つれづれの歌 続編 歌集 「風」

平成27年11月4日 三筋山(細野高原)のパラグライダーや風力発電の羽が回るのを眺めつつ、秋のススキの原が銀色に輝く様を堪能しました。三筋山からの天城山の全景、、相模湾に浮かぶ島々はススキの揺らぐ先に眺められ、目に見えないが『風』に何か感じるものがあり、これからの歌は心の隅に「風」を意識して歌を詠もうかなと漠然と思いました。世の流れにも「明日は明日の風が吹く」、「風を読む」、「追い風がふく」とか、人の心にも隙間風、風に逆らう、「風に流される」などの使われ方をします。歌を初めてはや五年、今までの「つれづれの歌」に物足りなさを感じ、そのページは終わりにしました。これからボチボチ新たな気持ちでこのページを綴って行きます。

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気に入っている歌

寝るが内に見るをのみやは夢といはむ
はかなき世をもうつつとは見ず(壬生忠岑)
かぞふれば年の残りもなかりけり
老ぬるばかり悲しきはなし(和泉式部)
山ふかみ杉のむらだち見えぬまで
尾上の風に花の散るかな(源 経信)
風になびく冨士の煙の空に消えて
ゆくえも知らぬわが想ひかな(西行)
花は散りその色となくながむれば
空しき空に春雨ぞ降る(式子内親王)
捨てし身をいかにと問はばひさかたの
雨ふらば降れ風ふかば吹け(良寛)
函館の青柳町こそかなしけれ
友の恋歌矢車の花(石川啄木)
考へてのみはじめたる一合の
二合のさけの夏のゆふぐれ(若山牧水)
花ひとつ枝にとどめぬ玉蘭の
夏むかふなり我も移らむ(北原白秋)
ひとり居て朝の飯はむ我が命は
短かからむと思ひて飯はむ(斎藤茂吉)
ひそかなる心をもりてをはりけむ
命のきはに言ふこともなく(折口信夫)

***

2015年11月

*** 

 4日 三筋山(細野高原)

稲取の三筋山の細野高原の薄が原に始めて行く。天城山は何度となく歩き、ブナの林や、シャクナゲや、馬酔木、八丁池の黄葉を見て歩いたが三筋山からの眺望は天城山が前面に見える。稜線を眺め、たどってゆくと歩いた時々の景色が蘇り嬉しくなる。
三筋山の細野高原の薄の山肌は銀色に輝き、パラグライダーが浮かび、風力発電の風車がゆっくり回っている。時を刻むのは風車の羽の回転と、その音でしかない。その様な景色を眺めているうちにふと、当たり前の風の存在が不思議に思う瞬間があり、自分の過去も風の如く過ぎ去ってきたことを改めて思う。強風の風、やすらぎの風、いろいろな風が思い出される。子供の頃の台風は恐ろしく窓に板で補強するが、今にも破壊されそうな気がして窓を手で押さえた記憶がある。じっと過ぎ去るのを待つ時間のなんと長いことであったか。そんな風の時もあったが、どちらかと言えば「風に吹かれて」の生き方であった。
相模湾に島影が見えて、暖かい秋の日差しの陽を浴びて眺めているこの瞬間はありがたい。

三筋山薄が原は銀色に
 かすかな風に風車がくるり

天城山全景眺め思はるる
我が息づかひヒメシャラの森
見えねども風の変化を肌で知る
見えぬ心は風にまかせむ
できるなら薄が原を見下ろして
大空舞はむパラグライダー
越し方は風に逆らひ悔ひあまた
風と遊ばむ 心のままに

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11日 山茶花の咲く

MRJ国産ジェットの初飛行、未来の日本暗示するきがする。YS-11から半世紀後の国産機らしい。

風立ちぬゼロ戦超えよ初飛行
神風よ吹け国産ジェット

霜月の山茶花の花 せはしなし
しづこころ無く散りつつ咲けリ

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19日 時雨はつづく

晩秋のさやけき日々は束の間に
時雨はつづく じくじく続く
海山の迫り見えるは朝ぼらけ
夕はどんより時雨の晩秋
風立ちぬ 時雨は止みて束の間の
満月のたつ夕映えの宴
薬師さん 我の買ひたる ミニ仏 
クリスタルの中 坐禅してをり

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22日 竜が岳その他

久々の晴天に本栖湖の湖畔の竜が岳を登る
変化のない笹山であるが富士を眼前に眺めつつ登り、見下ろす本栖湖は紅葉に色づく
頂上からの眺めは八ヶ岳、北岳、赤石岳のアルプスを眺望 今日の登山は次への山の期待をもらう

竜が岳 変化乏しき笹山も 
富士の景色は補ひ余る

山ガール 行き交ふたびに 良き香
富士に笹山 風の香に酔ふ
富士を背に 毛無の山は晴々と
やっと満足 全景を知り

11月22日は良い夫婦

いい夫婦 富士は薄っすら化粧して
四方の山々 そっと寄り添ふ
富士山の大沢崩れ 見るほどに
山は消え去る 確信となる 

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27日 紅葉に誘はれ

富士山は雪に覆われるでなく頂上の白と斜面は青く全体が氷で覆われているように輝いている。
厳しさと生き生きとした姿に見とれる

晩秋の冨士

晩秋の 富士は氷で ラップされ
 空に向かって 蠢くをみる
あまのはら 氷の如き 富士山は
ごはごは光る あさぼらけなり

旭滝

滝落ちの 虚無僧の吹く尺の音の
まぼろしもよし 静かなる溪
旭滝 岩をなめつつ流れ落つ
朝日の紅葉 素晴らしきかな

滑川渓谷

滑川の溪の景色に魅せられて
夕暮れどきも 一人佇む
渓谷の山の端かすか陽が残り
いろは紅葉と清流の音
清流の流れは早し もみじ葉は
流れに揉まれ 岩間を滑る
太郎杉と 吾の拾ひし石比べ
杉は千年石は万年

 

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2015年12月

今年もひと月を切る。和泉式部の歌はその所を端的に歌っている。
かぞふれば年の残りもなかりけり 老いぬるばかり悲しきはなし
暮れぬめり幾日をかくて過ぎぬらむ 入相の鐘のつくづくとして

8日 年齢につき

仕事には定年あるが人生に定年はなし気長に生かむ

人が一生稼ぐ金を数年で稼ぐとか、真理を一瞬で見極めたら。100年生きて何も見えずに終わることもある。
何年生きたかと問うこと自体意味がないのでは


人の倍充実すれば人の倍生きしことなり
同じ年でも
年問ふは 意味をなさずや 
結果なり 財を成すとか 真究めるも 
我が道は 我が人生は 惨めとか 
ぼちぼち生きるか 今日のつぶやき
ひにひにと 冬薔薇咲きし ひにひにと 
ふところ寒し 初冬の夕べ

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9日 沼津アルプス縦走

天気快晴 今年最後の沼津アルプスを縦走。自宅から香貫山~徳倉山~鷲頭山
駿河湾はさざ波が浜辺は弧を描きその先に冨士の姿が、大瀬の岬や天城山の眺望もよし
山は装い眺めつつ息を弾ませ喘ぎつつ縦走す。こんな山歩き日和そう多くはない
家に帰り血圧を測ったら高血圧の数値は消えて脈拍は増え若返る。
歩くことは、きつい歩き程若返ることを身で体験、続けて行こう。

沼津アルプス縦走

山登り 自信ありとも 年寄りに
抜かれて惨め 思ひ知る吾
急坂に 息切れ休み 振り向けば
惨めな我を 富士は見てをり

山のあと 血圧測る 以外にも
数値良好 吾若返る
あしひきの 沼津アルプス 冬紅葉
駿河の海は 凪ぎて輝く

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16日 葛城山ほか

あかときに 目覚めて夜空見上げれば 
そく流れ星 予期せし如く

15日 城山峠~葛城山~益山寺を歩く

葛城山にて

ケーブルの 葛城山を 初登り
我に縁なし 恋人の鐘
四方眺む 遠山すべて 懐かしや
近場の山は 冬紅葉なり

益山寺

益山寺 神なびの木は 朱に萌えて
色為す彩に 神の息づく

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29日 27年 年末

年の瀬は何とも瀬はしなく過ぎて行く。新の年を迎えべく、新たな望みや楽しみの中にひしひしと忍び寄る老いの影。
お寺さんへの付け届け、神棚のお札をもらうも、なんと早いものかと驚かされる。
庭木も知らぬ間に太り、家回りも傷んできて年月の過ぎていることを実感。

年の瀬は 老い先いかに終はらむと
思ひつつ過ぎ 年を重ねる
庭の樹も 大きくなりぬ 家回り
傷みが目立つ 吾が腹太る
矢筈(やはず)山 遥か天城の山の端
小山が二つ 我を呼んでる


左の山が矢筈山 右に遠笠山、万次郎、馬の背、万三郎岳と連なる

矢筈(やはず)山 天城眺めて気にかかり
何年ぞ過ぐ いざ登らんや

年の瀬に 梅の一輪 咲きだして
何故か愛しく 何か嬉しく

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2016年 1月

年明けて、初日の出の綺麗な陽で年が明け、自分も神棚や仏壇を拝み晴れやかな気分
一本の身内の不幸の電話にすべてが消えて、神頼みする自分の三が日となる。
一日朝に連絡が入り、昨日弟は心筋梗塞で入院との知らせ 心肺停止で病院に

5日 祈りの意味を考える

元日の不幸の知らせ うち萎れ
茫然として天を見上げる
一本の血管詰まる それだけで
命盗られる人の弱さよ
元日の不幸な知らせ弟は
医療機器つけ生かされてをり
我祈る わずかな見込みあればこそ
神よ仏よ薬師如来よ
電話鳴る 電話鳴るたび肝冷やす
悪しき知らせは無きこと祈る 
この世には神も仏も居らぬかも
人の心に神は息づく
赤々と朝日が昇る光景に
愚痴も祈りも全て消え去る

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14日 梅の花咲く

梅の花は三分咲き。
パッションフルーツの実は五個寒空に。
寒さ堪える日になった。
埼玉の越谷の弟の入る病院に

カーナビで 未知の地を往く心ぼさ
首都高速は迷路の如き

せかされて 道間違ひて そのたびに
阿保とは言はぬ カーナビは良し
梅が咲き パッションフルーツ 色づきて
冬薔薇は咲く こころぬくもる

諸々の 事件を聞けば 何人も
生の苦しさ 避けるすべなし
寒月に すれ違う猫 とぼとぼと
生き物だから 挨拶をせむ

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23日 雪降るか

大寒過ぎて寒さがきつい
最強の低気圧が来ると言う
夕方に雨が落ち初め、雨で終わるか雪になるか 阿弥陀でもするか

氷雨降り 空には鴉数多舞ふ
弧を描き舞ふ 不吉な予感
紅白の梅の花咲く夕暮れは
雨降る気配 小雪ならよし
椋鳥や 目白ヒヨドリホオジロが
ピラカンサの実消えて真冬に
貰ひ酒ピラカンサの実無くなりて
寂しき夕べ空っ風吹く 

27日 スカイウォークと韮山反射炉

スカイウォーク

富士見つつ 歩く吊橋 日本一
伊豆の山々駿河湾見ゆ
この橋は 新たな名所の 予感する
スカイウォーク 風を起こさむ

韮山反射炉

韮山の反射炉みつつ想ひ出す
無心で写生 子供のころを
韮山の素通りされし反射炉は
文化遺産で人の賑はふ

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2016年 2月

如月は春を待つ月、雪の降る月、正月後の寂しい月か
やっと日が長くなるのを少しづつ感じるが山登りの衝動は未だ湧いては来ない

3日 節分

 寒さがきつい日が続く。先月の大寒波は雪にならなくてよかった。
昨日の雪国の様な曇り空の後の今日は長閑な陽が射して、香貫山を散歩する。
庭のパッションフルーツの実が色づいて、皴が寄ってきたため一つ食べたらトロピカの味
女房、娘にたべてもらおう。

取りたてのパッションフルーツ食べてみる
時は節分トロピカの味

冬日うけ紅梅咲けリ寒なれど
こころぬくもる今日の節分
節分に恵方巻食ぶ鰯食ぶ
 豆撒き忘れ朝に豆食ぶ

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8日 悲しき現実

弟は心筋梗塞で入院したが、はや一月余経つが未だに意識が戻らず

病室は 目覚めぬ患者 あまたをり
我が弟は 新参者なり
弟は 呼ばれる声に反応し
瞬きをする そんな気がする
病室の 時を刻むは 計器のみ
わずかな期待 祈る虚しさ

このところ 地震が目立つ まだ五年
震災の余波に 日本は揺れる

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14日 アネモネと梅

マイナス金利で世界が激動 目的の円安株高の目論見は全て逆に,今後の展開は如何に
アネモネが咲く 梅はボチボチ終わりに向かう 春一番の訪れとなる
バレンタインの日曜日

冬日浴び アネモネの花 咲にけり
 はかなき命と 知らずに咲けリ
梅の花 枝にわずかに 咲き残る
春一番の 風にもまれて
子にもらふバレンタインは 華歌留多
食べるに惜しきチョコの花札

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20日 なんとなく春

夕間暮れ 寒の中にも 陽が延びて
雨降る中に 椿花咲く 
寒なるも 河津桜の咲くと聞く
ときめく心 早春賦なり

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29日 如月空し

山行かむ 花見に行かむ 思ひつつ
何処にも行かず如月は過ぐ
如月の 化粧の厚き富士山は
遊びに来いと我を誘惑

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2016年 3月

5日 庭に春の芽生えが

二日は弟を見舞いに埼玉に
三日のひな祭りは何もせず、ブドウの棚を修復して一日が過ぎ
四日の暖かい春日に庭を見ると小ぶりの水仙、白いハナニラが咲き初めて春が来たことを実感

そのうちに人工知能進化して
人の生き方決める時代も
夢でなく人工知能脅威なり
人の存在問ふ日も近し
運転も 人の進路も コンピューター
最適解で 迷ふことなし
今年また ハナニラ咲きて ペチコート
水仙咲きし 春がきたきた
幾年の 風雨に朽ちし 葡萄棚
やっと手直し 実を付けなまし
葡萄棚 樹や実を気にし 棚は朽ち
手直しすれば  春の日陰る
早春の狭庭に小鳩よちよちと
腹が減りしか何か啄ばむ
半年の 乳飲み子は見る己の手
行く末の手は 如何にみゆらむ

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10日 矢筈山ほか

8日天気がよくて愛鷹から眺めると天城山の左に位置し、以前よりその形状が気にかかっていた矢筈山(別名げんこつやま)に出かける。午後一時半を過ぎてから登り、途中で方向を見失うなどいろいろ迷った山ではある。一瞬遭難の語が頭をかすめ、焦ってしまい、やっと夕暮れ前に下山して命拾いをした。ハイキングコースとは訳が違った。
子供の頃の冒険心を少し思いだす。愛鷹の少年自然の家(昔は競馬場と呼んでいた)や水神社に山道を歩いたころの思い出である。道無き所をよくぞ恐れずに、現地でもちを焼き、帰りは桃沢川を下って日が暮れて家に帰った。
矢筈
矢の末端の弓の弦 (つる) を受ける部分。矢柄を直接筈形に削ったものと、竹・木・金属などで作って差したものとがある。
竹や棒の先が二股になった、掛け物を掛ける道具。

あなどりし 天城の端の 矢筈山
言へる筈なし 道に迷ふと
迷ひ道 げんこつ山の狸かも
不気味な声が 森にうごめく
早春の 矢筈山より見下ろせば
大室山は 山焼きの跡

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20日 春彼岸

17日朝から一日ぽかぽかに(彼岸太郎)、快晴で富士山は真っ白、庭の花々を眺めて楽しむ。めったにない陽気に何をせずとも心がぽかぽか、気温は20度を超えたかも。木々の新芽や、小さな梅の実を眺めて春の息吹を胸いっぱいに吸い込みました。
18日から寒が戻って曇り空、小雨ぽつり、寂しき彼岸

春彼岸 稀有な春日を 満喫し
そのうちしやう 写経をしやう
墓参り 弟がそちらに 行く気配
追ひ返してよ 仏さまらよ
春彼岸 寒の戻りて 曇り空 
小雨ぽつぽつ、ラーメン美味し
墓標には 懐かしき人の 名が増える
命はかなし 祈る夕暮れ

足保港(沼津)にて

釣り人が 仕事の如く 竿をふる
何も釣れずも 義務の如くに

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28日 田子の浦の春

穏やかな春の陽を浴びて冨士山や愛鷹山がくっきりと。桜はまだ蕾で今年の開花は東京より遅い。春を求めてシラスを食べに訪れる。気分的にも、そのものにも美味きシラスを堪能、これからは春を味わうものの一つにしよう。やはり日本の四季はありがたい。、桜の頃はまた格別なものがあるとしみじみと感じる。

そはそはと 桜の芽吹く春の陽に
シラス食べ食べ春をあぢはふ
富士を背に 田子の浦にて妻を撮る
春の息吹が 輝きてをり

春雷や あられ模様の雨が落つ
春の訪れ 荒れて始まる

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2016年4月

4月の声に、花見や山歩き、と心浮き立つ月になる。
入社式のニュースをみれば遠い昔を思いだす。春は希望と不安と色々な旅立ちの季節、桜の花はその諸々の思いを宿す気がする。
連翹や雪柳、馬酔木の花や山野草が咲き、芽吹く様は桜ばかりではなく眺めて嬉しくなる。

2日 花見

1日 香貫山をブラブラ散歩。広陵台の2羽の鶏(チャボ?)が木に登り花見をしていた。
花曇りの花冷えの陽気に。桜は五部咲き、蕾ははじけそうに膨らんで、初々しい。
2日 駿河台公園、門池は人が群れてやむなく愛鷹公園の桜を見物、無料の甘酒に花冷えの体を温める。
花冷えの曇り空に春告げ鳥の声が弱々しく流れて、寂しくもある

香貫山 香陵台の鶏が
二羽木に登り花見して居り

香貫山なたね梅雨なり花冷えす 
春告げ鳥の声も震へて
花冷えの 桜とんねる見上げつつ
甘酒すする 愛鷹公園

今朝も雨降り止まず 門池の
花を横目にため息の春
花見つつ 生とは苦かも 花見つつ
愛と誠が昇華の道か

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14日 狩場の下馬桜ほか

富士の周辺の山 田貫湖から白糸まで長者ヶ岳と天使ヶ岳を歩こうと出かけたが雨が落ちてきて諦める
長者とか天使とか崇高な言葉が気にかかる 次のハイキングは迷わずにここを登ろう
近くに狩宿の下馬桜という日本五大桜の一つに挙げられている桜を見る
天気は曇り桜は満開、やや期待外れの花見になる。身延の久遠寺の枝垂桜の方が見事かも
田貫湖の桜は霧雨の中、しっとりとした風情が心打たれる
富士山本宮浅間神社の桜は散はじめ、湧く玉池や神田川の清流に桜の花が浮かび散る花を見て永遠の時の流れを感じる
こんこんと清流流れ、散り桜舞う光景は水底の藻の緑と一体となって艶やかであった

浅間の湧玉池の清流に
桜ひらひら 水藻に映える

霧雨の 田貫湖桜 しめやかで
艶を醸すや 粋な花見に

長者とか 天子とかいふ 山の名を
我登らむや まず登らねば
下馬桜 冨士が見れたら 見事かも
菜の花臭ふ 花は散りつつ

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20日 長者ヶ岳、天子ヶ岳

19日田貫湖より登る
霧の山も 運よく晴れて 富士の展望満喫する。
田貫湖には人が多く、結局は20日のダイヤモンド富士が目当てであったようだ。
翌日の静岡新聞にその写真が掲載されていた。
暦では穀雨に入る。草花は次から次に芽吹き、ミカンの花が咲き、スズランが咲き、新芽が目立つ。命の芽吹く季節になる。

天子ヶ岳 霧去り眺むる 富士の山
吾が運尽きず 穀雨に入るや
田貫湖ゆ 冨士の眺望眩しくて
新聞に見るダイヤモンド富士

山歩き、富士を眺めていたら(ふと人の生き方思いつつ)

