これにて、「氷水の剣」開設記念小説、
「答えは、いま、あなたの胸に…」完結です。
「直江の浮気」のテーマのもと、当サイトの信条である
癒される小説≠フコンセプトを、果たしてクリアできたんでしょうか?
あの、ちっとは癒されました?ビクビク……。
これからもこうやって、たとえ途中経過で二人が辛い思いをしても、
最後にはちゃんと二人が幸せになれるような、
そんな小説を書いていきたいです。
本当に、これから先の二人の未来がそう捨てたもんじゃないことを、
切に願っております……(泣)。
それでは、最後までお読みいただいて、本当にありがとうございました!
宜しかったら一言でも良いので、ご感想くださいねっ。
2002/10/09
「私……どうしてだか橘さんを見ていると、何だか放っておけない≠チて気持ちになってくるんです」
「え……」
「あ、そういう色めいた意味じゃないのよ?そうじゃなくて、まるで手のかかる兄弟を見ているような……そんな感じになるの」
「兄、弟……」
呆然として呟いた言葉に、香奈子が「ええ」と頷く。
「本当にどうしてこんな気持ちになるのかは分からないんです。橘さんって、とてもしっかりした方ですし、実際私は兄も弟も持っているけれど全然に通ったところなんてないんです。なのにどうしてか無性に世話を焼きたくなってきて、まるで弟にでも対するかのように、ついつい夕飯のおかずを差し入れたりしてしまうの」
そう言うと、香奈子は邪気の無い苦笑を高耶に向けた。
「おかしいでしょう?あんなに素敵な方なのに、普通の異性に対するようには全然見られなくて、ひょっとしたら前世に因縁でもあったんじゃないかって本気で思ってるの」
「えッ」
ギョッとして、思わず声を上げてしまう。その様子を見て香奈子が不思議そうに尋ねた。
「何か?」
「いえ……なんでもないです」
慌てて否定すると、そう?と香奈子が首を傾げる。
「だから、全然私のことは気にしないでくださいね。仰木さんが橘さんのお相手なんだって分かりましたから、これからは気をつけるようにします。もし迷惑でしたら差し入れも今後はやめますし」
「いやっ、いいんです。それくらいのこと全く気にしませんから。あいつは放っておくと食生活が不摂生になりがちなんで、良かったらこれからも続けてやってください」
そう言って、用は済んだとばかりに高耶は立ち上がり、香奈子に頭を下げた。
「お忙しいところをお邪魔して申し訳ありませんでした」
「いいえ、誤解が解けたようで嬉しいです」
玄関へと送りながら、香奈子が嫌味の無い声音で言った。
「最初玄関に立ってる仰木さんを見たときは、『ああ、ひょとしなくても嫌われてるなぁ』って思ったんですけど、これからは良いご近所付き合いしていきましょうね?」
確かに、最初この部屋を訪ねた時の高耶の目にはかなりぶっそうな光が宿されていた。それがたった数分後には、すっかり毒気が抜かれて平生に切り替わっていようなどとは、高耶自身全く想像もつかなかった。
苦笑いを浮かべて、高耶が呟く。
「ええ……まぁ、オレはここの住人じゃないですけど」
「同居する予定はないんですか?」
「……え、あぁ、いや……」
「私、お二人のこと応援していますから。いろいろと頑張ってくださいね」
そう言って、ファイト!とばかりに拳をグッと握ってみせた。それに高耶は引きつった笑みを浮かべるしか成すすべが無い。
「それじゃあ、また今度」と、挨拶を交わし合って、玄関から外に出る。その際手作りのマドレーヌをいただいた。
彼女はどうも、自分で料理したものを他人に食べてもらうのが存外に好きらしい。
おそろしく察しが良くて、おそろしく物分りの良い女性であった。
「なんか……拍子抜け」
軋んだ音をたてて閉じた502号室の黒いドアを見つめながら、ボソリと呟く。
これからの親交が、なんだか本当に楽しみであった。
六時半。約束より少し遅れて、直江が会社から帰宅した。
準備を整え次第二人で外に出て、行きつけの小料理屋に入った。
個室に通されて、注文した料理に箸を運ぶ。直江が日本酒を飲むのに相伴して、高耶も酒を口にした。「あなたは未成年でしょう?」ととめることができなくなって、何となく直江は淋しそうだった。
「在原さんがそんなことを?」
直江が傾けていたお猪口を宙でとめて、驚きの声を上げた。
昼間の香奈子との会話を、料理を食べながら直江に聞かせて見せたのである。
「けっこう、話してみるといい人だったな」
高耶は数時間前の香奈子を思い浮かべた。
いい人というか、どっかの線が一本切れているというか。とにかく、印象的な人だった。
「いい人……ですかね」
それに対する直江の曖昧な反応に、高耶は首を傾げる。
「何?なにかおかしいか?」
「いえ……その……」
直江の、覚えがあるようなはっきりしない口調にピキンときて、高耶はギロリと上目遣いに直江を睨みつけた。
「直江……」
「あ、いえ、違います、すみませんっ」
何が違うというのか、慌てたように直江が首を振った。曖昧な受け答えは余計な誤解を招くだけだということを、前日の事件で嫌というほどに学習した。
今回のことで直江は高耶に頭が上がらならなくなってしまったのだ。(前からそうだと言えばそれまでだが……)こちらに非があろうと無かろうと、取りあえずは謝っておくに限る。
「どうも、あなたと私では、在原さんの応対の仕方が違うようなので……」
「違う?どこが?」
「なんと言うか、私と応対する時の在原さんはさっきのあなたの話のように、私を見る目がどうも子供に対するかのようですし、時々鼻持ちなら無いような小生意気な笑みを浮かべたり、こう、綺麗な顔して笑っていても腹の中じゃ何考えているか分からないような……」
