5.

 館内を震わす凄まじい絶叫に、嶺次郎と中川は同時に背後を振り向いた。

「なんじゃ……!?」

 二人は打ち合わせの最中だった。突然響いた尋常でない悲鳴に思わず嶺次郎は棒立ちする。
 中川が気づいて叫んだ。

「嘉田さん!あの声は仰木さんでは……!」
「仰木!?」

 それを聞いて嶺次郎はすぐさま廊下を走り出した。
 中川もその後を追う。

(何があった仰木……!)

 間もなく高耶の部屋の前に到着する。他の隊士達も騒ぎを聞きつけ、そこは黒山の人だかりとなっていた。
 部屋の中からは依然として高耶の絶叫とも悲鳴ともつかない咆哮が聞こえる。

「嘉田さん!」

 人だかりから一人の霊体が駆け寄る。──卯太郎だ。

「卯太郎っ、仰木はどうしたんじゃ!何故誰も部屋に入らん!」

 嶺次郎は卯太郎に掴みかかった。

「わ、わしにも分からんですきにっ……!仰木さんの声を聞いて駆けつけた時にはもうああで……。部屋にはドアに結界が張られちょって入れんがです!」

 嶺次郎は卯太郎を放し、ドアに駆け寄った。結界を一目確認すると、《力》を溜め込んで一気に打ち放した!
 後ろから中川も加勢する。強い結界ではなかったらしく、ほどなく結界は打ち崩され、それと同時に二人はドアを蹴破った。
 室内に入った二人は、目の前の光景を視界に捉えた瞬間、はっと息を止めた。
 ベッドには直江が横たわっている。……その隣で高耶が、直江の肩にしがみついて、悲鳴を上げながらもがき苦しんでいる……!

「仰木!」

 嶺次郎はベッドに駆け寄って高耶の腕を掴むが、その手を物凄い勢いで振り払われる。
 高耶は必死で《力》の暴走に堪えていた。
 少しでも気を抜けば、不安定な均衡を保つ膨大な《力》が爆発を起こしてしまう。
 それと同時に直江の死に対する底なしの悲嘆が重なって、もう喚き散らすことしか高耶にすべは無かった。

「あうぅぅ……はッ、あぁああああ───っっ!」
「仰木さん!」

 中川が高耶に近寄った。

「仰木さんっ、何があったんです、一体どうしたっちゅうんですがか!」
「あっうぅ……っ、くあッ……」
「仰木!」
「あぁ……うあ……なっ……おぇ……」

 中川が耳ざとく聞きとがめる。

「直江!?橘さんのことを言っちょるんですかっ、そうなんですね仰木さん!」
「橘!?」

 途端二人は目線を直江に移し、中川が直江に駆け寄る。
 中川は直江の腕を取り、手首を指で押さえた。直後両眼を鋭く眇め今度は左胸と鼻腔に手を移す。
 中川は驚愕のあまり茫然とした。

(これは……っ!)
「仰木さん!」

 中川は今度は暴れる高耶の両肩を掴み、激しく前後に揺さぶった。
 高耶はなおも抵抗したが構いはしない。

「仰木さん……っ、よく聞いてください!橘さんは死んでいません、橘義明の肉体はまだ生きています!」

 その言葉に高耶の動きが止まる。
 嶺次郎も目を見開いて中川を凝視する。

「橘さんは死んでいませんっ、これは仮死状態です。その証拠にまだ橘さんの霊魂はこの身体に入ったままです!」

 驚いて、嶺次郎もすぐさま霊査を行った。
 確かに……直江の身体からまだ霊魂は出て行っていない。
 高耶は言葉も無く中川を見つめ、片手で彼の腕を握る。

「なお……え、生き……てる……」
「ええ、間違いありません。直江信綱の霊体がではなく、橘さんの肉体のままこの人は生きちょります」

 高耶は顔を動かし、片方の手で直江の肩をよりきつく掴んで、涙に濡れる赤い瞳で直江の顔を覗き込む。

「仰木……霊査してみろ。おんしならわしらなんぞよりずっとはっきり分かるじゃろ」

 言われるまま直江を霊視した。そしてその次の瞬間、高耶は思わず呻いた。

「ああ……」

 聞こえる。直江の魂が……。直江の魂の音が……。
 心臓の鼓動ではなく、四百年間聞き続けてきた、魂の鼓動……。
 高耶は二つの赤い瞳を目の前の男に向けて、これ以上無いくらい愛しげに細めた。

「直江……」

 閉じた瞼から頬に一筋涙が伝い、直江の頬に落ちる。
 肩の震えは止まり、高耶の全身に燻っていた狂気の念がたちどころに消えうせた。

(仰木……)

 嶺次郎は高耶のその表情を見て、何か恍惚とした気分になった。
 こんな高耶の顔は初めて見る。……もちろん先程の錯乱した様子も初めてだ。
 直江の胸にそっと額を乗せる高耶を、嶺次郎は見つめる。
 そして思う。