何故に山を歩くか なぜかしら
歩くたびごと満たされし我
ひたむきに 慕ふ人こそけなげなれ 
慕はれし人 羨ましけれ

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28日 晩春

久々に庭の木を剪定
梅の木にテントウムシの様なカイガラムシがびっしりと付いていた
薔薇が咲き、庭の花々今年また咲きだし、季節は初夏に、
世間の連休の声を聞けばわくわくする気持ちは理解できても自分には関係がない

春の庭 咲きては萎れ また咲きて
繰り返される 自然の流れ

梅の木に カイガラムシが びっしりと
消毒手ぬく 虫は手ぬかず
楽しみは 花を愛でつつ 山歩き
旬の魚で 酒を飲む時
年を経て 才の無能を 知りつつも
歌真似止めぬ 我が性哀れ
憂ひ事 地震の酷さ 何時の世も
生病老死 生きねばならぬ

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2016年5月 

五月晴れ、新聞の記事に港口公園の鯉のぼりがあり、千本浜を歩くのも良しとでかける。
公園は普通の鯉のぼりや、園児らの鯉のぼり、ひらきやシーラカンシスの鯉のぼりがあり、これも楽しい
千本浜で初夏の海を眺めつつ食事をしていたら鳶が吾の手のサンドイッチを奪っていく。見上げれば鳶や鴉が群れて我を襲う気配
恐ろしくなり残りのそれを放り投げその間に逃げ出す。
意外な自然との接点を体験、興ざめて早々に帰宅、いつ何があるかわからない、用心用心

2日 意外な鯉のぼり、意外な体験

風薫る みなと公園 鯉のぼり
シーラカンシス ひらきの鯉も

園児らの 絵がきし模様の 鯉のぼり
空を舞へまへ 期待の鯉よ
鯉のぼり 五月の海は 輝けリ
鳶にぎりを この我が手より

予期もせず 野生の鳥と 遭遇を
鳶に襲われ 食を奪はれ

恐ろしや 鳶や鴉が 群て舞ふ
目指す獲物は 吾のおにぎり
イモリには再生能力持つと言ふ
すぐに必要 我が弟のため

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10日 初夏の庭

葡萄が育ち、花々咲き揃う 五月の空は柔らかく新鮮で
日差しを浴びて庭の手入れを
春に咲いた花々や、雑草が茂り草取りを
ドクダミの勢力強く重点的に草をぬく 臭いが強く、すぐ生えてくる嫌われ者の草なれど
茶とか薬にもなる ほんとはよき草と言う 我が家では一番の嫌われ草だ

春から夏への花の移ろいが繰り広げ、バラは黄色を植える 私は真っ赤なバラがほしかった
これだけは自分で買うしかない 父の日に買おう

葡萄の樹 三十年を 自己流で
ユーチューブで知る 手入れの仕方
葡萄の樹 手入れの仕方 悟る我
基本に戻れ プロの真似せむ
母の日に 娘黄花の バラを買ふ
我が父の日は 赤き薔薇買へ
風薫る 暇な休みは 草むしり
ドクダミを抜く 臭き草抜く
むしられし ドクダミ草の 悲しさよ
嫌われながら 真っ先抜かれ
ドクダミは 茶や薬にも なると聞く
繁殖力が 臭ひが好かぬ

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14日 ツツジと富士と

愛鷹の一服峠の三つ葉ツツジ、愛鷹つつじが見頃な時に、富士山と冨士の前の越前岳、その前に鋸の様な鋸岳
その景色を求めてはや5年は過ぎた。12,13日は快晴の冨士が家より見えて、例年よりも少し早いとは思ったが
13日に諦めずに2時間かけててくてくと向かう。
今年は例年より咲くのが早く、一服峠までの稜線はツツジが満開である。富士山は生憎雲がかかっていたが、
半時ほど粘っていたら雲が消え初め綺麗なシルエットが姿を現す
今まででは最高の条件、いろいろと位置を変えてはシャッターを押す。念願の写真が撮れたので、早々に引き返し
写真をチェック、五年間の鬱憤を晴らす内容に自己満足。、富士はすがすがしく晴れやかで、鋸岳のシルエットもばっちり
初夏の緑は精気をはらみ、ツツジは初々しい紫に。

眺めれば 雲は流れて 初夏の冨士や
鋸岳に ツツジが映える
てくてくと 諦めきれず 五年余を
富士とツツジが 理想を超える
夢かなふ つつじと愛鷹 不二の山
五月の風は 生気を運ぶ
眩しさよ ツツジと渓に初夏の冨士
乙女の様に 撮る手震へる

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25日 富士のバラ園

曇り空 バラ公園の見物に冨士の中央公園や広見公園に。盛りの時は早往ぎて寂しさ醸す。
潤井川の川端に百人一首の石板や橋に幾つかの裸像の女、富士市は分化の都市である。
富士市のバラは 「かぐや富士」真白なる富士のようで良き名前である。

中央公園

盛り過ぎ バラの公園 人気なく
朽ちし花でも 吾は楽しむ
朽ちる薔薇 我が世の春と 咲きけむや
今日の園には 優しさばかり

潤井橋 裸婦の乙女の 像があり
歌留多の小道 石板に歌

広見公園

広々と 広見公園 たのしけれ
薔薇は満開 かぐや富士咲く

万葉の 東歌の碑 可愛らし
薔薇にうかれて てるてる踊る

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31日 雉も鳴かずば

あさぼらけ まずホトトギス 鶯に
 しじまを壊すきじの声する
五月晴れ 荷台に揺られ牛がゆく
今生の風 無情の風か
伊勢志摩の 策士集ふは賢島
オバマ広島 歴史を刻む
消費税 朝令暮改の 先送り
景気優先 選挙優先

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2016年6月

 梅雨に入り、山に行くのも気おくれし、ぼさぼさの庭木を剪定する。
グリーンカーテンの昨年の花咲きだし、今年はツルを如何に這わすか思案する
葡萄の苗も伸び初め、どれを優先にしようか悩む。
梅雨明けるまで憂鬱な時を紫陽花や、夏椿や、ギボウシの花が癒してくれる

6日 梅雨入りの花

紫陽花の 素朴な花よ 萌黄の葉
見つつ癒され 小雨晴れつる

昨年の 花が咲きだす 梅雨の庭
山は気おくれ 剪定をせむ

飲み過ぎか 食あたりかも 腹痛し
山の予定を 寝て過ごすとは
紫陽花や 夏椿咲き ギボウシも
梅雨のいつもの 花が咲きだす

つる花に アゲハチョウ舞ひ 蜜を吸ふ
我が鼻先で いと忙しなく
白黒の 斑セキレイ また来たり
庭をきょろきょろ ピョンピョン走る

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10日 半世紀前の本を手にして

読まぬ本など捨てようと手に取れば半世紀前の購入日の記載の自分の文字を見つける。相変わらず汚い文字である。
西田幾太郎の「禅の研究」、理解できずに読まないでいた本。青春の心意気だけはなんとなく思い出す。

捨てやうと 「禅の研究」 眺めれば
半世紀前の 購入日の文字 
買ふだけの「禅の研究」 捨てやうか
はや半世紀 青春の跡 

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19日 父の日 ほか

18日 夏日の天気に 富士吉田の701号線「中の茶屋」から「馬止め」まで車で、その先を五合目の山小屋まで歩く。
我の歩みは亀なるか、少し歩いては息切れし駆けて行く人らは超人か、数多の人に抜かれても吾のペースは何も変わらず。
このコースは整備されて、ひたすら新緑の中を歩くのだが、途中の朽ちた古の建物、標識など逐一写真に修める。取りあえず今回はこのコースの状況の把握できて良しとする。
19日は父の日、例年の如く子供らから焼酎を頂き、年に二度(吾の誕生日は7月)の唯一の晴れ舞台何時までも続くことを祈る。
パッションフルーツの花が一輪さき、めしべ、おしべを交配させたら、小さな球が膨らんできた。後幾つ実が着くか、昨年は6個
石楠花(半額で昭和の森「道の駅」で買った)を植える。つまらぬツゲの樹を抜いてそこに植える。木の名前は「あけぼの」鮮やかな赤の花。先々のツツジの時期の楽しみが増えた。すくすく育て天城の石楠花
庭のギボウシの花が咲く。花はしとやかで目立たぬが葉をよく見れば緑のまん丸的な葉に黄緑の勢いの葉が画かれて、同じ模様ではあるが同一の形状はない。徒然に模様を比べ眺めるうちに愛着が湧く。
ダンゴムシがよく目に留まる。つかもうとするが丸まってしばらくの間団子状態。転がせばコロコロと小石の如く固くなり忍者の如し、人の眼を欺く。

天城越へ石楠花の苗 手に入れる
名ぞば「あけぼの」 ホタルの時期に
ダンゴムシ 小石の如く 手の中で
コロコロと目を回すかな

ギホウシの葉を眺めては可笑しけれ
 緑葉の中 白葉浮き出る 
ダンゴムシ ギボウシの葉は忍びかも
姿や模様 人目欺く

富士吉田口ルート 木山を歩く

麓から 富士登山する いにしへの
富士信仰の 面影残る 

もう慣れし 追ひ越し人を 見送るを
吾は亀なり 丑年生まれ
吉田口 富士の木山をてくてくと
我は亀なり 気まぐれな亀
イチローが ヒットを打てば ふつふつと
心ときめく 歳を忘れる 

父の日は

父の日は 子より今年も 焼酎が
あと何年の この嬉しさよ

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28日 梅雨空の愚痴

イギリスのEU離脱か残留の国民投票の結果は離脱に
結果に異議と唱える人が増え、その内容は投票自体の軽さが目立ち世界経済に及ぼすことや、将来の予測は考えないとか、離脱の根拠の数字に欺罔があったとかふんぎりの悪いものが目立つ。
 東京都知事の異常な経費の行く末は、議会を空転、子供じみた答弁に唖然として、法律に触れなければ問題はないような主張、政治家の使命や倫理は何も感じられない。精査精査の言葉が空しい。胸に手を当て冷や冷やしている輩はおらぬか
参議院選がスタートしていつもと変わらぬ選挙戦、有権者との握手に、街頭の選挙カーの主張には有権者との議論はない。寂しき選挙で国政の人らを選び、これこそ民主主義の基本であると言えるか、日々内容に疑問がつのる。

世の中は単細胞の 思考なり
受けが良ければ 嘘も方便
耳障り 車メーカー 政治家も
嘘は方便 命取りかも

政治家の剪定は難しい

トランプは 人の本音の 一端を
あぶりだしては 勝負に臨む
選挙とは 握手の数で 受けを得ず
主張論戦 人をば選ぶ
言ひ訳は幼児の如し 面構え
君子の如し 人は解らぬ
負け知らず 後出しじゃんけん あまのじゃく
じゃんけんにまけ もう一度とは

イギリスのEU離脱に

まったなし EU離脱か 残留か
離脱はムード 本音残留
まってくれ 本音は違う まったなし
世界震撼 ポピュリズムなれば
イギリスの 歴史を見れば 複雑で
過去の栄光 影を引きずる

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2016年7月

今年も半年を過ぎた。弟の入院も丁度同じ。もうじき私の誕生日とお盆がくる。
富士山は山開き、夏の季節はまた格別な風情を醸し、酒は冷酒にビールが美味い。
日本の夏に乾杯。

2日 テロが続く夏が来た

なにやかや 暑さのうだる 時の来ぬ
なる様になれ 時はまたれじ
ひにひにと つるが伸びれば  花が咲く
花よ実となれ 我が誕生日
テロと言ふ 非情異常の 発生す
常識などは 蚊帳の外なり
選挙とは 基本姿勢に 期待せむ
十八歳の 無垢な一票

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13日盆の入り

昨日は我の誕生日、知らぬうちにこの年になってしまった。「まだまだ若い」は気休めか、目的を明確にしてのんびり過ごそうと思う。
盆の入り、部屋を片付けあれやこれや余分なことまでさせられる。仏壇の掃除は盆と暮れ、何とか間に合い坊さんを迎えるがお経は短くそそくさと去った。植木鉢の壇の周りを蝉が歩く、その蝉は羽化するとすぐに蟻の餌食になった。手を差し伸べておれば、今頃鳴いていただろう。今年は未だ蝉の声せず、蒸し暑い曇り空に雨が落ちてきた。

盆の入り 部屋や仏壇 掃除する
坊さん来れど そそくさと去る
蝉の子が 植木の鉢の スタンドを
クルクル回り 羽化し蟻の餌

誕生日 また誕生日か いや早し
まだ働けと わが身の指令

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26日 蝉が鳴く

今朝の蝉の鳴き声に会話ができず。我が家の蝉だろう、抜け殻が樹に張り付いている。何年かを土の中で育ち、地上に出てくる蝉は第二の誕生の日かも、赤子の鳴き声の様で、我が家の蝉の誕生の日なら祝いたい気がする。蝉と言う生体はいろいろ調べれば知識としては解るが、蝉の気持ちは如何かな。花やダンゴムシやムカデを見るにつけ生きるとは何か想像してしまう。
家の庭にはやぶ蚊が多く、雑草減らせば少なくなるかと先日水をやれば固まる砂を買って少々庭に試みた。意外とすっきりしてよし、蚊には疫病神が居そうで好きになれぬ、鼠や野良猫もダメ、人間嫌いには今のところならないでいる。

今朝の 会話もできぬ 蝉の声
我が家の蝉なら 我慢もしやう
我が庭の 木々に抜け殻 蝉が鳴く
幾ら鳴いても 我は雄です

神奈川の津久井の障害者施設で19人ほどが元職員の手により刺されて亡くなると言う、悲報を聞く。
動機は定かでないが、障害者の存在を否定する卑屈な考えがあると聞く。私が蚊を退治する程度の気持ちかも。

障害者 あまたの命 奪はれる
独りよがりの 変質者かも

嘆かはし 蚊を退治する 発想で
命奪ふは 悪魔の仕業
役立たぬ 老人殺しも 始まるか
社会保障の 節約になる

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31 沼津花火大会

沼津第69回花火大会を久々に見物。吾の生まれる前年に始まり、子供のころや、子を連れ歩いた時など、いろいろ思いだす。
桟敷は御成橋の下の最前列 ベストポジションである。
づるづると群を為す人の群れ、露店が群れを妨害す。せっせと歩こう、イライラしつつたどり着くこの場所は夕暮れ迫る静かな川面の光りがゆらゆらと揺れる別天地。闇が迫れば一転する花火三昧、酒を飲み、飲むほどに酔う一瞬の夢か、終わればまぼろしの如く切なさが募る。見上げる連れらの顔見れば年を重ねた顔が並ぶ。顔に花火の光りが点滅、点滅するごとに表情が違い、面白い。

風もなく 提灯ゆれて 其のうちに
闇を炸裂打ち上げ花火
久々の 花火見物 上桟敷
連れら老けたり 酒をば飲まむ
はじけ散り天を焦がして 上げ花火
老け顔光る 一瞬の夢
夏祭り 花火観戦 かき氷
子らの無邪気な 思ひで花火

ビッグバン 空に砕ける 花火かな
星座の如く 広がるを見る

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2016年 8月

5日 柿田川湧水から三島大社まで歩き寺回り、その後駅から源平川を歩いて柿田川湧水に戻る。
15日からまた三島の祭りが始まる。街中は静まりてその時のために生気を充電しているかのように感じる。

6日 広島原爆忌71周年をTVでみてその後はリオのオリンピック開幕を見る。
8日 イチローが3000本安打達成、男子体操、水泳、柔道の金メダルの情報に喜ぶ
体操や柔道や、イチローなどの生き方はひたむきな練習以外に、一本の信念を感じる。輝く人にこだわりの生き方を感じる。

8日午後三時「天皇陛下のお言葉」生前退位の内容、老いることの厳しさ、退位の必要性につき考える一日。

八月の日本列島は猛暑になり、一途な人生を生きる、老いる、若人の輝きなど様々な事件に人生の縮図を垣間見る。
9日にパッションフルーツの花が2輪咲きだし、受粉する。後2輪は明日にも咲くか。夕去ればしわくちゃになる青い実も水を与えれば翌日にはシャキッとする。何事もメリハリが必要か。

9日 日本列島 猛暑が続く

水清き 三島の町は 静まりて
夏の終りの 祭りは近し
柿田川 源平川の 水眺む
三島梅花も 清流に咲く
天皇の お言葉聞くも 哀れなり
老いの身迫り 民を心配
イチローも 人の子でした ひたむきに
絶えて栄光 涙を流す
猛暑日も パッションフルーツ 花が咲く
実を付けなまし 水遣りをせむ

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22日 リオのオリンピックが終わる

日本躍進のオリンピックが終わり、次は東京
色々な種目に感動し、寝不足の日が解放される。若き日の、青春を一途に打ち込むことに 悔い無きものか。
結果の有無は別、どんなことにもひたむきに打ち込むことにより、人生の肥やしとなる気がする。
人生は短く、青春は束の間、浦島太郎にならぬよう日々気を付けねば。
猛暑でもダンゴムシから蟋蟀の出番に、トリプル台風が突如として現れて、列島を駆け抜けたり、迷走する台風もあり
異常が当たり前のこの頃でも今年の気候は更なる異常。

日本の 活躍続く リオの宴
わが事の如く 観戦熱し
金メダル 一途の道を 究めたる
笑顔の人の 美しきかな
庭みつつ 花は花なり 虫は虫
人は磨けば 金の玉にも
猛暑でも ダンゴムシから 蟋蟀(コオロギ)に
月は雲間に 秋の装ひ
我が義母は 「早く死にたい」 口癖に
「迎えが遅い」  苦言悲しも
三食を 自分で済まし 一人住む
去りし仏を 慕ひし媼(おうな)
夕去りて  東の空に  虹の橋
明日は台風 直撃と言ふ
異常なり 台風三つ 突如来て
猛暑の夏を かき混ぜて去る

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 2016年 9月

日中は夏日の暑さがまだ続く。13号台風は温帯低気圧になり、ひと安心。パッションフルーツの実が一つ見当たらず、探すと地に落ちていた。栗の実でなく我が家の秋はこの実から始まる。見上げる空は鱗雲、例年見ている雲ですが、秋の気配を感じ秋刀魚が食べたくなる。今年は未だ高値らしい。温暖化の所為でもないらしい。秋刀魚を食べる国が増えて乱獲と聞く。日本人の長生きは魚をよく食べることにあると思われ始めたらしい。よもすがらコオロギの鳴く声がしてくると、単調な中にいつまでも聞き入ってしまう念仏の様で夜の冷気に体が休まる。
パラリンピックが開催、4年前の感動を思い出す。障害者のひたむきな姿に勇気をもらうが、見る悲しさを抱く。イチローが代打ホームランを打った。これで通算3021安打、足ふみしていてやはり限界かと思いきやまたまた話題に、やはり並みの選手ではない。錦織も全米オープンでベスト4入り、この人も限界と思っていたが驚く結果、自分にも限界はないと信じたくなる記事に喜ぶ。
西田幾太郎の「禅の研究」を読んでいくうちに益々内容が理解できず、諦めてもよいが癪に障るので懲りずに読んでいる。哲学者とは哲学とはその意思は何だろう。一は多であり、多は一であり、個物は一般、一般は個物何を言わんとするか閑人な学問らしい。ソクラテスからベルグソンまで人名をマトメ、何を言わんとしているかまず流れから理解しよう。
世界情勢は各々の国益のため、色々画策があり、非情な交渉力が必要とされることをつくづく感じる。9日北朝鮮の核実験成功。ミサイルの日本海に向けた発射があり脅威は現実になる。

9日 夏バテか 秋の気配に癒される

見上げれば 鱗雲なり 秋刀魚かな
今年は高値 まず酒を飲む
初成りの パッションフルーツ 食べてみる
酒を注げば 南国の風

我が家では パッションフルーツ 秋の実に
栗や葡萄は スーパーで買ふ  
あれあれと 台風来る 異変なり
それたこの地は 初秋も猛暑
一は多に 多は一になる 頓智かな
哲学言葉 訳の分からぬ
よもすがら コオロギの声 単調で
夜半の冷気に 頭癒され

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17日 秋雨つづく

十五夜の満月をみる。秋雨の雲り空や雨が続き秋空の感触忘れてしまうが久々に雲が晴れて満月の赤い月が東に登る。
パッションフルーツの実を冷蔵庫から出して、実を食べれば甘く美味い。くりぬいて焼酎を注ぎ飲んでみるとこれもまた美味い。
この実のために水遣りを、肥料を与えて育てた物はまた格別なものである。
ボクシングの中山の頑張りに感動する。神の手がさく裂、興奮に血圧がかなり上がったかも。イチローも最近マルチヒットが続き勇気をもらう。老いは人様々で目標とするものがある限り、努力をすればケガや病気や事故などを別にすればその人の寿命が決まるのかも。

