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明石海人は、ハンセン病の三重苦と戦いながら、歌集『白描』に人生と命を結集しました。この歌集が感動を呼ぶのは、詩の芸術性とともに我々に「乗り越える力を与えるからですが、ハンセン病に対する根強い偏見と差別は、海人を長い間「幻の歌人」として社会の桧舞台から置き去りにしてしまいました。
平成4年に、海人が愛してやまなかった故郷の千本浜公園にある「若山牧水記念館」で開催された「明石海人文学展」によって漸く光が差しこみ表舞台に紹介されました。その年からほぼ4年を経て「らい予防法の廃止」が施行されましたが、時期的にはこの文学展の内容は制約を受けざるをえなかったようです。この文学展は、「明石海人を偲ぶ会」の提案により「沼津牧水会」主催で開催され、歌碑の設計案まで出来ていたと聞きます。
くしくも平成9年から取り組み始めた沼商創立百周年記念誌の編纂過程で、母校の優れた先輩として海人を再認識すると同時に畏怖の念にかられ、同窓会事業として明石海人顕彰と歌碑建立が計画され、すでに海人に取り組んでいた研究家や歌人、その他の支援者、更に行政からも賛意を頂き、海人の娘さん(長女)にも連絡がとれ、歌碑建立の快諾が得られ、沼津牧水会の八十濱俊一氏・須永秀生氏、海人の研究者である岡野久代さんらがメンバーに加わり、「明石海人顕彰委員会」が発足し、さる7月5日、悲願の明石海人歌碑が建立されました。
歌碑建立記念として歌集『白描』の復刻と、歌碑除幕と同時に、沼津市民文化センター「記念式典・記念講演」と「明石海人生誕百年記念文学展」(郷土の歌人を古里に迎えて)も開催されました。記念講演では、「歌人としての明石海人」として日本歌人クラブ会長・藤岡武雄氏、「ハンセン病について」として国立長島愛生園園長・中井榮一氏の講演が行われました。
その後も、海人文学展活動や、若山牧水記念館館報でも「牧水と海人」や「明石海人の歌碑建立によせて」など海人を大きく取り上げています、この「歌碑建立によせて」の中で八十濱俊一氏は、”この歌碑を「人間性回復の歌碑」として、広く深く建立の意味を世に伝えて生きたいものである”と結んでいますが、明石海人を「知ってもらうこと」とハンセン病だけでなく他の病気に対する偏見・差別への是正をも「啓発をしていく」という発信基地とする、このような意味をもって明石海人顕彰会活動は今後も継続されて行くでしょう。
今後の明石海人文学展などの顕彰会も活動情報はここでも告知していきたいと思います。 |