天 城 山 系 ハイキング
国道414号線を下田河津方面に向かうときに、寄り道するのが 道の駅 「天城越え」で小休止するのが常でした。天城トンネルを過ぎループ橋を渡ると七滝があり、訪れたことがあります。以前より、川端康成の伊豆の踊り子の場面であることは知っていましたが、どういうわけか素通りしていました。修善寺温泉及び虹の里などは何回も訪れており、その後は河津、下田方面に直行していました。今回短歌などの真似事を始めて、湯ヶ島温泉、天城トンネルの旧道とか、井上靖の誕生の地、また若山牧水の歌碑などがあるそうで、歩いて散策してみようと思いました。また、浄蓮の滝、万条の滝など綺麗な水系がり、天城山系も、知りたくなりました。とりあえず、踊り子歩道、湯ヶ島の湯道を散策してみようと思います。
インデックス | 項目 |
踊子歩道を歩く | 平成23年06月03日 道の駅 [天城越え」より太郎杉まで |
平成23年06月09日 道の駅 天城越えより浄蓮の滝まで | |
平成23年08月02日 道の駅「天城越え」 より 天城トンネルから宗太郎園地 {帰路は二本杉歩道(旧天城峠)〜大川端親水広場(天城遊ゆうの森) |
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平成23年09月07日 宗太郎園地より七滝めぐり | |
西伊豆山稜線を歩く | 平成23年10月24日 金冠山を歩く |
平成23年11月13日 達磨山を歩く | |
平成24年07月10日 仁科峠〜つげ峠を歩く | |
平成24年10月25日 天城峠(起点、終点)〜つげ峠(三蓋山)を歩く | |
平成25年04月11日 だるまやまレストハウス〜金冠山(マメ桜の花見) | |
平成27年11月27日 修善寺もみじ林(起点、終点)〜旭滝 | |
平成28年12月15日 伽藍山〜 棚場山(土肥から戸田を回る) | |
天城山ハイキングコース | 平成23年08月02日 二本杉歩道(旧天城峠)〜大川端親水広場(天城遊ゆうの森 |
平成23年08月26日 寒天地橋より寒天地駐車場からオオルリ、コルリ歩道で八丁池 | |
平成23年11月07日 御幸歩道を歩く(紅葉見物) | |
平成24年07月27日 シャクナゲコースを歩く(万次郎、万三郎岳蛇ブナ、小岳のブナ林) | |
平成24年08月20日 天城峠〜八丁池〜戸塚峠〜皮子平の大ブナ他(一部分) | |
平成26年05月30日 シャクナゲコースを歩く(シャクナゲの花見に) | |
平成26年11月14日 御幸峠を歩く(八丁池まで) | |
平成27年11月03日 三筋山(細野高原)ススキの絶景 | |
平成28年03月08日 矢筈山を歩く | |
平成30年09月23日 上り御幸歩道を八丁池まで | |
令和01年05月25日 石楠花コースを娘とミニピンのビスコと歩く | |
令和02年11月18日 鉢窪山を歩く | |
井上 靖 について |
井上靖の詩碑、墓、其の他 |
平成24年06月15日 湯ヶ島温泉 遊歩道(湯道)散策 | |
今回は、土肥温泉の帰りに寄ったので、とりあえず手ごろな滑沢渓谷に沿って、太郎杉までの2.5キロメートルほどを歩いてみました。
(右上の画像をクリックすると拡大) 道の駅 より踊り子歩道のゲート |
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三神社 | |
400メートルほどで滑沢渓谷 | |
井上靖の碑(猟銃)より、左のコース ここから太郎杉まで約1キロ 右のコースは天城トンネル方面 このあたりが狩野川の源流だそうです |
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途中にはワサビ田があり、TVで見たワサビ田を走るトロッコのレールがあります。 | |
なんといっても水が綺麗の一言 | |
太郎杉。樹齢400年らしい 高さ 48m 根回り 13.6メートル 目通り幹回り 9.6メートル |
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巨木としては、河津の来宮神社の楠木、御瀬のビャクシン、修善寺の子宝の杉など見てきましたが、ここもそれなりに貫禄があります。 | |
太郎杉の幹の様子 | |
太郎杉の案内版 | |
案内板の前が休憩所になっており、そこから沢に入りて、顔を洗い、記念に小石を持ち帰る。 (注) ハイキングなどで訪れた所の小石を持ち帰ることにしています。 |
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井上靖の旧邸 | |
庭園の様子 | |
平成23年6月9日 ヤマボウシ(山法師)の花が綺麗でした。 |
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平成27年11月27日 修善寺のもみじ林のあと久々に滑沢渓谷の紅葉が気になり出かける。時間が午後三時を過ぎて、空は青空ですが、渓谷ははや陽が陰り、静かな初冬のの雰囲気でした。モアイ像に似た小石を拾い持ち帰る。結構趣のある石で嬉しくなる。
今回は紅葉のスナップだけを少々載せました。
道の駅 よりブラブラと渓谷まで歩く。 | |
渓流の流れは美しく見とれてしまう |
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ところどころにイロハモミジが色づく |
はや落葉が目立つ |
久々の太郎杉 |
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太郎杉と向かいの河原で拾った石のコラボ(石を滑沢モアイと名付けて持ち帰る) |
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平成23年6月9日道の駅 天城越えより浄蓮の滝まで歩きました。片道2.6キロほどで40分程度でいけます。
こちらの踊子歩道は記念碑関係を外せば浄蓮の滝以外はこれといって取り上げるものはありません。帰りは井上靖のしろばんばの記念碑と、若山牧水の歌碑をみて、349号線で修善寺に出て帰りました。
以下の写真は道の駅より、浄蓮の滝までの記念碑関係です。
昭和天皇のお手上の杉 昭和21年8月23日天城に行啓されたときの記念に植えた杉とのこと。 |
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横光利一の記念碑 |
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「寝園」の一節が書かれています。 | |
島崎藤村の記念碑 |
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「伊豆の旅」の一節が書かれています。 | |
道に沿い、小川が流れて、カーラーが咲いていました。 |
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穂積 忠(ほずみ きよし)の文学碑 春もやゝ日かけさひしくなりにけり さはわさひ田の逃水のおと |
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浄蓮の滝 | |
有料鱒釣 |
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「伊豆の踊子」の像 |
道の駅に車を止めて、今回は旧天城トンネルを目指し、その後七滝近くの宗太郎園地より二本杉歩道(旧天城峠)を越えて又遊ゆうの森に戻るスケジュールで出かけました。(天気は曇り、昨晩は駿河湾沖の地震がありました。−−震度5強)
414号線の二階滝駐車場に車を止め、宗太郎園地から七滝を廻りました。距離的には5キロ程度ですが、七滝を堪能してきました。
その後、59号線で仁科峠にでて、西伊豆スカイライン(県道127号線)で、伊豆山稜線歩道を確認しながら帰りました、
伊豆山稜線歩道 ガイドに− − − 伊豆市「修善寺自然公園もみじ林」から〈伊豆の踊子で有名な「天城峠」までを結ぶ、
全長42.8キロmの変化に富んだ自然歩道です。特に明るく開けた峠道と富士山の展望は訪れるハイカーを魅了してやみません。
眼下にはきらめく駿河湾も望めて気分は空中散歩。何時までも歩きたくなること請け合いです。」
今回クルマで走りましたが、ガイドの意味が充分に納得できました。そのうちに歩きます。
(注)平成23年の台風による落石の為、初景滝より、釜滝方面は侵入禁止になっています。
二階滝駐車上より宗太郎園地までは天城越えのときと同じ道を歩きその後、宗太郎林道を通り、七滝に向かいました。 | |
宗太郎杉林道( 人工林) | |
何でしょうか | |
猿田淵 |
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七滝(ななだる) にぎの写真のクリックで拡大表示 |
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釜滝と周りの景色 柱状節理の岩肌が目立ちます。 |
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釜滝 |
