた。順調に育ってほしいものだ。
アガパンサスも咲きだした。梅雨の花は涼しげな薄紫が似合っている。
アルツハイマー型認知症薬がエーザイと他のアメリカの製薬会社が開発した情報が流れる。どうやら治す薬ではないらしい。早期発見がカギとなるが年寄りの悲惨な現状を目にしていると素晴らしい事と思う。高価な薬で無料なワクチン接種の様に65歳以上の人の接種が望まれる。
梅雨の時期の薔薇や葡萄の病気が気になる時期が来た。毎年のことではあるが薔薇の黒星病、ブドウの葉が枯れたり穴が空いたりといろんなことに苦労する。コガネムシやカミキリムシの被害も気を遣う。細菌やウイルスなどの病気は生きとし生けるものの宿命だろう。日々少く生活に注意して免疫力を上げていく必要性を感じる。今年こそ美味しい葡萄をと日々眺めては楽しみな時でもある。
24日 聖火ランナー
梅雨の庭、百合の大輪の花が眩しく咲いている。嬉しくなる我が家の庭は日々妻が手入れをしている。
「末の松山波も越えなむ」末の松山」とは、宮城県多賀城市にある歌枕とされています(諸説あり) この地を津波が襲っても、「末の松山」だけは絶対に越えないことから、男女が末永く契るたとえに使われています。
寄る年波を越え、老いてしまった我が身があわれだ。今年も歳末になり、「末の松山波も越えなむ」と言うが、このうえまた一年を越えてゆくのだ。
3日 予期せぬ地元が水害に、大谷が打ち、藤井が勝って九段になって
4日 娘と我の誕生日
梅雨が明け、富士山覆う白雲がもくもく湧いて夏空暑し
海や山の臭いを運ぶ風を思うが、心は遥かビールのうまさに晩酌恋し
人も花も動物も生きとし生けるものはすべて苦の旅人と思う。救われるのは心の在り様と思うが。、 生きるって何、人生って何、すべては空しいことではあるがそんな愚問は何になる すべては空しい この一言に尽きるのでは?
日中の暑さは猛暑でも、朝の蝉の声で起きればひんやりとした空気が心地よい。
夕間暮れ涼しい風が肌に感じればこれまたうれしいひとときとなる。
色づいたブドウの収穫 今年は減らして形と味を求めたが予想をはるか その量に嬉しくもある
取れ過ぎて処理に困って我妻は皮をむいては実を冷凍したが
日々味わう ブドウは美味し よそ様に食べてもらうにはちょっと気が引ける今年のブドウ
7月23日から8月8日の東京オリンピック
色々なドラマが展開され、日々TVで観戦し、あっという間の閉会式。
コロナの感染が異常に増えて無観客の試合の中に、暑き戦いが展開されて夢中になる。
スポーツマンのオリンピック精神の輝きは夢の如く過ぎる。その後のはオリンピックロスの時がしばし流れる。
6日長女より クラスターが会社で発生の知らせあり、 高原検査は陰性と言う。
長女から10日、のどが痛くて病院に、PCR検査結果は陽性と言う。
長女との濃厚接触の妻が心配、自分は急遽勤め先の病院でPCR検査を受ける。 陰性なれど濃厚接触者と同じ14日間の自宅待機に。
妻と子と娘の旦那が検査を受ける。 結果が出るまで気が気でなくて、受験発表を待つ心境 。結果は全員陰性万歳と言うか安堵する。
むすめはホテルの宿泊療養、 熱が出て 食べる物の味や臭いが解らない様だ。 変異株は若者の重症化の傾向があるという。心配である。
日本列島に秋雨前線、線状降水帯が発生、九州はじめ、未だ無い大雨に洪水や土砂崩れ。
十月半ばの陽気に、寒さに震える。日々の曇りや雨にストレスがたまる。
開幕早々、雨に順延の甲子園、今日の試合は泥沼の中、試合にならずコールドゲーム
8/23めずらしく(半月ぶりに)陽が射して、海を眺めに千本浜に。防波堤を沼津港から片浜の沼川放水路の工事現場まで往復10キロ程を歩く。
釣り人や浜で遊ぶ人らを見ながら歩いていたらサンダル履きで靴ずれし、やっと戻れば体が日に焼けて、心地よい疲労がある。
