2002/09/29
「氷水の剣」開設記念小説第一弾、「答えは、いま、あなたの胸に…」です。
テーマはズバリ「直江の浮気」♪
…って、初っ端から何故そんな暗い題材を……ι。
現時点で既に大方できあがっているので、早いペースで更新していけることと思いますが、
実はこの話、最初の設定ではコメディだったんです。
しかしいつの間にやらどんどんどんどん高耶さんが暗くなる暗くなる……(笑)。
直江が浮気なんかして、高耶さんが正気でいられるわけもないということですね。
納得。
ご感想いただけるととても嬉しいです♪
頑張って更新していくつもりですので、
お暇な時にどうぞ覗いてみてやってください(ぺこり)。
それは二ヶ月まえの出来事だ。思えば、あの時からあいつの様子はおかしかった。
オレは「変だな」と感じながらも、あまり気に留めていなかった。
あの時、もっと疑問に思ってあいつに問いただしていれば良かったのだろうか?
そうすれば、オレはこんな想いをせずにすんだのだろうか?
あの日は確か、連休前の金曜日。久しぶりにオレが直江の東京のマンションを訪ねて行ったのだった。
あらかじめ連絡しておいたから、直江はエントランスまで迎えに来ていた。
あいつが人目も気にせず擦り寄ってきたから、華麗なフットワークで素気無くかわしてやった。あいつは苦笑していた。
「酷いじゃないですか」
と言ってきたから、オレは仏頂面になって、
「そういうことは部屋に入ってからにしろ」
と言い返してズンズンとマンションの中に入っていった。
エレベーター内でも似たような光景を繰り返し、部屋のある階で降りると、オレ達は二人並んで廊下を歩いた。
その時だった。
「あれ」
直江の部屋の右隣の部屋。以前まで空き部屋だったその玄関を、引っ越し業者の制服を着た青年が数人、大きなダンボールを担ぎながら行き来している。
「ああ、どうやら新しく入居する方がいらっしゃるみたいですねぇ」
「みたいですねぇって、おまえ知らなかったのか?」
「ええ、私も先ほど東京に来たものですから。しばらく空けたままだったから、ちょっと部屋が埃っぽいですよ」
「……着いたらまず掃除だな」
そんな会話を交わしながら部屋の前を通り過ぎようとした、その時だ。
部屋の中から、一人の女性が姿を現したのは。
オレは「ここの入居者かな」と思ってチラッと視線を向けただけだったが、手前を歩いていた直江が、何を思ったのか急にピタッと足を止めてしまった。
視線の先には、オレと同じように先ほどの女性。
「直江……?」
不審に思って名を呼んだが、反応はなく、驚いたように女性を凝視していた。
そうしている内に女性がこちらに顔を向け、直江と目が合って数秒後、オレ達の方に女性が歩み寄ってきた。
「もしかして、お隣の部屋の方ですか?」
「え……ああ、はい。501号室の橘です」
「この度こちらに入居した、在原香奈子(ありはらかなこ)と申します」
そう言って礼儀深くお辞儀をしてきたので、こっちも頭を下げる。
顔を上げて改めて相手を見てみると、その女性はかなりの美人だった。
自分の身近の人間で思い浮かぶ美女には綾子がいるが、綾子が明るく華美なスポーツ美人といった風なのに対し、この女性は清楚な風の今時珍しい日本の伝統美人、と言った感じだった。
漆黒の長い髪。色白い肌。紅を差した赤い唇。
オレがそんな感想を持っていると、在原と名乗った女性は直江と二三言葉を交わして、「改めて後日にご挨拶させていただきます」と言うと、部屋の中へ入っていった。
「おい、直江」
オレは直江の腕を引いた。なぜなら、あいつが呆然としたような体でそこに突っ立っていたままだったからだ。
オレに呼ばれてやっと意識を取り戻したのか、直江はハッとしてオレの方を向き直った。
「え、あ…はい。何ですか」
「……何をボーッとしてるんだ?」
「いえ、何でもありませんよ。早く部屋に入りましょうか」
そう言って、今度は直江がスタスタとオレを置いて廊下を歩いていってしまった。
オレは首を傾げたが、その時はあまり気に留めずに直江の背中を追いかけて行ったのだった。
……いや、気にはなっていたのだが、部屋に入った瞬間直江になつかれ、問答無用で寝室に運ばれてしまったせいで、そのままなしくずしになってしまったのだ……。
それから二週間後だったか。
その日も同じように、オレは直江の部屋を訪ねていた。