釜滝 |
えび滝 | |
蛇滝 岩の模様が蛇のうろこのようで命名とのこと |
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初景滝 |
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初景滝 |
初景滝 |
かに滝 |
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出会滝 幾つかの分流した流れが一箇所に出会っています | |
大滝 ループ橋に近く、滝の周りは温泉宿が多く、滝の落ちた周辺は露天の温泉が楽しめるそうです。 |
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その後、二階滝駐車場にもどり、帰りは湯ヶ島より、59号線で、仁科峠に出ました。時刻は夕方になっていましたが、冒頭のガイドの案内にあるように、見晴らしがよく、是非とも伊豆山稜線歩道を歩きたくなりました。二本杉歩道を歩き、旧天城峠まではいきました。天城山はどちらかというと景色を楽しむというよりは、森林と渓谷を楽しむようです。西伊豆スカイラインを土肥峠、だるま山、戸田峠と、途中途中景色を眺めて帰りました。 | |
以下のマップをクリックすると、全体がわかります。
寒天地橋より、八丁池のルートを登りました。
ウグイス、オオルリ、コルリ、青スズ台、コマドリ歩道といろいろあり、全てを歩いてみたく次のコースを選びました。
二階滝駐車場(414号線)(11:50)に車を止め、寒天橋より、寒天地駐車場(12:50)まで行き、そこから
<<往路>>
(13:10)寒天地駐車場スタート
(13:30)コマドリ歩道
(13:40)上り御幸歩道に合流
(14:05)展望台
(14:15)八丁池着
<<復路>>
(14:50)帰路
(15:10)青スズ台歩道に
(15:15)青スズ台着
(15:30)オオルリ歩道
(15:35)ウグイス歩道
(16:00)寒天地駐車場着
(16:50)二階滝駐車場着
これでおおかたのコースを歩いたことになります。
寒天地駐車場までは舗装されていますがクネクネした道路が50分ほど続きます。 | |
寒天地駐車場 | |
ウグイス歩道はこちら(復路にここを通り帰りました。) | |
ここから天城三筋山遊歩道に続きます。 三筋山遊歩道は八丁池より、三筋山を通り、稲取温泉、または今井浜温泉までのルート 機会があれば歩いてみようと思います。 |
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今回コルリ歩道はパス | |
コマドリ歩道へ(遠回りですが) | |
ブナ林に混じりヒメシャラの木が目立ち始めました。 | |
苔の種類と思はれますが綺麗なので撮りました | |
コマドリ歩道と上り御幸歩道が合流 | |
下り御幸歩道(414号線水生地方面)はこのルート | |
見晴台より(東南西北の方向指示がありました。河津の海、田子方面の海が見えました。 生憎富士は見れませんでした。 |
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八丁池より天城高原までの縦走ルート (そのうち挑戦します。) 下の写真をクリックすると拡大 |
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八丁池 | |
昭和天皇の御幸の記念碑でしょうか。昭和7年??? |
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復路は青スズ台歩道で青スズ台へ | |
青スズ台から何処でしょうか、市街がみえます。 | |
河津の方面 | |
オオルリ歩道を下っていくと、大きな石が目にとまります。 | |
休憩所があり、八丁池歩道にでます | |
その後、ウグイス歩道を通り、寒天地駐車場に | |
途中にヒメシャラの木が、他の木に巻きついている様で 珍しい |
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寒天地駐車場より、二階滝駐車場に向かう途中、「御礼の杉」と看板があり、大きな三本のすぎがあり、その後二階滝駐車場に戻り、今回のハイキングは終了しました。 このルートは寒天地橋より、バス寒天地駐車場へ行き、そこから八丁池歩道を通り、八丁池へのルートのようです。 |
ボチボチ天城の紅葉が見頃ではと出かける。車を水生地下駐車場に止め、御幸歩道で八丁池を回ってきました。
登りは”くら橋”から”下り御幸歩道”よりスタート。台風15号による倒木処理らしい、”下り御幸歩道”は迂回する指示が出ていました。
迂回することなく行ったのですが問題なかった。今回のハイキングでは何処でも倒木、枝折れなど目立ちました。
八丁池に着くとすぐ天気が曇り、ガスが出て視界が悪く、かろうじて何枚かの写真を撮る事が出来ました。
帰路は”上り御幸歩道”より途中で”水生地歩道”を歩き、”くら橋”に戻る。そこで「なまこ岩」より”藤ヶ沢歩道”で”上り御幸歩道”に合流し
”天城峠”に出るコースを回って帰路しました。今回のハイキングで一番危険な歩道は”藤ヶ沢歩道”でした。
紅葉はそれなりに自然の姿で綺麗でした。(修善寺の紅葉の程には華やかさは無い)今月の下旬には”滑沢渓谷”辺りの紅葉が
見頃になるようです。
往路 水生地駐車場9:30スタート くら橋より下り御幸歩道で八丁池着(11:15) 帰路 八丁池12:00スタート 上り御幸歩道御幸歩道、途中より水生地歩道に入り、下り御幸歩道に出て、くら橋着(13:30) 時間があったので なまこ岩より藤ヶ沢歩道経由上り御幸歩道より天城峠から水生地に戻る くら橋(13:30)スタートなまこ岩着(13:45)藤ヶ沢歩道経由、のぼり御幸歩道合にでて天城峠着(14:50) 水生地駐車場着(15:30) |
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下り御幸歩道はこんな調子 八丁池までは約4キロ、時間にして1.5時間でした。 |
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倒木が目立つ | |
登るに従い姫チャラ、ブナが目立つ | |
所々に紅葉が | |
ブナの木 どうしてこんな形に | |
大木が寝そべり、途中から立ち上がっている |
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八丁池に11:30着 到着したら写真のような景色でした。直に霧が出て池は霧に包まれ何も見えず。 その後、昼食などしながら時間をつぶしたら、幸い霧が晴れて景色を堪能できました。 |
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霧が晴れた後 | |
展望台から池に向かう途中の紅葉 | |
湖面に景色が映る | |
上り御幸歩道より、帰路に | |
綺麗な紅葉が所々にあり、歩道にも落ち葉の絨毯になっています。 | |
ヒメシャラの木肌が綺麗でした | |
上り御幸歩道より、水生地歩道に向かう | |
こんな自然の公園のようなところがありました。 | |
川原なのですが水はなし 大変綺麗でした |
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13:30 くら橋に戻り、なまこ岩に向かう |
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ツルが絡まり奇妙な形の木がありました。 | |
なまこの形をした巨大な戦車が下っているようです。 | |
なまこ岩より、藤ヶ沢歩道を通り、上り御幸歩道に向かうのですが、この歩道は足場が悪く、危険な箇所が多い。この川の反対側が水生地歩道になり、上り御幸歩道より水生地歩道に入った所の近くまで戻ることになります。 | |
上り御幸歩道に合流し、しばらく帰路を歩むと、ヒメシャラの木にコブがある木が このあたりの歩道は景色がよく尾根を軽快に歩く。 |
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大木の枝が折れかかっています。 | |
向峠など軽快に歩き、天城峠に その後、旧天城トンネルに出て水生地駐車場に これで寒天地よりのコースを含め、八丁池のルートは大方歩いたことになります。 残るは天城縦走。来年のシャクナゲの咲く時期を予定します。 |
久々の晴天にぶらぶらと天城峠から八丁池までハイキング。(本当は八丁池から三筋山経由稲取まで歩きたいのだがこのルートは風力発電設置の工事のため来年の三月まで通行止めとのこと。)平成24年11月に紹介してあるので今回はスナップを載せるだけにします。昭和の森(駅の道)の紅葉を堪能、その後天城峠から上り御幸歩道を歩き、八丁池に、(13:15着)食事をしていると、天城縦走のハイカーたちが素通り、よほど朝早くに万三郎岳を上ったのだろう。(私は自宅を9:45に出発)帰路は下り御幸歩道を歩いて帰ってきたが景色的にはやはり登り御幸歩道が絶対に良い。
昭和の森の紅葉 | |
天城峠 | |