(仰木……おんし、それほどまでに橘のことを……)

 ふと、諜報班の真木から報告された橘に関する情報が、脳内に呼び起こされた。
 橘……直江信綱は、上杉の初代総大将・上杉景虎の後見人だったという。
 通常、戦国の世において後見役・片腕などとと呼ばれる者は、その主君に絶対的な信頼を置かれる者であることが常だ。無論それは戦国だけではなく、現代社会においても言える。
 だが、数十年前のとある事件がきっかけで、この主従が激しく対立し合い、最低に険悪な関係に陥っていたという事実は、この闇戦国の怨将の間でもかなり有名な話らしい。
 だから二年前に、この直江信綱を総大将に新上杉が設立されたことも、ある程度は予測された結果であったらしい。
 しかし、ここで奇異な噂を聞く。
 三年半前、直江信綱は対毛利・織田戦の最中に死亡し、その魂は地上にとどまることなく浄化したのだという。
 そして景虎は、直江を永久に喪失したという事実に壮絶な打撃を受け、均衡を崩した精神が耐えられずに発狂し、直江の死を受け入れまいとするあまり北条の忍び頭・風魔小太郎を、直江本人だと自己催眠により思い込んでしまったのだという。

(直江……信綱、か)

 もしそれが本当の話なのだとしたら、……だとしたら二人の間には、一体どれほどの絆が結ばれているのだろう。
 全くの他人をその人だと思い込んでしまうなんて、普通なら考えられない。尋常じゃない。
 普段の二人のやりとりを見ていても、かつての関係など自分たちの前ではおくびにも出さない。
 だが、何も無くとも分かるのだ。
 二人の間に流れる空気は、自分たちと対する時とはまるで違う。ある種、自分には決して入り込めないような領域を感じるのだ。
 四百年とはなんなのだろう。自分には想像も付かないが、とても言葉では語りつくせないような、奈落のように深い確執があったのだろう。
 だがもし自分が仰木と共に四百年の歳月を同じように過ごしたのだとしても、この二人のような関係に行き着くことは決して無いのだろう。
 理由など分からない。だが、分かるのだ。

(この二人は……違うのじゃな……)

 嶺次郎は高耶を見て思った。
 直江が上杉の刺客として赤鯨衆に捕縛された時も……、高耶が裏四国呪法を執り行った時も……、あの二人は常に、自分のことは差し置いて、相手のことを思いやっていた。
 いつでも、どんな時でも──。

 唐突に脳内に浮かび上がったある言葉に、嶺次郎は「今更だな」と少し苦笑した。
 あの日、直江を四国から解放するよう高耶に言われたその時から、この二人が主従以上の感情で結ばれた、特別な想いを通わせる者同士であることを、自分は知っていたのだ。
 失えば、狂うほどの──。

「仰木さん、とにかく一旦橘さんを医務室に運びましょう。こうなってしまった原因を調べて見ます。仰木さんも来てください」

 高耶が落ち着いたのを見計らって、中川は優しく声を掛けながら、嶺次郎に目配せをした。
 嶺次郎は頷き、個室の外に出ると、高耶の悲鳴を聞いて駆けつけてきた隊士達を見回した。

「おまんらもう持ち場に戻れ、コトは片付いたきに。……心配せんとも仰木は無事じゃ」

 それでもなかなか戻ろうとはしない隊士達に肩を落とす。

「大丈夫じゃ……。おんしらに直接関係は無い。さぁ戻れ」

 直江のことも外から見えていただろうが、あえて説明はしなかった。
 しぶしぶといった面持ちで持ち場に戻る隊士達の中に卯太郎の姿を見つけ、嶺次郎は声を掛けた。

「卯太郎、ちくっと悪いが医務室から担架を持ってきてくれんか」

 卯太郎はそれを聞いて不安げに言った。

「橘さんに何かあったんですがか」

 どうやら卯太郎にも、外から中の様子が見えたらしい。

「……大したことは無い。早く行っとうせ」

 流石に百九十近くある大の男を抱きかかえて行くわけにもいくまい、と卯太郎に素早く指示を出して、嶺次郎は部屋の中を顧みた。

 室内の高耶は、直江の胸に額をのせたままピクリとも動かずにいる。
 瞼を閉じて──祈るように……。
for your and my eternal happiness.

Someday, I will pray to the meteor

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to be continued…
2002/10/20
はあ〜、また高耶さんが泣いてる。(涙)
直江のバーカバーカ。(←おいおい)

ところでこの話は原作28巻と29巻の間の設定です。
ので、まだ高耶さんは21歳、直江は32歳。
そして高耶さんがまだ、自分が生き続けて
直江の永遠を確かめることを、強く決意している時期です。
まだ直江を信じていない時期です。

……ううううううううぅぅ───っっっ。(←泣くなぁっ)

ああ、二人の行く末に幸あらんことを!