ボクシング世界タイトルマッチ神の左と言われる山中が見事にその片鱗を見せた

山中の 神の左が炸裂し
月は満月 勝利を祝ふ

遊び群れ 時と金持つ 初老ども
ボランティアをせむ 被災地は待つ
秋雨や 雲のまにまに赤月が
 冷気漂ふ 彼岸花咲く
我が命 あと十年か 二十年
焦る気もあり のんびりも良し

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28日 秋雨つづく長月終わる

久々の 星の輝き 眩しくて
秋の夜空は 果てなく深し
この年で 二十歳で買ひし 本を読む
半世紀経て やうやく読めり
夏日なり パッションフルーツ 受粉する
良きせぬ晴れ日 花も咲きだす

何がため 何故に生まれし 吾知らぬ
死後はなにかも生はなにかも
山行くか 行かずぶらぶら時が過ぐ
判断ひとつ 人生変る

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2016年 10月

秋雨前線停滞し、日々雨模様が続く。台風18号の行方が気になる。
10月に入り、パッションフルーツの花が又咲きだし10輪ほど受粉ができた。これで今年一杯の楽しみができた。

9日 自食作用と地球の変

大隅良典栄誉教授(科学技術創成研究院)の2016年ノーベル生理学・医学賞受賞が決定。細胞が栄養環境などに適応して自らのタンパク質分解を行う自食作用オートファジーの分子機構と生理学的意義の解明”とのこと。基礎研究の成果らしい。また日本の研究レベルの高さが世界に認められる。ガンや加齢による諸々の病気に対して活用が望めるとのこと。そういえば以前スタップ細胞の発見が世の中を席巻した。細胞の若返りであった。こちらは捏造であったが、こんな研究の成果は間違いなくノーベル賞だろう。
無駄を省き、リサイクルの活用は地球規模の生活圏に欠かせないものになり、温暖化による異常気象と言われる昨今の現象(秋刀魚が取れない、シラスが取れない、台風のかってない迷走など)は以前よりいろいろと目立ってきたがいよいよさしせまって世界規模の課題となってきた。この自食作用の原理を生かせないかと素人ながら期待する。阿蘇山が噴火した。地球規模の自食作用は延々と繰り返してきたのかも。

オートファジー 自食作用は不気味なり
自分を食って生きてゆくとか

花が咲き 落ち葉とともに 実を付ける
やがて新芽が また花咲く

久々に 富士が見えるも 物足りぬ
雪無し冨士は すっぴん女
招待状 貰ふ嬉しさ 哀しさも
年金の身に 出費こたへる
又吸へと 神の指令が 誘惑す
指令は絶対 禁煙は無理
哲学の 神の解釈 色々で
よく解らずも 吾は我なり

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10日 三石山

三石山の登山口まで車で走る。身延の駅を右に曲がり、訳も分からず登って行けば椿草里。なんという地名か、字だけは覚えている。そこから山崩までくねった、落石の目立つ道路を走ると登山口の標識があった。山はどちらかというと平坦で難なく頂上に。三石大明神の宮があり、そこに巨石があり、これが三石の言われらしい。辺りは苔むして視界は乏しいが、岩の上に岩が乗ったりどうしてこんな岩が頂上にあるのか不思議でならぬ。富士山の噴火時の吐き出された岩なのかも。何故頂上にこの目立った石があるのか。

長者ヶ岳 天使が岳の 西の山
三石山は 苔むしており

富士川に 添ってくねるは 十号線  
三石山は 姿を見せず

謎深き 三石山の 巨石かな
謎が謎呼ぶ 我を惑はす

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17日 宝永山

16日秋晴れの中宝永山に登る。以前より季節ごと場所を変えては眺めてきた冨士さんの宝永山に登る。
噴火口は遠目には奇妙で気味悪くうつるが、その山は富士の焼山赤き山であった。噴火口の外輪は赤茶けて火口に向かい崩れて風化しているがここから宝永に噴火してはや三百年余まだ日が浅い。傷跡は鮮明と言わねばならぬ。千七百七年の噴火は想像できぬ世を驚かせただろう。白隠禅師も苦労したと聞く。
娘と歩いたが、第一火口から頂上に登る道は砂利で、しかもかなりな坂で疲れるが、登り切ったその先は雲海を望み、火口の縁の岩は牙をむきだしていた。美しく信仰の山の周辺の木山を歩くことにしてまだ一年ですが、今回のこの場所はインパクトが強い。まだ何年かは富士山周辺に足を運ぶことになりそう。

神無月 朝日を浴びた赤富士の
宝永山に娘と登る 

宝永山 喉の渇きか 叫びかも
大口開き 青空を飲む
富士山の 宝永見れば グロテスク
喉の渇きか  大口ひねる

秋晴れに 娘と登る宝永山
山肌赤しこれぞ赤富士
砂山を 歩く止まるの繰り返し
惨めなれども 諦めぬ亀
富士山の見慣れし山の宝永山
牙を隠して時を図るか

宝永山 口裂け叫ぶ唇に
綿毛ふわふわ 舞ふ可笑しさよ
すっぴんの 富士の山でも 楽しけれ
赤き山肌 赤富士を知る

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2016年 11月

西田幾太郎の『善の研究』を読み始めてよくわからずに読み進む。日々の歌も、少しでもましな歌を詠みたいと新たな境地で読みたいと欲を出しては哲学ムードに流されて歌詠みは中断しましたが、秋の訪をすなおな気持ちで詠もうと思う。初心に帰ろう。自分は自分。
はや11月に入り日本列島を攪乱した大気は安定し我が家の小庭にも秋の色に染まる。
庭の虫なども姿を消して虫刺されの心配もなく庭を楽しめる。
木犀が咲き終ると秋薔薇が咲きだしやコキア、夏椿も紅葉して子庭に秋の訪れてミカンの色づくを眺めて飽きず。

6日 小庭の秋

故障ばかりでなく世界のトップも何か変。変な国が増えて世界は変に変わらぬことを願う。8日はアメリカの時期大統領が決まる
北朝鮮やISや中国、ロシアなどに加えフィリピン、韓国、アメリカのトップの振る舞いの非常識 、常識とは何か考えさせられる

温暖化異常気象の時は過ぎ
ホッとする秋 秋は駆け足
虫去りて コキア秋薔薇 夏椿
夕焼け小焼けの色づく小庭 
小庭には小トマト実るミカンなる
紅葉愛でつつまた柿を食ふ
何か変 どちらがましか選挙戦
粋なリズムでペンアップルペン

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13日 真白き富士

立冬や虫も去りたか薔薇の花
 清々と咲く冬薔薇が好し
愛鷹は黒雲被り不気味なり
富士は白雪秋晴れの朝

きらきらと夕陽が踊る そむければ
校舎の窓に夕陽は踊る

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22日 いい夫婦

生があるから死がある 出会いがるから別れがある 人様々な生き方でよし

人の背に 陽炎揺れて 寂しさう
 生死もあれば 幸もあるらむ
昨日出勤の時に鹿に合う
通常は道を横切って姿を消す鹿が今回は逃げる場所が見つからなかったのか
車の前を走っている 月が明るい星降る夜の出来ごと
星降る夜 我を先導 鹿が行く
我を導け 幸福の森

昨日夜の雨が上がり、朝の冨士はくっきりと雪化粧
我が里の町は靄というか霧というか霞というか幻想的に見えた
雨上がり 富士はくっきり 雪化粧
見下ろす里は 霧に埋もれる
六八は スーパームーン 吾の年
吾は初期化し 新たに生きる 

雨上がり小春日和の 我が庭は
薔薇やミカンにつる花咲けリ

夕方タバコを吸っていると鴉が一羽西に向かって飛んでゆく

夕間暮れ 鴉が西に 飛んで行く
ファンファンファンと 生きてるあかし

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27日 悪夢な一日

甥の結婚式に向かう
一、まず最初トイレに入り予定の電車に乗り遅れる
二、乾杯の挨拶では上がって言葉が出てこなく有耶無耶に
三、カメラマンの人に写真を撮ってもらおうと愛用の渡せば落とされてカメラを壊される
四、帰りの新幹線 新横浜で光りに誤乗車、 何処も止まらず名古屋まで行ってしまう
 名古屋は非情な雨降る 無情の雨降る
五、翌日早々早朝に家に帰ればすぐ近くが家事だった

出だしが悪いとその後に予期せぬことが発生する。ここまで悪事が発生することもめったにない悪夢の一日 
教訓

予期もせず 乾杯音頭 有耶無耶に
 世代が違ふ 場を読み違ふ
披露宴 カメラ壊され 誤乗車し
三島止まらず 雨降る名古屋
悪しきこと 泣きたきことが 次々と
無事に帰れば 近場で火事が

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2016年 12月

3日 師走の始まる

はや今年も師走、今年は早し、弟が倒れてはや一年もあと少し

てらてらと師走の夕日眩しくて
残光しばしわが目を奪ふ

弟は意識もうろう痩せこけて
東京タワー夜景眩しく
薔薇咥へ横たふ裸婦の妄想は
我が命なり我が性なりし

冬薔薇はそっと静かに咲きにけり
優しさ貰ひ庭の剪定

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10日 祈りのかたち

冬晴れに 虹を吐きつつ 飛行機が
西に飛び行く 夢の世界に
三日月の 下に星あり 涙かも
祈りの涙 嘆きの涙
娘の友は 吾のひそかなファンと知る
早死にしたる 三十路の母よ
色づかぬ 残り少なき トマト採る
冬薔薇が咲く 蜜柑が美味い

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15日 伊豆山歩道を歩く

達磨山から棚場山までハイキング
久々の西伊豆のハイキングは寒晴れて海を眺めて気持ちが良い
西の海辺の土肥や戸田の海岸も行きたくなる
海は凪ぎて土肥の松原公園の歌碑などを見て浜からの温泉街はいつも変わらず穏やか
戸田の湾はべたなぎで西の日差しを浴びて湾を取り巻く山々は黄金色に輝く

伊豆山の 笹や杉山 散歩する
寒気身に染む こころ緩やか

松原公園の前の浜より土肥の町を眺める

船原ゆ土肥の眺めに誘われて
牧水も見し浜に出てみる
師走中土肥の松原花時計
五年の月日何も変わらず

戸田湾の師走の夕陽山を射し 
海に紅葉 船影映る
戸田湾の 凪ぎし水面に船浮かぶ
師走の夕陽 山を黄金に

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28日 今年もあと少し

何か物足りなくて天気が荒れる師走は27日、東名飛ばし弟の居る病院に。首都高速は渋滞激しく千寿大橋まで渋滞が続く。
19時半に帰途、雨の東名高速道路はトラックが多く、昼間に見た我が車をスイスイと追い越してゆくベンツやポルシェは見当たらず。
我が軽四輪も足回り良くトラックの間をスイスイ走る。気分が良い。行きの鬱憤を晴らすかの如く走る。

庭のトマトはもういいだろう、実の付くトマトの木を抜く。梅が数輪咲いている。白薔薇見頃、パッションフルーツの20個の身は少し色づいてきた。今年は特に早く過ぎた。元旦から弟の心筋梗塞が気にかかり何度東名を飛ばして病院に行ったことやら。何もよくなっている気配はなし、悪くなっている様だ。
安倍首相が真珠湾を訪問、トランプの次期大統領、リオのオリンピック、異常気象、都知事選、色々変なことが想い出せば尽きないが
、すべて忘れてPPAP。

師走入り 梅が数輪咲きだして
庭を眺めて 神を問ふかな

ぬばたまの 夜の東名 雨の中
我が軽四は ポルシェの走り
弟は 痩せこけて目は宙を見て
ムックの叫びか サンタは居ない
我の癖 考える前 途中でも
煙草を吹かす 我がルーティーン

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2017年1月

年末年始は空晴れて弥生の陽気に。
屠蘇を飲み何するではなく祝い酒、2日は三島大社に初詣、一時間列をなし、ようやく参拝。
今年は厄年、おみくじは「末吉」、今年はそっと過ごせばよいかも。他の連れは「大吉」「吉」「小吉」。交通安全、身体安全色々のお守りを買い嬉しそう。清流沿いの店でビールやお茶にハムサンドなどを食す。
ポカポカの春の陽気の風が吹きぬけて気分よし。ビールが美味い。

2日 三島大社に初詣

初詣 清流温む 良き日なり
三島大社の ビールが美味し

ぞろぞろと 参拝の後富くじを
厄年守れ 末吉を引く

昨年は 元旦を消す 訃報あり
昨年の分 祝ふ膳なり

犬を連れ 「みしまるくん」と スナップを
家族ニコニコ 初詣なり

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12日 七草粥とお汁粉

昨日は七草粥をたべ、お飾りを下げお飾りをどんどん焼のために公会堂に持ってゆく。
今日は久々の雨の一日、与謝野晶子の歌を調べる。
庭の金柑にいろいろの小鳥がやってきて、金柑を食べる。我もその仲間かな、金柑を食べる。
久々の雨のなか、ヒヨドリが電線に止まり吾の去るのを待っている。
寒の雨の中電線にじっと止まっている姿をみて可愛そうになり早々に立ち去る。

正月や 吾が身は太る 松の内
新たな計は 細りつつある
七草の 粥をシャカシャカ かっくらふ
おかはりしつつ 餅を焼きつつ
金柑に 小鳥集まり 楽しさう
我が食べれば 見守る小鳥
寒の雨 小鳥まるまり 電線に
我の去るのを じっと待つかな

AIは 晶子を真似て「白髪の
虚心の秋の 美しきかな」

歌真似か 自然や歴史は 繰り返す
歌の心も 同じと思ふ
九十の義母の喜ぶ声がする
「美味いお汁粉初めて食った」

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21日 大寒の空模様

20日は大寒、雪降る気配の空模様 雪は降らずに済んでホットする。
庭のパッションフルーツが色づくも寒さで萎びてきた。雲南百薬(おかわかめ)も葉が寒さで溶け出す。すべて撤去したが
オカワカメの効能は癌の予防や視力回復、動脈硬化に効果があると知り、悔しがる
トランプの大統領の就任式を少々みたが、一つ言えることは彼のスローガン(言葉使い)は単純で誰にでも記憶に残るらしい。
シンプル イズ ベスト
短歌の歌語とか調べにも言えるのでは この着眼点に重きを置いて詠もうと思う

真白な 輝く冨士を 真白な
雲が呑み込む いたわる如く 
娘より 高尾で撮った 写真には
シモバシラから 真っ白の蝶

大寒の  グリーンカーテン オカワカメ
霜に萎れて ムカゴが残る
年明けて 不幸の報の 続くけど
大鹿に会ふ 眼に癒される
人は皆 生きねばならぬ 生きていきて 
死なねばならぬ 悔ひを持ちつつ

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27日 夕焼けと冨士

弟の病院に車を走らせる。
朝の御殿場にはせまる真っ白な冨士が、帰りの荒川近くの環状線から夕焼けの中に
富士のシルエットがクッキリと描かれていた

せまりくる 朝の白冨士  東京の
沈む夕日に その陰赤し

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2017年2月

早い早い、如月に入る。世の中はアメリカの大統領トランプの大統領令に振り回されている。大企業もしかり
各国のトップもしかり、トランプの姿勢は明確で従来の曖昧な、慣習的な面にメスを入れて素朴に、強引にアメリカ第一主義のもと臆面なく主張する。
その要求に日本はどんな対応を見せるか。当たり障りのない、要求に答えて正論を唱えなければ益々分が悪くなりはし無きか。
世の中のAIの進歩は人間の幾つかの仕事を奪うという心配の声を聞くが私の周りを見る限り無縁と思う。トランプに似た保護主義、ワンマンな態度は是々非々や良識を破壊、やがて人が去り衰退に向かう気がする。

3日 節分

節分と言えば「豆撒き」から「恵方巻」のイメージが強くなる。孫でもいれば「豆撒き」でもよいが
年寄り家族は恵方巻を黙々と食べ鬼は外、福は内。
鮭が不良らしい。いろいろな魚がとれなくなったらしい。資源の枯渇か、先が心配。
土から、海から直接、間接に食を得て、それが当たり前の時代は終わったかも。自然のリサイクルに当てはまらない人間の営みが原因か。

節分の 豆撒そっと  恵方巻
もぐもぐ食べる 年寄り家族
メジロ来て 枝から枝を せかせかと
我が家の庭は 光に満ちる
年々と 自然の幸の 心配に
自業自得か 人の心も
海山の 微生物にも 限界が
土に帰らぬ 物をぞ嘆く

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13日 清見寺ほか

寒晴れに、最近気になってそのうち行こうと思いつつ延び延びになっていた清見寺に行く。我が寺は白隠禅師の若き時に学んだ寺で
清見寺より禅師が来たらしい。臨済宗妙心寺派になる。歴史の長い寺であるとは調べていたので。
場所は興津の駅近く、寺の前を東海道線が走り沼津から静岡に通勤していたり、以前より寺があるのは知ってはいたが何の興味を抱かなかった。隣には瑞雲院がある。由緒ある梅の木があり期待したがほとんど蕾。
寺の前の興津ふ頭の高速道路に沿って公園がありこちらの梅は綺麗に咲いていた。年寄りがゲートボールで遊んでいて環境がすこぶる良い。松岡子規の句碑があり、子規はここを終の棲家と考えていたようだ。
帰りは岩本山の梅林を観梅 生憎富士は雲で隠れていたが、愛鷹山塊がやけに美しく見えた。

清見寺 寺を眺めて 半世紀
何の因果か 山門に立つ


山門と寺の間を東海道線が走っている

様々な 五百羅漢の 姿あり
各々の顔に 一途な仕草

臥龍梅 花はつぼみも 老木に
歴史の跡が 臭ひ漂ふ

岩本山の梅園にて

咲き誇る 梅林遥か 愛鷹は
日々遊ぶ山 何故かりりしく
観梅し 焼きそば食えば 真近くに
カラスが一羽 吾と目が合ふ

その他

娘より 今年もチョコが 嬉しくて
チョコを勉強 チョコ大好きに

如月の 寒月満ちて よもすがら
月は変はらず 我も変われず
如月の 寒晴れつづく 夕暮れ
富士は薄紅 静寂(しじま)に浮かぶ 
裏の家 ミニ盆栽が 枯れてをり
年寄り見えず 旅たちを知る

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19日 河津桜

春日の天気に河津桜の見物に。道路は渋滞、やっと現地に。
花は満開春の陽気に人が群れ、車が群れて一足早い春を楽しんでいた。
帰りは渋滞を避けて松崎に出て西伊豆の夕陽を眺めて帰る。
普段の生活を忘れて、やがて来る春の季節を心待ちにする気持ちは雪国ではなくても同じかな。


渋滞の 車の列が 延々と
人それぞれの 春のうごめき
満開の 河津桜の トンネルを
妻と娘と ブラブラ歩む 
犬も鳥も 桜も人も それぞれの
春を迎えて 川辺に集ふ
春告げる 河津桜の 嬉しさよ
憂きこと忘れ 無心の花見

西伊豆の 茜の夕陽 春の色
海を焼きつつ そそくさと消ゆ 

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28日 庭の剪定 身辺整理

先日より庭の木々の剪定をする。ぼさぼさの梅の木をかなり剪定。山茶花の白の木は背を低く、赤の山茶花は背を高くして
高低さをだしたら、見違えるように面白くなる。金柑は実がまだたわわに実を付けているが、今回は全て捨てて思い切り枝を詰めた。
知らぬ間に木々は大きく、枝が茂り、日々なんとなく圧迫感があるが今回は時間が十分あり色々選定し納得。
災害、事故に病などの突然死はいつあってもおかしくない。急の訃報を聞けば、我も70歳まであと2年余、将来のいろいろな願望があるが、同時にいつなくなってもよいように身辺整理など終活の活動も必要とつくづく思う。