八丁池までで登りのきついのは三か所(水生地駐車場から、天城峠、天城峠から急な勾配の向岳 それと八丁池の手前800メートル、それ以外は平たん。天城峠から向岳を上るとヒメシャラの木が輝いていました。 遠くに富士山が望める |
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以下の写真は八丁池までの写真 | |
14:00 御幸歩道(下り)にて帰路に 下り御幸歩道は、景観が良いところが少ない。ぶらぶらと倉橋まで戻り、久々に川端康成の伊豆の踊子の記念碑を見て いつもの如く小石を持ち帰りました。今回のハイキングは天気が良く久々に気分爽快、快い疲労に満たされた一日でした。 |
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久々に天城を歩く。今回は娘と歩くが登り3時間半、下り3時間弱と意外に時間を要した。自分の脚力、肺活量が減ったことが原因かも。娘は意外と息切れもなく登った様だ。今回はそのスナップの一部のみ載せました。
葉っぱのお面 |
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八時三十分水生地駐車場を出発 天城トンネル、天城峠で一休み |
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向岳には折れて朽ちた老木のブナがあり新たな誕生の乙女? 誰か覗いている |
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足を組んだような倒木 | |
12時着 食事 辺りは霧が流れ、ハイカーが思い思いの休憩、食事 遠笠山からの縦走者もチラホラ見かける。自分らが引き返す分を縦走に回したらあと5キロ程で縦走したことになりそうだ。 12時30分帰路 水生地駐車場に三時前に到着 |
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朝の登りの時に見た時よりかなり帰路の茸は傘を広げていた。(天城峠から天城道路の間で見かけた) |
天城高原ゴルフ駐車場に着いたのが11:30を回っており、地図の様に万二郎、万三郎、蛇ブナを見て、引き返し、帰りはカラサワ分岐点、101ポストを回り、四辻に戻りました。天気が良く、暑さにはまいりました。予定した小岳のブナ林と、蛇ブナは素晴らしかった。後はこれといったところは無く、帰りのコースは一気に山の中腹まで下り、その後は山の山腹を回るコースなのですが、これが意外ときつい。岩場を歩くことが度々、疲れた足に負担をきたす。駐車場にもどってきたのは17:30になっていた。水分は充分に持参すること、今回の山歩きで切に感じました。
伊豆スカイライン終点から111号で天城高原ゴルフクラブの登山者駐車場に 11:30着 駐車場は広い(50台ぐらいは可能) |
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11:50四辻に | |
こんな所を万二郎だけを目指して | |
途中に東伊豆町の風力発電の風車が | |
12:30万二郎岳着 昼食後、万三郎岳を目指す |
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馬の背、万三郎岳か | |
南に見える山々 | |
馬の背 天城高原ゴルフ場、伊東方面(大川)弥勒山の神社?が見えた |
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あせびのトンネルがしばらく続く このあたりの木々はこれといって珍しいものは無い。 |
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山頂に近づくに従い、ブナの木が目立ち始める | |
天城シャクナゲの案内板 5月中旬から6月上旬に咲く(次回はこれを見に来よう) |
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13:50万三郎岳着 景色は眺められず |
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山頂に「弥栄の神」 何でしょうか? 某HPより (碑には昭和43年12月29日と刻まれています) ※『弥栄(いやさか)』の意味は『ますます栄えること』・『繁栄を祈ってとなえる語。ばんざい』などの意味があり、万三郎岳山頂から『ばんざい』と叫び、繁栄を祈るということで『弥栄の神』の石碑が設置してあると推測。 |
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万三郎岳を下ると直に八丁池、天城高原ゴルフコースとの分かれ目に出る 今回は小岳のブナ林、蛇ブナが目的なので片瀬、小岳に |
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小岳(こたけ)1360m 八丁池まで5.3キロ 戸塚峠まで1.2キロ 下の写真は小岳のブナ林 (若いブナの生き生きした景色が素晴らしい) |
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小岳より5分ほどで蛇ブナがある | |
この近くで黒曜石(火山岩)を拾い持ち帰る 何時もの小石の収集を |
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八丁池、天城ゴルフの分岐点に戻り、天城ゴルフのコースに 急な下りが延々と続く(膝がガクガに) |
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沢を渡る箇所が所々現れ、足場が悪い | |
岩だか、根っこか、こんな所もルートに |
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岩がそそり立つ 写真以上に実際は大きく感じる 今まで見た岩の中では最大か |
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下の写真 山道をはさんでヒメシャラの森、ヒノキの森 |
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17:20駐車場着 かなり疲れました。 |
石楠花の咲いている情報を耳に、天気が良く早々に出かける。コースは小岳、蛇ブナを省略 今回はあくまでも石楠花の花見が目的。10:00天城ゴルフの登山者専用駐車場出発。11:00万二郎岳着 12:00万三郎岳着涸沢分岐点を回り15:00駐車場に。
駐車場はほぼ満車 行き交う人はほとんど高齢者 今の年寄りは元気であるとつくづく思う。自分も早々その仲間入り、若者に合わず寂しいものもある。シャクナゲの花は萎れかけて時期が遅いことを悟る。紫のツツジが山頂に見事な花を咲かせ、万三郎の山頂あたりのシャクナゲは今を盛りと咲きほこり、これで目的完了とする。以下は簡単に花の状況などをメインに載せました。
天城ゴルフクラブに向かう途中 |
万二郎岳山頂 |
紫と朱色のツツジの花が並んで咲いる (万二郎岳山頂) |
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馬酔木のトンネル |
ツツジが咲きほこる |
石楠花がしぼんだ花をつけています |
ほとんど萎れて |
万三郎岳山頂に向かうほどに花は盛りと咲いている |
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山頂には人が群れて食事を(蚊やハエ多く悩まされる) |
山頂のつつじが輝き咲く |
万三郎岳から下山の途中 |
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万三郎岳から下山の途中 |
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急な階段の長い坂を下りるとブナやヒメシャラの幼木が目に飛び込んでくる |
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巨岩が見えれば四辻まで1時間? |
岩の上にツツジが生えている |
駐車場の車も大分減り、右の山が万三郎岳か |
子供が天城に行きたいというので25日ミニピンのビスコを連れて出かける。天城のゴルフ場に着いたのが9時、駐車場はすでに満車、その上のゴルフ場の駐車場に止める。娘のネットの知り合いだろう人が群馬から2名来ており、その後は同伴して石楠花コースを回った。五年ぶりの石楠花コースは登りが楽だが下りは思ったよりきつい。道々は想像以上にハイカーが多く、しかも高齢の方が目立つ。ミニピンのビスコは上りを楽しむかのように万三郎岳まで登った。下りは危険で歩くのを拒否、娘が背負って下る。犬のハイキングはビスコのみで何処へ行っても可愛いと言われていた。群馬県の人は群馬の「馬」の被り物をして写真に納まるが娘が同じ被り物を持っていたことに意外な一面を感じた。石楠花は頂上に咲いていたが結果は咲き終りの状態であった。五月としては真夏日の暑さにニュースは取り上げていたが山は意外と涼しく五年ぶりの天城の石楠花コースを歩き心地よいビールが美味かった。
