西岸良平「三丁目の夕日」


―「三丁目の夕日」と昭和30年代

(株)小学館


昭和五十年代はじめから現在に至るまで三十年の永きにわたって描き続けられている この作品は、一貫して昭和三十年代にこだわってきたユニークなマンガである。東京の下町 を舞台にそこに生きる庶民たちの暮らしぶりの中に古きよき時代の様々な情景をノスタルジ ックに描くことで、多くの読者の共感を得てきたいわゆる「癒し系」のマンガである。現在 では失われてしまった感のある善意と人情に溢れたコミュニティの中での暮らしが、いかに も「スローライフ」そのものであり、安心と快適を与えてくれる庶民の穏やかな生活ぶりに 郷愁と共感を抱く読者に支持されてきたのである。  夕日町三丁目という架空の町に住む庶民たちは様々であり、登場人物の多様さが多様なス トーリー展開を可能にしていることで、読者を飽きさせないストーリー構成の巧みさはさす がである。ストーリーの多くは、人情話しであったり、親子の情愛をテーマにしたものであ ったり、あるいは子供たちの伸び伸びとした遊びであったりするのだが、ここには基本的に 悪人が一人も登場しないのがいい。この作品には、顎の尖った人物は一人も描かれないのが 特長である。登場人物の顔は皆、丸いか、平らな顔であり、極端な受け口の人物もいる。こ れらの絵柄は、穏やかな善意に満ちた人物を表現している。最近のマンガにはキリリと締っ た顎の尖った人物が多く描かれるのと好対照である。  さらにこの作品には、昭和三十年代に関する事典的要素が随所に盛り込まれていて読者は 百科事典をめくるような楽しさを味わうことが出来る点もこの作品の特長の一つであろう。 例えば、昭和三十年当時、大学卒の初任給が一万二千円であったときに乗用車の値段はその 百倍くらいであったとか、子供たちの当時の遊び道具であるベーゴマや凧揚げの遊び方や道 具そのものについて、あるいは今では廃れてしまった風習や文化などを肩のこらない解説を しているので、気楽にちょっとした物知りになることができる。この作品の内容を丹念に整 理すれば、「昭和三十年代事典」とでもいったものが成り立つだろう。もとよりこの作品は 歴史書でも研究書でもなく、文芸としてのマンガであるから、その意味での限界があること は言うまでもない。古きよき時代の懐かしい風習や文化、人間同士の交流や家族や親子の情 愛といったテーマが中心であるから、深刻な社会問題や政治問題などは敬遠されることにな る。「キューバ危機」についてのエピソードは、人類滅亡を描いたアメリカ映画「渚にて」 とも関連させて巧みに取り込まれているが、日本を二分して闘われた「安保闘争」について も水俣病やサリドマイド薬害事件についても、この作品では言及されない。そうしたマイナ ス・イメージの出来事は、この作品の基本的なコンセプトからして仕方のないことである。 この作品全体が昭和三十年代を素材に作者が現在の私たちに伝えたいメッセージに他ならな いからである。つまり読者は作者のメッセージと歴史的事実とは同じではないことを前提に 読まなければならないのである。 そこで次に、作者が昭和三十年代に託して私たちに伝えようとしているメッセージとは何な のか、について三つのキーワードから少し詳しく見てみよう。  家族の絆  昭和三十一年七月、『経済白書』は、「もはや戦後ではない」と宣言した。敗戦の挫折か ら朝鮮戦争、サンフランシスコ講和条約の締結を経てようやく日本が曲がりなりにも独立国 家として復興したのがこの時期である。この年、貿易黒字5億ドルに加え、豊作もあって 「神武景気」が現出。この後日本社会は徐々に物質的豊かさを追求していくことになる。 しかし庶民の生活レベルで言うと、まだまだ貧しかったのであるが、街頭テレビのプロレ ス中継で力道山が外人レスラーを空手チョップでやっつける場面に庶民は快哉を叫んだ。将 来への夢を持つことの出来た時代であった。「三丁目の夕日」の主人公の一家三人が夕日町 三丁目に引っ越して、夫婦だけで「鈴木オート」という粗末な自動車修理工場を開業したの は、こんなときであった。夫婦は苦労しながらも自立した喜びをかみしめ、精一杯働く。息 子の一平は、毎日近所の友達と、虫取りやベーゴマや草野球、あるいは紙芝居を見て外で元 気よく遊びまわる明るい少年である。後に中学を卒業して集団就職で「鈴木オート」に住み 込みでやってきた六さんを加えて鈴木家は四人家族である。夫婦関係、親子関係、主人と従 業員の関係、そして従業員と一平の関係は、お互いに思いやりに充ち、極めて健全であり、 良好である。「ほんのささやかな人並みの幸福」(第五巻二三六頁)を実現した家族である。 この家族を筆頭に、夕日町三丁目に暮らすどの家族も、平和であり、それぞれに家族の絆 で結ばれた家族である。もちろん問題のある家族もないわけではない。この作品に登場する 家族は、たとえ一時的に問題が起きても最終的には家族の絆でしっかり結ばれるのである。 現在でもテレビドラマで多用される家族の食卓を囲む場面は、家族の人間関係を表す格好の 舞台であるが、この作品でも茶の間のちゃぶ台を囲んでの食卓の場面は実にほのぼのとして いいものである。作者も意識的にこうした場面を描いて、次のように述懐する。「どこの家 の食卓も今ほど豊かでなかったあの時代・・だけど一家団らんの暖かさは、今も昔も変わら ない。」(第二三巻一一三頁)と。丸いちゃぶ台は家庭団欒の象徴である。テレビの普及は ようやく始まったばかりで昭和三十年代の半ばまでは、家庭の娯楽の中心はラジオであった。 