NIMAコンセプトによる同種造血幹細胞移植

同種造血幹細胞移植とは、抗がん剤治療ではなおすのが難しい血液腫瘍に対して、他の健康な提供者から幹細胞(血液を造るもとになる若い細胞)を移植して、治癒を目指す治療法です。
この幹細胞の源がどこかによって3つの方法があります。1)骨髄移植、2)末梢血幹細胞移植、3)臍帯血移植(さいたいけつ)です。

いずれの方法も、治療戦略は同じです。まず、1)大量抗がん剤や放射線治療などの「前処置」により血液腫瘍量をできるだけ少なくした後、2)幹細胞を移植することにより、「前処置」で荒腐した骨髄を回復させ、同時にその免疫力により腫瘍を根絶させます。治療にはそれなりの時間も必要ですし、治る可能性のある治療法だけにリスクもともなってきます。

@骨髄(提供者)

A末梢血(自己血液)

B臍帯血(赤ちゃんのへその緒)

幹細胞

大量抗がん剤
放射線治療

移植

治癒

簡単に移植の経緯を表してみました。ようは大量の抗がん剤や放射線治療をして身体を痛めつけて身体にある悪い菌(病気の原因)を含むを限界まで少なくして、そこに他人(骨髄液を大量にとる)、または自分の還元した血を入れて移植する。新しい命を入れるようなものだ。私はこの日をセカンドバースディと呼んでます。あと、移植は手術で骨髄を切り取って移植すると思っているかたもいると思うのですが、骨髄移植は基本的には点滴です。昔は知りませんが…。でも手術でできるとは思えないです。

NIMAコンセプト

兄弟間でもHLAが合致する確率は約25%(これが最高値の確率)。でもこの「母子免疫寛容」という考えでその確率は格段に上がる。本来HLAが完全一致もしくは一座不一致くらいならば移植は可能だが、それ以上のHLA不一致は移植は難しいと言われていた。でもこの考えにより移植ができることになったのだ。簡単にいうと私も提供者の兄弟も同じ母親のお腹から産まれてきているのでそこまで反発はしないのではないかという考え。もしわかりにくかったら調べてみて下さい。たしかHLA研究所でこの移植のことを研究しています。
そしてその考えを信じて、私はNIMA相補同胞間移植をすることになりました。


ここで担当医は何度もインフォームドコンセントの機会をもうけてくれました。(インフォームドコンセントとは簡単に言えば医師が患者さんにこれからする治療のことを詳しく説明すること。その中でどのような治療方法でいくのかを選択できる(インフォームドチョイス)という現在では一般化してきた医療機関での制度。たまに失敗した時の医師の裁判のいいわけにと言われることもあるが、私はそうは思わない。リスクの話や生存率の話などは辛いし、不安になったりするかもしれないけれど、やはり何も説明してくれないより詳しく説明してくれればこれから自分が何の治療をするのか。どう戦えばいいのかが分かるので自分の治療への力となる。この説明の機会を多くもうけてくださった担当医の先生にはとても感謝しています。

私の治療計画

放射線(TBI 2Gy)を3日間、計6回
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エンドキサン60/kg メスナ1200mg×3(抗がん剤)
(この放射線と抗がん剤により身体の免疫力を限界まで下げて移植にそなえる。この時は完全クリーンの無菌室に入っていました。結構辛く時間が長く感じました。)
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1日あけてBMT(移植)を点滴によりおこなった。妹との2座(正確には3座かもしれないが)不一致での移植。
(関係ないけど私はこの日をセカンド・バースディと呼んでいます。もしかしたらみんな言っているのかも)
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その後はGVHD(拒絶反応)や副作用との戦いでした。あまり淡々と語ってしまうと文章だけなので不安が増大してしまう方もいるかもしれません。少し上げてみると下痢・吐き気・しゃっくり・熱・身体的痛み・一時的な味覚障害です。細かくは文章力がないので伏せさせていただきます。、一言付け加えるなら辛いですが耐えられます!生きる意志を持って下さい。精神的に疲れるかもしれませんが、その時は看護師さんや面会の家族と話せるだけ話してストレス発散んしてください。入院中は甘えたっていいんです。
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数週間後、完全無菌室から準クリーン室(ここも個室)へ移動。
ステロイドやFKをメインにGVHDをコントロールしながら治療。免疫抑制剤や感染予防内服などで外部からの菌を防いでいた。

ステロイドを少しずつ減らしていき、GVHDが出ないように出ないようにと減らしていく。私は途中までは順調に減らしていけたが、2回(正確には3回かもしれないが3回目は軽度だった)GVHD再燃発してしまい、またステロイドの量を初めからやり直しとなった。



ステロイドも点滴から飲み薬へと変わっていき、後は血液検査を2日に1回、血糖値を食膳に計っていました。ステロイドを使うとどうしても血糖値が上がってしまうのでそこはインスリンなどで血糖値を抑えていました。
インスリンやステロイドの薬は退院してからも世話になりますがずっとではないので少しずつ減らしていって数値が落ち着いたと医師が判断した時に終わります。
顔や身体がむくれるかもしれませんが薬の影響で薬が切れてくれば自然と元に戻るので心配しないで下さい。
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血糖値、白血球や血小板、タクロリムス、他の肝機能数値などが落ち着いてきたら退院後の話がでました。
私の場合はタクロリムスの数値に苦戦させられ退院日が決まっていたのですが、その日から約2〜3週間のびてしまいました。でも無事乗り切って退院することができました。

退院後も一週間に2回の通院や飲み薬の管理、血糖値の測定などがありました。それと当面の外出禁止(軽く外に出るのはいいのだが人ごみや電車などは避けるようにと言われました)
けれど徐々に徐々に身体も元に戻っていきました。そして今はすっつかり元気です!!!まだ通院はしていますが1ヵ月半に1度が最近では3ヵ月に1度にもなりました。たしかに退院してもいろいろあるかもしれません。けれどまた自分の足で少しずつだけど歩けるようになったことを幸せに思えます。


あとがき

最後まで治療経過を読んで下さり本当にありがとうございます。下手な文章で分かりにくかったかもしれませんが少しでも病気のことを理解していただけていたら幸いです。入院中は身体的な辛さもさることながら、病気になった不安や治療のストレス、退院後の不安などが当事者にはあると思います。それを支えられるのは家族や友人、現場の専門職の方々だと思います。もし身近にいるのならば支えになってあげてください。そんな大げさでなくてもいいんです。メールの1つを入れるだけでもうれしいものです。私の場合ですが辛いことをなかなか人には言えない性格なのですが、「それはストレスたまらない?」と思う人もいるかもしれません。でもそれが私の性分なのでしょう。でも人と話すだけでとても助けられていました。話すことは愚痴とかを言えばストレス解消になるかもしれませんが、それを言わなくても痴話話をするだけでもストレスは軽減されるものです。もし言ってくれるような方だったらそれを聞いてあげて下さい。愚痴を言える相手なんて信用していなければ言えません!
1人で戦うより仲間がいたほうがいい。入院中にネットでこのようなホームページの掲示板で同じような経験をした仲間にも会いました。ピアカウンセリングとまで大きくは言いませんが私にとって顔はまだ知らないけど信用できる仲間になり、どれだけ入院中の不安が助けれたか計り知れません。是非もし自分の病気のことを話せないでいる方がいたらこのようなHPで仲間と出会うのも新しい出会いだと思います。

簡単ですが治療経過を説明させていただきました。少しでも参考になったらと思います。
最後に「明日は明日の風が吹きます」命の力は数値や統計ではわかるものではありません。生きる意志とはそれほど強いものだと思います。