以下はその時の様子をスナップです。
久々の休み(水曜日)以前より浄蓮の滝近くの山が気にかかっており、調べると以下の様である。
鉢窪山は、約1万7000年前に噴火した伊豆東部火山群に属する単成火山のひとつであるが、近年存在を忘れ去られ掛けた地味な山であった。しかし地元の有志により遊歩道が整えられ、1時間程度で登れる、ハイキング向けの素晴らしい山として最近再び注目されるようになった。
登り口の案内板によると、
「ここ茅野の人々は鉢窪山の溶岩がつくった大地の上に集落を築き、山の恩恵を受けながら生活を営んできました。鉢窪山は昭和30年代まで、かやぶき屋根の材料となる茅を育て収穫するために使われてきました。その名残が茅野という地名に残っています。また火山がつくった大地から湧き出す豊富な水は人々の生活と切り離せないものでした。」
先日登山靴を新調、足に合っているかも気にかかり、其の点検を兼ねての登山でもある。
登り口は静岡大学天城フィールド・セミナーハウス駐車場(島崎藤村の文学碑の側)から登山道になっている。そこから50分程度でつづら折りの山道をくねくねのぼれば目的地であるが頂上の目印が無い。火口跡の周りを回って、徐々に高いところを目指して歩くと木を伐採した箇所から天城道の駅が望まれる。さらに登って行くと徐々に道幅な広くなりやがて林道にぶつかる。山の反対側の景色を見ようとその道を登って行く。(途中にかって山葵田の栽培していたところに出会う。今は其の形骸を残すのみ)一向にその場面に出会わなく、辛うじて山が望めるところまで来て、引き返す。どうもその林道は丸山近くを通り、下り御幸歩道の近くまで続いているのではと思われる。後で地図で確認したが、その林道の終点が登り口と八丁池までの途中に出会う様だ。何回か八丁池まで歩いたがそんなところがあった気がする。以前、戸塚峠から皮子平を歩いたが時間が無く途中で引き返したが再度行こうと思う。鉢窪山から丸山を通たら時間の短縮にならないかと検討する余地がある。筏場(いかだば)、富士ハイツからの登り口があるらしい。
鉢窪山は特にこれと言った印象はないが、紅葉と秋の陽ざしに満ち足りた山歩きであった。如何にそのスナップを載せました。
駐車場 | |
山道は細かいつづら折りが続く | |
途中の景色 | |
展望台より富士が霞んで見える |
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噴火口の跡 | |
噴火口からさらに登ると林を伐採したところから天城「道の駅」が見える | |
さらに登ってゆくと ワサビ田の跡 | |
その後林道に出会う そこを歩いて行くとやっと景色が見えた |
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八丁池方面かも 。予定外のコースで迷子にならないうちに引き返す。 |
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新しい登山靴も少々足の爪辺りが痛くなった程度で一安心。 次のハイキングは皮子平に行こうと思う。 それなりに小春日和の陽気の中、森林とモミジの彩に癒された一日であった。 |
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平成24年8月20日八丁池〜戸塚峠を歩けば天城縦走完了。ついでに皮子平の大ブナ(皮子平コースを回れたら)との思いで出かけましたが、結局時間ぎれで、皮子コースは一部分で終了、戸塚峠を後にして急いで天城峠を目指す。天城峠に着いたのは日が沈んで、薄暗い中を駐車場に。 後1地時間あれば、余裕を持って、8時頃から登り始めればと後悔。然し、ゆうぐれの夕日が水平に差込、綿毛の虫が舞い始める様は森の精か、ブナの精か、はたまた「しろばんば」というか、幻想的な場面を見ることが出来ました。今回はこれで良し。来年又来ようと決意しました。 往路 水生地駐車場10:10発 天城峠10:40 八丁池着 12:30 八丁池発 12:50 白田峠着 13:30 戸塚峠着 14:00 皮子平の一部を歩き 戸塚峠着15:20 八丁池着 16:20 天城峠着 18:20 駐車場着 18:40 |
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今回は、登り御幸歩道にて八丁池に 天城トンネルの手前から旧天城トンネル経由、天城峠のルートを |
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水生地にはワサビ田が | |
八丁池 ここで食事タイム |
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白田峠 八丁池〜戸塚峠の間は殆んど平坦の歩道 |
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ブナが寄せ合って面白い | |
ここから万三郎ではなく皮子コースに 歩道は、ロープが張ってあり、しばらく行くと、岩も全てが緑一色の別世界 しばらく行くと、東皮子平と西皮子平に別れ、今回は大ブナ、火口跡を目指し西皮子平側を歩く |
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これ大ブナか 予想していたより、小さく、目通しは5メートルほど。周りのブナと比較すれば、俄然大きいが | |
しばらく行くと左記の看板が |
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ヒメシャラは最近植えたような、幼木が生えている。植林したとは書かれていない | |
コケに覆われた岩は黒曜石。破片を2個持ち帰る | |
しばらく行くと、下記の注意書きが 柵であたりを隔離していました | |
黒曜石を抱え込む様に杉の木が 火口跡を捜しているのですが何処か解りません。 時間の関係で諦め、次回ゆっくりと |
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八丁池に16:20着 日が大分傾き始める。天城峠を目指し気は急ぐ 向岳あたりは夕日が山際にかかり、ワタ毛の虫が陽を目指し飛ぶ様は幻想的でした。カメラに収められず残念 幾つか課題のハイキングでしたが、次回に持ち越します。 この時の歌 次々と綿毛は夕陽に向かい舞ふ 天城の精かしろばんばかな |
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平成27年11月3日かねてから気になっていた細野高原をハイキング。天城山は何度も登っているが、その景観はよく分からず、また八丁池から三筋山、稲取のコースを歩けばほぼ天城山は登ったことになる。天気が良く富士山周辺を歩くには準備がしてなかったためドライブを兼ねて出かけました。
行きは414号線で河津に、その後稲取に向かい、稲取温泉の手前に細野高原の看板があり、山道をくねくねと登る。道は狭く車一台が通るのがやっと、駐車場は百台以上が停まれる。入山許可証は6百円。11月15日までイベントらしい。青空市、スタンプラリーを開催、シャトルバスが三筋山山頂の下まで出ており、ススキが原の公園の模様。標高821メートルの山にしては登山支度の自分には拍子抜け、ぶらぶらと薄の原を歩き、相模湾の島を眺める。ときおりパラグラダーがふわふわと空を舞い、風力発電の巨大なプロペラがゆっくり回りのんびりと秋の風情を味わいました。収穫は天城山の景観を前面に見られたことです。万二郎岳、馬の背、万三郎岳、子岳と過去歩いた所が一望に眺められ、納得。ここから八丁池までは10キロ程らしい。いずれ歩くとしよう。
湿原が4つあり、(芝原湿原、中山一号湿原、中山二号湿原、桃野湿原)ほとんど水はない。ススキの原の広さは箱根の仙石原の7倍ほどと言うが、ススキの竹は低く見劣りする。以下にそのスナップの断片を載せました。
イベント広場 |
シャトルタクシー(無料)山頂下まで |
稲取の市街、右上に利島 |
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沖に大島 見晴らしがよい日は千葉の房総が見れるらしい |
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東側より写す ツツジが銀色に輝き素晴らしい |
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右寄り万二郎岳、平たいのが馬の背、左が万三郎岳 、その左に映っていないが小岳(ブナ林が美しい) |
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パラグライダーがのんびり空を舞う |
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中山一号湿原 |
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以前より沼津方面から天城を望むと遠笠山に万次郎、馬の背、万三郎の稜線が望めます。その左側にお尻のかたちをした面白い山が気になっており、調べてみると矢筈山らしい。