静岡県もコロナの非常事態宣言、妻が濃厚接触者 14日間の自宅待機も明ける
例年より20日ほど早い冠雪、猛暑日の後の秋晴れの一日、富士を眺めて嬉しくなる。
世界情勢は混とんと、菅総理は一年で終わる様だ。総裁選には出ないと言う。パラリンピックの閉会式を見た。逆境にもめげず生きる力の素晴らしさに感動する。コロナの終焉は何時になるか、次のフランスのパラリンピックの時は世の中はどうなっているか、自分はどうなっているか不安と期待が錯綜する。
19日の夕間暮れのひと時の、月はほぼ満月か、空気が肌に快く、縁台に腰かけて月を眺めてボーツとしていたらもう彼岸の入りかと時の早さに驚く。
敬老の日 歳は取りたくないものと、長生きはせぬが肝心と思ってきたが知らぬ間に72歳、清掃などの肉体労働がかなりきつくなってきた感がある。新聞に癌以上にかかりたくない病気は認知症と言う記事が目に留まる。歳と共に体力、気力が衰えて、やがてあの世に旅立つが、うつつの人との別れを少しづつボケつつしていくことが成り行きなのかも。従ってボケることを苦にしなくても良かろうと言う人も。
余生を生きる目的に、同胞の旅たちを見送ってからとなんとなく我の宿命と思ったりする。役どころが悪いが。
百日紅の花が目に付く。桃色や白の花が散り始めている。以前、三島の仏閣を散策していたらやけにその木が気に入って、庭に植えたいものと思ったが、今はこうして適当に眺めていた方が良いとつくづく思う。
病は気から 一部心理かとも思う。特に悪いのは、悪いストレスが続けば命取りかも。十分に注意しよう。作り笑いでも良し、笑顔をたたえて生活しようとも思う。
日々感染者が減りだして、コロナも疲れか 原因不明
腰痛が始まった。脊柱管狭窄症は十年前 その後は問題なく過ごして来たが 思えば三十代頃から無理な姿勢の後は似た症状がちょくちょくあった様な気がする。
台風16号が伊豆諸島をかすめて通過して、急に大気が秋めく。星空の下、気持ちよい冷気に包まれて物思う気分になる。
自民党総裁は岸田に決まる。相変わらず旧態の派閥のドンの支配された結果に日本の将来が危ぶまれる。本命視された河野は途中でぶれた。自滅であろう。
丘ワカメのグリーンカーテンが台風接近の風の為に倒れた。庭のミカンや梅の木のカイガラムシの白い菌を刷毛でとる。天気快晴なれど何処に行く気にならず庭を眺めて一日が過ぎた。
嘘か真か
ノーベル物理学賞 眞鍋 淑郎(90歳)
病棟に悲惨な声がする
急に寒くなり季節がひと月前倒しの感じがする。十三夜の月の光りを受けて雲が流れていくが手前は左に後ろの雲は右にと流れ大気が流れている。澄んだ空に月が出て寒空を際立させている。秋の恒例の庭の薔薇は小ぶりだが咲き揃う。金木犀はまだ臭わないのが気がかりだ。日々忙しく生活していると季節の移ろいに鈍感になり、ふと季節の変化を感じる時に時の過ぎ行くのが早いと感じるのだろうか。
古の歌人を調べていくと 大友旅人とその子の家持、源 経信とその子の俊頼、藤原俊成とその子の定家
名だたる歌人の親子が目に付きだした。遺伝と言うか環境と言うかしかも子が親の上を行っている感じがする。
分化発展し再度統合するかどうかはわからない。
急な寒さの訪れに、体が迷うし冬支度はまだ先だろう。青空に木犀の香が漂う。青空の元出かけたくなるが、何もしなくとも日差しを浴びて心地よい冷気は体を包み満たされた気分になる。
伊豆の国市の中央図書館二階 来年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の展示会があり、その義時の生地を歩く
7年ぶりに韮山の「守山周り」他を訪れた。
42年目の結婚記念日、娘がウイスキーを買ってきてくれた。予期せぬものに嬉しさ増さる。
10日 山茶花が咲き、強風に紅白の花吹き飛ばされる。