例年の 庭木の剪定 見直せば
庭に新たな 風が漂ふ

梅の枝 山茶花の枝 金柑も
樹々の個性を 切りつつ理解

保証人 依頼あれども 躊躇する
我はパートの 年金者なり
突然の 訃報を聞けば 他人事か
 身辺整理 終活をせむ

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2017年 3月

朝晩の寒さはつづくが、日中は春めく陽気になってきた。5日は啓蟄しばらくすれば蚊や毛虫やムカデなどが蠢いて、此方の点では歓迎できない。
久々にクモを一匹目撃し普通なら処分するのだが初物の虫であり、懐かしい気がして眺めただけでした。そのクモは隠れて様子を窺っているように見えて親しみを覚える。春の気分とはこんなものかも。

6日 クモを見つける

啓蟄や クモがちょろちょろ 床を這ふ
初物だけに 親しみが湧く
啓蟄や 新芽ちらほら 芽吹く時
虫も這ひだす 蠢く悩み
春が来た 春です春です 浮れつつ
心もやもや 春霞かな
一年の 蠢く季節も 一日(ひとひ)づつ
今日の一日を 満ちて終はらむ

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11日 東日本大震災もはや六年

新聞やテレビ番組は 震災の六年の経過が。 韓国の朴大統領の弾劾裁判と 森友学園への国有地の払い下げの問題 
北朝鮮のミサイルと、金正男の暗殺、築地の豊洲移転にからむ真相など話題に事欠かないが、国際的にも、国内的にも何かきな臭さが漂う。政権の慢心が始まれば、国の方向性を見誤り、日本の立ち位置を見失う。
震災もはや六年の月日が経ち、復興は、避難者の生活は、被災地の今後の進展は、色々問うが、避難者への中傷の話は尽きない。
故郷を捨てた人あり、是が非でも帰りたいと思う人あり、まだ見つからない人は2千人余らしい。海岸で骨を探している光景が映る。
原発の廃棄作業はあと何年を要するか、半世紀以上はつづくかも。負の遺産を将来の糧にするには真摯な態度で諸々取り組み、被災者の現状を正確に分析して被災者に添う対応を続けること。

傍目には復興続く 真相は
悶々とした 闇の空かも
出来るなら この眼この足 繰り出して
被災地のそら 眺めてみたい
幼子に教育勅語 唱和させ
変な学園 あることを知る
世界中 紛争続き 是が非でも
主張譲らぬ このきな臭さ
永遠の 科学の進化 あるだらう
人の心は 退化するかも

はるうらら 花芽や木の芽を 眺むれば
心むずむず 蠢く春に
我が庭の 春の花には 順序あり
白と黄色の 交互に咲けり

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19日 春彼岸

朝晩はまだ寒さが残るが昼間のポカポカ陽気は、何もせぬとも気持ちが良い。
草花に新芽が伸び始めて、今年も咲き揃うだろう。
摘果した金柑の実をヒヨドリが咥えて地に当て砕いている。夜、カボックから飛び立つ鳥があり、ヒヨドリが巣作りを始めた?
草木や鳥や山や海、月に星みて、悠久の時間の移ろいを感じれば我は少しづづ自然と同化しているのかも。
暑さ寒さも彼岸まで。また山歩きの楽しみが、苦しみが。
豊洲移転や安倍首相の寄付は、国有地の異常に安い払い下げなど世間は嘘の弁解方便にうんざりし真実は何かの追及に絶え間ない。WBCは勝負事、勢いとかムードとかに一喜一憂楽しみが。今の日本に足りないのはワクワクするムードでは。政治家は襟を正して政治に当ること、嘘や方便何の役にも立ちはしない。そんなところで苦しむのは人間の恥と知れ。春彼岸、線香つけて先祖に恥じぬ生き方をしなければ。他人ごとではない。

野球には わくわくムードの 勢ひが
びくびくムード 嘘の政治家
ころころと 嘘の方便 弁解を
見苦しくあり 命とりなり
春うらら 花鳥風月 眺むれば
我は自然と 同化してくる
春彼岸 線香上げて 我拝む
先祖に恥じぬ 生き方をせむ

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29日 春の訪れ

世間は桜の開花が気にかかる様です。私も例年春の訪れるのを、梅の開花から始まり、庭の水仙などが咲きさすのを眺めては春の訪れを感じてきました。なんといっても桜が咲きだすと春爛漫の高揚した気分になり、花見に出かけて一杯やってと楽しみはある。
木々に目をやれば辛夷や木蓮、山法師、馬酔木に雪柳、ハナミズキ、アカシアなどが咲きだすと、又桜と別の春の趣があり、ドラマがありそうだ。そんな木々を愛でて歌でも詠もうかな。

25日 春の木々の花の白いものは清楚な感じ 歌にしたらどうだろう

コブシさき ハクモクレンに アセビさく
 恋は白色 ユキヤナギさく
野辺見れば 白き花なら 辛夷かも
山は化粧し 馬酔木ほろ酔ひ

28日門池と香貫山の散歩

ポカポカの陽気に誘われて「門池」を散歩する。
コブシ咲き、花がぽたぽた落ちてくる。池の水鳥は陸に上がり日向ぼっこのよき日なり。
しだれ柳は芽吹いて池のぬるんだ風に揺れていた。桜は蕾であるがこんな春日も良い。
川岸に「カワセミ」がおり、ブルーの体に腹がダイダイの鳥を初めて目にして、嬉しくてスマフォで撮ったがしょせん無理、
初めての体験に嬉しさがじわじわ。
「香貫山」をその後散歩
此方も桜は芽吹くが花は未だ、連翹や、タブの木の花芽が綺麗である。シダの大きな芽が伸びてヘビかアナゴか。
晴れが曇りに変化する。家に帰ればやがて雷が鳴り雨が落ちてきた。昨日までは寒の戻りの寒さで、周辺の山は白くなっている。
後一週間で桜も咲きだすだろう。

山肌は 寒の戻りの 雪化粧
春日が戻り 門池に春
桜まだ しだれ桜は 風に揺れ
湖面に浮かぶ 鳥はうたた寝
池周り 温む春風 ひそひそと
しだれ柳に 春の陽揺れる

ポタポタと コブシ咲き散る 昼下がり
田内桜と 又の名を知る

○川蝉を 初めて見れば あざやかな
マリンブルーに 花を忘れる
カワセミは マリンブルーに 身を纏ひ
獲物探して 川を凝視す
カワセミは 水辺睨んで 微動せず
昼寝に在らず 生きるためなり

香貫山にて

香貫山 近場の山も 気おくれす
春の息吹よ 吾を誘(いざな)へ
桜道 蕾眺めて ぶらぶらと
タブの花芽や ゼンマイもよし

裏の家は、痛みがひどく借家人が出た後は廃家になった。
ふと見れば、色鮮やかなピンクのコメ桜が咲いている。主去るとも花は咲きけり。

裏家の 年寄り逝って 廃家でも
寒緋桜(かんひざくら)の 花は咲きたり
廃屋にも 寒緋桜の 咲きそろふ
な咲きそ咲きそ 哀しさつのる

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2017年 4月

1日記
桜がまだ咲かない4月に入る。我が家の庭は春の草花が咲き揃い、見ていて飽きず。
春は「山笑う」草木の芽吹く時期、新たなスタートの時期、普段の生活も見直して我も新たな目標に、新たな気分で臨む

10日 桜は咲いたか、花見に行かず

六日に弟が息を引き取る。通夜、葬儀はなたね梅雨、花は盛りでもそぼ降る雨は哀れなり。
9日の越谷の斎場に向かう川岸は菜の花が満開で、桜が満開で、バスよりみる雨の景色は寂しさを増す。

弟は 花に飾られ 旅たちぬ
花の盛りの なたね梅雨なり
弟は 病の果ての 骨と皮
花は盛りの よき日に逝けり
想ひ出が お経聞きつつ 蘇る
幼き頃や 病院の日々
久々に 娘の家で 一晩を
小犬喜び 吾に添ひ寝す
我が兄は 桜吹雪く日 逝きにけり
はや四十年の 年を過ぎしか
香貫山 白や桃色 化粧して
桜さかりも 行く気になれず
兄も逝き 弟も逝く 桜花
願わくば我 紅葉と共に

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22日 春の花は擾乱 世はあっけらとして

桜葉散ると庭の木々や草花はあれよあれよと萌えだして、その変化の眩しくもある。
世界情勢あっけらかんとミサイルを打つ、ミサイルが来たら隠れなさいと政府の案内。
いつの間にこんな情勢現れて、それをたいした抵抗もなくあっけらかんと聞き流す。戦争とか紛争とかは国益のもと正当化されて、国民の生活は二の次か。一発触不気味な風が吹き荒れる。

春は萌え 花は擾乱 ミサイルが
あっけらかんと 打たれるを知る
戦争は ふとした気分で 勃発し
後で悔やむは ポピュリズムなり
歯が疼く ミサイルが来る 報道も
妄想であれ 哀れ言霊
ひにひにと 草木萌えづる 知らぬ間に
花盛りなり 歯は疼くとも
春の陽に 我は吾なり 染まず生く
何を生きがい 吾何処に行くか

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2017年 5月

一日は昼間は夏日、やがて雷雨の午後でした。
八十八夜、初夏の訪れ、自分には関係ないがゴールデンウイーク。山は変わらず、季節は待たず、計画をしよう

3日 由比桜えびまつり ビールが美味い

桜えび 由比の小湊 人が群れ
駿河の恵み 一日のうたげ
かき揚げが ビールが美味し えび祭り
初夏の光りに 我は酔ひしれ
新潟の 山菜もらふ お返しは
駿河の春の  桜海老なり

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8日 愛鷹山は萌えいずる

久々に 山を歩くか 夏日なり
気分に酔ふも 喘ぐ我なり
幾年を 老木眺め 山登り
老木倒れて 山の寂しさ
初夏の山 芽吹く木々なら 山笑ふ
朽ち木たたずむ 山の虚しさ

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14日 母の日

今日は母の日、卒寿になる義理の母を連れ出して富士の中央公園に薔薇を見に出かける。90歳を生きるとはなんと辛い事だろう。わが父もそうだったが体や心がぼろぼろで生きる目的如何なるや。老いの大変なことつくづく感じる。薔薇は満開でそれなりに楽しんでくれたかな。
娘の友達が亡くなる。あまりに早い人生を終えた。とりあえず、生きてる限り生きて生きて人生を終えれば幸せと思う。人生は長く短く知らぬ間に老いる。実感

繰り返す 同じ言の葉 繰り返し
体よたよた 生きるしんどさ
長生きも 卒寿になれば 哀れなり
こころ体は 抜け殻の様

娘の友が亡くなりし

癌になり 一児の母は 亡くなりぬ
バラの花咲く 薔薇が散りぬる
風薫る バラの花咲く この時期の 
早き旅たち 惜しむ空しさ

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24日 アカオバラ園ほか

20日は弟の四十九日
アカオハーブ&ローズガーデンに21日出かける

弟の 四十九日が はや来たり
薔薇咲き揃ふ 夏日となりぬ
空虚なり 慣れぬ法事の 遺族らの
疲れが顔に 故人おろおろ

バラ園は 四季の花咲き てんこ盛り
アイスを食し 犬と楽しむ 

薔薇の園 娘戯れ 花の中
輝く姿 バラよりも良し
はや皐月 花の移ろひ 早すぎる
我は急がず 我はぼちぼち

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30日 五月の庭よ さようなら

いろいろ咲いた花などは色あせて、枯れそうに、思いきいてそれらを伐って、雑草を伐ってすっきりした。
新たな庭、梅雨に、夏に向かう庭に。五月の庭よさようなら。

咲き終り ちぢれし花や 草などを
刈って山積み 皐月は去りぬ
知らぬ間に 歯の領収書 厚くなる
吸殻の山 見つつタバコを
ムカデ出て 山は霞の さつき去る
心惑はす 紫陽花の花

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2017年 6月

水無月の6月に入り、夏日が続く。トランプ米大統領がパリ協定離脱を表明し、益々地球は熱くなりそう。
アメリカのプライドはどんどんなくなり、保護主義の自国の保護に向かう。やがて中国やインドが世界のリーダーシップとなるのは明らか。日本の外交益々かじ取りが難しくなる。

2日 我が人生は悔いばかり

今思えば自分の人生振り返り、いい加減に、惰性に生きてきたと反省するが時遅し。
後悔がつのる今の我。
以外と人の一生は短くつまらぬものなのかも。凡人には凡人の余生を考える時なのかも。
美味いもの食い、酒を飲み、山を歩き、花を愛で、自然と共に生きていく。そんな中で何か目指す道などあれば幸いかな。

○水無月の 庭は水枯れ 雨落ちず
ツバメの巣落つ 梅の実の落つ
吾が家を リホームするか 決めかねる
余命問ひつつ 勘定しつつ

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 7日 七面山下見

七面山の登山口など下見に出かける
南アルプス街道を走り早川に着き、登り口は解った。登り口の羽衣に牧水の歌碑を見つける。春木川には羽衣の赤い橋が架かり
白糸の滝と御萬の方の像がある。鳥居を入るとすぐ右に牧水の歌碑がある。登山道は赤すぎの木が綺麗である。
帰りは300号線(本栖湖街道)を走り本栖湖に、雨に煙る湖は静まりて寂しい。梅雨入りのニュースが流れる

七面山 のぼり口には 牧水の
歌碑がたたずむ  うれしき出会ひ

街道は 南アルプス 向かうらし
車よ走れ 未知のときめき
登り口 ガサガサ集ひ 菜を獲りて
そそくさと去る 宿の女か
くねくねと 本栖街道 いろは坂
雨に煙りて 梅雨入りとなる
羽衣の 白糸の滝 眺むれば
日々の妄想 あまりに狭し

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13日 梅の実

梅の実がポツポツ落ちて、植木鉢に集めておくと、次第に色が琵琶のような色になり、綺麗である。
この時期の月は高度が低くなり苺の月というらしい。夜空を見上げれば雲のまにまに月が望まれ子供の頃の赤月を思い出した。
中学生の頃、妹を背負って子守りをしていた。ふと見上げて月がやけに赤く見えて驚いたことを思い出した。

採らぬまま 落ちし梅の実 集めれば
日ごと琵琶色 美しきかな
水無月の 赤月見れば 想ひ出す
妹(いも)を背負ひて 見し満月を

久々に香貫山を散歩する

香貫山 紫陽花咲けリ 満開の
花はしとやか 寂しくもある

香貫山 紫陽花が咲き ツバメ舞ふ
静かな時を 我は楽しむ

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22日 蜂巣(ハス)と世代

将棋 藤井4段 14歳の少年が連勝記録更新(28連勝)に日本の人らが喜び、77歳の加藤一二三が引退を表明
先日蓮興寺のハスを見学。 驚いたのは唐招提寺や中尊寺のハスがあるらしいこと。いにしえから花は変わらず人を癒す。 

空梅雨も 烈風豪雨と 急変す 
我の行く途 塞ぐ倒木
蜂巣花の 種は千年 眠るとも
花は変はらず 人をぞ癒す

 
蓮の花 長き歴史は 千年を
花は変はらず 人は変はらず 
少年が 引導渡す 将棋道
一二三悲しも 無常は無情
ひさかたの 光り輝く 時去れど  
一二三よ泣くな 生き様残る

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25日 嘘も方便 愛してる

小林麻央が亡くなった 死に際に愛してると言ったそうだ。 
我妻はそんなときになんと言うか想像するが、 吾は嘘でも愛してる。

若妻が 子を残し逝く 「愛してる」
最後の言葉 我は「有難ふ」
死に際で 吾は何をか 言えるかな
自信がないが お世話様かな
寝不足で 一日ぶらぶら うはのそら
時を忘れて 吾を忘れて

 

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30日 羽黒とんぼ

梅雨の陽気の庭に蝶が舞い、羽黒トンボがひらひら舞っていた。何処ら来たか解らぬが珍しい。
六月も今日で終わり、ブドウやトマトの実が青々としてそのうちに色づくだろう。
今にも雨が落ちそうな中、静かな時を過ごすと何か詩的な気分になる。
そうこうしているうちに蚊に刺された。庭の消毒を早々にしなければ。

小庭にも 羽黒とんぼが ひらひらと
蝶もひらひら 梅雨中休み
我が庭の 葡萄にトマト 青々と
やがて実らむ 命膨らむ
燕らよ 落ちぬ巣造り 頼みます
寄り添ふ姿 見れば和める 

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2017年7月

2日の期待は都議会議員選挙の結果と将棋の藤井4段の30連勝のかかる一番、結果は都民ファーストの大勝と藤井4段の負け。
 
台風三号は沼津には何も影響がなくホッとしていたら九州の北部は梅雨前線の停滞による線状降雨帯という大雨のための被害の報道に驚く。
毎年日本のどこかで発生していることが又繰り返される。日本の宿命か。
地震を初め噴火とか水害とか予期せぬ災害というが突然に発生するではなく、過去の歴史は繰り返され、人は知らぬが諸々の兆候は自然の中に発生していることは事実。AIの知識を以って予測できぬものか。危険な個所には住まぬ事、自然を破壊することなかれ、地球温暖化も一国では出来ず、経済優先の国がある限り掛け声は意味をなさず。戦争は国益のため、有史以来延々と現在まで繰り返されISの集団や北朝鮮の核開発,ICBMは人類の滅亡に向かう兆候か。病気とか震災に合えば神も仏もおらぬと言うが泣き言は意味をなさず、神や仏は人の心にあるもので、智慧や知識や思いやりがひとを助けるのでは。神や仏が居るとすれば宇宙の遥か解らぬ所に居り人の都合はいちいち聞く耳を持たず。無の世界に居るものと自分は考える。
七夕に願い事など書いてみる。

7日 七夕

悲惨なる 災害が又 繰り返す
原因はある 智慧こそ足らず
貧あれば 食指を伸ばす 侵略か
欲が理性を 人を滅ぼす
七夕に 神はをるなり 祈らむや
悪しき事せば 罰あたるとも

葡萄には 早やカミキリムシや コガネムシ
梅雨に雨無く 悩みは増える

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13日 吾の誕生日と盆の入り

西田幾太郎の「善の研究」が種となり西洋哲学の「知の芽生え」
何もせぬのも、何も考えぬのも 生きる術とは思うがついつい知りたくなる我が性を知る
12日は吾が誕生日 蝉の羽化を目にして誕生の意味をしみじみと思う。
13日盆の入り久々の雷雨になり庭の水撒きが省けると喜ぶか、坊さんが雨の中、暑い中を稼いでいた。
迎え火を焚こう。

10日には 富士山開き 吾行かず
他の山登る 富士閉じるまで
六八の 誕生日でも 未だ我
ニーチェにフーコ 生の芽生えが
○偶然に 蝉の羽化みて 微妙なり
奇妙で神秘 我が誕生日

久々の 豪雨に雷雨 梅雨らしく
盆の入りなり 酒なむ飲まむ

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24日 梅雨明けの後

19日勢子辻より愛鷹山系の越前岳に
久々の山歩きに喘ぎあえぎの山道は、いつまでつつく坂の途、坂が湧き出て際限がない様な
我の喘ぎは蝉しぐれ、ただひたすらにロープを伝い登るのみ

今日、梅雨明けらしいニュースが届く。我が地の沼津はさして雨が降らなかった。
空梅雨の影響がでなければと願う。雹が降ってきたところがあるとか、家や車の破損に驚く。

歩けども 果てなく続く 登り道
我も年かな 喘ぐ坂道
勢子辻ゆ 越前岳の 山道は
知らぬ道なり 意地でも登る
水害の 情報聞けば 悲惨なり
我が地は無傷 雨さへ降らず

24日 蝉の抜け殻異常かな
朝のセミの鳴き声けたたましくて追い払えばおしっこをして飛んで行く。
今年の蝉の抜け殻が小庭のあちらこちらにあり、今までにない数では。

秋田県の水害の情報に驚く。懐かしい地名の数々を聞けば、走馬灯の如く思い出す。雄物川
早や単身赴任の三年間、それから三十年の年が過ぎたかと、その速さに驚く。

騒がしき 庭の蝉ども 追ひ払ふ
おしっこ飛ばす 蝉は生き物
我が庭の セミの抜け殻 数多あり
我は眠れず そっと泣け鳴け
東北の 水害情報 耳に入る
懐かしきかな 雄物川なり
秋田去り 早や三十年の 想ひ出が
水害の地の 単身赴任
トマト採る 予想以上の 色艶に
初物なれば 仏壇に供える
あさぼらけ 蝉が鳴きだす 寝苦しき
夜が明けぬれば 吾寝るとせむ