「矢筈山は伊豆で最も新しい山で、活火山(伊豆東部火山群)の一つ。縄文時代の終わり頃の約2700年前の噴火でできた火山である。地図を見ると、伊東市赤沢の伊雄山(いおやま)から北西方向に矢筈山、孔ノ山、岩ノ山と、直径500〜1000メートルほどの小さな山が直線的に並んでいる。矢筈山は一つの火山ではなく、これらの火山が相次いで噴火した火山列の一部なのである。」と言う。
こんな情報もあり、今日は天気が良く気温はすでに20度になっており、慌てて家を出て向かいました。登り口は鹿路場峠とのことですが場所が解りません。カーナビを矢筈山にセットして中伊豆の12号線、112号線で111号に出て遠笠山の天城高原ゴルフ場の手前あたりで終了、ここからが一番山に近いのかも(山を撮影)天城高原別荘地より
引き返して大室山の桜の里で休憩
再度111号線に出て鹿路庭峠を探す
この標識を発見、結局当初の112号線から111号線の突き当りの所が鹿路場峠でした。
時刻は午後1時半でした。遅くとも午後5時には帰れると予想し、山頂に向かう。
登山道の看板があるかと探したが何もなく、木にテープが張られていた
しばらく行くと分かれ道 右側のコースを 注 左側のコースは山道が数か所沢崩れして危険 帰りはこのコースを通る(通行止めにしなければ) |
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比較的平坦な所を歩く | |
このあたりで犬の鳴き声か、カエルの声か しばらくしたら音は泣き止む 三月八日はカエルはまだ冬眠では? 何の音か謎ですが気味が悪い |
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「山頂」の標識を見つけてそちらに向かう | |
辺りはこんな様子 | |
杉林をぬけると行き止まり 色々さがしたが登る道が見つからず、 雑木林の真ん中を登る 足場がもろくやっとのことで登り切る |
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何処へ行けばよいかわからず左側に山が見えてそちらに |
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熱海、伊東方面か |
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「山頂」の標識を発見し、一安心 やはり登山コースがあったと納得 |
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大きな木が三本 頂上はすぐ |
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岩の裂け目が、その先は気になるが先に | |
大室山 山焼きは最近終わったらしい |
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15時30分帰路に |
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岩の裂け目の裏側はこんな感じ | |
ところどころ岩と岩の間に空洞が 足場に注意 帰路はテープを探して杉林に やはり山道があり無理なく帰れた |
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杉林まで来て歩いて行くうちに、来た時の道が解らず 途中でテープを見つけてそちらに行ったら登りに入り「山頂」の標識もある。ほかの山の山頂しかない。右にコースをとり 沢を二つ超えて来たら見覚えのある気色、 カエルらしき声のした場所まで来て一安心 日が暮れかかり焦る |
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ボチボチ下山終了と思われた辺りで山道が沢崩れ こんなところを三か所越して無事鹿路場峠に いろいろ情報を集めると孔山の山頂は見ごたえがあるとか 以前鉱山があったとか 岩の間から温風が出るとか 愛鷹から眺めたあの気になる山は結局何? 一つは矢筈山で、あとは孔山か岩山か断定できず 多分孔山(こうやま)だろうと今は判断 山の南東に池という地名がある。この辺りを歩けば他にいろいろな発見がありはしないか。 興味のある山で、又ゆっくりと余裕を持って来ようと思いました。 |
伊豆山稜線歩道ガイドブックによると修善寺自然公園からだるま山高原、戸田峠、船原峠までを「富士山/駿河湾展望コース。
其の後、土肥峠、仁科峠までを「歴史と草原コース」そして仁科峠からつげ峠、三蓋山(みかさやま)、天城峠までを「森林コース」
として、総総距離40キロ以上を伊豆山稜線歩道としています。少しづつ歩いてみようと思います。
||金冠山||達磨山||仁科峠〜つげ峠||天城峠〜三蓋山||金冠山〜だるまやまレストハウス(マメ桜)||もみじ林(起点、終点)||
||旭滝(修善寺近くの大平地区)||戸田峠〜棚場山||
平成23年10月24日天気が良くなったので近場の山を歩くことにし、時間の関係で以前戸田峠で目にした金冠山に行くことにしました。沼津の「市民の森」から登り、そこから2.5キロ。その前に堂三展望台と、「河内の大杉」をまず見てきました。「天城の太郎杉」もその大きさに圧倒されましたが、この杉も大変なものです。県指定の天然記念物らしい。朝方天気が良かったのですが、金冠山の展望はいまいちで、富士山が顔を出すのを気長に待ちました。以前に仁科峠からの富士を写真に撮ってあり、おおかたの景色は解っていましたが、残念です。戸田峠からは20分ほどで山頂に来られるとのこと。以下に今回のスナップを載せてあります。春にはマメザクラやアセビが山を彩るとのこと。その頃また来ようと思います。 | ||
市民の森までは沼津の海岸線を静浦、内浦と行き、水戸シーパラダイスを過ぎて、ミカンの集荷場の所に案内があり、そこから5キロほど山を登った所です。 | ||
展望台と河内の大杉の案内がある | ||
展望台より内浦湾を 天気が曇っており、残念 |
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(上の写真をクリックすると拡大) ハイキングコースはこんな調子です。然し頂上まで約一時間ほどかかり、それなりにしんどい。 |
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途中、車道に出る。県道何号線か?そこには展望台があり、やはり富士の眺めがいいらしい。生憎富士山は見えず。 | ||
山頂 標高816メートル |
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山頂 | ||
戸田の街 | ||
富士がやっと顔を出しました。 | ||
沼津アルプス | ||
次回はもう少し良い写真が載せたらと思います。 |
平成25年4月11日 念願の戸田近辺のマメ桜の群生を見るべく出かけました。果たして咲いているのか心配でしたが、花は散りかけていましたが、ぎりぎりで間に合った感じでした。戸田峠に車を止めて、「金冠山〜だるまやまレストハウス」まで、約2キロの距離を花見しながらあるきました。 達磨山や金冠山、及び周辺には山に白雪を振りかけたようにピンクの模様が出来ており、またアセビの花が咲き乱れそのトンネルを歩きました。 マメ桜は三分から五分の花が残っていました。 帰りは環境保護自然公園「きよせの森」を川沿いに歩きました。 |
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アセビのトンネル 戸田峠からちょっと達磨山に行く途中 |
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山肌はピンクや、ミドリの濃淡に彩られ、この時期しか見られない景色では | |
海の先は静岡県の清水の海岸当たりか |
沼津アルプス方面 |
金冠山を下って、その後は芝生の道をレストハウスまで歩きます | |
レストハウス(駿河湾、箱根、沼津アルプスが一望に) |
「きよせの森」の案内図 帰路はここを通って(レストハウスの向側に入り口がある |
入り口を入って行くと、川が流れており、戸田峠までぶらぶらと 途中にマメ桜や椿が綺麗に咲いていました。 |
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戸田峠に戻り、伊豆山稜線歩道の起点(終点)の修善寺の「もみじ林」までの9キロを車で走る。 あえて歩く必要もない程景色に乏しい。もみじ林は新緑が綺麗で、秋に是非来たいものです。夏目漱石の詩歌碑、桂谷八十八ヶ所の18番から20番がありました。この八十八ヶ所めぐりは28キロあるらしい。伊豆八十八ヶ所というものも聞いたことがある。湯ヶ島の三十三ヶ所は以前歩きました。四国八十八ヶ所の土を運んで代わりとしているようです。 |
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もみじ林の入り口 |
もみじの新緑が綺麗 |
夏目漱石の詩歌碑 |
夏目漱石が二ヶ月ほど療養に滞在 |
十八番 |
忠魂碑 |