23日 久々の紅葉狩りへと修禅寺虹の郷に
ものぐさの自分であるが、妻に車を洗えと言われてちょこっと清掃
我が家もはや25年が経過して、色々不具合が出てきた。月日の早さに驚きもし、人も家も老朽化したことを実感する。
1日、二日はパートの仕事 3日が休みで正月気分は一日だけの寂しい年始がスタート
以前は富士と梅のスナップを撮ろうと夢中になったが、最近は日々富士を眺め、家の梅の蕾を眺めて満足をする。
同時にみることを憧れていたが今はそれぞれのパーツで十分に満足する心境に我は悟りを切り開いてきた様だ。
コロナの新株オミクロンの感染が始まった。ワクチン接種者でも感染すると言うが三度目の接種が必要とかも。信じていいかな。
正月は時間が止まる。薔薇の花や梅の蕾も、時はゆっくりと人の活動も時間が止まる。
寝る時に足が寒くて寝つきが悪いと妻に言ったら、湯たんぽを入れてくれた。
寒さに慣れてきた様だ。節分や春分もすぐに音連れる様な日々の経過が早すぎる。
コロナの感染者が、かって無い速さで広がりつつある。三回目の予防接種は二月一日を予定、効果に疑問があるも他の方策が無い。
牧水の境地 自分自身を自然の一部だと思ふ様になった
3日 節分 こっそりと豆撒きをした 鬼は外 コロナに負けず。
コロナ感染者が異常な数値 北京冬季オリンピックは無観客の試合となる。
我が家もはや二十七年経過し、手入れの悪さがたたってあちらこちらが傷んできた。ベランダ周辺の工事と壁のペンキ塗りを依頼。
家回りの植木を伐採 紅白の梅の木がほぼ満開、知らぬ間に木々が大きくなり改めて年月の年輪を知る。時の流れの早さに驚く。
歯が傷みだす。原因不明 3年前の痛み止めと化膿止めの薬を飲んだら症状が消えた。生きている限り歯の苦痛と戦うのが宿命!
老朽化した家をリホーム 紅白の梅の花咲く 足場の中に。
あれやこれや家の色決めに悩む我、どうとでもなれ、適当に決めた。
今日もまた氷雨そぼ降る。バレンタインの前日は、一日氷雨の寒い日となる。
藤井壮太竜王が渡辺明王将に勝つ。次は名人、その先は未知の世界に。
如月の寒風が吹く晴れの日は、富士がクッキリ 香貫山の登山口まで行っては見たが登らず帰る。
コロナ禍は言い訳で何か気が乗らぬ日が続く。あれこれと休みになったら行こうと思っていたところは行かず仕舞い。
老いるとは、こんなところから始まるのかも。目標や予定を十分に検討して実行しなければ何も始まらないとつくづく思う。
25日燻っていたロシアとウクライナの関係がロシアのウクライナ侵攻と言う形ではっきりしてきた。
プーチンの本性の一端が出た。核戦争も視野にあると言う。大人と子供の喧嘩でロシアの圧倒的な軍備に今後の展開や如何に。
ロシアのウクライナ侵略は異常な事態
3.11 はや十一年の年月が 東日本大震災はコロナとロシアのウクライナ侵略の陰で薄れる?
花冷えの寒の戻りも初夏の陽気に。桜満開、野球やゴルフや其の他スポーツが開幕の時、
なんかワクワク良きことあらむ。
桜満開の便り 香貫山
9日駿河平の公園にて
10日 天気快晴 初夏の陽気に。土肥の「最福寺しだれ」を見に行く。朝の新聞で紹介されていた。
春霞 土肥の海原 青霞
山は新緑 光りやはらか
ロシアのウクライナ侵略 闇の真実
歯医者にて
早春の 菜の味知らず
久々の 初夏の陽気の春の陽は梅の剪定、狭庭の花は春のかおりを教えてくれる。
昨日より 夏日の陽気 朝早く
梅の剪定 芽吹く草花を見ていると例年の如く春の命の芽吹きを感じる
色々あって四月はあっという間に終わる。ゴールデンウイークがはじまるがコロナが気になる。
梅の木に蟻が巣作り、木肌ぶよぶよ中迄腐る。人も年降れば蝕ばはれ老いてゆくものかな。
じわじわと円高進む。ウクライナとロシアの戦争は日本に波及、何故に侵略始めたか真相は?