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2017年8月

天候不順に気を取られ、気が付けばはや八月に入る。
一日、二日と西日本は猛暑に、此方は六月の、十月の陽気 今月も天気模様を気にしながら過ぎるかも。

3日 空蝉

義理の母が数えで91歳、亡くなった

空蝉も 花火の煙り 悲しけれ
一瞬の世の 生き様の跡
我が義母の 老人ホーム 決まるとか
施設は御免 慌てて死ねり
空蝉や 生き様写す 死に様に
世を愛すれば 愛されて死す

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12日 異常な夏

迷走した台風五号が去ってほっとする。年々迷走台風が増えてきたようだ。被害も増える。
一昨日は最高気温に昨日から一転涼しくなりこの温度差に呆れる。
一昨晩は高速道路再渋滞、昨晩は渋滞はなし 帰省の盆の綾を知る
北朝鮮のグアムの排他的経済水域にミサイル同時に4発を計画とのこと
日本上空通過のミサイルを打つか ゲームではない

迷走する 台風去れば 秋刀魚なし
昨日真夏日 今日は秋風
盆に入り 高速道路 大づまり
翌日はなし 落差に迷ふ
米と北 ミサイル撃つぞ 打ってみろ
日本は狭間 中露傍観
今年また トマト葡萄の 時がきて
勝負は綾の 甲子園なり

贅沢は 回り道して 遊びつつ
 時を忘れて 生きることかも

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18日 食は命か

最近食と命の関係を感じることが目立つ。亡きウサギらは命の際の近くなるころから食が無く
知り合いの方等は食べたくとも食べられずに亡くなったりする。命と食の有無は比例関係、よく食べることの喜びに
感謝しなければ。当たり前のことが改めて感じる時あり。
某作家は資本主義、民主主義、国家主義の枠組みの限界を迎えた時代になったという。
SNS、ツイッターなどでいいたいことを言い、他人に迷惑をかける意識がない、人間の持っている野蛮なところが世界中でむき出しになっている。

終戦記念日も72回

世界には いまなお続く 争ひが
飛び火は続く 明日は我が国
戦争の 歴史は語る 有史より
利己主義ませば 世界が歪む
政党は 政権保持が 第一で
策を練りつつ 戦に向かふ

食は命か

言はずとも 食と命は 同じこと 
よく食べ歩き 心磨かう
究め人 我が世誰ぞ 常ならむ
老いつつ知れり 敵は老いなり

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28日 処暑に入る

相変わらず熱い暑いも先日から風に変化が。夕去れば涼しい風にホッとする
虫にコオロギ目立ち始め、秋の気配が嬉しくもあり

処暑に入る 異常な夏も 過ぎ行くか
秋風吹けば 蟋蟀目立つ
いわし雲 昨日の風は 秋風か
熱中症の 予報は続く
不揃ひの 庭の葡萄の いと美味し
 我だけでなく 他人も美味しと
秋も夏日 栗のイガ落つ 香貫山
ヤマカガシ出て 栗拾ひ止め

我が性は 魔性の女に 目を背け
魔性の山を 眺めて行かず

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2017年9月

昨日のサッカーのワールドカップの予選のオーストラリア戦は優勝したかの様な興奮に
2対0で勝利する。これで首位で予選通過、北朝鮮のミサイルの騒動など悪しきことが多い中での
明るいニュースに嬉しくなる。8月は熱帯夜や,はっきりしない天気にうんざりし、身内の不幸も重なり
嫌な月であった。庭の葡萄が美味く実り今月は出だしが良いかも。台風15号の行方の心配はある。

2日 「くじ」の日

9月2日は「くじ」の日 願いを願掛け、宝くじでも買おうかな

不揃いの庭の葡萄が美味くなり

幸せは 欲を捨てれば 訪れる
ささやかな幸 そぼくな楽しみ

若木

古木

葡萄の実 若木古木は 人に似て
若木色良し 古木味よし
出来るなら 宝くじなど 当たればと
無理な夢事 くじ買はぬ我

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7日 七面山を登る

6月6日に下見して いざ参道を登り始めてすぐ息切れし苦しけれ 日々の運動疎かなれば 情けない

この地は山岳信仰、修験者の場所 南無妙法蓮華経 白装束が眩しく
あれこれ迷わずに修行すれば楽なのに 吾は理屈やか、あれこれ考えるタイプの人種で往生際が悪い。

今回の登山は亡き父が毎年大晦日に七面山に行ってきたという話を聞いていたから、どんなところか知りたいことがある。
また、早川という所は南アルプス街道が走ってその終点が吾の山歩きの終点ではないかと思ったりする。
もう一つの目的は身延と冨士の景色、南アルプスの景色を楽しみにしていたが生憎霧のために何も見えなかった。
諦めずに再チャレンジしよう。

あしひきの 七面山は 五十丁
一丁登り 一分休む
山頂の 七面山は 霧の中
景色に未練 家でライブを

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15日 世界は混沌 駆け引き続く

9/8日太陽フレアの影響か、  メキシコの地震、秋田の地震、ハリケーンの猛威などが発生。
北はミサイル、水爆実験、中国、ロシアの思惑は 誰が損して得するか 外交という仮面の裏で 人の尊厳、叡智も空しい。

15日 朝の七時にまた北海道方面にミサイルを発射 おかげで朝ドラ 「ひよっこ」を見れず。

秋刀魚が獲れず、鮭が獲れず、シラズが獲れず 地球は渇き衰えつつあるか。

食卓に 痩せのこぶりの 秋刀魚なり
へこめわが腹 秋の夕暮れ
いなくなる 秋刀魚に鮭に シラスなど
大地狂へば 海にも異変
諦めず 北のミサイル また発射
終りの始め 結末如何に
もがきつつ 恫喝並べ ミサイルを
悪しき言霊 破滅に向かふ
憲法の 解釈苦し 九条よ
解釈怪し ミサイルが飛ぶ

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25日 しじまの日々

17日 牧水の裾野の歌碑が出来たとか。景が島の西行の歌の近く。
奇岩の多い意場所で以前から何度か足を運んだが、その景色を詠っている。
「この渓(たき)の岩のかたちぞ面白き 根をゆく水は痩せて澄みつつ」

奇岩やら 渓の石仏 景が島
牧水の歌碑 新たに建てり

18日午後3時30分 義兄が亡くなる。息絶えんとするが、妹の声に反応し、又吹き返す。
やがて静かに息を引き取る。ただただ無念の病気の生活、お疲れ様、お世話になりました。合掌。
欲もなくただおのれの人生を生きてきたような方 ウナギが、寿司が、牛肉が食べたいと言っていたらしい。
あの世で思う存分食べておくれ。

義兄は逝く あれも食ひたし かなはずに
 この世の未練 あの世で果たせ

18日の台風18号が去ってぬばたまのよもすがら「しじまの空」は透き通り星が輝き、辺りは冷気が漂う。
至福の時を我呆然と眺めて飽きず。今日からタバコを16mgから3mgに変更。最近息切れがすぐする。

野分去り しじまの夜の 眩しさよ
星と冷気が 至福を誘ふ

20日  山の山道の脇にススキが咲いて、ところどころに彼岸花が咲いていた。お彼岸が近い。墓参りに行かなければ。その前に通夜、葬儀に出なければ、仏の行事が今年も続く。パッションフルーツの花が咲いて受粉をした。後幾つなるか、実のなるころは節分の頃。長い目的が増えた。

彼岸どき 今が盛りと 曼殊沙華
こころやすらぐ コスモスの花

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30日 風に吹かれて生きるかな

ヒキガエルを見る。 のそのそ歩き、ペットにする人がいるとか。
寿命は15年から30年らしい。

ヒキガエル 動かぬ姿 達磨かな
似たもの同士 好きになりさう
ひきがえる ムカデ咥へて 格闘す
のろのろガエルの この雄姿見よ

28日 衆議院の解散 なんで解散問うてもわからぬ 
希望の党も降って湧いて やがて消えるか

予期もせず 希望の党が 生まれしが
風まだ吹かず 吹かずに消ゆるか
あれこれと すべきことなど 思ひつつ
思ひ疲れて 何もせず過ぐ

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2017年 10月

5日箱根を歩く

5日 4年ぶりに箱根の明神ヶ岳に。コースは宮城野から明星ヶ岳にでてそこから尾根を歩いて、神山、大涌谷や富士を見ながら
景色を楽しむ。明神岳の景色は富士の前に金時山がそそり立つ。神山、駒ヶ岳、がどっしりと眼前にそびえる。

四年ぶり 明神ヶ岳 いただきに
今日はくっきり 秋の冨士みゆ
あまのはら 富士は白雲 まとひけり
金時山は 子のやうに添ふ
箱根路の 富士あざみ咲く 秋の峰
大涌谷の 煙たなびく  

はや十五夜の時、月が煌々と大地を照らす。衆議院解散のなか、民進党は緑の党と立憲民主党に分裂、北の脅威はつづく。
月は何事もなく天球を渡る。山を歩けば昔よりのススキやアザミやその他の山野草が季節を醸す。月見る月はこの月の月。無常を感じる。

国難の あまた抱える この時期に
理解の出来ぬ 選挙始まる

小川も大河に流れる水も大地の血であり血管である。自然破壊は命取りと知る。秋刀魚もしゃけも不良と聞く。

水の音 小川も河も 人に似て
大地をはぐむ 血の流れかな

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13日 秋薔薇と「かや寺」

11日 河津バカデルガーデンの秋薔薇を観賞 レッドクイーンを3800円で購入
稲取の済広寺を見学 樹齢750年のかやの木は見事 なんか癒される寺であった。 臨済宗建長寺派らしい

念願の 買ふは秋薔薇 真紅色 
植ゑて眺めて 恥ずかしくなる 
桃色の 秋薔薇咲けリ 数多世の 
四季折々の 吾を見ており 
むしかへす 夏日の空も 木犀の
香り漂ふ  秋を知るかな

稲取の かや寺のかやの 大木は
伊豆を見守る 人を見守る

 

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24日 秋霖と超大型の台風

秋霖の寒い日が続く。

秋霖の 続く寒空 山茶花の
紅の蕾の 温かさかな
神無月 秋霖つづく 長雨に
頭を垂れて 薔薇は咲きけり

22日 超大型の台風が沼津を通過 衆議院の選挙 いろいろ気の抜けぬ日である

大型の 超大型の 台風が
我が家の上を そっと素通り
政治家の おごりの言葉 命取り
排除の言葉 人は無視せず

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30日 また台風の週末に

台風22号がまたきて折角の終末を荒らす。法事があり雨降る中に久々の兄弟衆の顔を見て、老け顔なるも健康そうな表情に安堵する。懐石料理は美味かった。料亭の景色はこれまた素晴らしく、古風であるが風格がある。日本酒の熱燗の香りは懐かしく焼酎ばかり飲んでいた身に、臓に染みわたる温かさに心からほろ酔いとなる。
今回の台風も何の被害を受けずに通り抜けてほんとについている。夜空にくっきり半月が浮かんでいた。神無月の過ぎ去るも、なんと早足であったかとつくづく思う。

速やかに 神無月去る 嵐去る 
法事の後の 月ぞ晴れやか
すこやかに 病と生きて さわやかな
生き様なれば やすらかに死す
懐石と 日本酒を含み 癒される
土砂降りの雨 雨を肴に

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2017年11月

寂しさは その色としも なかりけり 槙立つ山の 秋の夕暮れ寂蓮法師)

心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ西行法師)

見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ藤原定家)

2日 ツワブキの花

台風が去り夜は冷え込む霜月の初めの晴れ日が続く。山茶花やつわぶきの花が咲きだす。
季節の移ろいを素足に感じ、冬に向かうもひと時のやすらぎの時、庭でぶらぶら何するのでもなく、それでいて家に入る気もせず。

霜月の 晴れの初めの 穏やかさ
素足さわやか ツワブキの花
晩秋の 晴れの庭には 山茶花が
日差しを浴びて 吾は徘徊

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7日 暖かな立冬

叔父が逝く 今年に入り4件目の身内の葬儀にうんざりするが止む形無しの宿命か

叔父が逝き こんなときだけ 会ふひとも
従妹ら集ふ これで最後か
葬式の 読経の儀式 朗々と
チンドンシャンの 経に酔ふかな
今年入り 四度目の葬儀 馴れし我
悲しみになれ 恥じる我あり

暖かな立冬

枯葉散る  山茶花の咲く 立冬は
汗ばむ日差し 富士の雪消ゆ
立冬の 暦になれど 寒からず
小春日の中 ツワブキの咲く

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 10日 梅ヶ島

梅ヶ島から八紘嶺より七面山への登山口を探しに梅ヶ島に
そこは紅葉の最盛期 山は錦に化粧して川や滝の落ちる清流の流れのを堪能
奥静の南アルプスの麓にしっそりとした湯治場は川に添って連なっていた

梅ヶ島 小ぶりの宿が 川に沿ひ
四方の山々 錦をまとふ
梅ヶ島 霜月十日の 紅葉は
言葉はいらぬ ただ浴すだけ
この地球 この日本の 梅ヶ島
ひょっこり来れば 故郷のやう

安倍峠にて

安倍峠 登山口立ち 我行かん
山は粧ふ 其のうち行かん

安倍の大滝

ゆらゆらと 吊り橋渡り 谷を越ゆ
眼下の流れ 紅葉が映える

  

山峡は 滝のしぶきに 輝きて
色なす紅葉 岩肌を這ふ

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17日 富士の雲隠れ

霜月や 朝冨士見るも 雲隠れ
暫しの姿 悩ましくなる
雲が湧き 霊峰富士を 呑み込みぬ
今朝の笠雲  魔物の如し

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23日膝が痛めば

歩くたび 右膝痛く 山は無理
未練たらたら 歳深まりぬ
年寄りの 冷や水なるか 階段を
一段飛ばす 肘痛くなる
今年また 四つ溝柿の 旨さかな
柿を送れば 歳暮の季節
ぼんやりと 生きるって何 つきつめて
自分って何  人間って何

30日 修善寺の紅葉

29日は小春日和の10月の陽気になった。久々に修善寺の紅葉を堪能する。
前回の修善寺の紅葉見物から早7年が過ぎた 。色ずく紅葉は最近になく鮮やで、この陽気と紅葉を愛でつつ歩みは軽快で無心に、素直に楽しめた
。今年の色付きは良好、前回同様に竹林などの川沿いの紅葉を満喫しました。枯葉がゆらゆらと落ちる様は一抹の寂しさとか哀れさとか自然のはかなさなどいろいろな思いが胸中がせまってきました。七年という年月のアット過ぎ去ったかという感傷もあるのかも。

修禅寺の 七年ぶりの 紅葉かな
はかなき日々も 色は変わらず

 
小春日の 修善寺もみじ はらはらと
錦の綾に こころ溶け出す

いろは紅葉や銀杏、楓など色鮮やかに紅葉するが庭の梅の木慎ましく黄葉、それでいて哀れを醸す。

梅紅葉 鮮やかさとは 無縁でも
慎ましさあり 哀れを醸す
庭梅の うすく色づく  紅葉かな
 枝にまとはり 風に揺られて 

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2017年12月

腰が痛む 平成24年の年末の脊柱管狭窄症のぶり返しかも
四年余を山歩きしてこの病気は忘れていたが体は覚えていた。歩けずにじくじく痛むあの辛さは半端ではない。
歌はすぐ忘れてしまう。体で理解、日々の生活の中に浸透させなければ。

8日 妄想

死にたい人がいて生きたい人がいる (SNSに死にたいという方あまた投稿、余命わずかな生きたいという人もあまた)

死にたいと 生きたいといふ 人おれど
今をみつめて今を生きてる 

68歳になり

気が向けば やりたきことのみ ぼつぼつと
そんな贅沢 まだ早いかな
やっとこさ グリーンカーテン 取り払ふ
風通しよし 気分晴々

ひさかたの 霜の白さの 珍しく
零度の朝の 朝日は眩し
体験は 知識以上の 力あり
知の忘却も  体忘れず 

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15日 流星

15日の零時半雲が晴れて星座が輝く。双子流星が天空をさっと流れるのを見る。
何かいいことないかと願いをたんまり考えて星に祈るのは原始からの心の在り様か。
過去何度も見た流星であるが今回ほど多く見たことはない。

ふたご座の 流星を見る 子の刻に
てんこもりもり 願掛けをする
一瞬の 流れ星見て 一瞬の
忘我の時間 無の時を知る

14日 グリーンカーテンの撤去した竿に雨垂れがついていた。朝日を浴びて白から緑や赤の彩光が怪しく輝くのを見て驚く。
視覚を変えるたびにその変化に目を奪われて年甲斐もなく我を忘れていた。神か仏の光を想像する。

朝日浴び 雨垂れ光り 七変化
 神のしずくか 無我のひと時
玄関の マキやカボック 切り込めば
風はさはさは 富士の白銀

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23日冬至過ぎ

冬至 すぐにクリスマスか年末か。 以前の様な歳末の気分はない。
このところ身内の葬儀が四件あり、漠然と時間が経過していたようだ。

夕間暮れ 茜の雲は 薄桃に
やがて黒雲 寒の闇夜に
冬至なり 柚子を頂き 焼酎に
風呂は止めとく 酒飲み過ぎた
海岸に 帆船凧舞ふ 足凧も
駿河の海の 楽しかりけり

夕去れば 焼酎を飲み 珍しく
 歌番組を ぽかんと見てた

富士山世界遺産記念センター23日オープン

三富士とは 逆さ富士なる 建物と
水盆の冨士と 白銀の冨士

世界遺産 富士を背にして ジャスバンド
焼きそば美味し 浅間の宮

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31日 気が枯れて

今年最後の墓参り

喪中なり  墓参りする 年末は
気が枯れており 線香くべる
来年の 年末年始 休みたし
古稀の我なり 仕事減らさう

45年人工知能が人を超える

AIは 人を超えると 言われてる
仕組み解れば 我も超人
ロボットが 人の作業を 奪ふかも
人の心は 大丈夫かな

犬は共通の癒しかも

小犬抱き 目を合わせれば にっと笑む
少女の瞳 美しきかな
窓の影  冬日差し込み 壁に映ゆ
犬は解らず 影をごしごし

31日大晦日

夜勤明け 車の居らぬ 大晦日
何故か空しく 今年も終る 

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2018年1月

天気よく月がまん丸の正月を迎える。今年もボチボチ歌の真似でも続けます。

6日 飲み正月や

2日スーパームーン

元旦の まん丸月が 煌々と
理屈はいらぬ 神の光りぞ
正月や 犬や赤子に 癒されて 
よく笑ひかつ よく飲みにけり

6日白薔薇が咲く

白薔薇の 大輪咲けリ 小寒の
梅の蕾の 色づくを見る

寒晴れに 庭の金柑 つまみつつ
煙草吹かして 遠き春待つ 

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15日 一輪の梅が咲く

今年の梅の開花が遅くて日々眺めているが、15日やっと一輪の白梅が咲いた。
紅梅は全体的につぼみが膨らんできて、赤の花芽の蕾が可愛い

年明けて 梅の蕾に 白きもの
花遠からじ 春遠からじ
一輪の 白梅が咲く 十五日
寒の緩みて 春の陽気に

阪神淡路の地震もはや23年、朝方の揺れを思いだす。その後の被災状況は想像を絶した。

吾が家は 淡路震災 年に建て
あちこち傷む 吾と似ている
やむなしか 酷な震災 時経れば
忘却されて 歴史に変る

咳と鼻水が止まらない日がほぼ一週間続く。熱などはないのでインフルエンザではないだろう。
咳き込みつつタバコを吸うおのれを惨めとぞ思う。そのうちに人は人工知能に教えを乞う時が来るかも。
気乗りがしない、やる気がないなどの気分はAIにはないだろう。風邪もひかないだろう。