平成25年4月11日 「金冠山〜だるまやまレストハウス(マメ桜)」のとき寄って紅葉のときにぜひ来たいものと思っていました。平成27年11月27日TVで紹介されてもおり、天城の滑川渓谷、太郎杉に行く前に寄る。思ったほどには紅葉が色づかず少々がっかり。今年の紅葉は温暖化の所為かこの傾向があるようだ。とりあえず載せました。
もみじ林の概要
修善寺自然公園の中央にあり,1ヘクタールに約1000本の群生地。ほとんどが大正3年に植樹されたもので11月中旬から12月上旬にかけて美しい紅葉を見せる。鮮やかなもみじ群は伊豆随一らしい。園内には夏目漱石の句碑、桂谷八十八か所霊場のうち18薬師如来、19地蔵菩薩、20勝軍地蔵菩薩、21虚空菩薩がある。葭原(よしはら)観音堂は大正13年町制施行を記念して建てられたもの。このあたりが葦(あし)の群生地であったことから名がつけられた。
出店が少々 |
葭原(よしはら)観音堂 |
薬師如来 風景 |
伊豆山稜線歩道の(終点、起点) |
平成27年11月27日修善寺より伊豆方面に向かうとすぐにラフォーレ修善寺の手前に旭滝の看板が見える。以前よりここを通るたびに目にしてきたが、初めて行ってみた。
落差105m、朝日の昇る時正面から光を受けて輝くのでこの名になったといわれています。溶岩が冷えて固まる過程で作られた、柱状の割れ目(柱状節理)の断面の上を滑るように流れている滝で、伊豆半島ジオパークのジオサイトに指定されています。公園や遊歩道が整備され、滝の真横まで行くことができ、『柱状節理』を間近で観察できます。紅葉は12月上旬が見頃らしい。紅葉のスナップそのうちに載せたらと思う。
【所在地】〒410-2415伊豆市大平
【電話番号】0558-72-2501(伊豆市観光協会修善寺支部)
【アクセス】修善寺から車で10分、国道136号線旭滝入口信号(大平公民館)を右折し、200m大平神社となり
【備考】 駐車場4台 トイレ有
尺八の名曲「滝落ちの曲」の碑 |
案内板 |
紅葉していたら綺麗だろう |
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平成23年11月13日 戸田峠より、達磨山に。金冠山の延長で西伊豆山稜線ハイキングコースに入っています。天気が良く、戸田湾、富士がよくみれました。戸田峠より二キロちょっとの距離です。歩道は木の階段で整備された所が多く、歩くのには問題ありません。熊笹の山を軽快に歩きました。 標高992メートル 山頂付近は低いササが多く茂っているため眺めがよく、山頂においては360度の展望があり、富士山や駿河湾、天城山など伊豆半島の北部周辺を見渡すことができる。天候が良ければ御前崎や赤石山脈の山々なども眺めることができる。 南北の山腹に西伊豆スカイライン(静岡県道127号船原西浦高原線)が通り、眺めが良いためドライブスポットになっている。 |
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金冠山の上に富士が見えます。 | ||
西伊豆スカイラインに一度出て、再度登る(前方が達磨山) | ||
戸田湾 帰りに寄りました。 |
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頂上からの富士 |
平成28年12月15日 天気が良く急遽散歩がてら達磨山より続く伽藍山〜棚場山にハイキング、その後久々に土肥に出てのどかな海を堪能、戸田に出て帰宅。伽藍山までは相変わらず笹の山に、棚場山は何処にもあるような山道(杉林、マメザクラの林もあった)を歩く。とりたたて素晴らしいものと言う事はなかったが、一日天気に恵まれ駿河の海を眺めつつ、冬の日差しを浴びながらハイキングができて楽しかった。
土肥の景色は何も変わらず再度牧水の歌碑、その他の歌碑や像や松林、波打ち際の景色を堪能、ゆっくり泊りがけで来たいものである。
海岸線より127号線経由達磨山に向かう 途中「泉竜寺」に立ち寄る。 円覚寺の関係の寺らしい。 |
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伽藍山 達磨山に2.4キロ 船原峠に3キロ |
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西伊豆スカイラインから修善寺に降りると船原峠 ここから階段を上るとベンチがある。 |
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そこから1.5キロで棚場山 |
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米桜(冨士さくら)の林(春先は綺麗だろう) | |
南無妙法峠には1.5キロ 今回はここで終了 棚場峠 標高753m 土肥、戸田を回り帰る |
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土肥の海 |
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戸田からの冨士山 | |
戸田の海はのっぺらとして、湾を囲む山々は冬日の西日を受けて輝いていた |
平成24年07月10日梅雨の晴れ間が広がり、久々に山歩きを 今回時間の関係から仁科峠の駐車場に車を止め 仁科峠〜後藤山〜猫越岳〜猫越峠〜つげ峠迄往復。(時間は約五時間) 時期的にシーズンオフの感じでしたが、どんな所か知りたくて歩いてみました。 |
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仁科峠(標高895m) | |
仁科峠展望台 | |
後藤山 (標高994メートル) 仁科峠より20分程で |
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猫越岳展望台 年配のハイカー5名と出会う |
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展望台からの景色 | |
(仁科峠より約1時間) 猫越岳火口湖と言われてきたが正確には火口湖ではなく、猫越岳山頂の池と言う。 池の周りの木の枝に白い袋の塊が多数吊るされており、天然記念物のモリアオガエルの卵らしい。 |
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池の歴史の紹介板 内容を紹介します。 「伊豆は本州から離れた南の海にあった海底火山や火山島であった。これらはフィリッピン海プレートともに本州と衝突隆起し伊豆半島になった。猫越火山はこの時の100万年〜60万年前の噴火で作られた火山。猫越岳は侵食された猫越火山の名残。 火山の火口は侵食ですでに失われている」 |
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猫越岳山頂(標高1035m) 仁科峠より約1時間10分 標識がなければ、山頂と解からず。景色は見えず。 |
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猫越峠(標高970m) ここの歩道はV字型に折れていますが、この先にブナの老木が目立ちます ここからつげ峠まではアップダウンのない、平坦な歩道が一時間ほど続く 黒滝林道に35分の新しい案内が追加されている。(湯ヶ島〜仁科の古道) |
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このブナの目通しは約4メーター(メジャー持参)ありました。 静岡新聞の「天城ブナ紀行」で紹介されていた手引頭のブナは5.6メーターとのこと。このブナはこの近辺かと捜したが見つけられず。 |
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このブナの太さも目通しで4メートル | |
軽快な林道が続く | |
途中には何箇所かの歩道の決壊箇所あり、特に問題なし。 (つげ峠より先の滑沢峠に至るところは来年の春まで通行不能との事。先の5名のグループはその先まで行くらしい。引き返す様子なし。案外行けるのかも) |
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つげ峠(標高960m) ここで昼食 折り返す ここから「芭蕉の滝」のルートがある 仁科峠より約2時間10分 |
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アセビの巨木、奇形をのせました。 | |
平成24年10月25日つげ峠から天城峠を歩けば、「森林コース」は終わりになるため本日天城峠から二杉峠、三蓋山間で歩きました。スタートの時間が遅く天城峠に着いたのは11時。それから二杉峠に12時、三蓋山に着いたのが13時15分。つげ峠は山を下った所なので今回はここで終了。帰路はこの逆を歩き、天城峠に着いたのが丁度16時でした。天城峠からほとんどアップダウンがなく、狭い山道を歩くだけ、三蓋山は急なのぼりとなって少しシンドイ。これと言った特徴もありませんが、三蓋山のブナ林は小岳のブナ林のように比較的にすばらしいものがあり、且つ朽木にキノコが生えて見事でした。紅葉(黄葉)には少し早すぎたようです。又通行止めの箇所があり、つげ峠まではいけない標識がありましたが、其の所は少しの迂回で問題ありませんでした。