ラジオの音は茶の間のどこにいても平等に聞こえるので、ちゃぶ台のどこに座ってもいいの である。やがてテレビが普及すると、テレビの正面が一等席となり、一家の中心人物たる父 親の座る場所が固定される。戦後まもなくスタートした長谷川町子の「サザエさん」に登場 する父親にはまだ戦前の家父長時代の名残が残っていて、ちゃぶ台を一人で占領し、妻に給 仕をさせながら一人だけ先に食事を取っていたし、昭和五十年代のさくらももこの「ちびま る子」ではもはや父親の権威は完全に無用であり親子関係も友達のような関係に変質してい ることを考えると、昭和三十年代の家族関係はその中間的な時期だったのかもしれない。  心の触れ合うコミュニティ  日本を二分して争われた昭和三十五年の「安保闘争」は、ますますアメリカ型の豊かな物 質文明の社会へとその後の日本社会の方向を決定づけるものであった。「安保闘争」後に登 場した池田勇人内閣は早速「所得倍増計画」をぶち上げ、ひたすら高度経済成長路線を強行 した。その結果、労働人口の都会への集中が起き、都市化現象に拍車がかかった。郊外の畑 や丘陵が切り開かれ、そこには次々と団地が立ち並び、「団地族」という言葉さえ生まれた。 昭和三七年には東京都の人口が世界で始めて一千万人を超えた。昭和三十九年には、東海 道新幹線が開通し、東京オリンピックが開催された。一方、「三種の神器」と言われた電化 製品の普及は庶民の家庭にまで広がり、人々の生活様式を激変させて行った。核家族が増え、 共働き夫婦の増加は「かぎっ子」を生み、厚いコンクリートに遮られた団地やマンションの 住人同士は見知らぬ他人のままで、ほとんど交流はなく、「隣は何をする人ぞ」といった関 係でしかなかった。しかし都市化と物質的豊かさの追求が、結果的に人間同士の心の触れ合 いを奪い、地域共同体の崩壊を導くという皮肉な現象が顕在化してくるのは昭和四十年代以 降のことで、まだ三十年代にはそうした現象は大きな問題にはならなかったように思われる。 特に東京の下町には昔ながらの職人が住み、代々その町に住む人々が駄菓子屋やタバコ屋や その他諸々の生活に必要な店があって、お互いに顔見知りであり、朝夕声掛け合う隣人同士 の共同体が残っていたのである。そうした町の一つが「夕日町三丁目」として設定されてい るのである。因みに「夕日町三丁目」の鳥瞰図がある。(第六巻78頁) ここにあるのは、木造の一戸建て住宅ばかりでマンションや高層団地はまだない。電車の 駅もあるがまだ木造である。商店街というより住宅地であるが、空き地や畑もまだ残ってい て、ほどよい生活空間が確保されているといった印象である。もちろんコミュニティは住み やすい快適な生活環境からのみ成るものではない。それ以上に大切なのはそこに暮らす人々 の心の触れ合いがもたらす心地よさであり、安心である。「三丁目の夕日」に登場する人物 たちはいつでもそうした隣人同士の触れ合いの中で暮らしている。困っている人がいれば助 け、悩んでいる人がいれば相談にのり、友人が訪ねてくれば精一杯もてなし、楽しいことが あれば共に喜び、悲しいことあれば共に悲しみを分かちあう。彼らはいわば理想的なコミュ ニティを形成しているのである。マンガに描かれる架空のコミュニティとはいえ、あまりに 魅力的であり、懐かしいユートピアでありながら、我々の身近にありそうな、いやかつてあ ったと思ってしまうユートピアである。この町は現在の私たちが失ってしまったと感じてい る暖かい人間の心を蘇らせてくれる。この作品が三十年にもわたって読みつづけられる秘密 がここにある。  自然との共存  昭和三十年代に始まった高度経済成長の歴史は開発と建設の歴史でもある。丘陵や山を切 り開き宅地を造成し大規模な団地やゴルフ場を造り、高速道路を走らせ、工場から出る排水 や煙は環境を破壊し、公害を拡散する。私たちが手に入れた物質的豊かさは一方では私たち から自然を遠ざけてしまったことも確かである。自然の中で遊び回ることの出来なくなった 子供たちは、テレビを観るかテレビゲームで遊ぶ他はない。テレビやゲームには快感はあっ ても生の実感はないので、生の人間の痛みや悲しみや人間同士の触れ合いが欠如しがちであ る。昭和三十年代には子供たちが遊び回る自然が都会の下町にはまだあちこちに残っていた ように思う。「三丁目の夕日」には子供たちの遊園地としての空き地やはらっぱがしばしば 描かれる。ベーゴマや凧揚げをする空き地、ザリガニを取る池、昆虫採集するのっぱら(第 四二巻一〇六頁)や鎮守の森、軒下に巣をつくるツバメといった遊びの場としての自然が至 るところに繰り返し描かれる。人間と自然との共存こそ、たとえ物質的には貧しくとも人間 が心豊かに暮らすことのできる、そして人間同士の心の触れ合うコミュニティを形成する上 で不可欠な要素ではないだろうか、というのが作者がこの作品で伝えたいメッセージの一つ なのである。「つばめと暮らす町の風景こそ、自然と人間の共存の理想の姿ではないだろう か。」(第四五巻五二頁)  「三丁目の夕日」は、過去の古きよき時代への単なるノスタルジーではなく、作者が現代 人に送る「人と人、人と自然との共生」の強烈なメッセージそのものなのである。さて、私 たちはどうやって「共生の町」を取り戻したらいいのであろうか、私たち一人一人が真剣に 考えなければならない重い課題である。



番外編 ー「三丁目の夕日」の歴史的背景とそこに登場する事件・出来事

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