咳き込むも 煙草をふかす 惨めさよ
良し悪しは抜き こころの矛盾
がつがつと 朝餉(あさげ)の後の 桜草 
 乾いた心に 優しさが満つ 

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22日 あたみの花見

21日熱海の梅園にて遊ぶ。花はまだ蕾が多い意が早咲きの梅が綺麗であった。
ミス熱海から甘酒をもらい、猿回しは純粋に腹から笑えて、足湯を使い癒される。

その後、糸川桜を初めて観賞、あたみ桜(いとがわ桜)は熱海の賑やかなところを流れる糸川に沿って咲いていた。
20日から祭りが始まり、花は五分咲き程度であった。こじんまりした風情だが市街に咲く花見は石像の磯物の石像や川沿いに立つ居酒屋などが酒飲みのたまらない景色に見える。午後の五時からライトアップされるとのこと。次回は其の時間帯に来たい。燗酒が美味かろう。

梅園の 猿回し観て 腹抱え
花に足湯に 心やすまる

 

梅園の ミス熱海より 甘酒を
団子食べつつ 花に酔ふかな
寒緩む 熱海の街は 糸川の
粋な花見は 酒飲みに良し
睦月でも 梅と桜の 咲きだして
熱海の里は 春の訪れ

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31日 皆既月食

早くも睦月が終わる。歯の治療がまた始まった。右上の半年ばかり前に治療してブリッジしたところ。
結局一本抜歯し、もう一本は歯根の治療してまたブリッジするらしい。あれだけ前回時間を割いて治療したのにすべてがパー。
恨み節など出てくるのも自然か。AIの記事が多くて、世の中はかってない産業革命に突入したようだ。一つひとつ理解して本質を見失わぬようにしたい。
紅梅の咲く木の根元の石臼にメジロが飛来して水浴びを。予期せぬことに驚くもさぞ寒かろうと思う。

紅梅の花咲く側の 石臼に
メジロ飛来し 水浴びをする

梅見つつ 苦き青春 思はるる
世間知らずの 我は負け犬 

時は今 仮装通貨と AIと
量子ビットか 訳が分からぬ
やがて来る 自動運転 真を問ふ
事故の責任 誰が負ふとか

三十五年に一回のスーパー・ブルー・ブラッド・ムーン 満月が地球の影で隠れたり、寒月の空始終見ており

満月が 徐々に欠けつつ 赤月に
少年の眼で 始終見てをり
西行の 月蝕うたふ 歌知らぬ
こころの月に さぞ迷ひしか  

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2018年2月

9日 寒気の中休み

節分に春分に

豆蒔きし もくもく食べる 恵方巻
南南東に 縁起を担ぐ
庭梅の 花盛り也 束の間に
寒風吹きて 余韻吹き去る 

やっと8日と9日と寒気の緩む、ポカポカの陽気になった。庭には知らぬ猫が日向ぼっこを、私が庭に出ると猫嫌いの人間と解る様で渋々と離れていく。

寒緩み 日向ぼっこの 猫が居る
我と目が合ひ のっそりと去る
庭の隅 またあの水仙を 見つけたり
春の便りの 初めの黄花
今年また 紅白梅の 咲き揃ふ
父が残して はや十余年 

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15日 白隠250年遠諱記念「駿河の白隠さん」

久々に静岡市の美術館に行く。白隠禅師250年遠諱(おんき)記念展を観賞。
その後駿府公園をぶらぶらと駿府城の発掘調査の様子や家康の像を見る。
あとは浅間さん通りを歩きつつ昔の記憶を漁るが面影まばら。
賎機山に登って半世紀前の花見の場所を懐かしく探すも全てはささやかな記憶を懐かしむのみ。
。静岡の最初の下宿は茶町でした。飲んでは終電間に合わず、飲めば泊まった旅館など、昔の景色、風情はかけらもなく思い出という記憶だけが寂しく記憶にある。
月日は良きことも、悪しきことも思いでだけを残して過ぎた。

前回は モナリザを見し 美術館
観梅やめて 今日は白隠 

白隠の 遠諱の展示 眺めれば
すり鉢を見る あの松の木の

飲む度に 泊りし旅館 この辺り
セノバの近く ぶらぶら歩く
静岡の 過ごせし 日々の
面影は消ゆ 寒風がふく
静岡の 茶町に入れば 茶の香り
懐かしきかな 深呼吸する

賎機ゆ 眺めし街の 夕暮れは
 記憶の如く ぼんやり霞む

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オリンピックと目眩

2018ねんピョンチャンオリンピックも閉会し、色々の競技に感動を覚える。

アスリート 風を利用し 風に乗る
勝利の笑顔 美しきかな
風に乗り 風に泣くもの 様々に
青春の風 爽(さわ)やかに吹く



歯医者にて、椅子を下げる(頭部を下げる)と目眩がする。
びくびくと治療を受けて、耐えられずに治療を止めると医者に言う。

歯の治療 目眩に堪えて つづけるも
もはや限界 医者にさよなら
血圧を 今日は如何にと 計る吾
酒とたばこはまだ止められぬ



梅の花が散り始め、良く咲いたと満足を。
日頃日頃に春の気配が嬉しい。

如月も 梅の花散り 温き風
春一番の 訪れを知る

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2018年3月

春一番が去って陽気が急に暖かくなる。河津桜はやっと満開らしい。

4日 娘と歩く沼津アルプス


三日に越谷の娘が犬と共に沼津アルプスの山登りに来る。
4日はぽかぽかの天気になり、登りはじめる早々汗が吹き出し早々に薄着になる。
辛うじて縦走し心地よい疲労に満たされる。

弥生入り 娘と歩く 鷲頭山
喘ぎへばるも 心地よき風
岩尾根に 春風そよと 吹き抜けて
  ウバメガシ生ゆ さざ波の湾
我が娘 三十路半ばも 変らずに
我の先行く おもしろき子よ
アネモネと 娘と犬の 訪れは
春風のやう 微笑こぼれる 


雛祭り

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8日 幕妄想と隻手の声

目覚まし時計

午後三時 夢とうつつが つながりぬ
目覚まし時計で 夢から覚める
アネモネが 雨に打たれて 不憫なり
春の雨なら 芽生への雨か
血圧を 胸ときめきて 計る吾
命の脈の 今日はおだやか
改めて 幕妄想と 隻手の声
同じことかも こだはり捨てよ
小糠雨 横時雨降る 春の日の
雨のじくじく 心空しく  

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13日 春は旅立ち

庭の草花が芽吹き初め、肌に春日や風の温さが目立ち始めて、春が来た来たとなんか楽しくなるこの頃。
東北の大震災もはや七年か、まだ七年か 感慨深いものがある。計画停電もなつかしく思われる。原子力発電はやっぱりやめた方が良い。
危なっかしい情報のみで試行錯誤の心細さ、廃炉の研究を十分にできたら改めて検討すればよい。
庭の水仙の新たな花が咲きだす。ハナニラや芽吹く草花に春の訪れを実感、我も新たな芽吹きを探さんと古稀を迎えて考えてみよう。

鶯の 初音を聞けば 春来たり
アネモネ咲きし 小庭にも春

水仙の 数種の花が 出ては枯れ
次はどの花 芽吹く我が庭
血圧の グラフ眺めて 浮沈む
株のチャートと 同じくらゐに
日課なり 血圧計り グラフにし
今日の心の 静かさ思ふ
震災も はや七年の 過ぎたるか
忘れかけてる 計画停電
原発の 廃炉迷走 七年か
やはり駄目かも 原発やめよ

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24日 彼岸なり

急に暖かさが続き桜の花が例年になく早まりそう。19日は彼岸の入りで墓参りする。
21日は真冬の如く寒くなり、箱根は積雪二十センチとか。冬物をしまわずによかった。

小庭にも 春が徐々に訪れて、春の芽吹きは、庭を賑わす、この時期を山笑うというか。庭のウサギの置物の周りは花で覆われる。
ウサギも笑うか花を愛でては。

嘘だらう 彼岸も真冬 変だらう
サクラの開花 早や始まりぬ

やはり変 昼間の春日 夕暮れて
 夕立になる 春雨でよし
置物の 小庭の兎 わろてんか
はなめにょきにょき 春の日満ちて

春彼岸 芽吹き花咲き あれあれと
一息つける 春の夕暮れ

いたずらに 小庭(さにわ)の竿に 油ぬらば
 小鳥こけるか 邪推の思ひ

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30日 櫻やさくら

今年の桜は例年より早い。庭を見れば次から次と花が咲きだす。忙しくもある。
28日は香貫山の桜を見物、ほぼ八部咲でしたが、霞がかかり景色は今一、例年の如くの咲き様だが何故か時めくものはなし。

沼川の白隠ざくらを見物、提灯が並ぶが露店は出ていない。早咲きのせいか。
初夏の陽気に川の鯉が跳ねて、水鳥が遊ぶ。綺麗とは言えない水の中をまったりした時が流れる。

この時期の亡き母は始終塞ぎがちであった。無き兄が桜の散る時期に亡くなったのが原因。
私も複雑な時ではある。昨年に、弟が桜に飾られ亡くなった。桜の時期は兄弟が亡くなるときかも。旅たちの時の寂しさと郷愁を思われる。西行は桜の時期に旅立つことを願い、その通りになったと聞く。この時期はもろもろの点で別れの時と、新たな旅たちの時、楽しくもあるか。哀しくもありか。

沼川の 白隠ざくら 川に映えて
まったりの昼 鯉が跳ねだす
沼川の 桜並木は 川に映えて
かすむかなたに 富士なむ浮かぶ

桜咲く 別れのときか 旅立ちか
吾になにかの ときめきぞこよ
忙しなく 花咲ださせば せかせかと
出かけるわれに 時をください 

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2018年 4月

4日 桜散る


桜は咲いた瞬間から散り行く運命を背負うだからこそ人は桜に人生を映し、心を共振させる。そして桜が綺麗と 思えるとき 、人生を肯定するゆとりがそだっているという見方。
生あるものには終わりという死がある。桜ばかりではない。何故桜なのか。
日本古来から春先に咲き、桜の開花が日本縦断して行く知らせは彼岸を過ぎて本格的な生の営みの象徴と言える芽生えの時期の到来を実感し、命の躍動する時期を実感するからでは。卒業や社会人になるひと、諸々の旅たちの時期の象徴となる花であることに起因するからではないか。そんな中で別れや出会いなど悲しみも楽しみなど諸々の
哀愁がこの時期に咲く桜と同期してくる。散り際の良いことと交差して桜の花の時期にそれを超越した感慨を持つとき人は人生を肯定して生きて行けるのでは。花が綺麗に見えるとは心が澄んでいることでもある。

門池の桜

花筏 しだれ柳の 華やぐも
 季節の疼き 無きにしも非ず
門池の 桜眺めて 我願ふ
 悔いの塊  捨てて散りたし

桜散り 散花の道の 眩しさよ
憶することなく  我は踏み出す

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10日 花芽ふふむ

バラの花の蕾が膨らんで、ブドウの新芽が吹き初め、一気に草花の咲き始めた。木犀が小枝を伸ばしぼさぼさとしてくる。春の季節から初夏の姿に変化する。
この二日間、強風が吹き冬に逆戻り、梅の実が転がっている。春日は続かないというが実感、昨日の春日、今日は荒れて寒の戻りに震えるは吾。
若者の野球や将棋に卓球や水泳と あまりに若いアスリートの躍進に胸のときめきを感じる。そのおこぼれを年寄りの冷や水でもよい頂戴したいと願う。芽吹くバラや葡萄の新芽を眺めつつ思う。

春風も 今日は強風 寒戻る
時は移ろふ 世界情勢
薔薇ふふむ 日ごと夜ごとに 膨らみて
ほれし赤薔薇 美しく咲く

苔背負ふ 亀の置物 ミニ庭に
石の達磨は 石舟を漕ぐ

エンジェルの大谷や将棋の藤井や卓球の張本などの若者の活躍に活躍に

若者の 世紀の記録に ときめきて
冷や水で良し おこぼれ貰はむ

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21日 娘と小犬のビスコと竜ヶ岳に

初夏というか夏日の陽気の快晴に、終日富士を眺めて山登り。ミニピンのビスコは上り下りを自力で歩く。ツツジが咲き、コメ桜が咲き笹山から望む本栖湖は輝いていた。こんな長閑な山歩きも良い。頂上からの展望は霞んでいたが雪を頂くアルプスにいずれは上ろうと心ときめく。

笹山を 小犬と登る 楽しさよ
富士は終日 我らと共に
竜ヶ岳 霞を纏ふ 冨士が峯
米桜さく 卯月も夏日
雪抱く 剣が峰見ゆ あしひきの
竜ヶ岳には 早や初夏の風
ぐひぐひと のぼるミニピン 名はビスコ
竜ヶ岳には 早や初夏の風
竜ヶ岳 四方の山並み 晴々と
 笹を揺らして初夏の風吹く

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30日 狭庭は百花擾乱

小庭はバラを初め、毎年咲く花が今年も生き生きと咲いてくる。例年になく葡萄の花芽が良くついて例年にない百花擾乱の体を為している。芽吹く命をひしひしと感じつつあと何年の我が命かな。あまりにも少ないと思う時あり。朝に夕に、庭を眺めて残りの人生何を為すべきか思いやる一時である。自然のままに生きて、なる様にしかならぬ生き方も良し。そうして生きてきたのだから。
寂しさと、物足りなさをしんしんと感じつつ庭を眺めてため息をつく。

小庭(さにわ)には 百花擾乱 初夏なれど
ため息絶えぬ 何か空しく
薔薇が咲く 赤に黄色に 白薔薇と
出来過ぎかもね 楽しや小庭
庭いじり はや二十年 歌を詠み
はや十年の 時は短し
寂しさは 歩みし過去の 空しさよ
庭を眺めて ため息をつく

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2018年 5月

6日 ゴールデンウイークの沖縄を詠む

五月三日から沖縄に四日は結婚式で五日に帰る
忙しなく、はしかに脅えて 沖縄を駆け足の如く回り疲れて、今歌を詠む

いざ行かん 麻疹流行りの 沖縄に
五月五日の カツオのぼりか

結婚式に参列

美らの海 ステンドグラスに 五月晴れ 
美らの教会 涙で曇る
若人が 契りを結ぶ 来し方の
思ひにむせぶ 我古稀になる

水族館のジンベイザメや諸々の魚を目にして

美らの海 水族館は 夢模様
さかな目線で 無心に見入る
ゆったりと ジンベイザメが 空を往く
エイやマンタも 湧き出ては消ゆ

万座毛にて

万座毛 崖の岩肌 海原が
遥かの歴史 思ひ巡らす

古宇利島 にて

まっすぐな 長橋往けば 真っ青な
海原の上 走れレンタカー

オーシャンタワー

庭園を カートは登る 見渡せば
古宇利大橋 島影を裂く

古宇利島 ハートロックの 奇岩あり
綺麗な小浜 ふた心なし

その他

沖縄の 観光地には 人が群れ
辺野古普天間 ガイドにはなし
沖縄は 日本といふも 眼も肌も
風土も違ふ 琉球である
首里城の 城壁しかり 石城に
古人の 思ひふつふつ

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10日 梅に薔薇にブドウの手入れ

いつになく庭は五月の花に溢れ、梅に虫がたむろして、バラは咲き揃い、ブドウの花芽が多くつく。
梅や薔薇の剪定に追われて心地よい汗をかく。
ブドウの花芽を剪定し実りの時期は如何であろうと期待や楽しみが増える。

五月晴れ 薔薇咲き揃ふ 惜しみつつ
花を摘みつつ 風に酔ふ我

虫が付く 枝切るたびに 梅コロリ
コロコロ落ちて 情けなくなる
五月入り 春花朽ちる そのうちに
初夏の花咲かむ 良きことあらむ

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21日 天気の変化 転機の時か

アメリカ大リーグのエンジェルスの大谷や将棋の藤井少年の活躍に楽しみの日々。
アメリカンフットボールの日大選手の関西学院大学の異常な反則の真意は。
 訳の分からぬセクハラなど分別のある立場の人の行動がおかしい。 加計や森友の真相は?
天気がコロコロ変わり異常な変動にやきもきをする。
香貫山の展望台から四方を眺めて改めて駿河の海や冨士の佇まいに感動する。
 富士とツツジと蝶のスナップに嬉しくなる。

アメリカ大リーグのエンジェルスの大谷や将棋の藤井少年の活躍に楽しみの日々。

 一途なる 若き天才 眩しくて
謙虚な態度 世を席巻す

訳の分からぬセクハラなど分別のある立場の人の行動がおかしい。 加計や森友の真相は?

森加計の 黒を白とも 言ひ逃れ
虚言明白 深まる不信
セクハラや パワハラ絶えぬ 奢り人
 使命忘れる 世捨て人なり
まつりごと スポーツ然り 愚ろう人
襟を正して  原点に立て
見慣れたる 香貫の山の 頂は
富士にツツジと 蝶がひらひら

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30日梅雨の足音

なんとなく梅雨の気配が感じられる。
紫陽花が咲き初め、ギボウシの花芽が膨らみいよいよ梅雨入りになるかも。
しとしとと雨の音が聞こえてきた夕べは静かなり静かなり。

夕暮れの 雨音聞けば 静かなり
右の耳鳴り やけに気になる
曇り空 紫陽花が咲き 擬宝珠も
葡萄房よし 梅雨入り近し 

赤薔薇の 春は大輪 つゆに咲く 
小ぶりの花も 味な趣き

一本の 梅の収穫 嬉しくて
ころりころころ  五月晴れなり 

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2018年 6月

物思へば 沢の蛍もわが身より 
あくがれ出づる 魂かとぞ見る   和泉式部
来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに
焼くや藻塩の身もこがれつつ    藤原定家

6日 梅雨入り

六月に入り気温がかなり上昇してきた。夏日の陽気でもからっとした暑さである。梅雨前線が近くなり6日は梅雨入りになる。
つゆの風情の紫陽花や薔薇や擬宝珠も咲いて庭を眺める楽しみがある。
グリーンカーテンの丘ワカメや葡萄の房を窓越に目の前で眺めるときは予定通りに育ったと満足する。
庭にスズメが2羽遊びに来る光景をちょくちょく目にする。電線音頭の如くスズメが群れを成す景色は、はや昔の記憶でしかない。

ねじり草(ネジバナの) 今年は目立つ もしかして
たるみし心 締め直せとか

窓越しの 葡萄の房も 目立つとき
日々眺めつつ 嬉しさ増さる

狭庭には 二羽のスズメの 小スズメよ
何故か愛しく 微笑ましくなる
スズメ二羽 庭でピョンピョン 遊んでる
群しスズメの 懐かしきかな

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11日 真理は一つ

裁判には継続性が必要かも。
地裁で再審の決定、高裁では再審破棄、
何か見落としたことが有りはしないか、 人の命を手玉に取って。

袴田の 再審棄却 何なんだ
半世紀過ぎ 真理は一つ

目的は自分のため、家族のため、組織のため、国民のため。
エゴや欲は目的から外れて、目をそらす原因。目標は発展のエネルギーなり。 欲を払拭 、未来を描け。

エゴや欲 決断鈍る 元凶に
真理をみつめ 夢を描かう
アメリカと 北の会談 現実に
思惑利権 まずは一歩か

一本の マキの木が枯れそうに 、何をしても枯れないと勝手に思っていたがやはり生き物であった。

マキの幹に 針金くひこみ 痛々し
樹形の極み 木には酷なり
梅雨時の マキの枯葉が 地に落ちて
葉の色変り 枯れ始めかも

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16日 父の日

娘らから父の日の感謝の気持ちの焼酎や酒が届けば 何故か頑張ろうという気になる

娘より焼酎届く父の日は
気分リセットやる気が戻る
白花のグラス模様が飲むほどに
ピンクに変る桃色吐息

大阪や群馬の地震千葉沖も
余震が続く 悪しき予兆か
給料の振込み絶えて数ヶ月
我は阿保なりまだ出社する
古稀近し 老後の夢は多かれど
心細しは 金の乏しさ
望まぬが貧乏神がひたひたと
梅雨空寒しふところ寂し

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 30日 梅雨明けかも

関東は昨日梅雨明け発表、異常な速さに水不足の心配があり
日本のあちらこちらで弱い地震が発生して大地震の前触れかも
サッカーのワールドカップは辛うじてトーナメントの出場が転がり込む。運も実力の内、結果オーライ。7/3日午前3時はベルギー戦。
賃金遅延か不払いか、生活費の見直しを早急にしなければ。 何時になっても金の問題がつきまとうのは宿命か。
庭の葡萄に虫やカビがついて虫の時期になったことを実感、花や木々は忘れずに季節を刻む。我も刻むか人間の生き方を。
どうでもよいか、歌でも詠もう。