天城大橋より眼下を見下ろす | |||
久々に天城トンネルを覗く | |||
天城峠 |
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右 本谷径路二本杉 左 御幸径路八丁池 |
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天城峠にはブナ林があり、其の後三蓋山まではこれと言ったブナ林はない | |||
歩道はこんな調子で、天城の何処でもあるような。極端に細くなったり、橋があったり、沢があったり以前同じような道を歩いたような。 | |||
歩道の脇から水が湧き出てこれが源水のようにながれていました。 | |||
二本杉峠 宗太郎園地、天城悠々の森は以前歩きました。これから仁科峠に向かいます。 |
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二本杉峠の二本杉 |
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二本杉峠に一本だけ 何でしょうか |
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二本杉峠から30分ほどで滑沢峠に | |||
滑沢峠からしばらく行くと歩道が崩壊しています。 ここが通行止めの箇所。この上を迂回することにより向こう側の歩道にでられました。 |
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しばらく行くと前方に山が。あれが三蓋山のようです |
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今まで平坦の歩道でしたから急な道はかなりきつい | |||
山頂近くにグロテスクなブナの老木が | |||
このきを別の角度から見たのが下の写真です | |||
以前蛇ブナを見ましたがこらはなんと命名したらよいか さしずめ「マンモス」 |
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三蓋山 ここのブナ林も見事でした。 周りの朽木にはいろんなキノコが付いています。 |
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三蓋山からの景色 |
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枯葉に覆われた山頂に色付き始めたブナの黄葉が綺麗です |
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斑に彩られた幹の肌が情緒をかもす |
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三蓋山の山頂で見たキノコなど | |||
1個が手のひら大 |
上のキノコを拡大すると |
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一箇所にヒメシャラが この後14時に帰途につきました。 |
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帰りは天気がはれてきて見通しがよくなる |
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16時に天城峠に まづまづ順調に戻りました。 苔の後の石の色が淡い青色になるようです。サンプル持ち帰り今回のハイキングは終了 |
略年譜
1907年 (明治40年) |
誕生 | 北海道上川郡旭川町第2区3条通り16ノ2に、父隼雄、母八重の長男として生まれる。 父は静岡県田郡上狩野村門原の旧家の出で軍医、 母は、湯ケ島の医家の長女であった。 |
1908年 (明治41年) |
1歳 | 父の任地変更で湯ケ島に戻り、後各地を転々とする。 |
1912年 (明治45年) |
5歳 | 両親と離れ湯ケ島で戸籍上の祖母かのに育てられる。 |
1914年 (大正3年) |
7歳 | 湯ケ島尋常小学校に入学。 |
1920年 (大正9年) |
13歳 | 祖母かの死去。浜松師範付属尋常高等小学校に入学。 |
1921年 (大正10年) |
14歳 | 4月、静岡県立浜松第1中学校に首席で入学。 |
1922年 (大正11年) |
15歳 | 静岡県立沼津中学校に転校。親戚の家に下宿する。 |
1924年 (大正13年) |
17歳 | 沼津市の妙覚寺に預けられる。文学好きの友人と交わり酒やたばこを覚え文学への目も開かれる。 |
1927年 (昭和2年) |
20歳 | 金沢の第四高等学校理科甲類に入学。 柔道部に入って練習生活にあけくれる。 |
1929年 (昭和4年) |
22歳 | 柔道部を退部。詩作を始め「焔」などの同人となる。 |
1930年 (昭和5年) |
23歳 | 九州帝国大学法学部英文科に入学 登校の興味を失い上京。文学書を読みふける。 |
1932年 (昭和7年) |
25歳 | 九州帝大を退学し、京都帝国大学文学部哲学科に入学、美学を専攻。この頃から懸賞小説に連続して入選する。 |
1936年 (昭和10年) |
29歳 | 「流転」により千葉亀雄賞を受賞 毎日新聞社大阪本社に入社する。京都帝国大学を卒業。 |
1939年 (昭和14年) |
32歳 | 京都帝大文学部大学院で美術の勉強を始める。 |
1945年 (昭和20年) |
38歳 | 終戦の日。「玉音ラヂオに拝して」の記事を書く。 |
1950年 (昭和25年) |
43歳 | 「闘牛」により第22回芥川賞を受賞。 |
1951年 (昭和26年) |
44歳 | 毎日新聞社を退社。 以後創作の執筆と取材、講演のための旅行が続く。 |
1955年 (昭和30年) |
48歳 | 講演のため旭川にはじめて来る。 |
1958年 (昭和33年) |
51歳 | 「天平の甍」により芸術選奨文部大臣賞を受賞。 |
1959年 (昭和34年) |
52歳 | 「氷壁」その他により芸術院賞を受賞。 |
1960年 (昭和35年) |
53歳 | 「敦煌」「楼蘭」により毎日芸術大賞を受賞。 「しろばんば」発表。講演のため旭川に来る。 |
1961年 (昭和36年) |
54歳 | 「淀どの日記」により第14回野間文芸賞を受賞。 |
1962年 (昭和37年) |
55歳 | 「しろばんば」を中央公論社より刊行 |
1963年 (昭和38年) |
56歳 | 「続しろばんば」を中央公論社より刊行。 |
1964年 (昭和39年) |
57歳 | 日本芸術院会員となる。 「風濤」により読売文学賞を受賞。「夏草冬濤」を発表。 |
1966年 (昭和41年) |
59歳 | 「夏草冬濤」を新潮社より刊行。 |
1969年 (昭和44年) |
62歳 | 「おろしや国酔夢譚」により新潮社第1回日本文学大賞を受賞。日本文芸家協会理事長に就任。 |
1976年 (昭和51年) |
69歳 | 文化勲章受章。 |
1979年 (昭和54年) |
72歳 | 講演のため旭川に来る。 |
1985年 (昭和60年) |
78歳 | 「井上靖自伝小説集」を学習研究社より刊行開始。 |
1987年 (昭和62年) |
80歳 | 「孔子」を発表。 |
1990年 (平成2年) |
83歳 | 旭川市開基百年記念式典詩碑除幕式に出席。 |
1991年 (平成3年) |
83歳 | 1月29日逝去 |
西暦 | 年号 | 年齢 | 受賞作品・対象 | 賞・主催 |
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1936 | 昭和11 | 29歳 | 流転 | 千葉亀雄賞 |
1950 | 昭和25 | 43歳 | 闘牛 | 芥川龍之介賞 |
1958 | 昭和33 | 51歳 | 天平の甍 | 芸術選奨文部大臣賞 |
1959 | 昭和34 | 52歳 | 氷壁 | 昭和33年度芸術院賞 |
1960 | 昭和35 | 53歳 | 敦煌・楼蘭 | 毎日芸術大賞 |
1961 | 昭和36 | 54歳 | 淀どの日記 | 野間文芸賞 |
1962 | 昭和37 | 55歳 | 放送劇「火の山」 (小磐梯) |
イタリヤRTV国際グランプリ |
1964 | 昭和39 | 57歳 | 風濤 | 読売文芸賞 |
1969 | 昭和44 | 62歳 | おろしや国酔夢譚 | 新潮日本文学大賞 |
1969 | 昭和44 | 62歳 | 「モラエス全集」編集 | ポルトガル・インファンテ・ヘンリッケ勲章 |
1981 | 昭和56 | 74歳 | シルクロード取材 | NHK放送文化賞 |
1981 | 昭和56 | 74歳 | 「天平の甍」 他仏教への貢献 |
仏教文化賞 |
1981 | 昭和56 | 74歳 | 本覚坊遺文 | 新潮日本文学大賞 |
1984 | 昭和59 | 77歳 | 先達詩人として | 日本現代詩人会より顕彰 |