二人で何をするのでもなく、麗らかな陽光の差し込む部屋で穏やかな時を過ごしていた。
が、その貴い空気を一つの電子音が破った。
ピンポーン
玄関のチャイムだ。直江はせっかくの空気を打ち破られたのに不快を感じたのか、少し眉を顰めて立ち上がると、廊下に備え付けてあるドアフォンの映像を見た。
と、その瞬間直江の表情が変わる。
怪訝げに様子を伺うオレをしり目に、直江は韋駄天の速さで廊下を駆けていくと、丁寧とも乱暴ともつかぬ手使いで玄関のドアを開け放った。
追いついたオレがそこに見たのは、先日隣に越してきた香奈子という女性だった。
「こんにちは、橘さん」
しっとりとした清楚な笑顔を浮かべながら、彼女が目の前の直江に挨拶をする。
「こんにちは、どうしました?在原さんっ」
オレは不審を感じて眉を寄せる。
なんだか直江の口調は焦っているようだった。普段冷静なあいつらしくない。
「ええ。実は先ほど実家から桃が届いたので、一人じゃとても食べきれそうにないですから、宜しかったら橘さんにお裾分けしようかと思って」
そう言いながら、両手に持ったビニール袋を前に差し出した。
白いビニールからは結構な量の薄紅の桃が顔を覗かせている。
「ああ……ありがとうございます。とても美味しそうな桃、ですね……」
直江はニッコリと微笑んだ。……ようだったが、長年付き合ってきたオレには、それはぎこちない笑顔に見えた。
女の扱いには定評のあるあいつにしては、どう考えても様子がおかしい。
それから二言ほど言葉を交わすと、彼女は背を翻して廊下の向こうへ消えていった。
その様子を最後まで見送って、直江は深い溜息をつくと気だるげな動作でドアを閉める。
そうしてもう一度肩を落とす。
「参ったな……」
「何が参るんだ」
直江がギョッとしたように振りかえる。
「高耶さんっ、いたんですか!」
直江はオレが背後にいたことにも気付いてなかったらしい。思わず目尻が上がる。
「……いちゃ悪いかよ」
「えっ?いえ、そんなことは無いですけど……」
ですけど何なんだよと思いつつ、いよいよ様子がおかしいとオレは直江に詰め寄った。
「おまえ……さっきから変だぞ。何かあったのか?」
「いえ……別に何も……」
この期に及んで下手な言い逃れをする直江に、オレの形相はいい加減険しくなる。
「そうか、オレに言えないようなことなんだな?」
オレの氷のように冷えきった視線を受けた直江は、ヒクリと口の端を動かした。
この表情のオレに決して逆らってはいけないことは、他でもないこの男が一番良く知っていた。
強烈なプレッシャーに曝されて、ついに直江は観念しようだった。
「……苦手なんです」
暫しの沈黙の後に、そう直江は呟いた。
「何が」
「その……あの人が」
「あの人って……在原さんか?」
「……」
もの凄く決まり悪げな表情で直江は溜息をつく。が、オレにはあの直江が女性を「苦手だ」などと言うなんて、俄かには信じがたかった。
だって、考えても見ろ。あの直江だぞ?あの直江が女性を苦手だなんて、信じられるか?信じられないだろう。オレも信じられん。
「どこがどうそんなに苦手なんだよ」
「……もう、いいじゃないですか」
「なんだ、そんなに言いがたいことなのか」
「なんと言われようと駄目です。もうこの話題は終わりにしましょう」
そう言って直江は逃げるように踵を返してリビングへと歩いていった。
(怪しい……)
あそこまで意固地につっぱねられたら、もう口を開かないだろう。
さして重要なことではないだけに、そこまでして無理矢理聞きだすこともできない。
しかしここまでくると、どうしても知りたくなってしまうのが人情だ。
どうやら、あの隣人が深く関係しているのは間違いないようだが……。
脳裏に彼女の白い顔が思い浮かぶ。
理知的な目元と意志の強そうな眉。年のころは二十代半ばといったところ。
ふと、前に直江が付き合っていた女たちは、こんな感じの女性が多かったのではないかと、唐突に思った。
(まさかな……)
頭に浮かんだ想像を打ち消して、オレは直江の後を追ってリビングへと歩を進ませた。
その後の直江は、上の空になることが度々あって、その時の瞳は必ず遠いどこかを見つめているように見えた。
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