古から侵略があることは歴史が証明、世界戦争は人類の幕切れとなるかも。
何処にも行かず休みが終わる。近所の方がなくなる。自分より一回り年配の方。人それぞれの人生を全うできたことは幸せなのかも。
やはりコロナ感染者が増えてきた。それでも何の規制もない自由な時間を過ごせたことに世間は納得している様だ。
母の日は子供らからプレゼントをもたった妻は嬉しさを隠し切れない様だった。
千本公園をブラブラして改めて牧水や、明石海人の歌碑を眺めては人の歌の本質を理解することが大事である事を痛切に思った。
人生は短くてかつ空しい様だが其の中に一抹の生きる証や人間の本質やあるべき姿を見出せたらと思う。生きとし生けるものに感謝。
咲き誇る薔薇もやがて色あせ、朽ちるを見れば人も同じではないか。すべての者はやがては朽ちる運命なのかな。
朽ちる花の側で新たな蕾が芽吹きやがては見事な花になり人を魅了する。花はここまでだが人は新たな発展をして成長していく。
生きるって何?投企、分化して発展して新たなものを統合していく、AI(人工知能)はこの先の進化が恐ろしいほど進むであろうが人が幸せと思う世界は何なのか、この方面の進化は予測が難しい。ウクライナとロシアの戦争の発端はロシアの帝国主義の幻を追いかけた結果の覇権主義の一端を垣間見る様だ。フィンランド、スウェーデンは中立国からNATO加盟に変わる決定をした。イデオロギーを超えた非人道的なロシアには従来の中立国の立場では危険と考えてのことだ。ややもすると核兵器が使われて地球規模の破壊につながることにならなければと真剣に思うこの頃である。
三月十九日 石川さんが急遽逝き、丁度二か月後に その妻の博子さんが旅立つ
六月に入り天気は夏日が続く。体調が急な変化について行けず、気分まで変調をきたす。
何かする時々に冷静な心が乱れて思考が性急になりイラつく。情けない。
庭の葡萄の摘粒を実施、間延びした実に手入れして、蜜柑の実の多くなっていることに安堵して
其の他の庭木を剪定していると気分がやすらぎ落ち着きが出てきたかな。
丘ワカメを日よけの代わりにするべくグリーンカーテンを作ろうとするが巧くできず、取りあえず支柱を作るのみ。後は来週
なんとなく今の仕事が嫌になる。あと数年は働こうと思うのだが如何したものか。最後の仕事は納得したものにしたい。
大谷翔平、藤井壮太の活躍が停滞してきた様で、その為ばかりでないが気が沈む。心から喜ぶことが少なすぎる日々が続く。
汗が吹き出し其のうちに頭くらくらして足取りに違和感がある。職場を早期退出して自宅でくつろぐが嘔吐する。
かってない体調不良に我が齢を思い、年をとったと寂しく思う。
何時までも元気で山歩きや仕事ができると思っていたが、寄る年波はそれを否定していた。これからは無理無駄むらを省き健康に心がけねばと思う。
耳が遠くなってきた。聞き返しが多くなった。右の耳鳴りは相変わらず収まらない。
明日は父の日、来月は我が誕生日で七十三歳、米寿まではピンピン生きる。如何したら良いかの生き方を検討しよう。
8日 安倍晋三 銃弾に倒れる
10日 参議院議員選挙 自民圧勝 憲法改正、円安、物価上昇、コロナがまた増え始め元の木阿弥
12日 四回目のコロナワクチン接種 我が誕生日
13日 我が家も盆入り 仏が多くなって月日の早さに驚かされる。
蝉を朝、二匹目にしたが鳴き声は無し、何に遠慮が、葡萄の実が色づかぬ。蜜柑のみが多く、コガネムシは少し増えてきたか。
猛暑の様な日々が続く。
朝日と共に目覚め、暫くすると蝉の鳴き声、慌ただしく出勤する。
夕暮の夕焼小焼け 息つくひと時、夕餉のビールの旨さ楽しむ。
この時期の歌は低調、暑さにかまけ寝不足続く。瞬間の閃きあればと思う毎日、ただ日が過ぎる。
コロナの患者増えに増え、BA5の変異株は過去の免疫向こうにして感染拡大、かってない異常な数値、この先が心配になる。