次々に腐しあげていく直江を見て、高耶は眉を寄せて呆れたように言った。
「それはおまえの先入観から来る単なる偏見だろう」
「いえ、違いますよ。本当にそうなんですってば」
「おまえ……相当お船のことが嫌いなんだな……」
別にそんなわけでは……と直江が眉を寄せたが、取り合わずに高耶は一人思った。
これだけ直江が苦手な女性・船とは、一体どんな人だったのだろうか。確かに何度か会ったことはあったが、別に親しく言葉を交わしたわけでもないし、船本人の人柄を推し量ることはできなかった。
そう思って直江に尋ねてみると、
「概ね、さっき言ったような通りですよ。プライドだけは人一倍高いところは、今思えば似たもの同士でした」
そう言って、苦く笑った。
「本当に在原さんもそんな感じなのか?」
「ええ、そうです。……でも、あなたには違うと言うならば、私だけが特別なんでしょうか」
そう直江が呟いた所で、高耶は香奈子が言っていた言葉を思い出した。
もし直江に対するときだけに、香奈子がお船のようになるというのなら……。
「なあ、直江……。在原さんって、お船の生まれ変わりなのかもしれないな」
「え……?」
直江が目を見開いて、高耶を凝視した。
「在原さんが言っていたんだ。『ひょっとしたら、橘さんと自分には前世に何か因縁があるんじゃないか』って」
「在原さんが……」
「考えられないことも無いだろ?確かな根拠があるわけでもないけどさ……」
今から四百年近く前に亡くなった船。それが輪廻転生を経て、巡り巡って在原香奈子に生まれ変わり、直江と再会することになった可能性だって、決して無いとはいえないのだ。
「こういうのって、いいよな……」
高耶が感慨深げに呟いた。
「こうやってさ、今まで出会って、そしてオレたちを残して逝ってしまった人たちが、生まれ変わってもう一度オレ達の前に現れて……。ひょっとしたら、オレ達が気がついてないだけで、今までに何人もそういう人と再会していたのかもしれない……」
お猪口を右手で弄びながら、高耶は饒舌に話した。頬に赤みが差しているところを見ると、少し酔いが回ってるのだろうか。
「なあ、おまえもそう思わないか?」
「……そうですね。でも、在原さんが本当に船の生まれ変わりかどうかは、よく分かりませんけど」
フッ、と高耶は笑って、悪戯っぽい目をして直江を見上げて言った。
「いっそ、高坂にでも霊査してもらうか?」
「……それは駄目でしょう。あいつは船に会ったことは無いでしょうからねぇ」
二人は顔を見合わせて笑った。襖の向こうから、耳に心地よいほどの人々のざわめきが漏れ聞こえる。
「でもさ、もし在原さんが本当にお船なら自信が持てるじゃないか……」
「何にですか?」
直江が静かに尋ねた。高耶はお猪口に再び視線を落として、透明に光る液体に映る自分を見つめた。
「例え生まれ変わってその人が目の前に現れたとしても、ちゃんと『その人』だと分かるという確証が持てる……。もしも、……もしもオレたちがいつか浄化して、生まれ変わることがあったとしたら、その時にちゃんと、例え全ての記憶を無くしていたのだとしても、オレはおまえのことが分かるんだって、信じることができるだろう?」
俯いていた顔を上げて、潤んだ瞳で直江を見つめた。
直江が息を詰める。
「高耶さん……」
「おまえも、もしオレが生まれ変わって、おまえの前に現れたら、ちゃんとオレのことわかってくれるだろう……?」
「あたりまえでしょう。私があなたを分からないはずが無い……」
「例え、オレもおまえも二人共が……前世の記憶を失っていたのだとしても?」
不安そうに答えを求める高耶を見つめて、直江は立ち上がると、高耶の座る横へと移動した。
膝を突いて、高耶の両頬を手の平で包み込み、直江は優しい微笑を高耶に向けた。
「きっと大丈夫ですよ。信じていれば、きっと……また出逢えるときが訪れます。そして私もあなたも、誰よりも確実に、互いのことを認識することができますよ……。絶対に大丈夫ですよ……」
直江が高耶を引き寄せて、その広い胸のうちに抱きこんだ。
「なおえ……」
「けれど、あなたには浄化なんてしないで、このままずっと、こうやって二人で生きていって欲しいんです……」
「うん……」
「私も浄化なんてしたくない。私は一秒だって、あなたを忘れてしまう自分が許せないから……」
高耶が顔を上げて、二つの美しい瞳を直江に向けた。
互いの視線が交錯しあった後、そっと、高耶が直江の首に腕をまわした。
そのまま導かれていくように、二人の唇が重なる。
軽く触れ合うだけの口付けを終えた後、高耶は両の腕を肩から滑らし、直江のシャツの裾をギュッと握り締めて、温かな肩口に頬を押し付けながらポツリと小さく呟いた。
「オレも……もう、おまえのこと忘れたくない」
直江が高耶の体を抱きしめる。襖の向こうから聞こえるささめき声さえも、いまの二人にはまるではるか遠くの世界のことのようで、しばらくそうして動くことも無く、互いが互いを抱きしめあっていた。
在原がいま、自分たちの前に現れたことには、一体どんな意味があったのだろう。
もしも、自分が憶測したように、いつかくる自分たちの来世への、天の啓示を示してくれたのだというのなら。
二人の先に続く未来は、きっと、そう捨てたものでもないのかもしれない……。
いつか、来るのだろうか。オレたちが答えを知る日が。
その、答えを────。
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