サッカーの 熱戦見れば 
後は野となれ その日は終る
ムードとか 団結力が 育つとき
個々のスキルの 開花を誘ふ
勝負には 時を稼ぎて 防戦も
不評をかふも 勝ちはかちなり
ひさかたの 梅雨明けとなる 水無月は
地震列島 サッカーに沸く

はやぶさ2 竜宮に4年もかけて到達とか

隼が 四年旅して 竜宮に
夢のかけはし 七夕近し
伊豆の海や 海底隆起の 天城山
 自然のロマン 自然の神秘

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2018年7月

名にし負はばいざこと問はむ都鳥
わが思ふ人はありやなしやと     在原業平
いとせめて恋しきときはぬばたまの
夜の衣を返してぞきる        小野小町 

3日 優しき風が

あかねさす 七月二日の 朝ぼらけ
涼しきかぜに 心癒される

大瀬のビャクシンと井田の煌めきの丘の下に展開する松江(すんごう)古墳群と明神池を訪れる

井田古墳 大瀬のビャクシン 尋ねれば
いにしへ人の 影がさまよふ
神池は ビャクシンの森 鯉の群れ
明神池は 時が抜け落つ

FIFAワールドカップ ベルギー戦 ベスト8の攻防は日本の2点先取もあれあれと
ロスタイムにてまさかの撃沈。 いにしへゆ 「出来過ぎの時落とし穴」 初心に帰る意味はそこかも。

サッカーの 勝利の美酒を 目前に
気の舞ひ上がり まさかまさかの 
こころせよ 出来過ぎの後 落とし穴
 初心に帰れ 基本に戻れ
悪夢なり 日本チームの 宿命か
魔物が又も 口開けており

 

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8日 豪雨が続く

今月に入り台風崩れの前線に西の地方は水害に泣く。無残な光景が又繰り返された。
幸い沼津の地は災害もなく安堵したが日々続く雨にはうんざりする。

ぬばたまの 夜霧湧きだし 雨が落つ
風の遠吠へ やがて豪雨に
真夜中の 点滅続く 防火盤
濃霧のせいか誤報は響く 
七夕の ロマン吹き消す 豪雨なり
七夕豪雨 昔もありき

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15日盆に思う

今日はワールドカップの決勝戦。昨日の三位決定戦はベルギーの勝ち、日本がベルギーに勝っていたらと、悔やまれる。
熱中症の心配される暑さが続く。
昨日は墓参り、帰りは夢庵により久々の生ビールと天ぷらに癒される。

哲学者  マルクス・ガブリエルの記事が載っていた。(39歳のドイツの哲学者)
シンギュラリティ論はナンセンス   
唯物論は、人間の思考も、脳の中のニューロンの状態にすぎないと考える。
だとすれば、物質から思考を生み出すこともできることになる。
近い将来、人工知能(AI)が人間の知性を超えるというシンギュラリティ論もまた、唯物論の延長にある。

思考と脳の関係は、歩くことと靴との関係に似ています。
私たちは靴を履いたほうがよく歩けます。でも、靴自身が歩くわけではありません。
同じように、脳があれば、いろいろなことを考えることができますが、脳という物質が考えているわけではないのです。
だから脳は複雑な構造をもつ知性の一部にすぎません。

科学主義を批判する「ガブリエル哲学」の基本構想

「世界は存在しない」が「世界以外のすべてのものは存在している」というものだ。「世界は存在しない」とは、唯物論のように世界をたった一つの原理だけで説明することはできないことをいう。

自分には難しいことは解りませんが人の体と心の関係といった、身近なことから考えていこうと思います。人体の構造は完結したネットワークとも言われている。科学はますます進化する。

墓参り すでにどなたか 来られたか
気配感ぜぬ 盆の夕暮れ
墓参り あとのビールの 旨さかな
兄弟眠る 父母眠る
葡萄の木 実のつけ過ぎか 嬉しくも
全て育つか 心配もある

あかねそら 朝のあけぼの 夕暮の
熱気弱まる 夕焼け小焼け
無知の知と 唯物論の 知を問えば
世界は二つ 生きるとは何

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21日 熱中症の報道が

このところ日々熱中症の警報が、じっとしていても汗が滲む。
西の豪雨災害の地は、この暑さの中、片付けをする姿はあまりにも酷。山をひっかく跡を見るにつけ
そこに住むことは今後不可能と判断すべしと思う。

熱中症 日々警報の この暑さ
運動控へ 腹また太る
蝉しぐれ 彼方の声に 思ひはせ
庭でなく蝉 ただ騒がしき
繰り返す 災害見れば おのずから
危険な場所は 避けて住むべし

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30日 火星接近

夕間暮れ 月が上がり、その右上に一段と輝く星が赤々と 火星らしい。
12号台風が去ってまた猛暑とか酷暑とかの日が訪れて寝苦しい。
七月も終わり、八月はいかなる月になるのやら。想定外の気候に、驚かないこの頃である。

野分去り 木の間の月の 煌々と
猛暑和らぎ 火星眺める
台風の 静岡かすり 広島に
また被災地を いたぶる如く
台風は 想定外の 進路なり
高齢社会 想定内とも
初めての 逆走台風 目にしつつ
ここまで来たか 異常気象も
台風で 狩野川花火 順延す
猛暑の夏の やるせなさかな

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2018年8月

台風が去り猛暑がまたふり返す。ブドウ色付き食す楽しさも八月の季節。日々熱中症の注意情報が流れる。
気象庁ではこれも災害と言う。

夕暮はいづれの雲のなごりとて花橘に風の吹くらむ                            藤原定家
昨日まで花の散るをぞ惜しみこし夢かうつつか夏も暮れにけり 源 実朝

2日 異常高温の夕間暮れ

夕間暮れ 沈む夕日の 恨めしや
微かな風が 頭を冷やす
ギラギラと 頭上を焦がす 太陽も
夕去り沈む 我生き返る
ゆくりなく テレビに映る 長岡の
花火の極み 名はフェニックス 

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13日 立秋から盆の入り

高校野球選手権が始まる。7日は僅差で静岡の勝ち。
高校野球の熱戦に日々目を離せない日が続く。
また台風13号が此方に近ずくが今回は千葉をかすめて東北の沿岸沿いを北上して難を逃れた。
昨日と今日は天気が安定せず晴れたり雨になったり雷雨立ち込めて集中豪雨になったりとコロコロと天気が急変する。
葡萄を収穫、粒は今一ながらかなりの量に満足、墓参りの土産としよう。

庭葡萄 取れ過ぎだらう 味も良し
 葡萄手土産 墓参りせむ 
日が照れば 肌を焼き抜く 雨ふれば
雷鳴り豪雨 盆入りの時
台風が 直撃ま際 またはづれ
我が地に根付く 神が居るかも
今年また 波乱万丈 甲子園
泣くも笑ふも これが青春

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22日 晩夏の饗宴

21日 熱闘甲子園 金足農業と大阪桐蔭 結果は金足の吉田が崩れて大差で終わる。
吉田の疲労が少なければ意外な展開になっていたかも。
台風19号、20号が又日本の西を直撃か。今日のこの地の天気は又猛暑になるが、見渡す限り雲一つなく、今の時期に珍しい。
台風の饗宴は御免こうむりたい。

甲子園 金足農高応援す 
心揺さぶる 経過を知れば
秋田去り三十年を応援し
まさかまさかの決勝戦に
ひたむきの 雑草チーム 輝いて
胸を反らして校歌熱唱
予期もあり  投げれば打たれる 展開に
疲労限界 球は走らず
涼しさよ 三島の祭り過ぎ去れば
猛暑何処に寒くなりけり
庭葡萄 たわわに稔る
 秋風に 蚊もトンボ舞ふ 晩夏の夕べ

饗宴は 無き事願ふ 次々と
台風発生 本土を狙ふ
猛暑でも 見渡す限り 雲はなし
久々の空 明日は雷雨か

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 31日 八月が終わる

何時までも 終わらぬ猛暑 慣れにけり
八月が去る 焦るコオロギ
毎日の 熱中症の 警報に
山は涼でも 山歩き止め

さくらももこ逝く

桃子逝く  早や三十年の ぴーひゃらぴ
永遠のガキ ちびまる子泣け
静岡は お茶に蜜柑に ちびまる子
富士より高し 駿河より深し

 

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2018年9月

たのしみは妻子(めこ)むつましくうちつどひ 頭ならべて物をくふ時   橘 曙覧

なかなかに思へばやすき身なりけり 世にひろはれぬ峰のおち栗     橘 曙覧

9月に入るが台風が又暴れ始め、21号台風の強風の恐ろしさを改めて知る。電柱が居れ、車が舞う光景は言葉にすることが難しい。そうこうしていると6日に飛び込む北海道の地震の報道。この地震の特徴は全ての北海道が停電になるブラックアウトである。他は異常な山の崩壊であった。台風の影響か山が水分を蓄えていた折に、砂の山が地震で一気に崩壊する光景は見たことがない。他は地盤の液状化があげられる。昔は川であったところを埋めて道路にしたところは地盤沈下、地盤の液状化した泥が道路に溢れて車が動かなくなる。自然の猛威は予測不可能であるが、地盤とか山崩れとか事前の予防は可能では。
阪神淡路が1995年、2011年は東北地震、その後熊本、今回の北海道(胆振)と続くのを知れば次は関東か、東海かと憶測もする。
娘は早々に防災グッズを購入、妻は賞味期限の有無など非常食を点検する。我は何もせず、ダメな典型。

10日 はや9月の10日

台風21号

強風に車が飛ぶは木が折れて
 風にをののく闇の不気味さ
避けてくれ 祈りは通じ 被災地の
状況知れば 他人事で無し

2018/9/6北海道の地震 胆振(いぶり)地震 は震度七

山肌は削ぎし様なる縞模様 
土砂に埋もれる家の惨めさ
また届く スマホを見れば 震度四
徐々に身を病む 地のうごめきに

2018/9/8蛇とカエルの香貫山 香貫山を傘さして歩く
岩の如き香貫の山の ヒキガエル
ヘビに噛まれて 
微動だにせず
時は止み ヘビが噛みつく ヒキガエル
カエル動かず ヘビも動かず 

蝉しぐれ 晴のち曇りに急変し 
傘さし歩く 土砂降りの山

9日 義理の兄の一周忌

何やかや はや一周忌 墓石の
「偲」のもじが 富士を眺める
献杯後 故人忘れて 酒を飲み
笑ふ声する うらめしきかな

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18日 予期せぬ知らせ

14日 事業閉鎖の知らせ受け、今日の出勤せぬ事と聞く。
倒産か、危ないことは うすうすと 競売の話も聞く 、時は来たれり。
17日 香貫山を歩く
    彼岸花が咲いていた。この花は艶やかであるが寂しい記憶が多い。
18日 水神社から愛鷹山を歩く。
    久々の登山はきつい。愛鷹山は平成23年9月19日に登ったきりであった。
    近くまで愛鷹山塊歩くたび何度も近くに来ていたが素通り。

彼岸花 ひっそりと咲く 香貫山
夏日の中に 秋の色かな
彼岸花 ひっそりと咲く 香貫山
 寂しき思ひ 彼岸花咲く

久々の 愛鷹山の 山頂に
月日は同じ 七年前と
あしひきの 七年ぶりの 愛鷹は
懐かしきかな 何故か晴れやか  

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29日 双子山ほか

香貫山にコスモスや鶏頭の花が咲き、我が家の木犀の花が咲きだし香りを放っています。
台風24号が日本縦断らしい。何もなきことを祈る。


煙草を吸おうと家の窓を開けたら丘ワカメの葉の上にアマガエルが一匹止まっていた。そっと煙草をふかし眺めていた。
葉と同じ保護色だから我に気が付かないと思っているカエルかも。
後ろに目あり、日々の行動に気を付けようと思う。

丘ワカメ 葉に隠れたる アマガエル
木犀愛でる 我が背に視線

ゆらゆらと  コスモスの花 風に揺れ
台風予報 最強と言ふ

28日は久々の晴れ間が出て急遽富士山五合目から二子山、四辻、幕岩を歩く。生憎ガスが出て景色を楽しむことが出来なかったが三時間程のハイキングは気分転換にちょうど良い。行きは砂山、帰りは雑木林を軽快に歩く。気分も晴れた。

双子山 伊邪那岐の碑が 頂に
草の黄葉は 禿山装ふ
登れども ズルと滑る 富士山の
長月みそかの 双子は寒し
富士山の 双子山には 霧が出て
「はんぶん青い」 林道を往く

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2018年10月

闇晴れてこころの空にすむ月は
西の山辺やちかくなるらむ     西行
風になびく 富士の煙の空に消えて 
ゆくえも知らぬわが思ひかな    西行

11日 下田、小山と如来や菩薩の観賞

1日の台風24号は静岡県に被害が多く、強風に県内は70万戸以上、潮風が木々の葉を枯らしていた。幸い我家は停電が無かったが庭木や花々の葉が塩で焼けて枯れてきた。五日の25号台風は日本海を進み安堵する。

最強の 台風らしい 葉の縮む
闇夜が続く また台風か
案の定 風雨荒れだす 台風は
日本縦断 麻痺の列島

七日は夏日になり久々に下田の上原美術館、蓮台寺の大日如来、竜宮窟を見学に出かける。蓮台寺と言う地名は残っているが廃寺で大日如来は天神社の横に安置され、当日はお祭りであった。その他の村祭りを幾つか目にし、老若男女内揃う素朴な祭りに心を奪われる。柿が色ずく南伊豆は暑い日差しの中、平安仏教という歴史が受け継がれているのを確認、山海は輝いていた。

南伊豆の 平安仏を 訪れば
稲の黄金の秋祭りかな 

秋祭り 老若男女 内揃ふ
 蓮台寺村 柿の色づく

田牛(とうじ)の地の 竜宮窟の 奇岩とか
海の青さは 沖縄の様

10日静岡新聞に小山の興雲寺の子安観世音菩薩が100年ぶりの御開帳の記事を見つけ早々に出かける。場所は御殿場線の足柄駅の近く、車で246号線、78号線にて向かうが金時山に行ったときに走った記憶がする。秋晴れの暑い日差しも当地は涼しくて、自然の残る田や畑、山々を眺めて安堵する。足柄の金太郎の生地は何かあるかも。

足柄の 子安観音  御開帳
金時山の 麓に行けリ

秘仏とは 六十年の 御開帳
よくは解らぬ 仏の世界
足柄の 馬蹄観音 ながめつつ
馬の観音 疑問が残る

あちこちに 馬蹄観音 馬の碑が
今なら車 車観音

足柄の 観音像は 戦国の
金時の麓 ロマンの地なり

闇の中煙草をふかす。静かなり、昼間も今も人の声せず。子供の時の騒がしい時代もあったが世話焼きのおばさんと言う存在もなく、ガキ大将らしき子供も見当たらずあまりにも静かな場所に変ってしまった。時の流れか寂しさもある。

職探す。 古稀の声聞けばもう仕事は終わりか、古稀の意味をはたはたと実感。気持ちは若い、程々に体力知力あると思っているが如何せん職は警備とかドライバーとか清掃とかの仕事しかない。自分を生かす仕事を探すが自分を問えば何ができるか。

味気無き 世となりにけり  子らの声
井戸端会議 懐かしきかな
古稀になり 新たな職は 見つからず
年を忘れし おのれを嘆く

 

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20日 狭庭のトンボ

赤蜻蛉が三匹庭を舞っている。各々の動きを眼で追ってみたらほとんど同じコースを動いている感じ。庭から飛び出すではなく、、上昇下降や飛ぶスピードなど同じコースの感じがする。何を基準に飛んでいるのか聞いてみたいものである。

赤蜻蛉 狭庭の三匹 眼で追へば
 同じ飛行を ただ繰り返す
バッタバッタ おんぶばったが 薔薇の葉に 
踏みつけ殺す 後味悪し
花終えし 木犀剪定 気が晴れて
ここまで切るか まだ切り足らず
秋晴れに 猫が陽だまり 昼寝かな
蜥蜴這ひ出て 陽を浴びて居(を)り

朝の富士見て早々に富士登山の須走の小富士に行けばすでに霧で覆われ景色は見えず。
グランドキャニオンとか、まぼろしの滝とか紅葉とか確認できず全て悔いを残す一日であった。

朝冨士に つひ誘はれて 小富士まで
霧に覆はれ 騙されたかな
小富士には 霧流れゆく 唐松の
黄葉鮮やか 霧のまにまに

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31日 秋が来た

長月が終わる。渋谷のハロウィンの騒動が問題化する。
不安定な陽気も影を潜めて朝晩は冷えてきた。日中の日差しは強く秋風が気持ちいい。
朝の五時ごろ起きて煙草をふかしていたら年寄りが散歩をしている。日中は人影が少ないが朝の暗い時のヒトの動きがやけに気を引く。
あさぼらけ、東の山の端が、血の色に彩られ、やがて雲を彩る。庭の山茶花の花の蕾が膨らみ霜月に入る。
庭梅の一輪の花が弱々しく花開く。桜の花が咲いたとニュースに有ったが、梅も咲いたか。天候不順がまだ尾を引いているのかな。

あさぼらけ 鮮血の色 雲に映ゆ
 山茶花咲けリ 神無月去る
以外にも 梅の一輪 見つけたり
神無月去る 肌寒き朝
夜明け前 老人多く 散歩する
広間も静かな 住宅の街
久々に 冠雪の冨士 眺めれば
大気安定 秋晴寒し

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2018年11月

人も馬も道ゆきつかれ死ににけり 
旅ねかさなるほどのかそけさ    折口 信夫
邑山の松の木むらに日はあたり
ひそけきかもよ旅人の墓      折口 信夫

8日 暖かい立冬

香貫山を散歩する。山茶花が咲きだしツワブキが咲く。ツワブキの花弁の数を数えれば13枚か、12枚とか17枚とか花の大きさで変わるのかも。
急な秋空と寒空に黄葉が気になる時期が来た。

香貫山の ツワブキの花 数えつつ
紅葉初めの 山をブラブラ
久々の 愛鷹山の 公園の
秋の夕陽に 心癒される

職を探すが年齢で落とされる。体力知力など若い者にはまだ負けぬ自負があるが如何せん年齢と言う制約に阻まれる。

職探すも 歳ではじかれ 腹が立つ
まだやれるのに やけの呟き
★職探す 応募をしても はじかれる
古稀の齢を 惨めさを知る

薔薇の花が咲きだし見るほどに綺麗と思う。ピンクに白薔薇、あとは真っ赤な花がそのうち咲くだろう。

★秋晴れに 白薔薇咲けリ 青空も
染み一つなく  ふた心なし

山茶花の 色や赤花 咲きだして
穏やかな昼 富士が顔出す

 

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10日松籟の宴 他

10日 小春日和の陽気に誘われ御用邸の「松籟の宴」に出かける。のんびりと菊を眺め、海を眺めてぼんやりと、
見上げる松の老木は様々な形をして時の経過を語っていた。

小春日の 菊の饗宴 のどかなる
海のさざ波 時は止まれり
まったりの 海を眺めて 見上げれば
老木の松 時を語らふ

久々の「よさこい東海道」を見物、踊りこの、音頭の音に酔う。

「よさこい」が 街を流れて 踊り子の
躍動の舞 こころ浮き立つ 

21日 娘と箱根の金時神社より金時山に。情けない脚力ではあったが頂上に立つたら冨士が目に飛び込んで嬉しくなる。
紅葉は今一であるが富士の白雪は間違いなく素晴らしい。

 