ブドウの房の色付く木はほぼ収穫終るが何者かが収穫を、疑問が残る。もう一本のブドウの木、未だ色づかぬのが心配に。
蜜柑の木に可愛い実が連なって秋が楽しみ、夏の花咲く我が家の庭の夏野日照りは酷暑となってきた。
熱帯夜、寝るに寝られぬ蒸し暑さ、朝の一瞬の睡眠も目覚ましに起こされ、今日も寝不足うつな日が続く。
7日 暦の上では秋が立つ。
台湾への脅しが始まる中国の実践練習に、日本やアメリカの心理作戦ともとれる行動が不気味。
広島の原爆投下から77年、ウクライナとロシアの戦争は核兵器の使用の心配がくすぶる。本当に始末の負えない兵器が出来た。
コロナのオミクロン株のBA5は蔓延して収まる気配なし、予防ワクチン接種の効果が疑われ始めて収まる気配が無し。
明日から盆の連休が始まるが、東北を始め水害の被害が拡大、台風が発生して東海、関東を直撃する予報。
内閣改造の顔ぶれが発表、数多の問題にどう対応するかの重大な時期になってきた。
大谷翔平がホームラン、勝利投手の二刀流でベーブルースに並ぶ。二桁勝利と二桁ホームランの達成に嬉しさが満ちる。
高校球児の熱戦が始まり若さとはいいものとつくづく思う。
葡萄の実が色づかないで日々眺めてはため息交じり、今年はダメかも、木が年を食ってきたかな。熱中症がやけに心配なこの頃。
いろんなことが多くても今の自分には日々の暮らしの一日が充実してくれればとささやかな祈りともとれる願いが沸々と湧いているだけ。
大谷翔平 ベーブルースの記録に並び快挙を報道 本人冷静
大谷翔平 ベーブルースの記録に並び快挙を報道 本人冷静
処暑に入り 急に涼しく体調が変に
日ごとに葡萄の食べられて、犯人はだれか、あれこれ迷うがハクビシンかも
朝晩はかなり涼しくホッとする時もある。しかし何もせずにこれと言った思いでもなく月日が過ぎて行くことに
なんか虚しさを感じてしまう。
8日エリザベス女王が96歳で逝く。在位70年ごくろうさまでした。
九月十日は中秋の名月 訳もなく月見を愛でる 月に酔ふかな
今年も実った庭葡萄 それなりに美味し に肥料を撒いて感謝の気持ち
朝晩の過ごしやすくてなんとなく嬉しくもある陽気になった。
台風15号による清水区の断水は未だ復旧されず、行政の対応に不満が残る。
認知症の治療薬が開発されて二年後には市場に出ると聞く。
エシャレットの芽が大分伸びてきた。来年の三月には酒の摘まみとして食卓に上るであろう。
14日NHKスペシャル 超進化論をみて改めて昆虫の進化の過程に驚く。6日にも植物のイメージを根底から覆す、驚異的な能力の数々が紹介された。植物のコミュニケーションを、世界で初めて映像でとらえ、また多様な植物が暮らす森の地下には、競争だけではない“支え合い”の世界が広がっていることの証明もあり驚く。
以外にも朝の五時に外に出ると、電線に猫のような生き物が綱渡りしていた。しっぽが長くてハクビシンだろう。
見たことはなかったが庭の葡萄が食べられたときにカラスかハクビシンかとの見解を持つ。今回目のあたりにして確信した。電線は各家庭に引き込まれているので何処に潜んでいてもおかしくはない。昨年の葡萄の食害もハクビシンであろう。カラスがブドウを突いていたと言う人もいた。この住宅地で猫ほどの動物が夜にフラフラしていることは不気味である。
師走早々FIFAワールドカップ日本躍進
ミサイルを撃ち落とすと言う専守防衛無理と言う。敵地攻撃が日本へのミサイル発射に着手した時点で可能とする。
発射されていなくとも着手理由に攻撃すれば先制攻撃とみなされて日本攻撃の大義名分を与えかねないだろう。
カイガラムシの蜜柑の木 枝を落としてすっきりと、実ったミカンの始末が大変。