1985 | 昭和60 | 78歳 | 長年の文学上の業績及国際文化交流の貢献により | 昭和59年度朝日賞 |
1989 | 平成2 | 82歳 | 孔子 | 野間文芸賞 |
平成23年6月3日
平成23年6月3日 井上靖の墓 熊野山に井上靖の墓があり、天城山系を眺めています |
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しろばんば | |
平成23年6月9日 しろばんばの文学碑 綺麗な公園になっています。 井上靖は多感な子供時代をここ天城湯ケ島で過ごしました。その頃の思い出を描いた自伝的小説が名作「しろばんば」。ちなみにしろばんばとは、天城の子供たちがそう呼び慣らす、夕方に白い綿毛をつけて飛ぶ虫のこと。晩秋の空中に飛ぶこの白い蚊ほどの大きさの「しろばんば」は、”冬の訪れを感じさせる”そんな風物なのです。しろばんばの碑には小説の冒頭部分が刻まれて、湯ヶ島小学校の裏手に静かに建っています |
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||しろばんばの里||湯道||熊野山33観音めぐり||
平成24年5月4日 映画「我が母の記」を鑑賞
「井上靖」の自伝の映画化で、少年の頃育った沼津、天城湯ヶ島が舞台にに展開され、上映前より、どのように沼津及び、天城が紹介されているか気になっていました。また、「井上靖」について調べてみようと思っていたので、今回の映画はいい材料になりまりました。私が読んだ井上靖の作品は「天平の甍」「孔子」しか記憶にありません。今回の映画の話の展開は認知症の産みの母親を世話し、看取るまでの経過を、家族のつながりのなかで表現され、また、作者の産みの親に対する捨てられたと言う誤解の解けて行くところなどであり、役者の演技が評価されています。認知症は高齢になると避けて通れない問題で、自分も10年前に苦労しました。父が亡くなる2年程その症状があり、迷ったものです。天城、沼津近辺をHPで紹介している自分としては沼津、天城の映像には少々物足りなさがありました。もっと素晴らしい場所があるのでその辺をアピールしてもらいたかった。そのうちに舞台となった湯ヶ島近辺を歩いていようと思っていました。
平成24年6月15日 伊豆山遊歩道を歩く予定でしたが、都合により井上靖の「しろばんば」の里、湯道、熊野山33観音めぐりをしてきました。その断片を紹介します。興味のある方は下記の地図を見ながら以下の写真など見ていただけたらと思います。
[地図]
上の家(本家 七恵の実家) | ||
弘道寺 |
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安政4年(1857)初代アメリカ総領事のタウンゼント・ハリス一行36人が江戸へ出府の途中 宿泊した。 その当時の調度品が寺宝として保管されている。幸福、封禄、長寿の神、 福禄寿尊(ふくろくじゅそん)を祭り、 伊豆天城七福神の一つに数えられる。 |
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ハリス記念碑 | ||
足引きの 天城の山を ふりさけて 霧の晴れ間に 拝む尊さ |
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湯ヶ島小学校 |
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校舎内には井上靖展示室があるとのこと 北門には井上靖碑がある 学校の許可が必要との事で入らず |
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洪作少年とおぬい婆さんの像 そのた天城神社の狛犬 桜の里公園があり、桜の時期に来ようと思います |
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平成24年11月某日追加 | ||
井上靖が学んだ湯ヶ島小学校が来年閉校になるとの記事が野載っていました。 校庭の「地球で一番清らかな広場」の碑があり、卒業生(終戦直後の46年卒業の 20人ほど)が集まり、新しい小学校に移したいと要望して行くとのこと。 井上靖は1914年入学19年まで在籍。この頃の体験をモチーフにした「しらばんば」は 代表作の一つになっている。井上靖文学館(長泉町)について近々取り上げて見たい。 |
コースは天城会館に車を駐車して瑞祥橋、本谷川のつり橋〜猫越川を世古橋〜出会い橋〜湯本館
共同浴場「河鹿の湯」〜白壁荘〜木漏れ日の湯(飲泉場)
谷川の佇まいが新緑の中に |
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夜はホタル観賞の催しを | |
つり橋(向山橋) | |
浄蓮の滝にあと2.5キロ |
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旅館たった (途中廃業した旅館、ホテルが哀れを誘う) |
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世古橋からの眺め すこぶる良い |
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見下ろす渓谷の水は澄み、紅葉の時期はさぞ綺麗かな | |
わらべ橋(通行止め) 朽ち欠けた橋、この辺の景色も美しい |
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旅館あせび野 |
使われていない建物 |
天城ホタル館(ホタルの養殖場) |
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猫越川をまたぐ出会い橋・女橋 | |
出会い橋・男橋 | |
男橋の様子 |
写真スポット |
落合楼村上 | |
落ち合い楼から西平橋までの景色(朽ちた旅館?) |
落ち合い楼から西平橋までの景色(釣り人) |
西平橋 |
西平橋からの景色 |
西平橋を白壁荘に向かわず直進すると 共同浴場 河鹿の湯と 踊子の宿 湯本館がある |
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湯道の碑 ここがスタート地点か |
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白壁荘 |
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木漏れ陽の湯(飲泉場) |
飲泉の心得 |
以上で湯道を一通り回ってきたことになります。秋の紅葉、今頃の夜のホタルなど観賞できたら素晴らしかろう
今回、湯道の散策が終わり、牧水の歌碑(西平神社のところ)の近くに出ましたので、西平神社がどんな所か寄る事にしました。
そこに熊野山33観音めぐりの終わりの33番観音があり、成就院33観音説明板も入り口にあり、それなら順番に行けば1番観音に行けるのではと単純に思い、巡ってきました。
四国八十八ヶ所巡礼では1番から88番と順番に回ることを順打ち、逆に回ることを逆打ちといい、「うるう年に(今年)に逆打ちをすると功徳が数倍になる」といわれている。今回結果として逆回りしてきた為、そのことを後悔していましたが、翌日の日経新聞の記事で「うるう年に(今年)に逆打ちをすると功徳が数倍になる」と言うことを知りました。偶然のこととは言いながら安心して逆打ちで紹介していきます。
西平神社
『西平神社』 井上家(井上靖)ゆかりの神社 創建 不明 天文年間(1532〜1555年)に山神社が既にあり、相殿に諏訪神社を祀っていた。 明治10年天城神社に合祀しましたが、山神社社殿は存置されていて、 諏訪神を相殿にそのまま祀っていました。 郷人の崇敬は厚く、諏訪神社を一社にするため 川西村長岡字諏訪之松(現在 伊豆の国市長岡) の無格神社の信仰と移転交渉の結果、明治33年12月許可を得て遷座。 同年(明治33年)1月24日 西平神社と改称。 木々に囲まれた自然豊かな場所にあり、 地元では『金毘羅さん』と呼び親しまれています。 よく解からない 西平神社の参道入り口、近くには若山牧水の歌碑(昭和56年4月建立)があります。 |
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牧水の歌碑
うす紅に 葉はいち早く もえいでて さかむとすなり
山ざくら花 吊橋の ゆるるあやふき 渡りつつ おぼつかなくも 見し山ざくら 瀬ゝ走る やまめうぐひの うろくづの 美しき春の 山ざくら花 山ざくら 散りのこりゐて うす色に くれなゐふふむ 葉のいろぞよき とほ山の 峰越の雲の かがやくや 峯のこなたの 山ざくら花 |
熊野山33観音巡り
大方、観音像、番数(寺の名前、場所)の白い札、 朱色の札(歌が書いてあるが殆んど読めず)の構成でワンセット 以下33番から1番あり。 観音像はどれも似たり寄ったりの為、成り行きで一部を載せました |
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成就院 |
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