喘ぎつつ 洞窟形の 岩山を
上りつめれば 丸き青空 
岩登り 猪鼻山(いのはなやま)に 我はたち
まさかり担ぎ 富士仰ぎ見る

あしひきの 金時山ゆ 真白なる
富士の姿よ 良き日となりぬ 

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30日 霜月終わる

あれあれと月日が過ぎて明日より師走か,吾何をしていたか。問うて空しく夕陽を眺める。

★香貫山ゆ 沈む夕日が 海に映えて
鴉群れ鳴く 秋の夕暮れ

木枯らしも 霜まだ降りぬ ぬるき日の
山をぶらつく 木の葉舞ひ落つ

修禅寺の紅葉

ミニピンと川紅葉との 和やかさ
秋の修善寺 益々楽し

ひさかたの 木漏れ日光る 竹林は
歳を忘れる 徘徊の道

28日三島スカイウォークに

青空に 富士と紅葉と 人が舞ふ
山峡またぐ ロープを滑る

白富士と 伊豆の山よし 海も良し
 紅葉眺めて 三島吊橋
★秋の陽を 犬と家族と 遊びつつ
三島吊橋 はや陽が陰る

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2018年12月

夕されば 一人ぼっちの杉の木に
日はえんえんと燃えてけるかも    北原 白秋
篠竹の 笹の小笹の さやさやに
さやぐ霜夜の声の寒気さ       北原 白秋

6日突発性の難聴に

恐ろしや 耳鳴り響き 吐き気する
急な難聴 船酔ひの如く
師走入り 思えわが身の 難聴も
やけに暑しも 気候の異変
医者曰く 「治らないかも」 平然と
歳で済ますな 我が世は長し

温き陽気に香貫山を歩く。海は白波、荒れて見える。冨士は薄き姿で、その前の我が町は日差しが
注ぎ、輝いていた。

★香貫山 風がもみじ葉 吹き飛ばし
我に向かひて 葉の矢を降らす 
富士見れば 陽ざしが陰り わが町は
冬日を浴びて 輝きてをり

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16日 年の瀬の「木の葉時雨」に

★年の瀬の 木の葉時雨の 香貫山
年寄り多し 我も仲間か
ピラカンサ 色づく狭庭に 陽が射して
寒を忘れる 赤薔薇咲けリ
山茶花の 散りつつ咲けリ 椿には
数多のつぼみ 師走の静けさ

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31日 平成最後の大晦日

月初めに高血圧と左耳の難聴と耳鳴りに苦しんだが目眩は収まって血圧は160前後になる。
今年は最悪の年で終わる。長泉ガーデンの給料未払いと経営者が変わったが9月15日経営の撤退とその為の退職届、其のうちに11月から再開するから出社してくれとの依頼。はっきり断りハローワークで職探し。なんとなく病院の清掃のパートを初め、日々汗をかきつつ今日も仕事に。
平成の三十年を振り返れば全てが空しい時を過ごした感がある。平成元年は秋田に単身赴任、その後厚木から沼津に戻り平成14年退職、父母を見送り、自営は失敗、コープ静岡の御殿場工場の豆腐製造は4年で閉鎖、長泉ガーデンは十年弱で退職。弟が一昨年に亡くなり、義理の兄も昨年に逝く。妻の両親や姉、妹も逝き、振り返れば平成の三十年は苦難続きであった。そんな年回りだったのか。
古稀を迎える歳になり無事に生きてこられたのが不思議な気がしてきた。
山を歩き、歌を初めて生きるとは何だと日々考えて過ごしたこの十年でもある。過去はどうにもできず、将来に向かって生きようと思う。病院の老人の方を見るにつけ老の辛さをしみじみ感じ、真摯に老の生き方を考える年になったことを実感。

最近は短歌を詠む余裕もなく仕事から帰れば疲れて机に向かう時が無く過ごして来たが、もとの生活に戻らなければと思いつつも空しき日々が過ぎてきた。上の娘夫婦が沼津に移り、賑やかな大晦日の時を過ごす。

★平成は 苦労続きの 時代かな
閉塞感も 吾と同期す
平成は 別れの時の 年回り
次はこの世の 別れの時か
なんとなく 病院掃除の 仕事して
富士を眺めて 昼飯を食ふ

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2019年1月

香貫山 いただきにきて吾子と遊び
ひさしくをれば富士はれにけり       若山 牧水
白鳥はかなしからずや 
空のあを海のあをにも染まずただよふ     若山 牧水

6日 日本酒の「十四世代」でお屠蘇かな

元旦の初日の出を愛鷹運動公園にて拝む。娘らと犬のビスコが偶然同じところに来ていてうれしくなる。
久々の初日の出、今年は家族みな健康であるように、皆が楽しく生活が出来ますようにと祈る。
お屠蘇は 貰い物の日本酒の秘蔵酒 「十四世代(1升だと8万円らしい)」を発見、仕舞ったまま忘れていた酒に舌鼓を打つ。
年明けて妻の体調がおかしくなる。熱が出てインフルエンザかと気をもむが胃腸障害とのことで一安心、新年早々縁起が悪いが正月の疲れか、定年で仕事を止めて体調が狂ったのではと思うがハッキリせず。
2日から仕事で正月気分にならず、6日やっと休めて机に向かう。

★初日の出 「十四世代」の 酒を飲む
豪華な屠蘇ぞ 幸先は良し

小寒に 薔薇咲き誇り 異変かな
一輪の梅 やがて雨落つ
病院の 老人たちの 徘徊や
譫言(うわごと)寂し 誰か助けて 
長生きは 苦の元凶と 肌で知る
若さは命 束の間の生 
我妻の 胃腸障害 年明けて
寝込む姿に 年波陰る

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13日 明日は成人式

成人式は一月の第二月曜日、昔は一月十五日とハッキリしていたが2011年から変更になった。
それでも晴れ着の姿を目にしなくなった。晴れ着を着れる人ばかりではない、女子の京都駅伝を久々に見たが晴れの姿はすがすがしくて目的をもった若人の姿に心打たれるものがある。
スーパーのミニピンの子犬が売れて、ほっとしたと妻が言う。娘のミニピンの子犬の時の姿にそっくりで買い物に行くたびに眺めていたという。今年は猪の年、ジビエと言って鹿と同じく食べられるが、鹿はバンビー、イノシシはウリボウと幼い姿は可愛いものである。
生きとし生けるものの命はかけがえのないものと、なぜか胸に迫るものがある。
薔薇がまだ咲き、ピラカンサの実はほとんど食べられてヒヨドリや椋鳥の姿が減った。梅の木にメジロが一羽訪れて嬉しくなる。寒の益す日々が続くが春の音連れは何時になっても心待ちわびる。

★猪も 鹿も食材 その子らの
可愛さ見れば 生を問ふ我
寒晴れに 薔薇まだ咲けり 成人日
そぐわぬ陽気 梅が咲き出す

成人の日 女子駅伝の 力走の
若さにほれる 晴れ姿かな

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16日 平成最後の歌会始

天皇陛下の最後の歌会始の儀

静岡新聞に両陛下の平成の歌が載っていた。平成2年から30年の歴史である。阪神淡路の震災、東日本大震災と災害の目立つ時期でもあった。歌会自体は奈良時代からの歴史があり、天皇が年の初めに催す歌御会始は鎌倉時代中期にさかのぼる。明治維新後の1874年(明治7年)一般国民からの応募が認められ、1979年からは優れた歌が披露された。昭和25年から現在のかたちになった。
平成のわずかな時ではあるが歌を始めた我に、日本の歴史とその心の一端を垣間見れた出会いを幸運と思う。

天皇の 三十年の 歌を読み
日本のこころ 歌に漂ふ
平成の 災害憂ひ 民思ふ
新たな歴史 開かんとす

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27日 久々の呑み会

久々に妻の姉らとその旦那が6名集まり呑み会を。久々の顔合わせを楽しむも、話題は健康、各自それぞれ病んで候。
あと何年の余命はあるか、とりあえず話は弾む。 共通の課題、未知の課題にボケる気配は感じられなくホッとする。
あと十年先は各自如何におわすか、願わくば健康で会いたいものと心から祈る吾なり。人生の終焉の始まりを感じ始める年になった。

終焉に 足を踏み入れ 兄弟は
みな病もち 話が弾む
十年後 兄弟姉妹 健やかに
我は願はむ 病院はダメ
梅の木も 花が少なし 年取れば
免疫弱る 人も梅でも

★何時になく 話が弾む 兄弟会
人生佳境 生きるって何

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2019年2月

 いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと握れば指のあいだより落つ  石川 啄木
函館の青柳町こそかなしけれ
友の恋歌 矢車の花          石川 啄木

3日 節分

昨日は昨年と同様、熱海の熱海桜(糸川桜)を見にいった。春の陽気に桜は散り始めたが、熱海の海や、振り向く山並みは春めいて気持ちが良かった。熱海の海の公園のヨットが春の遊びを醸し出す。海鳥が整列して餌を待っているのも面白い。何もかもが素直に楽しくなる日であった。
今日は節分、夕方から雨が落ち初め寒くなる。明日は立春、梅の開花の知らせは過去の観梅を思い出し出かけてみようと思う。
春は一日ごとに駆け足で巡てくる、気持ちがそうさせるのかも。何はともあれこの時期の春を待つ気分と寒の一段と厳しい時期を楽しみたい。

糸川の 熱海の海や 山辺には
春の陽気の 陽ざしがそそぐ
今年また 熱海桜の 花見なり
明日は節分 春の先取り
観梅の 便りを聞けば うら哀し
思ひでの人 思ひでの時

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15日 梅の便りに誘われて

11日 岩本山の観梅に
曇り空ながら暇に任せて岩本山の梅園を見に出かける。七分咲きながら十分に花を眺めてきたが、人出が少ない。
家の梅と剪定などにどこが違うか気になり色々と枝ぶり、花の付き方を見て回ったがそんなに違いが無く自信が持てた。我が家の梅は家に這わして狭いところに育っていることを考えれば良く咲いていると思う。鉢の盆栽の梅を地に下ろして何年が過ぎただろうか、良く育ったものだ。

静かなる 岩本山の 観梅は
花に剪定 深く味はふ

庭の梅 枝の剪定 過ぎたるか
樹が太く見え 老木の様

つぎつぎと 梅見て歩めば 楽しくて
曇り空でも 晴れやかになる

河津桜が見頃になったらしい。行ってみたいがあの渋滞が出足を挫く。

鉢植えの 椿の蕾 数多あり
満開の花 想像つかず

25日 日に日に春日

雨水も初夏に

★雨水なり 雨降る夜に 椿咲く
夜の花良し 雨の花良し

19日の夜は雨でスーパームーンは見れず、朝気が付けば、西の空に大きな月が居座っていた。

あさぼらけ 雨が上がりて 西の空
大きな月に 目を奪われし
★如月の しじまの空に 月浮かび
初夏の陽気に 惑ふ日となる

24日 寒さも緩む昼間時、庭をぶらぶら、肥料を与え

寒緩む 春の気配に 庭に出て
肥料蒔きつつ 憩ふ陽だまり
椿咲く 日々眺めれば 花が増えて
薔薇に劣らず 眺めて飽きず

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2019年3月

清水へ祇園をよぎる桜月夜
こよひ逢ふ人みなうつくしき         与謝野 晶子
春みじかし 何に不滅の命ぞと
ちからある乳を手にさぐらせぬ        与謝野 晶子

3日 城ケ崎ほか

2日、3日と家族(犬のビスコを含む)で伊豆高原のドッグペンション「 ことぶきベース」に一泊
初日は 伊東道の駅にて遊覧船を楽しむ。海からの大室山や矢筈山、遠笠山に天城山を眺める。
海鳥が船を追いかけて来る。かっぱえびせんを放り投げて、鳥が集まっていた。その後、「犬の駅」
城ヶ崎海岸を散歩して一時を楽しむ。
ペンションでは看板犬がお出迎え、金目鯛のしゃぶしゃぶをベースにした料理を食す。
翌日は雨、大室山は諦めて近くのデディベア館に。トトロの特別展示にみな懐かしそうであった。
雨が止まず早々に伊東駅のお稲荷さんを買って帰宅。旅はたのしい、又出かけよう。

★海鳥の 群れに追はれる 観光船
伊東の海に 春の波立つ

★海からは 大室山や 矢筈山
天城の山の そろひ踏みなり
城ケ崎 昔の記憶 蘇る
新たな思ひ 残す日となり

真夜中に 吾が腹の上 犬が居り
じっと我慢も 犬の為なら

家族そろひ 金目しゃぶしゃぶ 舌鼓
夕餉の時間 いと楽しけれ 

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7日 啓蟄

啓蟄の風物詩の「こも外し」のニュースが流れる。
暖かい陽気が一転して冷たい雨が降り続き、嘘のように近所は静まっている。
木犀の葉がやけに落下している。眼を上げれば枝先に新芽が伸びている。

啓蟄や 金木犀の 落ち葉かな
見上げる枝に 新芽の伸びる
啓蟄や 底冷えの雨 雷鳴れば
我も床から虫も目覚めむ 

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13日 春の芽吹きが

午後2時45分、東日本大震災もはや八年の時が過ぎた。
このところ雨の日が多く、季節の変わり目を実感する。庭を見れば春の訪れを思わせる草花が咲き始めている。ハナニラやペチコート水仙や花芽が伸びている草花、梅の木にはかわいい実を付け、薔薇の新芽も目立つ。バラは冬の間も咲いていたことに驚く。そのうちに桜の便りが届くだろう。

弥生半ば 庭の草花 芽吹きたり
雨の日増えて 春は駆け足
震災も 早や八年の 過ぎ去るか
記憶忘れず 備へ忘れず

弟の三回忌は16日、早いものである、寂しさもあり、懐かしさもある。春は色々な人の思い出の季節になってきた

★弟の 三回忌には あと少し
春の芽生えも 春の寂しさ
三年は 悲惨な記憶 消し去りて
思ひで残り 寂しさほろり

病院の清掃作業の従事者の生き様を偶然に耳にして、人生を踏み外した人の苦悩の生活の一端を垣間見た気がする。
しかし仕事に向き合う姿に頼もしく思う時がある。人生いろいろ健康であれ。

我も今の職についてはや三か月。体重が五キロ減った。健康にはよかったと思う。待遇面では世間相場よりはるかに低い。
そんな所も人生の荒波に怯まず生きてる人の姿を目にして良かった。何時までも居れるところではないが。

ふと漏らす 年増女の 生ひ立ちは
生死の時を 場を踏みしとか

声高の 年増女の 明るさは
ブラジル育ち 漢字が読めず

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21日 朧月夜

16日 弟の三回忌、かわいい墓に納骨を。健やかであれと遺族を思う

三回忌 納骨の墓 慎ましく
健やかであれ 遺族を想ふ

メジャーリーグの開幕戦 
マリナーズのイチローのプレーを期待をしつつ観戦も、、往年の姿はやはり夢であったか、年には敵わぬ寂しき姿を垣間見る。

懐かしく 期待敵はぬ イチローに
年には勝てぬ 悲しみ満ちる

3/20初夏の陽気になる。夜の月は満月の光りが靄(もや)ってまさにおぼろ月夜、月を漠然と眺めて春の夜の物憂い気分にしたる。

春彼岸 朧月夜の 空仰ぐ
椿の花が 萎れて咲けリ

21日は彼岸、天気は雨や曇りの一日で墓参りや庭の消毒をする。今年もブドウが豊作であれ、、ミカンが豊作であれ。

墓参り 故人を偲ぶ 生きるとは
苦の世界なり 彼岸を思ふ
春彼岸 葡萄ミカンの 消毒す
昨年以上の 収穫期待

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2019年4月

五月から元号が「令和」となった。時代の表記が変わることで、気持ちが変わり、気持ちが変われば行動が変わり、実際に社会が変わっていくことだろう。我も新たな投企のチャンスにすべくこの歌集は終わることにする。
「令和」元号の出典

天平二年の正月の十三日に、師老(そちのおきな)の宅に萃(あつ)まりて、宴会を申(の)ぶ。時に初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぐ。梅は鏡前の粉を披く、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす。しかのみにあらず、曙の嶺に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きぬがさ)を傾く、夕の岫(くき)に霧結び、鳥は穀に封ぢらえて林に迷ふ。庭には新蝶舞ひ、空には故雁帰る。ここに天を蓋(ふた)にし地を坐(しきゐ)にし、膝を促(ちかづ)け觴(さかづき)を飛ばす。言を一室の裏に忘れ、衿を煙霞の外に開く。淡然自ら放(ゆる)し、快然自ら足る。もし翰苑にあらずば、何をもちてか情(こころ)を攄(の)べむ。詩に落梅の篇を紀(しる)す、古今それ何ぞ異ならむ。よろしく園梅を賦して、いささかに短詠を成すべし。(万葉集・巻第五)

令月は、2月の別名であり、同時に「何事をするにもよい月。めでたい月。」を意味しているらしい。

「「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かおら)す」

(時は初春の良き月、空気は良く風もおだやかで、梅は鏡の前で装うように白く咲き、蘭は身につけた香のように香っている、といった意味)

新たな歌集のタイトルや方向性はまだ決まっていない。今月中に決めよう。

春風の利根のわたりに舟待てば
雲雀なくなり莚(むしろ)帆の上に    正岡子規
いちはつの花咲きいでて我目には
今年ばかりの春行かんとす        正岡子規

7日 春日は巡る

狭庭べの 巡る花咲き 芽吹くとき
新たな思ひ 夢に酔ふかな

春風に 花の巡りて 春うらら
木々は芽吹くも 我痩せ細る
門池の 桜並木の 誘惑は
「今日は独り身 酒でも飲まむ」

パート先の病院の老人を思う 
身の世話は人手に頼り何が楽しみか、子供に帰るというがふと疑問に思う。
老々介護は如何に、近い将来のおのれの姿を垣間見て悲しくなる。

老を問ふ 乙女盛りが 下の世話
老いは非情な 異臭を放つ
如何にせむ 生きる証は おむつ替え
何が生きがい それさえ問へぬ
あれこれと それぞれの道 生きてきて
いまは抜け殻 老いは残酷
★長生きは せぬが肝心 どうみても
生き恥さらす 身も心さへ

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15日 春うらら

11日 富士霊園の花見に行く 先日の雪で山は白く化粧していた

春うらら 富士霊園の お花見に
山の雪とも さくらは同化

鮮やかな 枝垂れ桜の スナップを
愛犬と撮る ともに愛しく

ブラックホールを初めて電波望遠鏡で映すニュースがあった

何もかも 吸ひ込む星の 写真とか
そんなもんかと ただ聞き流すのみ
光りさへ 吸ひ込まれると 言ふ星の
その先は何 問へぬ疑問も

ぼんやりと月を眺めて 庭を眺めて

春よ春 葡萄は芽ぶき 庭眺む
素足の風が 紫煙を流す
午後六時 白き月見て 心地よく
日が沈みつつ 月はおぼろに

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21日 昇仙峡と花咲く神社

NHK「ブラタモリ」にて紹介された山梨は甲府の地形と昇仙峡、半世紀前か数度は行った記憶があるが定かでない。
21日早々に出かける。新東名から中部縦断自動車道が部分的に開通したと聞いており新東名の新清水から52号線に出たが一向に入口がない。下部温泉から乗ることが出来たがほとんどトンネルを走るだけで、景色を楽しむこと不可能、がっかりする。
昇仙峡はそれなりに魅力的なところであるがこんなにも寂れているとは思わなかった。ブドウや紅葉などの時期ではないのが原因か、山は変わらず人の世の移り香だけが寂しさを思う。桜の花が満開の「金桜神社」やその向かえの「夫婦木神社」など素朴な地の桜を堪能できたのが嬉しい。”ほうとう”が美味い。
帰りは中央道の大月から山中湖、須走をドライブしたが、全然渋滞が無くゴールデンウイーク前の静けさだろうと思う。富士山を南から西に眺めて其のうちに北になった。以外と冨士は小さいと感じる。

              

  
水晶購入

昇仙峡 半世紀過ぎ 再訪す
渓谷に酔ひ ほうとう食す
金桜 神社満開 奇抜なる
登り下りの 竜門見上ぐ 
甲府から 富士を南に やがて西
北は富士山 我が家に着けリ
記念にと 水晶のかけら カエル買ふ
狭庭の築山 仲間が増える

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29日 令和に生きる

さくらえび、しらす、ウナギやその他の魚の異変を聞くにつけて、やはり自然破壊が原因、温暖化が原因か

海の幸 異変が続く おそらくは
自然破壊の 温暖化だらう

何でもよいが、趣味でも仕事でも「極める」「究める」ことが生きる上での楽しみに、生きがいにつながるのではと漠然と思っている。
釣りでも家庭菜園でも、ラーメン通でも何でもいいが。セミプロを目指そう。


折々の 趣味を極めて 楽しめば
生きる肥やしに 吾は歌詠む
AIは 人を手助け 究極は
人を操作し 人を飼ふかも
★薔薇が咲き 初夏の息吹に ひたる時
良きことあらむ 令和を迎えむ

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