このところ寒さが増してきた。月はまん丸煌々と輝く。五回目のワクチン接種を実施、感染者が増えてきた。何時になったらコロナから解放されるのだろう。日本酒が美味い、ウイスキーのお湯割りも美味い。ささやかな冬の楽しみをチビチビ味わう。
裾野の保育園の保母さんの虐待ともとれる異常な行動が世間で話題に。口塞ぎの園長の行動は情けなくなる。
それを見て見ぬふりの他の保母さんがいることに人間の一面を暴露されているような気になる。仕事の基本を考えてほしい。
17日 正月近し、餅つきの報道が
一年の弁当作った人の感謝を込めて
受けた人の情けや恩は忘れやすいものだが
例年より遅いヒヨドリがやっとわが家にやってきた
年が明けてコロナ感染者が過去最高に
梅の蕾の枝に雫が連なり輝いていた
25日 心臓の点検に
3日節分
7日 トルコ地震
春は寂しく
2023年3月25日
三月になりはや彼岸入り、四件の墓参りに行ってきました。21日の午前中はWBCメキシコと日本の観戦をしてまさかの逆転劇に興奮した気持ちの高ぶりを余韻の墓参りとなりました。明日のアメリカ戦が楽しみです。先日は梅の観梅を月ヶ瀬梅園と、須山の梅の里を訪れました。井田の菜の花を見ようと出かけもしたが山の麓の簡素な村は昔と変わらない景色で素朴な海は静かな風情を醸し出していました。途中の河津桜の満開に咲く岸辺は目を見張るものがあり下車して写真に修めました。我が家の庭も色々な水仙が咲きだして例年の季節の花々が咲きだし日々眺めては楽しんでいました。梅は小さな梅の実と若葉が芽吹き始めて命の芽生えを感じつつ季節の移ろいの早いことを実感しました。暑さ寒さは彼岸までとはよく言ったものと実感もしたし今年は早くも桜の花も咲きだしたようです。嬉しくもあり昨年亡くなった義理の兄、姉の一周忌もあり、四月早々に亡くなった弟の七周忌も近くなってきました。春は旅たちの季節でもあり芽生えの時でもあり自分も変わらねばと思う季節でもある気がしてきます。所詮人生は悠久の時の中では一瞬の夢の如きものかと思うし、そんな中での嬉しい時や悲しい時の思い出と共に生きてゆくものなのかもと思います。何はともあれ健康であれと、平和であれと願うこの頃です。岸田総理がウクライナ電撃訪問、習近平国家主席がロシアを訪問、プーチンと会談のニュースが流れる。世界情勢の行方の新たな展開が始まった様だ。新型コロナの下火になってこの先の感染が収まることを祈る。2023年3月21日は「一粒万倍日・天赦日・寅の日」と言って福を招く開運日として事始めによく、金運・財運にも恵まれる吉日とされています。調べてみると一粒万倍日とは、読んで字のごとく「一が万になる」日です。「一粒の種から稲が育ち、その稲が万倍の実りになって返ってくる」という意味があり、まさに種まきにぴったりな日。この日に始めたことはその後大きく飛躍するとされ、商売繁盛の吉日ともいわれています。天赦日は神様が天に昇るありがたい日で、すべての罪が赦される日。罪や障害が取り除かれ、この日に新しいことを始めるとどんなことでも大成するとされています。寅の日はトラの毛が金色に輝いていることから金運の象徴とされ、銀行口座の開設やお財布の新調、宝くじの購入など、お金に関する行動をとると金運がアップするといわれています。先日は藤井壮太が6冠にあたる棋王戦を勝利し嬉しくなりました。自分もこれにあやかりたく「何をなさんか」飛躍のきっかけになればと願う気になりました。WBCの決勝は日本が勝って、今後語りつくされるドラマは野球の神様の筋書きの様に神がかっていたと思います。桜は満開になり駿河平公園の桜見物に犬のビスコを連れて行きました。季節は巡る、月日の過ぎ去る速さに驚かされるこの頃安寧の時代が、安泰の人生を送れればとつくづく感じる季節でもあり自己の変革、投企の時でもある時ではと思うこの頃です。
完
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